3.25.2021

[film] Computer Chess (2013)

3月13日、土曜日の午後、MUBIで見ました。

"godfather of mumblecore"と言われるAndrew Bujalskiの名を有名にした作品で、2013年のSandanceではAlfred Sloan Feature Film Prizeというのを受賞している。公開時に話題になっていたこともあり、一度見てみたかった。ものすごく変だけど、なんかおもしろい。

亡くなる直前のRoger Ebertが書いていたように “Here's a movie by nerds, for nerds, and about nerds”なのかもしれないが、この映画が出た2013年当時といろいろ違って、”The Queen's Gambit”が大ヒットしたり、AIや解析ツールによる「次」の提示に誰もが晒されたり動かされたりしているいま、nerdsがごにょごにょ言っているだけの変な映画、以上に見るべきところはあるのかもしれない。

画質はモノクロのアナログビデオ – TVがカラーになる前の画面のようでもやもやしていて奥行きがあまりない、その暗く曇った奥から蠢くなにか出がブラウン管を突き破ってきそうな雰囲気だけ(でもぜったい出てこない)はたっぷり。

1980年、カリフォルニアの格安ホテルにいろんな箱 - 機材を抱えた若者たちが集まってきて、これから賞金$7,500をかけたコンピューターチェスの対抗トーナメントが開かれようとしている。で、その大会の模様を横でビデオ機器で撮影している場面も描かれる。

コンピューターはまだ汎用機(大型演算機)の時代で、パソコンなんてものはまだなかった(たぶん)。通信もない。高速演算が可能な機械を自作して、プログラムは機械に直接指示をだすアセンブラのようなものだった(はず)。なので、ここで戦う人達はプログラムを書ける人、というより思ったような計算処理を実行できるように機械に機械語で指示を出せるひと、かつチェスの勝ち方を知っているひと、なのでチームになって対抗するのだが、相手の動きを見て次にこう打てば勝てるはずだから次の手はこれ、というのを当時の機械が読めるレベルの演算のロジックとして組んでアウトプットするのって、それを組む人の色みたいのがダイレクトに出ていた(はず)。こうして大会はモノクロの海に漂う変人(nerds)の博覧会みたいになる。要は、あのひと何考えてるかわかんなそうで不気味、っていう互いの会話が成立するのすら難しそうな人々のお祭りに。

こうしてホテルが予約でいっぱいで泊まれなくて幽霊のようにフロアを彷徨う男がいたり、出会い系の宗教みたいな団体がフロアで怪しい集会をやっていたり、その集会に参加していたカップルの部屋に招かれた青年が逃げだしたり、部屋が猫だらけだったり(いいなー)、ひとりしかいない女性は最後までひとりだったり、プログラムの話も少しはあるけど、「こうなっているに違いない」とかいうその言い方が余りにてきとーすぎて笑える。 それぞれ自分のマシーンとは機械語でそれなりに話せるけど隣にいる人たちと会話するプロトコルを持っていないっぽい人たちがいっぱい。

トーナメントの模様を描いた映画なのであれば、優勝したチームはなんで強かったのか、とかどうして勝てたのかに注目してもおかしくないのだが、そういうところは微塵もなくて、機械になんか打ち込んだりしながらチェスをやって一喜一憂している人々の怪しすぎるかんじと、それの鏡のようにホテル内の格子上に数日間閉じ込められた人々がチェスの駒のように、というよりそれより遥かに無軌道にてきとーに水平移動していく様を並べていて、それらは病院の廊下に置かれた監視モニターのようにも見える。そんなに解像度は高くなくていいけど、なんか動いてるぞ、って。

こんなふうに動いたり成り立ったりしている社会、というのでもコミュニティ、というのでもない人々の連なりと、そういうのをフィルム(ビデオか)に収めて、それでもなにかが動いたりドラマのようなものが生起しそうな状態を示す。コンピューターの初期に地味にこういうことをやっていた人々がいたから今のAIもネットもあるのだ、みたいなことも言わない。 自然のなかの動物たちを捕らえたBBCのドキュメンタリーの方がまだ伝わってくるものはある。

伝えるに値するものを、多数の人たちが理解しうる精度(制度)の上で伝えるのではなく、そうじゃないところでうだうだしている人々の挙動が映しだすなにかってなんなのか、そういうのがある - すべてが理解可能なプレートの上でシナリオ通りに動く人々のドラマとは異なる様相のなにかになる、それが結果としてコメディに近い笑い - HAHA - をもたらす。 というのがマンブルコアというものなのだ、というのはなんとなくわかった。

これって革命にも潮流にもならなかった(ていう総括でいいの?)けど、ここで発見されたものは小さくなかった気がしている。それを逃げ場、とか身内でうだうだ、というのはたやすいし、ホモソーシャルのやばさ危うさを抱えていることは十分承知の上で、でもなにか変なもんがあるぞ、いるぞ、って。

コンピューターチェスが、人間のプロを負かすレベルまで行ってしまった時代に、負かされてしまう愚かさや限界を晒す前に、その勝負のゲームの規則にはのらない、なんでのる必要があるのか、っていう。 そういうものなので未来も希望もゼロの後ろ向きで、で? だから? って中指をー。
 

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