1.26.2012

[film] Extremely Loud and Incredibly Close (2011)

車のなかでこれが作品賞にノミネートされたと聞いてえー、だった。
Max von Sydowの助演男優賞はわかるけど。
Sandra Bullockも悪くはなかったけど。

公開直後のレビューをあれこれ読んで、原作読まなきゃ、と年末にざーっと読んだ。
原作との異同については、山崎まどかさんのブログに詳しく書いてあって、全面的に賛成。

http://romanticaugogo.blogspot.com/2012/01/blog-post.html

予告を見たとき、U2の"Where The Streets Have No Name"をバックにタンバリンで走っていく少年を見てちょっとだけじーんとしたものだったが、あそこまでだったか、と。

日曜日の朝に見ました。 AMC系列のシネコンでは、11時前の上映は$6で見れるの。
もうじき公開される映画だが、日本だとたぶんべたべたに気持ち悪い宣伝で埋められてしまうにちがいなくて、それには乗りたくなくて。

結局のところ、原作との対比でなんで映画のほうがだめなのか、になってしまうのだが。

『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』というのは、死者(たち)のことだ。
それは主人公のオスカーにとっては、パパのことだし、その他911でいっぺんに死んでしまったひとたちのこと。
そんなに近くにいて頭んなかでうるさいのに、実体がなくて、ないくせに自分の考えとか行動をがじがじに縛る。 おそらくどこにいても一生つきまとって離れることはない。

それと同じことが、じつはおじいちゃんにもおばあちゃんにも起こっていた、ということが、過去や現在の手紙から明らかにされていく。
見えないものが宇宙レベル(→ホーキング博士)でいろんなものを支配しているらしい。 
偶然と必然とか、運がいいとか悪いとか、そういう話ではなくて、単にそういうふうに見えるし、あるんだからしょうがない。
それは発見であり発明であり、それをすることでみんな平和に暮らすことができる。 たぶん。
幽霊? 愛? うん、そんなもんかも。

「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」ものを通して911とドレスデンの爆撃がリンクする。
「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」ものへの愛が強すぎて、オスカーは感情を失い、おじいちゃんは言葉を失う。
でも、でも、でも、とか、なんで? なんで? なんで? という自(他)問自(他)答が延々と続く。 R.D.レインの本みたいに。

なんで911なのか? なんであの父子なのか?
映画にはこの解がない。解を求めようとしない。そこを追わないから、単にあの事故で傷ついた子供と家族が回復するお話、にしか見えない。
もちろんそれによってそれなりの普遍性はもたらされるから、泣きたいひとは泣けるのだろう。 他のおなじような事故や事件の映画とおなじように。

でも、オスカーにとってはそうじゃないし、自分にとってもそうじゃない。
小説では、オスカーは(たぶん)治っていないし、ブランコに乗れるようにはなっていない。
泣いて終われるんだったらこんなに幸せなはなしはない。

あの事件が、あの、きれいに晴れた9月の火曜日の朝に突然起こったことについて、未だに納得がいかない、混乱してしまう自分がいる。 たぶん一生かけてもわからないと思う。

小説版は、この不可解さに対して無数の錯綜した補助線を引くことで、ひょっとして、のような何かを示すことに成功している、気がした。
少なくとも小説の、あの流れに乗っかることで、この事件の、或いはドレスデン爆撃の、あるいは広島の原爆の内側に立つことができるように思えた。
それがこの小説の、小説にしかできないことで、そこにあんまし文句はない。

映画版は、ここの肝心なところすっとばして、ナイーブできれいな家族のお話に矮小化してしまった。

この小説をそのまま映画にできる人がいるとしたら、"Magnolia"のPTAか、アルトマンくらいだろう。
アルトマンはやらないだろうけど。

あとはまあ、なめてるよね。
ブランコにも乗れないような臆病者のガキがあんなじゃらじゃらした格好でタンバリン鳴らしながらUpper WestからFort Greeneまで小走りで行けるもんか。
Manhattan Bridgeのたもとがどんな雰囲気だかきっとなんも知らないのだろう。

んでもさあ、これが作品賞にノミネートされるか。 くどいけど。

ちなみに、New York Magazine (Vulture)のWorst 10 Movie of 2011で、これは5位。
でも10本中8本見てて、結構好きなのもあるんだけど。 
しかも、"Shame"が6位にいるし…

1.24.2012

[log] Jan.24 2012

帰りのJFKまできました。

空港に向かう車でオスカーのノミネーションきいた。
ぜーんぜんだめじゃん、今年。

今回の旅は当初の予定通り帰ることができて、それはそれでよいのだが、ぜんたいとしてはあんましだったかも。 そういうこともあるさー、しょうがねえかー 系の。

映画は7本、ライブは3本。 このへんが限界。
だって仕事もつまんなかったしさ、という。

残り(映画3本か)は帰ってから書きます。
 
土日は雪と氷点下にやられた。 あれさえなければもうちょっとなー

帰りたくねえ。
おなかいっぱいになってないんだよう。

[film] Young Adult (2011)

21の土曜日、Pinaの後、レコード屋を彷徨ったあとに見ました。
邦題のヤングとアダルトの間の記号、なんなんだろ?

Jason Reitmanのこれまでの作品のなかで一番すきだし、すんばらしいとおもった。

Charlize Theronがよくあそこまで、とかそういうのよか、きちんとした大人になりきれないまま(わかってんだよそんなの!)30代後半まで来てしまった女の子の現実をそのまま掬いあげようとした。 甘いとこも苦いとこも臭いとこも腐ったとこも含めて。 その落ち着いた(≠大人の)目線がとってもよいの。

今にして思えば、"Juno"って、浮ついた映画だったねえ。よくもわるくも。

いいかげん大人になれ、とかそういうメッセージもない、大人は大人で嫌らしくて、どうせ碌なもんじゃねえ、というところも含めて、ぼろぼろになってもひとりで立ちあがろうとする彼女と、なんともいえない表情でそれを見つめる(でもなんもしない、できない)Patton Oswaltがいて、これだけでドラマは、映画は、成り立ってしまうのね。

音楽が実にすばらしいんだわ。
ある年代の人たちにはもろど真ん中で、いたたまれなくなることうけあい。

基調音として流れるのがTeenage Fanclubの"The Concept"で、ほかにLemonheads - "It’s A Shame About...", 4 Non Blondes - "What's up", Veruca Salt - もちろんあれ- , Dinasaur Jr. - "Feel the pain", Cracker - "Low", The Replacements - "Achin' to Be"... などなど。

