9.30.2012

[music] David Byrne and St. Vincent - Sep 26

時系列がやや前後してしまいますが、書きやすいやつから。

水曜日の晩、Beaconで。ここでの2日間の後のほう。 米国に発つ前にチケットは確保しておいた。
1階のオーケストラ席で、Ticketmasterの手数料入れると$100を超えてた。うーむ。
前座なしの8:00開始ということだったので出かけるのに少し慌ててばたばたする。(実際にはじまったのは8:15頃)

場内に入る前に通りの向かいのFairwayに入ってなごんでいた。ここのローストチキン、ほんとに安くておいしいんだよ。(そしたら翌日、Fairwayのネズミがニュースになってた。そんなのいるに決まっているし、別にいたっていいじゃねえか)

席についてしばらくしたら、横にいた若者があわあわ騒ぎだしたのでその方角をみたら通路のとこにPaul Simonさんがいた。やっぱし見に来るよねえ。

開始前の音楽はなしで、ずっと鳥の声がちゅんちゅん鳴ってた。
すると突然アナウンスが入り、「あーあー、ハロー、こちらDavid Byrne。 もうじきはじまるこのライブ、写真はいくらでも撮っていいからね。 でもiPadで写真を撮るのはやめとこう、あれ振り回すとみんなの迷惑になるからね、よろしくー」とあの素っ頓狂な声が場内に響き渡る。 場内喝采。 

ステージ左奥にドラムス、右奥にキーボード。あとは正装したブラスが8人。
当然、"Love This Giant"の一曲目から入るのだが、あぜんとするくらいに音が切れてて、かっこいいの。  でっかいバスドラの連打にブラスが絡む、これだけ、こんなにシンプルなのに鳥肌がたつ。

David Byrneさんはいつもの白スーツにヘッドマイクなので、勝手に自在に動き回り、Annie Clarkさんはタイトなドレスに、当然ギターを抱えて、しかし彼女もくるくるよく動く。
彼のほうはDavid Byrneの着ぐるみを着たひとが踊っているようだし、彼女のほうも操り人形のようにかくかく回ってて、ブラス隊も曲毎にぜんぶ配列に隊列、ステップや行進、エンディングの影(ブレーメンの音楽隊!)まで緻密に練られていて、とてもアルバム1枚のために寄せ集められたものとは思えないウェルメイドな素敵なショーだった。 
(きっと彼らを天井裏で操っているのが"Giant"なのだろう)

それにしても、Annie Clarkさんがギターを抱えて歌っている地点目がけて、ステージ左手からByrneさんを含む全員がじりじりと寄っていく、それだけでなんであんなにスリリングで興奮させられてしまうのか。

中盤で“This Must Be the Place (Naïve Melody)”が入って、これはやはり盛り上がる。 
David Byrne体操もフルでごきげん。

当然、St.Vincentの曲もやるのだが、例えば“Cheerleader”とか、来日したときのライブの、部室のドアをばんばん叩いているかのような密室的な緊張感もよかったが、今回のライブの夕日に向かって叫ぶようなやけくその開放感もすばらしいの。

このふたりの相性は申し分なくよくて、どちらもロックをやるぜ、というきんきんしたところがなく、メタフォーク的な場所からロック寄りのアンサンブルを使ってみる、それをパフォーマンスとしていかに愉快に提示するか、そういうことにずっと意識的だったからこその、この完成度なのね、と思いました。 

どれくらい練習したのかしらんが、ショーとして完璧に練り上げられた構成と流れだったので、日によっての異同はおそらくなくて、アンコールは2回。 時間で1時間40分くらい。

1回目は彼女の"Cruel"に彼の“Burning Down the House”、2回目は彼女の"The Party"に彼の"Road to Nowhere"。
"Burning Down the House"の熱狂は(誰もが想像できるであろう)すさまじさだったが、その前の"Cruel"での、テルミンふたりあやとりが最高におかしかった。 あれでTV出たらぜったい人気者になれるよ。

そして"Road to Nowhere"は、ブラス隊がずうっとステージ上を列になって行進していくのだった。 ずうっとまわっていてほしかったのにー。
 

[log] September 30 2012

とりあえず、JFKでチェックインして、Monterey Jackをほおばったところ。

今回は、今回だけでいいから台風さんにがんばって頂いて、本州のまんなか辺で少しだけねばっていてほしい。
この飛行機が飛べないことになれば、飛ばないことになれば、ホテルは空港近辺になってもしょうがない、タクシー飛ばしてマンハッタンに戻ってNYFFで"Frances Ha" (2012)を見るんだ。既にStand-byだが、2時間並んだっていい。 あーあ。

今回、Seattleで見た映画は3本、New Yorkで見た映画は8本、ライブは2本、オペラは1本、展覧会1、そのた1。 そのたは、MOMA PS1のNY Art Book Fair 2012。
これらについては帰国後にだらだら書いていきます。

しかし、週の中盤からの慌ただしさは尋常ではなかった。
事情を考えずに端から突っこんでいった自分がばかだったのだが、次にやることがわかんなくなって放心して道ばたで立ちすくんでしまうことが多すぎたわ。

お買い物だとレコードを少々買いすぎ。
レコードは手荷物にならざるを得ないので、肩が抜けそうだ。一回抜けてみれば思いしるんだ。

もう9月も終わりなのか。 なにやってるんだろ。

9.28.2012

[music] Grizzly Bear - Sep.24

24日の月曜日の晩に見ました。 ほんとに久々のライブなので、とってもうれしかった。

Radio City Music Hallって、昔はエンタメ系の大御所歌手とかがやる場所(新宿コマ劇場とか)のかんじがあったのだが、最近はこういうバンドも出るようになったのね。 前回ここに来たのもIron & Wineだったし。 その前は(たしか)Modest Mouseだったし。