このテーマで、これらの曲なの。 
耳塞げってか? どーしろってんだよ。 煮るなり焼くなり… て誰もがいう。

この映画自体、1本のMix Tapeみたいなかんじで、ぽん、て手渡しされるの。
ありがと、でも、どうしたものか、うーむ、 などなど。

生きる勇気だの元気だの、しんでもくれないと思うが、いま、ぜったい見るべき1本なの。


あと、あんなふうにお酒が飲めたらなー、とか。

[film] Pina 3D (2011)

土日は映画2本づつだけ。 雪だし。 寒いし。 ぜんぜん時間ないし。
今回のはどれも待てばもうじき日本で見れるのだが、待ちたくないし、日本では見たくねえよ、とか。

最初がPinaの3D。

ほんとは、Pinaが毎年定期的に新作を上演していたBAMのRose Cinemaで見るべきだったのだが、ブルックリンの地下鉄がぐだぐだで時間が合わなくなって、IFCのほうにした。

Pinaの舞台がどれだけ空間や言語的なものに制約されないものを志向していたのかは明らかで、他方、ダンスに向かう身体が知覚、情動、妄想、力、愛、不満、もやもや、などなどによってどれだけ制約され(or 制約する)、抑圧される(or 抑圧する)ものであるかも明らかで、彼女の舞台はその両者のぎしぎししたせめぎあいのなか、唖然とするようなスペクタクルを強引に持ちこんで我々を別の世界に連れていく。 
強引に夢のなかに引っぱりこんで、舞台が終ると夢から醒める。 ぱちん。

夢の涯を見据えようとした作家Wendersが3Dを使ってPinaの世界をRemixする。
Wuppertalのモノレールが我々を外の世界に連れ出して、代表作である"Le Sacre du Printemps", "Café Müller", "Kontakthof", "Vollmond" などなどのエッセンスがいつものダンサー、いつもの俳優達によって演じられる。

みんなスクリーンのなかでふんわりと笑っている。 Pinaも。

ライブで見ることでしか感じることのできない、彼女の舞台独特の臨場感が、全く別のアプローチによって、ところどころ数段でっかいスケールでもって目の前に展開される。 もちろん、生の舞台を見ることと3Dで再構成されたダンスの動きを見ることの違いは出る。 それはそれでくっきりとでるし、わかる。

しかしそれが何かを損ねているかんじはまったくない。
Pinaがドイツの小さな町で、彼女が一生をかけて追求しつづけたものに、新たな光が当てられる。
その光がどんなに美しく、かけがえのないものであったかは、彼女を回想するダンサーひとりひとりの語りや表情にくっきりと現れているの。

決定版だなー。 何回でも見たいなー。

あとね、ちょっとだけ惜しかったのは、Pinaの持っている独特のユーモア、笑いのセンスが入っていたらどんなに素晴らしかっただろう、って。 そこは最初から諦めていたのかしら。

Pinaのドキュメンタリーでいうと、"Kontakthof"の上演に向かう10代の子供達を追った"Dancing Dreams"(2010)が「ピナ・バウシュ 夢の教室」というタイトルで3月に上映されるの。 
これもすんばらしくよいのでぜひ。

ところで、"Vollmond"に出てきたのって、カバだったっけ? BAMのときはセイウチだった覚えが…

あと、あのモノレール乗りたい。 いつかきっと。

オスカーのドキュメンタリー部門ノミネートは当然。 外国語映画賞だっておかしくないのに。

[music] Jeff Mangum - Jan.20

20日の金曜日の晩に行きました。

去年、彼がキュレーションしたATPのすぐ後に発表されたBAMのHoward Gilman Opera Houseでの3days。
最初は2 daysであとから追加で+1。  金曜日は3日間のまんなか。 

ぜんぶすぐに売り切れたのだったが、ここのチケットは直前にちょこちょこ余り追加が出たりするのでそれを掬った。
ラッキーなことに前から10列目くらいが取れた。

BAMのOpera Houseはほんとに久々で、うれしい。 
世界中のコンサートホールで一番好きなのがここと、マンハッタンのTown Hallなの。

昨年からの米国におけるJeff Mangum熱、というのが日本のひとにはどう伝わっているのかしらんが、こっちではほとんど珍獣扱いで、姿を現した!とかどこそこでNMHの曲演った! とか、いちいち大騒ぎしていて、ふうーん、だったの。
それがなんなのかを確かめておきたい、というのもあった。

前座はNewtral Milk HotelのJulian KosterくんによるThe Music Tapes。
ステージのまんなかに人よりもでっかいメトロノーム(用途不明)、ほかには管とか鍵盤とかおもちゃ楽器がいっぱい、もちろんのこぎりも。
で、3人でどんちゃか大道芸、ちんどんやふうの、ほんわかせつなく、かわいい音を鳴らしていく。

(でも気持ちよすぎて半分意識うしなってた)

15分の休憩のあとで、Jeff Mangum。
前座のときもそうだったのだが、あんた誰?サンタクロース? みたいなでっかいおじさんがでてきて、紹介を兼ねて詩を詠んでひっこむ。 これがなんか、じつにどうもいい詩でさあ…

Jeff Mangumさんは、たったひとりで出てきて、やあ、てかんじでギターをがしゃがしゃ歌いだす。
どうやって出しているのかしらんが、奥行のまったくないがしゃがしゃかんかんした藁を叩いているようなアコギにのって、ものすごくでっかい、朗々とした歌声が響きわたる。 

これかぁー  てかんじ。

00年代中盤以降にいっぱい出てきた自意識過剰、変てこフォーク・SSWの連中を軽く一掃してしまうようなド迫力のヴォーカルと、なんともいえない珍妙な歌詞、そこから立ちあがる珍妙で異様で、多分に20世紀末した世界のありよう。 
すべては90年代末に、この声、あの歌詞、あのイメージと共に用意されたものだったのか、と。
そして、この声が沈黙せざるを得なかった10年間、というのは一体なんだったのか、と。

名盤"In the Aeroplane Over the Sea"からの曲はほどんどやった。
たまにギターを変えたり、The Music Tapesの人たちが参加したりするが、ぜんぜんその世界は揺るがないまま、アンコールまで一気に走って、1時間ちょっと。 ほんとにギター引っ掻いて歌うだけ、でなんであそこまで強靭ななにかが出てきてしまうのかと。

ファンの人たちがなんであんなにわーわー騒ぐのかは、なんとなくわかった。 
すんごく素敵で、あんなシンプルなのに、音楽聴いてるなー感がぐいぐいくるから。

終わって、売店でNMHのアナログの箱買ってしまった。 $90...