チケット、売り切れはしなかったようだが、ひとは結構入っていた。 ブルックリンの髭面 - 南部のぼうぼうではなくて、タワシみたいなやつ - Stumptown CoffeeとかMast Brothers系というか - が多い。

前座の途中から入った。 Unknown Mortal Orchestraていう3人組(でもOrchestra)で、かわいそうなくらいPAの音がひどかったが、タイトなクラシック・ガレージでよいかんじでした。

Grizzly Bear、発売したての新譜からまず2曲。
バンドの背後から均等に配置されたオレンジ色の提灯のような玉がランダムにふわーんと昇っていって、ぺったんこのクラゲのように触手が伸びきる。 あークラゲというか、精子だよな、あれ。 
この後も、この精子がななめ一列に並んだり、交互に配列が変わっていったり、でも地味にきれいで、森の祭りみたいでよい。

バンドの音はすばらしく、でっかい箱にぜんぜん負けないスケールで迫ってくるのだった。
なんといってもドラムスが気持ちよくて、これが蹄のでっかい馬で、これが土をがしがし掘りまくり、垂直にエレピの音が突き刺さり、ギターのでっかい熊手が生えてきた草をじゃりじゃり刈りとる。 (なぜか農耕系のイメージがある)
初期のSimple Mindsの音をなぜか思い出したりもした。

新譜と"Veckatimest"を中心に約1時間半、スケールでっかく鳴らしまくった後、アンコールは突然小さい小屋のIntimateな雰囲気にぐうっと寄って、ラストの"All We Ask"は全員がステージのまんなかに固まった完全なアンプラグドでした。
メンバーのおばあちゃんとか親族一同呼び寄せての大舞台、これならおばあちゃんも嬉しかったことでせう。

おー、Late ShowにNeil Youngが出てきたわ。

9.27.2012

[film] Diana Vreeland: The Eye Has to Travel (2011)

23日、「アインシュタイン」が終わったのが晩の7:30、それなりにくたくたで、でも頭はきんきんしてて、さてこれからどうするか、と。(時間がないんだよう)

ひとつ候補にあったのはRadio CityでのMetricのライブで、でもここからライブに突入するほどの体力は残っていない気がしたので、静かに映画でも見るかー、とAngelikaでこれを見ました。 軽めのドキュメンタリー、ということで。

Harper's BazaarとVogueの伝説のエディターであり、晩年はMetropolitan MuseumのCostume Instituteを同美術館の目玉に仕立てあげた張本人であり、彼女自身がなによりもFashion Iconであった女性の生い立ちとポートレイトを家族や関係者のインタビューから追っていく。
監督はDianaの孫の奥さんなので、家族関係の資料や証言はいくらでも出てくる。

んで、最初の美的体験として語られるのがパリ、ディアギレフのバレエ・リュスとニジンスキーときたもんだ。
まず、バレエ・リュスの色彩、総合芸術にニジンスキーの身体が刷りこまれているのね。
パリで生まれて、一次大戦前にNew Yorkに移住して、Fokineのバレエ学校(!)に通って、銀行家と結婚して、今度はロンドンに移住し、パリのシャネルと親交を深め、再びNYに戻って、そういう旅を通して美を見る目と心は養われたのだと。 
(白洲正子か森茉莉か)

そういう経験のあとで、TwitterみたいなつぶやきをHarper's Bazaarに載せはじめて、そこからエディターとしてのキャリアがはじまる。
自身の目を通過してきた様々な美の意匠を、デザイナーやフォトグラファーが提供する素材を通して誌面上に統合し、再構成していく。多少の誇張や相違があっても構わなくて、雑誌作りというのは彼女にとって新たな旅、未知の知覚に向けての地図作りのようなものだったのだ、ということがわかる。 (リンドバーグの大西洋横断のシーンが何度か出てくる)

古雑誌屋に行って手に取ってみればわかるが、彼女のいた頃のHarper'sやVogueはだからぜんぜん古雑誌ではないの。
シェイプもカラーも、モードやトレンドとはまったく関係なく、何度見ても初めて見るときの驚きと共に目を焼いてくれる。

雑誌って、既にあるものを紹介したり、いろんな局面に適応するためのガイドを提供したりするものではなくて、未踏の地に踏み出すときに背中を押してくれるものなのだ、と。 (最近の雑誌の衰退って、読者もそうとうダメになってきている、ていうのもあるのかしら)

しかし、こんなひとが職場の上にいたら相当大変だったろうなー。
(Ali MacGrawさんとか、アシスタントだったのね)

見ていてへーえ、とか、ふーん、とかそんなのばっかしなのですが、リンドバーグのような冒険に踏みだす勇気はなくても、ふだんから美しいものを美しいとはっきり言える目を持ちたいものだとあちこちうろうろしている者にとっては、「ロマンチックであることがなにより、絶対なのよ!」と強く言い切ってくれるおばあさんが出てくる映画として、広く見られるべきだと思いました。 特に若いひとには見てほしい。

エンドクレジットで流れてくるのがBowieの"Lady Grinning Soul"。 前日の"The Perks..."もラストはBowieだったねえ。 
もういっこ、エンドクレジットで笑ったのは半端じゃない権利関係のキャプション。
殆どがCondé Nastだったけど。

あと、日本のパートで流れてくる変な歌謡曲みたいの、あれはなに?

日本でも公開が決まったようでなによりー。

[music] Einstein on The Beach - Sep.23

BAMの150周年、そしてNext Wave Festivalの30th Season記念としてリバイバルされたこの公演(BAMとしては1984, 1992のリバイバルに続くもの)。

Robert Wilsonと Philip Glassによるモダン・オペラ - というだけではなくその後のパフォーミングアートのコンセプトやスタイル全般に影響を与えた大作の一挙上演。 こんなのDVDとかで見たって寝てしまうに決まっている。

日曜日の3時の回が最終で、ここを逃したら次の機会がくるまでにしんじゃうかもしれないからなんとしても見たかったのだが、渡米前からチケットはLimited AvailabilityでCall Usのステイタスになっていて、だから毎日のように窓口に電話していたのだが、「売り切れだけど、こまめに電話くれればあるかもしれないから」と言われるばかりで、直前の木曜日まで来たところで今度は、開演前に来ればリターンされたのが手に入るかも、というのに変わった。 うそつき、と思いつつも並ぶしかないので当日の1時くらいから並んだ。 前方には10名ほど。

そのうち開場時間になって、それでもぜんぜん列がはける気配はなく、たまに$181のチケットがx枚あるけどいるひとー? とか声が掛かって(これはダフ屋さんではなくて正規のやつ。チケットが余ったから買わないと言ってくるひとのも横で全部買いあげていた。よいシステムよね)、手を挙げたひとから抜けていく。 そうするとだんだん金に糸目はつけねえ状態になってくるもので、次の$181が来たところで手を挙げて買ってしまった。 円高だし。 お手洗いに行って席(G列だった)についたところで3:03。 すばらしい。

席についた時点で既にはじまっていて、前方右前に2人の白塗り女性がロボットのようにオペレータのしぐさをしてて、その前方のピットのなかに10名程、やはり白塗り直立でコーラスとマイムをしているグループがいる。 音楽は静かでクリーンな電子音。 このパートが"Knee Play"という幕間劇で、全長4時間半、休憩なしのこのオペラのなかでこれは5回あって(それぞれバリエーションは異なる)、照明が少し明るくなるのでお手洗いに行きたいひとはこの時にいくようになっている。

"Knee Play"から最初の幕に突入する瞬間のエレクトロニクスの奔流がすさまじく、ここから全4幕、音の気持ちよさとかっこよさ、その底流で凶暴にのたくる闇の音響があって、とにかくすごい。
この音が76年(音楽の製作は75年)にデザインされていたのかと思うと、あきれる。  「オペラ」なんてラベル貼るから。饒舌なNeu! みたいなかんじ。

誰もが知っている著名人であるところのアインシュタインの生涯、幼少期、研究者生活、恋愛、結婚から離婚、などなどを世界文明(史)のランドスケープにマップしつつ、「浜辺」のアインシュタインが「世界」に遍在していった様を、「アインシュタイン」が「あなた」や「彼・彼女」でもありうるような個人の成型の過程を提示しようとする。

ある時間の、ある空間の乗り物に乗ってトンネルとかレールの上で旅を続ける我々のありよう(時空に関する認識のありよう)を、ある部分ひっくり返した相対性理論の登場、それはやがて核の恐怖と脅威を世界にもたらすことになる。 乗り物生活そのものはあんま変わらないのに、なんでこんなことになってしまったのか。 それは浜辺でヴァイオリンを弾いている白髪のアインシュタインがやったことなの?

ライティング、反復される詩的なフレーズ(by Christopher Knowles)、コーラス、ダンス、マイム的な動き、表情等、いろんな記号に溢れていて(70年代の香り)、故に極めて抽象度の高い舞台ではあるのだが、ぜんぜん退屈はしなかった。
むしろ後半に向かうにつれて渦に巻きこまれるようになっていって、特に第4幕の電飾グリッド内でオペレーターが動まわり(楽器奏者もグリッド内で演奏する)、その縦横軸上で時計を抱えたひととコンパスを抱えたひとが流れていく、そのスペクタクルときたら半端ではないの。

4時間半あっというま。 お手洗いに行く気にもならず。 
できれば、もう一回見てきちんと反芻したいのだが、もう終わってしまったのだった。
今回のこの舞台は世界ツアーをしていくようで、最後は2013年の香港、そこを狙うかー。

次は"The Civil Wars" (1984)をなんとしても。

9.25.2012

[film] The Perks of Being a Wallflower (2012)

New Yorkには23日土曜日の夕方 - ホテルに入ったのは5時くらいで、そこからどうするかがまず問題だったの。 ATPの2日目(トリはAfgan Whigs)があるし、Starsがあるけどこれはチケット全然取れないし、Bon Iverはあるし、BrooklynでEmma Straubさんのイベント( Andrew McCarthyとStephin Merritt他がでる。ついでに24日は86thのBarnes & NobleでPeter Straubとの父娘セッションも)があるし、でも一番のもんだいはだるくてだるくてなんもやるきが起こらないことだった。(寝てればいいのに)

で、しょうがないのでなんか食べることにして、前回のリベンジ(3度目のトライ)でBattersbyに行ってみることにしたのだが、Fの線がメンテナンスで止まってて、途中の駅からシャトルバスに乗り換えたりしていて(最近の雑誌のNY特集、ブルックリンばっかしだけど、この辺の交通がどんだけ不便かわかっているのかしら)、でようやくたどり着いたら10時過ぎなら入れる、と軽く言われてしまったのでそれならしょうがない、と前回と同様、Prime Meatsに行って、Pork Schnitzel (ほんとにおいしい)を戴いて、そこからまたバス~地下鉄を乗り継いでHoustonのSunshineで見ました。 9:45の回。 この映画は絶対見るつもりだったの。