1.21.2012

[music] Mission of Burma - Jan.19

木曜日、「白夜」が終わって外に出たのが10:15くらい、そこから地下鉄でWilliamnburgに向かう。

ライブは9時開始で前座がふたつ、なのでぎりぎりで間に合うはず、とふんだの。
会場に着いたのが10:42くらいで、入口の張り紙にはMOB 10:40~ とあって、もうはじまってた。 ちっ。

MOBのライブは3回目か4回目。 6年ぶりくらい。 6年前のときの前座はBattlesだったんだよなー。
BとDrのふたりは相変わらずなのだが、Roger Millerさんが長髪でぐいぐいアグレッシブに動きまわってて少し驚く。
復活直後の頃は、ヘッドセットつけて結構神経質にかき鳴らしていたかんじがあったのだが、このたびは、同じ人?と見違えるくらいに吠えてた。

音は相変わらず瑞々しくばりばりとぶつかりあって、やかましい。
音量がでかいとか、奔流激流に飲みこまれるとか、そういうのではなく、ドラムス、ベース、ギターの一音一音が痛そうにいちいちぶつかりあってハリネズミみたいなきんきんの塊りになってこっちに飛んでくる。 逃げようがねえ。

これまでと違っていたのは、ループとか入れて轟音度合をあげてたとことか。

ありそうなようで、実はあまりない音。 PixiesもDinasaur Jr. でもまだもっとなめらかだし。
中盤以降のテンションはとくに半端でなく、昔のも新しいのもまったくおなじ固さと鮮度で飛んでくる。

最初のアンコールの終りが、The Dilsの"Class War"のカバー。 (わー)
2回目のアンコールの終りが、やっぱしやらないわけにはいかない"Academy Fight Song"。

がりごりのハードコアランドスケープをコンソール卓で仕切っていたのは、これまで通りShellacのBob Westonさん。 終わったとこでSteve Albiniさんが寄ってってふたりで楽しそうに談笑してた。

もうね、アメリカのバンドなんて、FugaziとShellacとMOBとMelvinsがいれば、あとはぜんぶなくたっていい。

終わったステージの上で、Roger Millerさんがお店をひろげてたので、ツアーポスターと彼のソロ7inchをおみあげに買った。
7inchにはX面とY面があって、Y面は"Feedback Guitars for John Cage"っていうの。 おもしろそう。


[film] Four Nights of a Dreamer (1971)

Film ForumのBresson特集、あんなに素晴らしい「やさしい女」を見たら「白夜」だって見ないわけにはいかなくなる。
前にも触れた講談社文芸文庫にもこの順番で入っていたしね。

上映は木曜晩の7:00と8:40の2回だけで、これもやっぱし売り切れてた。

プリントのリストレーションは、本作の撮影を担当したPierre Lhommeさんで、彼のリストレーションがどんなに見事かは、メルヴィルの"Army of Shadows" (1969)の成果を見れば明らかなのであるが、今回のも全面的に異議なし。

くすんだ薄緑とメタリックに爛れて潰れたグレーのかっこいい!としかいいようのない色合いとか。 ここだけで、第一級の美術品のようでしたわ。

なんか、こんな話だったっけ? というのが最初の印象で、Visconti版の「白夜」で思い出されるかわいーかわいーマリア・シェルとか雪雪雪とか変なゴーゴーとか、ああいうのは一切出てこない。

まず、主人公の男がへんだ。 鼻歌歌いながらいきなり野原ででんぐりがえったりしている。
(イメージとしてはWes Andersonね)
そんなへんな奴なので、悲恋物語のはずなのに、かわいそうじゃない感が全面に出てしまう。
このへんの、自業自得だろのかんじは「やさしい女」においても同様なのだが、既に死んじゃったりしているぶんあっちの勝ちかも。(勝ちってなに?)

男が惚れてしまう女の子のほうも、キスしながら目をかっと見開いていたりしてこわいし。
彼女がずっと待ち焦がれている男もなかなか気持ちわるい。
で、ところどころ中途半端にエロがはみ出ていたりする。 困った映画。
すごくすきだけどこういうの。

全員がほとんどしゃべらず、顔も動きもサイレント映画のそれで、音楽はところどころ楽しく鳴ったりして、全体としては軽快なふう。

でも、悲恋で、かわいそうなお話なんだとおもう。 たぶん。
このへんの冷たくとっちらかって突き放したかんじが、Bressonなのね。 
なんも説明してくれない。  かわいそうって、いったいどういう状態のことなの? とか。

あと、映画館でやってた変なギャング映画みたいの、あれなに?

[music] Sharon Van Etten - Jan.18

水曜日の晩、Mercury Loungeで見ました。
やく一週間前、なんかやってないかー、と深夜にこつこつ探していたら突然発表になって発売になったのでなんとなくチケット買った。
Mercury Loungeて、広さでいうと渋谷のO-nestみたいなとこなので、当然のようにあっというまに売り切れた。

前座なしで8時くらいに出てくる。
バックは、ドラムスのひと、ギターとベースと手押しオルガンのひと、コーラスとギターとベースとキーボードのひと(女性)の3人。
すごくちいさいひとだった。 黒のパンツルックで、とっても地味。

気さくで、ギターを取り換えるときとかひとりでじたばたしてておもしろいのだが、歌に入ると堂々として強くて揺るがない。
なにかが憑依して得体のしれないどこかに引きずりこむ、というよりは、歌と音の世界のそもそものスケールがなんかでっかくて、いるだけでわんわん響いてくるかんじ。 

変な発声とかすごい声量とか、そういうもんがあるわけでもないの。
SSWとかカントリーとかでもなくて、磁場の置きかたとか根の底暗いかんじはロックのそれなの。

この日は、間もなくリリースされる新譜をひととおりやる、という特別セットらしく、客も全員がじーっと前のめりで聴いていく。

3曲目が、先行でリリースされているシングル"Serpents"で、これが実にざらざらとかっこいい。
6曲目まで行ってから、「はい、こっからB面よ」と言っていたので、ほんとに順に流していったみたい。

全部で11曲、約1時間。 これで締めてアンコールもなし。
全曲披露したのは初めてなの、と言っていたが、過去の曲を一切いれないであそこまで引っ張っていったのはえらい。