高校に入ったばかりの内気なCharlie (Logan Lerman)の目でみた高校生活と家族と、その他あれこれ。
周りから"Nothing"と呼ばれてもチャーリー・ブラウンみたいなにがにが顔で向こうむくしかできない彼が、The Smithsにどっぷりで、Mix tapeに"Asleep"を2回も入れてしまうような彼が、元気いっぱいのPatrick(Ezra Miller)とか彼の異母兄弟のSam (Emma Watson)とかいろんな人たちと出会ってだんだんに成長していくおはなし。 それだけなんだけど。

この作品に描かれているような高校生活が、今の(アメリカの、or 日本の)高校生にどう受けとられるのかはわからないし、リアルであるかどうかとかそんなことはどうでもよいのであるが、ここに描かれている彼らの青春は静かに、しかし美しく輝いている。

それは、ここまで言ってよいのか少しだけ憚られるのだが、かつてJohn Hughesが慈しみをこめて切りとった彼らの輝き、彼らの喜び、彼らの悲しみ、彼らの傷、それらが同様の繊細さと暖かさ(決して教育者のそれではない)でもって映しだされている。

それがどれだけ貴重で達成の難しいことか、John Hughesがいなくなった後、どれだけ鑑賞に値しない「リアル」だの「傷を癒してくれる」だの「元気になれる」若者の映画が量産されてきたことか。

原作者が自分の書いた作品をそのまま監督している。 この過程で失われた想いは殆どなかった、と思いたい。

Emma WatsonがDexy'sの"Come on Eileen"に乗って踊りだすシーンの、彼女がトラックの荷台に立ちあがりBowieの"Heroes"に乗って大きく両手を広げるシーン(予告で見ることができる)の素晴らしさを見てほしい。Charlieでなくてもぼーっとするし、青春映画の歴史に残る名場面になるとおもう。

この他にも、この瞬間がずっと続いてほしい、この場所からすぐにも逃げだしたい、などなど、どうしようもなくどうでもいい、でも切実で貴重だったあれらの瞬間がいっぱい突っ込んである。 そしてCharlieには、やはりどうすることもできず、やがてセラピストがやってくる。

でも、"Nothing"でも"Nobody"でも、勉強でがんばれなくても部活で活躍できなくても彼女ができなくても、Smithsの"Asleep"とか"Half a Person"とか聞いて動けなくなってても構わない。君はただ君であればいいんだ、という、その決意表明を"The Perks of Being a Wallflower"というタイトルに包んでそっと差しだす。

最近の映画では、"It's Kind of a Funny Story"(2010) - Zach Galifianakisさんが出ていた - に近いかんじはあった。

時代の設定は、おそらく80年代後半から90年代前半、流れてくる音楽は笑っちゃうくらいあれ、である。
The Smithsの"Asleep"をはじめ、XTCの"Dear God"に、Rocky Horror Picture Showのいくつか、Crowded House "Don't Dream It's Over", New Order "Temptation", Galaxie 500 "Tugboat", L7 "Pretend That We’re Dead", Sonic Youth "Teenage Riot", Cracker "Low", Pavement, Love & Rockets, Cocteau Twins、などなどなど。 
Mix Tapeに思いをこめることができた時代、そういう時代に流れていた音楽の花束。

Emma Watsonさんをこの先"ハーマイオニー"と呼ぶ必要はないだろう。 それくらいこの映画のSamは強くここにある。
(Chloë MoretzにしてもElle Fanningにしても、こういうふつーの学園ものに出ていないのはなんだかかわいそうな気がする)
そしてEzra Millerもまたすばらしい。 そしてこの作品は、彼らの今後にとっても大切な1本して生き続けることになるに違いないの。

でもさあ、Anderson先生みたいな国語の先生(Paul Rudd。よい)がいて、一緒にいられる仲間にSamとかPatrickがいるんだったら、高校生活はぜんぜんましじゃん、とか。

ラストで「トンネルの向こうに見える光」を歌う音楽、といったとき、まず頭に浮かんだのがThe Smithsの"There is a light .."(映画はもちろんちがう)だったりする自分はやっぱしそうとうしょうもなかったのだな、と改めておもった。 でも今さらそんなこと言っても、とか、見たあとでいろいろきます。

9.23.2012

[film] Trouble with the Curve (2012)

金曜日の晩、翌日は4時起きになるからとみんな早く解散してしまい、することもないのでまた同じAMCにのこのこ歩いてって、8時半くらいに見ました。
たまたまこれくらいしか時間が合うのがなかったのだが、この日が初日だったもよう。

監督はこれまでのEastwoodの作品でずっと助監督をやってきたひとで、撮影はTom Sternだし、製作はMalpaso Productionsだし、ほとんどClint Eastwoodの作品と言ってよいのではないか。

たぶん、彼のまわりの人たちが"Gran Torino"で彼の俳優人生を終らせてしまうのはあんましだから、て思って最後にほんわかしたのを持ってきたのではないか、とか。

Gus(Clint Eastwood)は引退まであと3ヶ月の老スカウトで、昔に妻に先立たれてひとり暮らしで、いろんなものに躓いたりぶつかったりしながら、冷蔵庫の食べかけのSPAM缶をそのまま朝食に頬張る、そんな冒頭の数シーンだけで、なかなかすごい。 ここまで哀れな老人姿を見せるか、と。
仕事も目がぼやけてよく見えないことが多くなったので医者行ってもわけわかんないことを言う(自分と同じ病名だ♡)から癇癪起こしたりする。