2月末からは本格的なツアーがはじまるということで、そっちも楽しみだねえ。

[film] Une Femme Douce (1969)

到着した日(1/17)の晩に見ました。

Film Forumで、Bressonの35mmニュープリントによるレトロスペクティヴというのをやってて、この「やさしい女」は当初のスケジュールに入っていなかったのだが、急遽後になって追加された。 これでComplete Retrospectiveになりました、と。

上映は6:30と8:30の2回だけ。 やな予感がしたので、渡米前にダメ元でオンライン予約を入れておいた。 ら、やっぱし2回ともぱんぱんに売り切れてた。

取ったのは6:30の回。 
着いた日の午後、一応会社に行って打合せして、でも着いたばかりで体調すぐれなくて(実際ひどかったのよ、ほんとよ)、ということで早く抜けて見ました。

原作はドフトエフスキの短編で、昨年講談社学芸文庫から新訳がでてた。 ずいぶん昔に読んだきりー。

映画は、字幕も含めてぴかぴかの新版で、文句なしにすばらしかった。

冒頭で「やさしい女」であるところのDominique Sandaが飛び降り自殺してしまうのだが、その自殺を追うショット - 空を舞う白いショール - がまずすごいの。 で、彼女の遺体をまえに、その夫があーだこーだと回想とか告解、のようなことをはじめる。

小説も映画も、彼から見た彼女の挙動とか振る舞いを、彼の独白というかたちで追っていくだけなので、彼女の自殺の真相 - あと、そもそもなんで彼女がこの男と結婚して一緒になったのかも含めて - は一切明らかにならない。

むしろ、この、なんで?なんで?なんで?の連続を通して、その結果としてこの男がこんなにもバカで愚かでしょーもなかったから、彼女はあきれて死んじゃったんだな、ということくらいしかわからないの。

で、映画は、そのわからない、不寛容、というふたりのどんづまりのありようを、ほとんど言葉を発しないDominique Sandaの表情と動作を追うことで、丁寧に描く。 動物園行っても、観劇行っても、どこでデートしても、楽しんでいるのかつまんないのかわからない。 でも、それを丁寧に追えば追うほど、残酷なくらいにその川向こうのどんづまり具合は明確になるの。
タイトルの「やさしい女」ていうのは、そのどんづまりのわけわかんなさに対して、彼女はきっと「やさしい女」だったからさ ... と男目線で加えられるだけのこと。

彼女が死んでしまった晩、彼女の遺体を前に彼は生前と同じように繰り返し語りかける。
そして彼女は生前と同じようになにも応えはしないの。

あくまで印象でしかないが、"L'Argent" (1983)にすごく似ている気がした。(あれの原作はトルストイだけど)
あれも、店舗のカウンターの向こうとこっちのやりとりからコトがはじまって、説明しようのない事実の連なりを通して殺人 -或いは自殺- の経緯を語ろうとしていた。 (タイトルである「ラルジャン - 金」をすべての発端に置いてみたところでどうなるもんでもない)
横滑りするシャベルと石鹸、とか。  決して内面を明らかにしない主人公とか。

それにしても、これがデビュー作となるDominique Sandaの美しいこと。
死体であることも含め、どんより仏頂面をしてばかりで演技らしい演技はほとんどないに等しいのだが、それがこの役の場合は見事にはまっている。
結婚したばかりの頃の、何に興奮したのか突然階段を駆けあがるとこ、ベッドでぴょんぴょん跳ねるとこ、鼻歌うたうとこ、夫の回想のなかでの楽しかった頃のこれらはほんとに愛しそうに輝く。
そしてラストのとびおりる直前の超クローズアップから空に舞うショールのとこのイメージの連なり。

どこまでも痛ましくて残酷で救いようのなかったものがここに全部被さってきて、空を見上げて地を見下ろすしかないの。

[log] Jan.17 2012 (2)

NYはそんなに寒くないのでつまんない。 
しかも着いたら雨とか降ってやがるし。

行きの飛行機はほとんど死んでとぎれとぎれで、見れたのは3本だけ。

最初が"What's Your Number" (2011)ていうの。

Anna Farisが男をとっかえひっかえしつつ全然落ちつくことができなくて、しかも会社をクビになったり散々で、そんなときにマリ・クレールの記事を見てみたらアメリカ女子が関係をもつ男子の数は平均で10.5だという。
えー、とおもって書き出してみたら自分は19だった。 これだとこの先何百人と寝たってゴールには辿り着けないかもしれない、と焦った彼女は数が20になるまえにかつてのExをぜんぶ洗って再検討してみよう、と隣人のCaptain America (Chris Evans)の力を借りて、Exひとりひとりの追跡を始めるのだった。

先が簡単にわかるし、そんなに笑えるとこもないラブコメなのだが、Anna Farisがめいっぱいがんばっているのでいいかー、程度。
でも、それまでのぼろかすの行状とラストのいい女ふうの決意決断があんまちゃんと結びつかないのよね。
勉強した、ってことなのかも知れないけど、でもちょっと遅くないか、とか。

それから、"Footloose" (2011) をみる。
オリジナルのは、実は見てない。 当時は誰でも見ていたふうだったのだが、曲がね、当時はとにかくださいとしか思えなかったのよ。
ボニータイラーのとか、だいっきらいだったもん(今もだけど)。

でもこんどのはみた。 ダンスとかかっこよさそうだったしさ。
ダンスはたしかにかっこいいけど、ストーリーがなあ。 あれじゃ中学生日記だよね。
圧政に対してはやっぱし暴動くらい起こすべきだし、悪い連中もだらしなさすぎだわ。
"We Bought a Zoo"のRosieが、幼稚園のお遊戯みたいなダンスをしてて、そこはいかったかも。

あとは、少しだけ昔の映画で、"In Her Shoes"(2005)を。 これも何回も見ているねえ。
そんなに明るいおはなしでもなくて、どちらかというととほほが延々続いていくだけなのだが、Elizabeth Bishopの"One Art"を読むところ、e.e.cummingsの詩を読むところがなんかすきなの。 あと、最後にCameronがひょこひょこ向こうに走っていくところが。
Curtis Hanson て、最近なにしてるのかしら。

それにしてもしんどい。
夜にどっか行かないとやってらんない。

1.17.2012

[log] Jan.17 2012

これからNYにとぶの。 
一週間、これでおわり。 たぶん。

見たいもの聴きたいものはだいだい決まっておる。
もんだいは時間がまったくないことじゃな。 どうなることやら。

すげえ寒そうなので楽しみだぜ。

それでは。

[film] Tetro (2009)