彼の一人娘Mickey(Amy Adams)は法律事務所でパートナーになったばかりのばりばりで、父のことが心配なのだが、会うと喧嘩になるので距離を置いている。

彼の最近の挙動が気になった職場の弟子(John Goodman - すごくいい)が、Mickeyに頼んで、彼の出先(ノースカロライナの田舎)に行って様子を見てあげてくれないか、と頼んで、娘は仕事の大きなヤマがあるのに、しぶしぶ出かけていくの。

そこでは地元の強打者が注目を集めていて、彼が出る試合をずっと追っていくのだが、目がよくないので、難儀している。 そうしていると娘がやって来て彼の横でサポートをするようになり、更にそこに昔Gusがスカウトして、その後同じくスカウトに転向したJohnny(Justin Timberlake)も絡んでくる。
Mickeyは、幼い頃から彼の横で野球を見ていたので、じつは筋金入りの野球オタクに育っていたのだった。 こうして、Gusが音を聞いて、Mickeyが見る、という親子鷹スカウトが誕生する。

ここには老人の孤独があり、父娘の葛藤と和解があり、娘の成長と恋があり、そして野球ドラマの痛快さがあり、ところどころ笑えたりもする、全体としてものすごく爽やかでウェルメイドなホームドラマになっていて、こんなにあったかくて素敵でよいのか心配になってしまうくらい。
一応とってつけたように封印されていた父親の暗い過去も明らかになったりして、そこだけ突然"Mystic River"になったりするのだが(あそこで使われたフッテージはなんの映画?)、とっても焼け石に水、みたいな。

あと、野球モノとしては"Moneyball"に真っ向から対立するのね。 同僚の若いスカウトでデータを駆使するいやな野郎も出てくるのだが、現場に行って見て聞かなければなにもわからないのだ、という老人の頑迷な理論が勝利する。 Jonah Hillとか出したらおもしろくなったのに。

Amy Adamsさんもすごく素敵なの。 彼女、"The Fighter"あたりからすごくよくなったよねえ。

邦題に「幸せの」とか「幸福の」をつけたらぶっころす、と思っていたらもう決まっていたのか。
でも、ぜんぜん意味不明、思考停止としか言いようがないね。
「カーブにご用心」でいいじゃないか。
 
ここまでがシアトルの3泊でみた3本、でした。
もうNew Yorkに入りました。

[film] Bachelorette (2012)

木曜日の夜9時半時過ぎ、前の晩とおなじとこで見ました。

高校の頃、みんなに蔑まれていたでぶ娘(Rebel Wilson)が結婚するのでBridesmaidsをやってほしい、とKirsten Dunstとその仲間3人組(当然全員シングル)に依頼がきて、きーっ信じらんないわあんなやつにとか言いながら、式の前日にNew Yorkに乗りこんでくる。

花嫁のいない隙に見ろよこのドレス二人分の幅があるとかって中に入って遊んでいたらそれを破いちゃって、金曜の夜に裁縫できるとこを探してマンハッタン中を駆けずり回ることになる。 式には当然高校時代の元カレとかも招かれていて、彼らは彼らで楽しくバチェラーパーティーやっているし、いろんなことが蘇ってくるのでみんな酒と薬でげろまみれになったりファックしたりしながらも、夜明けまでに服直さないといけないのでものすごく大変なの。

"Bridesmaids"のおもしろさを直前の1日に凝縮して、アンサンブルのどたばたと混乱を個人に寄せてみたかんじ。下品なとこはそんなに変わんないかも。 とにかくおもしろいったら。

 "Marie Antoinette"でも"Melancholia"でも、ここのとこアンニュイな不機嫌猫っぽい役が多かったKirstenだが、ここでは久々に高速回転するぶっとんだ威勢のよさが全開で、とくに式直前の数時間、ゲロにまみれつつ鬼の形相で仕切りまくるテンションときたら、これこそが誰もが求めていたKirsten Dunstに他ならないの。 いいねえ。

あとは、酒とコカインにやられてへろへろのGena(Lizzy Caplan)、がいろいろあった元カレ(Adam Scott)のとこに転がりこんだとこで、彼が昔のMix tapeを探してきてかけるの。
それがThe Proclaimersの"I'm Gonna Be (500 Miles)"でねえ… (まだ頭のなかでまわってる)
久々に"Benny & Joon" (1993) 見たくなった。

[film] The Campaign (2012)

シアトルのホテルに入ったのが夕方の5時くらい、あれこれ買い物とかをして(後で書きま)、晩の7時半くらいに見ました。 今回もホテルの斜め横のショッピングビルの上にAMCのシネコンが入っていたのだった。
(今のAMC、上映中の携帯やめよう、のCMはNemoの3Dが愉快に啓蒙してくれるの)

Jay Roachの新作だし、どうせ日本ではしょうもない邦題でDVDスルーされるに決まっているので、見ておくことにする。
南部のどこかの州の連邦議会議員の選挙で、対立候補がいないまま4期目を勝ち取ろうとしていたWill Ferrellのとこに、地元で観光ガイドをやっているZach Galifianakisが金持ちのパパ(と更にその背後にJohn LithgowとDan Aykroydの悪徳商人兄弟が)の後ろ盾で乱入してくる。どっちも根はしょうもないバカなのだが、Zachの側に凄腕のCampaign Manager(Dylan McDermott)が付いたことで、ほぼ互角の、しかし相当にえげつない泥沼の争いに発展していくの。

暴言に暴力に女に飲酒運転、それを言ったら、それをやったらだめだろうネタもいっぱい出てくるのだが、これは選挙戦で命がけの戦いで後がないのだから許されるはずだ、そうだろ? という描き方をする。

基本は選挙にまつわるあれこれをおちょくっているだけのようでありながら、ラストはちゃんと落ちつくところに落ちつくし、こんなんでも日本の実際の選挙の茶番の1000倍はましだと思いましたわ。 

Will Ferrellは、いつものように鼻持ちらならない尊大なバカを演じて、Zach Galifianakisもいつものように無垢な目をした巻き戻し不能なバカを演じて、組みあわせとしてはぜんぜん悪くないのだった。

あと、パグが好きなひとにはたまんない映画でもある。 "Due Date"でも証明済みであるが、Zach Galifianakisほど不細工犬が似合うひとはいないの。

[log] September 19 2012 (2)

19日の昼にLAに着いて、そこからAlaska Airlineに乗り継いでシアトルに入りました。

アメリカの国内便は久しぶりでとっても懐かしかった。
Overhead Binの取りあい戦争は相変わらずで、空いてる隙間に突っ込めるだけ突っ込む、早いもん勝ちの仁義なき戦いがずうっとあって、ここだけ見ていると飛行機なんて宙に浮いている乗合バスみたいなものだと思う。 一日何便飛行機が飛んでいるのか知らんが、ぱんぱんの荷物×便数分あるわけで、それだけものが空中に浮かんでいるのってすごいなあ、と。

日本からLAの機内で見たのは2.5本。 プログラムの充実度からするとやっぱしもういっこの会社のがぜんぜんよいのだった。 でも今回は眠る必要もあったので、あんましなくて構わない。

Safe House (2012)。 邦題は、「デンジャラス・ラン 」、だったかしら。
南アフリカでSafe Houseのお守りをさせられて腐りかけている若手の諜報員(Ryan Reynolds)がいて、そこにある日、大使館に逃げこんできた手配中の大物諜報員(Denzel Washington)の「予約」が入る。
そいつの尋問は特別編成チームがやるので彼は横で見ているしかないのだが、始まったところで警報が鳴って襲撃されて、チームは全滅、ぎりぎりのところで彼はデンゼルを車のトランクに押し込み逃げ出すことになる。
行くところ行くところ敵は追っかけてくるし、彼を小僧扱いするデンゼルは逃げようとするし、とってもついてなくてかわいそうなの。

悪い奴がだれなのかも、どういう事情なのかも割と早めにわかってしまうので、そのへんはあんまおもしろくないのだが、ちょっと疲れてて、でも伝説の諜報員のオーラがぷんぷんのデンゼルがとにかくかっこよい。 誰もが思ったことだろうが、これをTony Scottが撮っていたらなあ。彼だったらデンゼルを決してあんなふうには撮らなかっただろうに。

CIAの副長官で出てくるSam Shepardが、久々にぴりっとしていてよかった。
あと、"Lola Versus"でLolaをどん底に突き落とすLuke役のひとが出てて取っ組み合いの喧嘩をする。

L'arnacoeur (2010) "Heart Breaker"。邦題も「ハートブレイカー」だっけ?
なんとなく久々に見直したくなって、見た。
自分は幸せだと思いこんでいる女にアタックを仕掛けて既存の縁をぶったぎるのを生業にしている男(とそのチーム)がもちかけられた相手はVanessa Paradisで、彼女は結婚式直前、相手の彼は大金持ちのいいひとで難攻不落と思われたのだが、Wham!とか"Dirty Dancing"とかを駆使して、おとそうとする。
これの面白いのは、仕事が恋に発展してしまったことに気づいて、強引にこっち側に持ってくるのを諦めたとたんに、恋が一気に走り出す、その瞬間がちゃんと描けているとこなの。
この映画の暫くあとで、Vanessa Paradisさんはほんとに離婚してしまったのであるが、もちろん関係はないとおもいたい。

あと、途中まで見たのが、"The Lucky One" (2012)で、 Nicholas Sparksものなので、もう先は見えているのであるが、犬の訓練をやっているおうちが舞台で、出てくるやつ全員犬顔なのがおもしろかった。

9.19.2012

[log] September 19 2012

天気と湿気の文句はもういいかげん言いたくないのだが、これはさすがにあんまりではないか。

いまは成田でこれからLA経由でシアトルに行く(たぶん)。

ラウンジではチーズとクラッカーしか食べないことになっているのだが、そういえば、シアトルのラウンジ、チェダーはあるのにモントレージャックがなくて、怒りでわなわなしたのだった。
あたまにきてここに書いておこうと思ったのにWiFiが繋がらなくて更にいやになったのだった。
(恨みを忘れないために書いておく)

ついこないだも行った気がするけど、なんかしょうもない地雷でも踏んじゃったのかなあ?
(わからねえ…)

シアトルにふつかくらいいて、その後はそのままNYにいく。一週間。こっちは土方しごと。

ほんとうであれば、15と16の週末は金沢に泊まりがけでたのしくエロ映画三昧するつもりで、ぎりぎりまで地下計画を練っていたのだが、諦めてアンスティちゅでラウル・ルイス漬けにならざるを得なかったのは、これのせいなのだった。

これからもアテネの映画の金曜日とか、Earthの来日公演とか、くやしーのがいっぱいあるのに。

それでは、その反対に米国側はどうかというと、これがひどい。こんなひどいのない。
もう3回くらいトイレに籠って泣いた。
22の週末からの2週間、じごくのようにいろんなのやってる。
書き出したら涙が滲んでくるのでいちいち書かない。
手が勝手に動いてチケット取ってしまったのもあるが、いけるかどうか、まったくわからない。
これも別の種類の地雷なんだきっと。