14日の土曜日六本木でみました。

これは2009年のアメリカの公開初日にダウンタウンのSunshineていうとこで見ている。
のだが、このときは手違いがあって、最後のおなじリールが2本届いていて、つまり最後のリールを2回繰り返しで見て、その手前の分(パタゴニアへの旅のとこ)がなかった。
上映前に劇場側が説明してくれて、代金返してくれて、まともな上映回を見れる券もくれたのだが、帰国直前で時間がなかったのでそのまま見て、それきりになっていた。

でも、そんな状態で見てもまったく不満のない、すばらしい映画だったの。

んで、これの上映はデジタルで、もともとデジタルで撮られているから問題ない、という声もあるようだし、そうなのだろうが、でもね、これでっかい画面でフィルムで見ると、それはそれは美しかったのよ。 光が濡れたかんじで。

家族を捨てたTetroと、家族を探しにきたBennieのアルゼンチン〜パタゴニアを舞台にしたおはなし。 反転とか反射というのがひとつのキーで、それぞれの像がそれぞれの現在と過去に、北と南の果てに入り込んで入り組んで、万華鏡のようにまったく別の像と様相を描きだす。

とにかくすてきなので、見ませう。

ああ、時間がないー

[music] 山本精一 & Phew - Jan.13

13日の金曜日、こんなのもうやだぜったいやだありえない、と嘆きながら駆け込む。
今年のライブはぜんぶ当日券でGo、になる。 たぶん。

着いたのがまた7時10分過ぎで、電気はおちてて、しーんとしてた。
もう始まっているのかどうかわからず、はじまったのは二人だけで静かに
「夢で逢いましょう」だった。

うれしげに~ 悲しげに~ 楽しげに~ 淋しげに~ ♪

というのをぜんぜんそういうふうには歌わない、これなら夢で逢ってもしょうがないような、そんな境地に人々を運ぼうとするの。

この後もふたりだけで、たぶんいろんなカバー、"Danny Boy"とかを、ぴょーんと張ったエレクトリックギターの線の上、落ちることも上がることもないヴォーカルでじっくりと。
6曲、40分くらい。 ラストは"Candy Says"だった。

休憩の後にバンドセットで出てきて、「幸福のすみか」を中心に、そんなにやかましくなかったけど、これもいい。 
歌と伴奏、ではなくて、歌は歌で、伴奏は伴奏で、それぞれに世界を作ってて、それらがたまに交わって、重ね着のほんわかしたかんじを伝えてくる。

(Phewっておしゃれだよねえ、ていつも思うのだが、そういう声あんま聞かない)

アンコールは最初にMatching Moleの"O Caroline" (わーい)やって、「ねこの歌です」といってきりきりひきつったギターリフが聴こえてきたのでネコじゃなくてニコ? とか思ったらやっぱネコだった。 「いんど猫 xx 猫 山猫 どら猫ばけ猫〜」とかいうの。インド猫のあとがわからず。

最後のは「行動するのはよいことなのですかー」とか延々いうの。 「行動」?「報道」?

今年のライブはみんなよいかも。 なんとなく。

1.15.2012

[music] St.Vincent - Jan.10

連休最終日はまったく立ち上がることができずに終ったのだった。

10日の放課後に行きました。
駆け込んだのが7:10過ぎで、"Cheerleader"の途中から。これがまだ1曲目でありますようにと祈ったがそうではなかった模様...
(何百回も言っていますが、7時開始はやめてほしいんだ)

新譜の一曲目にあんなアレンジの"Chloe in the Afternoon"というタイトルの曲を持ってきてしまう、こんな時代にThe Pop Groupの"She Is Beyond Good and Evil"をカバーしてしまう(それをJimmy Fallonのショーで演ってしまう)、そんな娘さんをだれがきらいになれましょう。

ひょろひょろのマネキンみたいな容姿にもしゃもしゃ髪、深海の闇と3Dのグラデーションを作り出すアンサンブル(DrumsのひとはJeff Buckleyの"Grace"バンドのひとだ)のなか、彼女の髪が波に揺らいで逆立つ。 ギターはその深海でぶっとい木炭チョークとか蛍光ペンで描く光の線だったり、ときにはナイフだったり針金だったりする。

とりあえずギターはうまい。ほぼ1本を右に左に使い倒して、なんでもござれなかんじ。
あとでTuck Andressの姪ごさんと聞いてそりゃうまいかー、と。
(もしや親族みんなもしゃもしゃ髪?)

"Chloe in the Afternoon"は、72年のEric Rohmer作品で(邦題は「愛の昼下がり」)、これの前の"Claire's Knee" (1970)と並んで、六つの教訓話のなかで煮え切らないへんてこエロオーラを放つ作品として大好きなんであるが、それをあんなふうなアレンジでへろへろ素っ頓狂に歌ってしまうすばらしさ。

そして、"She Is Beyond Good and Evil" (1979)のカバーは、あのGareth Sagerのギターを見事に再現してしまう。 次は"We Are All Prostitutes"を是非。
(Mark Stewartのおやじギャグ報告についてはどう反応したらよいものか…  あれグチ?)

で、このあと、"Northern Lights"以降は終わりまで一気に走っていった。
見せ方聴かせ方とかよりも、まずは1曲1曲に没入していくその様がすばらしかった。
それだけの密度をもった(特に)新譜のありようにきちんと嵌っていたし。

でも、彼女がやったなかで一番好きな曲って、The Nationalとのデュオ、"Sleep All Summer"(Crooked Fingersのカバー)だったりする。 
ああいうほわーんとしたのも演ってほしいんですけど。


ライブの後、東急本店のエレベーターに渋谷陽一がいた。

1.14.2012

[music] 芸害 vs もう死んだ人たち

今年のライブ初め。 Tintinを見た後、渋谷でみました。

最初に、石橋英子 with もう死んだ人たち。
最初にバンド紹介で、ドラムスがJohn Bonhamさんをクビにして、マリス・ミゼルのKamiさん、ベースがJaco PastoriusさんをクビにしてNoel Reddingさん、ギターがDerek Baileyさんをクビにして、PattoのOllie Halsallさん、ヴァイオリンが、ストラディバリさんをクビにして、パガニーニさん、になったというお知らせがあった。 どっちにしたって、もう死んだ人たち、と。