仕事がなかったらなあ。
仕事なしで2週間、あそこに野放しにしてくれたら記録(なんの?)作る自信あるよ(だれに言ってるの?)。

でもね、お仕事だからね。
日本の滅入るような天気を避けて、思いっきり仕事してきますわ!
と日記には書いておこう。

ちっ。

9.18.2012

[film] Comédie de l'innocence (2000)

9日の日曜日、アンスティちゅのRaoul Ruiz特集で、1本だけ。 『無邪気さの喜劇』。
なかなか不気味で、変な映画でしたわ。

両親と家政婦と豪勢な邸宅で暮らしている9歳のガキがいて、いつもヴィデオカメラでなんか撮ってて嫌なかんじなのだが、そいつがある日、自分のママ(イザベル・ユペール)をファーストネーム - ”アリアンヌ”で呼ぶようになって、ほんとのママのところに連れていってあげるよ、と言うので車で結構離れたところに行ってみると、そのママ(ジャンヌ・バリバール)は、同じくらいのよく似た子供を亡くしてひとりで暮らしているのだった。 アリアンヌはなんとなく向こう側に行ってしまいそうな息子を繋ぎとめようと...

サスペンスにもホラーにも謎解きにも超常現象にも転びそうなネタなのだが、そういったジャンルの方には向かわずに、ヴィデオで撮られた映像を軸に家族の配置とか巻き戻せない世界とかが、何人かのひとには異なって、変形して見えてきたりする。 その見え方の違いとか取り違えとかをとりあえず「喜劇」(Comédie)と呼んでみましょう、とか。

表面上は、ひとりの子供をめぐるイザベル・ユペールとジャンヌ・バリバールの対決なのだが、どっちが善でどっちが悪とか、そういうのではなくて、基本は誰も悪くなくて、そういう状態のなかで交錯していく目線を、光もフォルムも歪んだヴィデオ映像の側からほぐしてみる、ような。 
監視カメラを通してみた世界から現実をマップしたり翻訳したりしようとすると、例えばこんなふうな誤変換とか誤作動みたいなことが起こる、とか。

『盲目の梟』はちょっと違うけど、『犯罪の系譜』も『その日』も、裕福な家族のおおきな邸宅を舞台になかなかしょうもないことが起こる、というのは、なんか恨みでもあるのかしら。

ふつうだったら、ガキがわけわかんないこと言い出した時点でカメラ没収して尻ひっぱたいて終わり、だと思うのだが、金持ちは甘いのよね、とか。

あと、当然ながら、イザベル・ユペールとジャンヌ・バリバールというふたりの猫系女優の対決はどっちもクールでつーんとしていながら、裏で火花散らしててすごい。
これが男を巡るそれ、ではなくて9歳のガキをめぐる火花、というところがポイントなのね。

あと、いつもながらJorge Arriagadaの音楽がすばらしい。
不寛容と遮られる知覚のまわりでのたくる感情のうねりにぴっちりと張りついて鳴っている音。

9.17.2012

[film] La Chouette Aveugle (1987)

アンスティちゅ、で『犯罪の系譜』に続けて見ました。『盲目の梟』。英語題もそのまま"The Blind Owl"。
字幕なし。フランス語、アラブ語、スペイン語が飛びかっていて、事前の配布資料のみ。
93分、画質は良いとはいえないビデオのそれ、それでも全く問題なく、映像のなかに引きずりこまれる。

ベルヴィルの古い映画館にアラブ系の男(H - 35歳)がどこからともなく現れて、そこで映写の仕事をすることになる。ある日映写室の小窓から見た映画の、そこに出ていた踊り子に目を奪われる。他には同じく映写をしている同僚とその彼女がいて、ある日突然現れた叔父がいて、甥も現れて、更には映画に出ていた女性が現れるとか、映画の世界がこちら側に浸食してくる、それが夢なのか現実なのかわからない、どうでもいいような地点(いろんなひとがいろんなことを言う)から、それでも世界を眺めている。 筋はそんなふうな、とても筋とはいえないような散文的な映画なの。

イランの小説家Sadegh Hedayatの小説(かつて白水社から翻訳が出ていた)をスペインの劇作家Tirso de Molinaが脚色し、それをフランスの地方都市ベルヴィルの委託を受けたチリの亡命作家が映画化する、そんな経緯を経たこの映像作品に原作のエッセンスのなにがどれだけ入っているのか判りようもないが、たぶん元の構造がいろんな接合とか翻案とかを許すかたちになっているのかしら。

シュルレアリスム系、とか、ラ米文学の魔術的リアリズムとか、ぐんにゃり歪んで変形してしまった現実を描くのとはちょっと違っていて、これらは全て映写室の小窓を通して映し出される現実(それを映写するのは自分)であり、そこを生きるということはどういうことなのか(というリアリティ) - それは生きやすい、行きにくいというのとは別の軸 - 生きる速さ、のようなとこにある - をこの映像は示しているように思えた。 実験映画、というかんじもあんまない。

盲目の梟に、世界はちょっとだけ違って見えるのかもしれない。
でも捕食はできるし、生きていけるの。

上映後のトークはラウル・ルイスのイントロダクションとしてはすばらしく解りやすいものでした。
ただ、きちんと追っかけて咀嚼するのには時間がかかるだろうなー、とか凡庸なことを思った。

この作品は来週金曜日から始まるNew York Film Festival(50周年!)でも"Views from the Avant-Garde"ていう特集枠で上映されるの。
10/5の12:30pmからと10/6の10:00pmから。ビデオではなく16mmで、字幕も付くよ。