ピアノの石橋さんだけはどうやら生きていて、でもあとのメンバーはもう死んでいるのに、音だけは響いてくる。 でも死人の出す音なので、肉とか骨はない。肉とか骨を欠いた音の群れが唯一生きているピアノの音と彼女の歌にまとわりついて、そのまま透明な死の世界に連れ去ろうとする、あるいは半端な、変なバランスのまま螺旋を描いてそこらに漂って消える。

ピアノが左端、死んだ人たちは右側に座ってぐるり、舞台の真ん中があいてる。
その空いた場所に、その変な音たちは降りてきて、勝手に踊っているように見えたのだった。

続いてJim O'Rourke with 芸害。
バンドメンバーはもう死んだ人たちと同じなのだが、休憩したら死の世界から蘇ったらしく、かつてOllie Halsallさんだったひとは、Jim O'Rourkeさんになっていた。 ゾンビなのかも。

Jim O'Rourkeさんのライブ芸は、これまでいろんなところでいろんな形態のをさんざん見てきているのだが、やっぱりギターが一番好きで、さらにはデュオとかインプロヴィゼーションのよりは、バンドのが断然すばらしいの。

Nels Clineが入る前のWilcoのライブとか、あのすばらしかったLoose Fur、とかね。

そして、ヴォーカル芸も実はすばらしいのである。 音源だとBacharachのカバーが有名だし、最近は演歌方面にも弛まぬ精進を続けていることが判明したが、2004年、Wilcoの大晦日ライブ、Madison Square Gardenの大舞台でパジャマいっちょうで絶唱していた彼の姿をわたしは忘れることができないのである。

なので、このバンドセットのライブはすばらしいものになることは最初からわかっていたの。
音は、割とオーソドックスな、アメリカのギター+トラッドのトーンで、でもレイドバックしつつ上に上がっていくわけでも、ブルージーに落ちていくわけでもない。 巨大なJohn Faheyの傘と枝のはじっこにひっかかって。

ギターはアコースティックとエレクトリック(SG…もどき?)の2台をとっかえひっかえ。
両方の音の違いは、笑っちゃうほどなくて、単音は輪郭をくっきり、カッティングはどこまでも捩じこんで揉みこんで踏んずける。
3番目にやった「だれもしらないねこんなの」ていってた曲の圧力がとんでもなかった。

アンコールは"Eureka"の"Prelude To 110 Or 220/Woman Of The World"をえんえんぐいぐい。

こんだけすごいバンド芸をもっていながら、芸害だからって、死んだひとたちだからって、あんまやってくれないのはほんとにもったいないことだ。

それにしても、その、腐りかけたRobert Wyattみたいな今の風貌、もうちょっとなんとかしたほうがよくないか。

1.13.2012

[film] The Adventures of Tintin (2011)

7日の日曜日の昼間、六本木で見ました。
そういえば、New York Magazineの2011年のベスト1はこれだったのよね。

思ってたよか、断然おもしろかった。
こんなに中味がなくて薄っぺらくて、でもたのしい映画って、実はあんまないかも。

オープニングロールのエンドレスで繋がっていくアクションがすごくて、始まってからも無責任男Tintin(タンタン、ティンティン、ちんちん)の薄っぺらい中味となんも考えていない後ろ頭(ほとんど犬と同じレベル)が漫画のぺらぺらでひゅんひゅん動いていく。
運動神経はとってもよさそうだ。 銃弾はもちろんあたらない。

蚤の市-アパート-お城-船-飛行機-砂漠ーオペラー海、特に必然があるとも思えないのに、ドラマが必要とも思えないのに、とにかく走りだしてしまったジェットコースターは止まらなくて、降りて昇って、流れて、動いていく。 
こうして、口あけてわーい、とか言っているうちに終わってしまう。

Spielbergが3Dのパフォーマンスキャプチャーでやりたかったのはこういうことなのだな、ということがようくわかる。
これをやるために、Tintinというのは恰好のキャラクター素材なのだった。
Indiana Jonesものも、本当はこれでやりたかったんだろうなー、とか。

書くことはあんまないの。 これくらいしか。 それでもじゅうぶん。

[film] Black Sunday (1977)

6日の金曜日、連休初日に午前10時のうんたらで、六本木に行ってみました。

これがよいのは、"MASH"もそうだったけど、あそこのでっかいスクリーン2で、状態のよいフィルムで見られること。(たんにきもちいい。70年代のってでっかいスクリーンが映えるの)
これがよくないのは、午前10時なんてありえない時間にやること。 
年寄りしかこねーし。 まるで会社みたいだし。

この映画が当時未公開になってしまったことは雑誌のスクリーン(ロードショー派ではなかった)で読んで知っていた。
たかが映画なのにそんなことをする人たちっているんだー、と素朴にびっくりしたものだったが、今はDVDでもどこでもふつうに見れる。  あっちのJohn Frankenheimer特集でもかかっていた。

これ、なんだか気持ちいいのよ。へんなかんじなのだが。
テロ組織"Black September"の活動とそれを追っかけるFBIのぐさぐさが続いていくだけなのだが、なにが起こるかはだいたいわかるし、実際ほぼその通り、組織の筋書き通りのことが起こる。  
んではおもしろくないかというと、ぜんぜんおもしろいし、結構どきどきびっくりするところとかがいっぱいあるの。

ほんもんのテロ組織の人たちが怒ったのは、そういった中味の話よか、こんなふうな事件の見せ方に対してだったのかもしれない。
手口がばらされる、とか、失敗で終わってしまう、ということよりも、事実はこんなふうに進行する、たとえ結果がどうあろうとも、のような腰の据わった目線が彼らを徒に不愉快にさせてしまったのではないか、とか。

スタジアムのわーんとした客席の俯瞰とか、あの殺戮マシーンの挙動とか、もちろん飛行船の怪獣みたいな動きとか、なんかすごいの。
テロリズムがどうの、というよかスタジアムに鯨みたいにのしかかる飛行船、いちばん強烈なのはこいつだ。 (脅迫した連中はここが気にくわなかったのか?)

で、これの後は、おうち戻ってちょっと昼寝したらもう夜で、いちんち終わってしまうのだった。
これはほんとによくない。

1.11.2012

[film] The Wages of Fear (1953)

ああぜんぜん書いている時間がないよう。
連休はほぼずっとごろごろ。ぜんぜんだめ。

4日は仕事はじめで、午後2時くらいでみんななんとなくいなくなってしまったので、美術館でもいくかー、と行ってみる。

上野のゴヤとこっちと、どっちかなあと思ったが、上野のマヤは着衣のマヤしかいないということなので、正月から着衣はねえだろ(なんだそれ)ということでこっちにする。 竹橋なら歩いていけるし。

『ぬぐ絵画―日本のヌード 1880-1945』
明治以降の西洋絵画の受容、そのなかでもはだか(ひらがな)の表現をめぐって試行錯誤した作家達の作品が並べてある。 
そりゃ大変だったんだろうねえ、と思うけど、ついこないだまで、洋画のヌードだって当たり前のようにボカシがかけられていたわけだから、べつにぜんぜん驚かない。100年戦争なんである。
昔のことに感心してるなら今のに驚け、たいして変わってないんだよ、とか。

黒田清輝「智・感・情」もほのぼのと変でよかったが、エロの度合いとしては「野辺」のほうがいかったかも。

展示の仕方とか、特設サイトとか、チラシとか、がんばって手作り感たっぷりで微笑ましいのだが、べつにただのはだかじゃねえか、なかんじがどうしてもしてしまうのはしょうがないか。
そんなこと思うのは性根が腐っているからよね。

それから常設展と、常設コーナーの関連展示を見て、もういっこの目当ての"Valerio Olgiati and His Architecture"を見る。

ふつうの建築家の展示とはちょっと違っていて、構想の元にあったと思われる古今東西の建築のパーツ(記憶)と図面や模型が並べて置いてある。
部分と全体、記憶と歴史、そして展覧会の会場配置と建築家の視座、これらを全て統合される場所にあるでっかい「建築」のありよう。 
建築家によっては、こういう建築=世界みたいなありようがうっとおしかったりもするのだが、このひとのは、ひたすらシンプルでかっこいいのだった。

ペルミ21世紀美術館なんてさあ、なんかすごいよね。

それからシネマヴェーラに向かって1本だけ。
仕事はじめの1本はこれじゃろう、という『恐怖の報酬』を見る。
12月の中旬、海のむこうのFilm Forumでは35mmのニュープリント版が上映されていたのだが、でも、16mmでも、見られるだけでもぜんぜんいいの。
(これはDVDスルーでも見られればいい、ていうのとは根本的にちがうんだからね)

何回みても同じとこでどきどきしてはらはらして、最後まできりきりぐるぐるして、そいで結局はぜんぶおじゃんで、仕事なんて最悪だすべての仕事は恐怖の報酬と共にあるんだわやってらんないわ、とおもった。 
だれがわるいんだだれがー、とか。 "Occupy… "の時代にこそ見られるべき傑作なの。

橋のとこ、岩をふっとばすとこ、前のトラックが煙に変わってしまうとこ、どこを切ってもほんとにかっこいいのよ。 そしてあの、ぼろぼろの、臭ってきそうな4人。

じりじり亀のように進んでいくトラックのリズムと速度、それが最後の歓喜のスイングに変わった途端にすべてがおじゃんになってしまう、この冷たくてざっくりしたかんじが。
全体としてメキシコのあっつい映画、のはずなのだが、とても寒くて冷たいの。

もっと寒くならないかなあ。

1.02.2012

[film] MASH (1970)

毎年の映画初めはクラシックの名作を、ということに決めていて、昨年は元旦にLincoln CenterでJohn Fordの『わが谷は緑なりき』をUCLAのぴっかぴかのプリントで見たのだった (そいからその夕方にCassavetesの"Faces"もみた)。

今年はどうしようかなー、だったのだが、午前10時のうんたら、という年寄り向けの企画(+もうデジタルに移行しちゃうからあとはよろしく企画)でやっているこれにした。
どうせやけくそのくそったれモードだったし。

これを最後に見たのは2010年の9月、Lincoln Centerでたまたまやってた特集上映、"75 Years of 20th Century Fox"の目玉で、40周年のニュープリントが焼かれて、おまけにElliott GouldとTom SkerrittとKathryn Reed Altman(監督の未亡人)のトーク付き、という豪華イベントだった。

何回見たって最高だわよ。
昨年リバイバルされた"Nashville" (1975)のが、テーマとしてより深く刺さってくるものがあるのかもしれないが、フィジカルに傷口をびろびろぐさぐさ拡げたりかさぶたをべろべろに剥がしたりする、それを無邪気に軽妙にやってのけてしまういいかげんさ、それを戦争映画、というジャンルでやっちゃったすごさは、すごいなー、っておもう。

戦争映画ではあるが、戦場のシーンはない。映っているのは負傷したり死にかけの状態で運びこまれてきた兵士とかそのまま死んじゃう兵士とか、その兵士を手当しつつも前線の後方で毎日バカやって遊んでいる医者、遊びを画策して楽しんでる連中ばかりなの。 
戦争の悲惨や悲劇惨劇が取り上げられることはなく、セクハラとパワハラの嵐、いいかげんな医療とかばくちの対象としてのスポーツとか、そんなのばっかし。 
戦争〜? 軍隊〜? だって勝手に送られてきたんだから知らんわそんなの、と。

うううーちがうだろーみんな歯をくいしばって前線で戦ってるんだぞー! とか叫んでも、じゃあ死んでみれば、自殺なんて簡単だよ、やるもやらぬもお好きなようにー♪ とか歌われてしまう。

戦争をこんなふうに描いてしまうことそのものに頽廃とか狂気を見る、というのもまたなんか違っていて、たんにそんなもんなんだ、と。 戦争でのあれこれに意味づけをすること自体、糞だと。

前回見たときのトークで、あるシーン(ジープにお祈りするとこ)の意味を聞かれたElliott Gouldさんが「意味なんてあるもんか。戦争なんだぞ。戦争で起こることに一切意味なんてないのさ。アフガンでの戦争に意味はあったっていうのかい?」とさらっと言い放っていたことを思いだす。
 
こんな映画、もう作れないんだろうなー。たぶんこの系譜にありえる最後の戦争映画、があったとしたら、"Apocalypse Now" (1979) あたりだよね。
"Tropic Thunder" (2008) ですら、ひたすら生真面目に冗談をやっているかんじだったもんなー。

この次の午前10時… は、"Black Sunday" (1977) ですよ。


で、いったんおうちに戻ってお昼寝して、夕方に目が開いてしまったので、シネマヴェーラに行って、"Lili" (1953) だけ見ました。

何回も見てるんですけどね、好きなんですよ。 "MASH"のあとに見ればきっと滲みるものがあるはずだ、と。
フィルムが痛んでて、フィルムがほとんどまっかで残念だった。
ちゃんとしたプリントだと、ほんとに綺麗なのになー。赤の色とか。

16になるくせにいつまでもガキでその挙動にイライラさせられるリリーと、いい大人のくせに暗くてイジイジ人形に隠れてしかものを言えないポールのやりとりに最後までいらつくのだが(じゃあ見るなよ… )でもいいの。 おとぎ話なんだから。 お正月なんだから。

1.01.2012

[log] Best before 2011

新年あけましておめでとうございます。

昨年の年末年始はほんとうに楽しくて、30日にGuided by Voicesみて、31日のカウントダウンでButthole Surfers、というめちゃくちゃ恵まれた状況にあったわけですが、今年はみごとになんもない。 ま、これがふつうなのでしょうが。 

つまんないので2011年のベストをやってみる。
すんごく適当に気分で選んでいます。

今年の1曲目は、The Go-Betweensの"Love Goes On!" (1988) でした。 それがなにか?

[映画]

新作とか。 (見た順番)

■ White Material (2009)  by Claire Denis
 Isabelle Huppert !!!
■ Uncle Boonmee Who Can Recall His Past Lives (2010)  by Apichatpong Weerasethakul
 ブンミおじさん  -  もうじき爆音で見れるんだわ。
■ Vincere (2009)  by Marco Bellocchio 『愛の勝利を』 - 爆音版のほう。
■ Bridesmaids (2011)  by Paul Feig
 ねえねえ、なんで日本公開しないの? 
■ Friends with Benefits (2011)  by Will Gluck
 これと"Crazy, Stupid, Love."の2本は、機内でそれぞれ4回以上見た。
 本当によくできたラブコメだし、お勉強になるのよ。
■ Tinker Tailor Soldier Spy (2011)  by Tomas Alfredson
 とても丁寧に作ってあるの。
 そして、"We Bought a Zoo"のと共に邦題の酷さに怒り狂う。
■ The Future (2011)  by Miranda July
 猫映画として歴史に残る。
■ Red State (2011)  by Kevin Smith
 大作感はぜんぜんないけど、ソリッドでかっこいいよ。
■ Like Crazy (2011)  by Drake Doremus
 これも地味で、そんな盛りあがらないんだけど、いいの。
■ Melancholia (2011)  by Lars von Trier
 問答無用の不機嫌大爆発とカタストロフィ。
■ Mysteries of Lisbon (2010)  by  Raoul Ruiz
 ずうっと夢のなかにいるみたいなー
■ Margaret (2011)
 Anna Paquinのすばらしいことったら。"Melancholia"のKirstenとどっちか。

タイミングさえ合えばここに、"Pina"と"Young Adult"はぜったい入ったはず。

[上以外にもいっぱいあるのだった]

■ Cave of Forgotten Dreams (2010)  by Werner Herzog
■ Certified Copy (2010)  by Abbas Kiarostami
■ Bill Cunningham New York (2010)  by Richard Press
■ Beginners (2010)  by Mike Mills
■ The Myth of the American Sleepover (2010)  by David Robert Mitchell
■ The Ward (2010)  by John Carpenter
■ Correspodencia Jonas Mekas - J.L Guerin (2011)
■ Being Elmo: A Puppeteer's Journey (2011)  by Constance Marks
■ Kooky (2010)  by Jan Svěrák.
■ Martha Marcy May Marlene (2011)  by Sean Durkin
■ The Muppets (2011)  by James Bobin
■ A Dangerous Method (2011)  by David Cronenberg
■ We Bought a Zoo (2011)  by Cameron Crowe
■ Shame (2011)  by Steve McQueen
■ Winter's Bone (2010)  by Debra Granik

下のリンクはFilm Comment誌とVillage VoiceのFilm Poll。こんなもんかー。
"The Tree of Life"はわかんなくない、けどここではいいかー、とか。
殆ど海外で見たやつなのよね。 それって問題だわよね。

http://www.filmlinc.com/film-comment/entry/film-comment-announces-2011-best-of-year-list

http://www.villagevoice.com/filmpoll/

続いて旧作とか。

■ Doomed Love (1978)  by Manoel de Oliveira
■ My Brilliant Career (1979) by Gillian Armstrong
■ Out of the Blue (1980)  by Dennis Hopper
■ World on a Wire (1973)  by by Rainer Werner Fassbinder
■ Acto de Primavera (1963)  by Manoel de Oliveira
■ Some Came Running (1958)  by Vincent Minnelli
■ Sometimes a Great Notion (1970)  by Paul Newman
■ The Life and Death of Colonel Blimp (1943)  by Michael Powell, Emeric Pressburger
■ A Brighter Summer Day (1991)  by Edward Yang
■ The Women (1939)  by George Cukor

"Doomed Love" はこないだ翻訳が出ました。『破滅の恋 ある家族の記憶』。
ちなみに、新作のほうに入った"Mysteries of Lisbon"の原作も同じ19世紀のポルトガルの作家Camilo Castelo Branco。

Fassbinderの"World on a Wire"は歿後30年の今年、日本でも上映されることを (祈)。


[音楽]

ライブは20本くらいしか行けなかったので、少しだけ。 これも見た順。

■ Iron & Wine (Jan.29)  @Radio City Music Hall
■ Hal Willner and Philip Glass perform for Allen Ginsberg (Feb.22)  @The Stone
■ Joe Lally  (Sept.11)  @O-nest
■ SWANS  (Sept.27)  @Music Hall of Williamsburg
■ Jon Brion (Oct.3)  @Le Poisson Rouge

Decemberists (Jan.30), Laura Marling (Sept.28), Girls (Oct.27), Eleanor Friedberger (Nov.19)
といった最近の人たちのもよかったのよ。

[展覧会]

海外のでっかかったやつだけ。どれも超メジャーすぎる。

■ Savage Beauty : Alexander McQueen  @Metropolitan Museum of Art
■ John Martin: Apocalypse  @Tate Britain
■ Maurizio Cattelan: All  @Guggenheim Museum
■ Leonardo da Vinci: Painter at the Court of Milan  @National Gallery
■ Gerhard Richter: Panorama  @Tate Modern

[食べもの]

別で書きますが、Brooklynごはんに今更びっくりさせられた1年でした。
下のリンクはNew York MagazineのBest New Restaurants of 2011。
ふたつしか行ってないや。

http://nymag.com/restaurants/wheretoeat/2012/best-new-restaurants/


今年もすばらしいいろんなのに出会えますようにー。