いたら行くんだけどなー。 どうかなあー。

9.16.2012

[film] Généalogies d'un Crime (1996)

8日の土曜日の昼過ぎに日仏(ってもう言わないんだって。「アンスティチュ・フランセ東京」なんだって)で見ました。

この日から始まった『ラウル・ルイス特集上映 フィクションの実験室』から。
ラウル・ルイスは、昨年BAMで見た"Mysteries of Lisbon" (2010)でしか知らないので、この機会にきちんと見ておきたい、ということで見始めたのだが、すんごく変で、はまった、という感じはあんましないのだが、割と中毒性の高い作家かも。

『犯罪の系譜』。 英題は"Genealogies of a Crime"。

お屋敷に住む精神分析学者のジャンヌ(カトリーヌ・ドヌーヴ)が殺されて、その容疑者として性悪な彼女の甥(メルヴィル・プポー)が逮捕されて、その弁護士として息子を事故で失ったばかりのソランジュ(カトリーヌ・ドヌーヴ2役)が付いて、彼女がジャンヌの残した日記(甥とのやりとりが詳細に描かれている)を辿っていく過程と、そこにあれこれ絡んでくる精神分析学会の連中(ミシェル・ピコリ他)、そしてソランジュ自身に起こってくる変化と。

誰が正しいのか悪いのか、何が本当なのか、という真実を追っかけていくお話 - 謎解きではなく、犯罪に向かうひとの心理の複雑さとか恐ろしさを暴くものでもなく、精神分析学者とか弁護士とか、ある「事実」を元に人を診断したり裁いたりできる人たち、その人たちの「立場」故に自らの認識のおおもとに降りかかってくる謎とか危うさを - ガラスや鏡のこちら側とむこう側の位相が反転するのではなく、「系譜」のようなかたちで転移したり浸食してきたりする様をドラマチックに、ではなくさくさくと描いてしまう。 見ているほうは、あらあらあら、と。

倫理的にどうか、というのは割とどうでもよくて、こんなことが起こるんだよ、どうする? と、そんなせかせかした語り口。 70年代のチリから亡命した作家であること。
『フィクションの実験室』。

出演者はなかなか豪華で、みんなうまいのだが、カトリーヌ・ドヌーヴがすごい。
はじめてこのひとすごいんだー、とおもった。

[film] Новый Вавилон (1929)

例によってぜんぜん書いてる時間がないー。 また束ねて出します。

5日の晩に見ました。
NFCの特集『シネマの冒険 闇と音楽 2012 ロシア・ソビエト無声映画選集』。ピアノ演奏つき。

普仏戦争の頃のフランスのお話しで、パリの百貨店、「新バビロン」でわいわい慌ただしく働く人たちの描写があって、そこに突然プロイセンが攻めこんできて、パリが陥落して、でもコミューンの人たちは懸命に抵抗して、でも「パリ・コミューン万歳」と言いながら銃殺されていく。

影と闇のなかにある市民の顔のどれもがすごいの。
"Metropolis"(1927) 並みに引きつっててこわくて、特にあの兵士の立っている姿(宣伝チラシの表紙にある)のすごいことったらない。
「絵になる」とか、そういうレベルではなくて、彼は透明な、何も通さないような目をして、ドタ靴とごわごわの軍服を纏って、何万といたであろう兵士の重ね着された抽出物のように、重さと吐く息をもった亡霊、生霊としてそこにいる。 あとは店子のおねえさんのやつれてささくれだった顔の強さとか。 このひとたちはみんな俳優さんなんだよね? いちおう。

市民が軍に殺されていく、戦争だから、というその悲惨さが中心にあるわけではなくて、軍もひどいけど、「新バビロン」であるところのパリの頽廃も相当なもので、ぼろぼろの両者が土砂降りのなかで泥沼出口なしの戦いを繰り広げていく、それをそこから50年後のロシアが映画として撮って、それがこういうかたちで残っていて、80年後の腐れに腐れ果てた東京で、われわれが見る。

Звенигора (1927)

7日金曜日の3時の回に見ました。『ズヴェニーゴラ』 - 英語だと、"Zvenigora"。
『新バビロン』見たら、これも見ないわけにはいかない気がした。
ウクライナのスヴェニーゴラの山の麓に眠る宝を守るおじいさんと、彼のふたりの孫の行末を通して、ウクライナの地下資源を巡って繰り広げられる戦争だの革命だの、それが孫たちそれぞれの人生に及ぼした影響を、魑魅魍魎がうじゃうじゃいた古代から、新バビロンのパリまで裾野を広げてでっかく描いてしまう。 

それをモンタージュとかスローモーション/ストップモーションといった映像技術をばちばち当てながら、映像で世界と世界の歴史を描ききってやるのだ、という意志が充満した作品でした。

演奏なしの、ほんもんのサイレントだったせいか、寝息といびきの裾野もそうとうでっかかったが、みなさんロシア千年の夢をいっぱい見ていたに違いないー。


というわけで、7日の金曜日は会社を休んで展覧会ふたつと映画1本見たのだった。

まず上野の『ベルリン国立美術館展 - 学べるヨーロッパ美術の400年』。
終っちゃいそうだったし。

別に今更400年を学びたくもないひとにとっては、見るとこあんましない1500円。

デューラーの「ヤーコブ・ムッフェル」、クラーナハの「ルクレティア」に「ルター」。
レンブラント(派)の黄金兜に「ミネルヴァ(美輪明宏)」。
ヤン・ダヴィス・デ・ヘームのワイングラス。
こんな程度。フェルメールの首飾りは、まんなかに広がるクリーム色が素敵だけど、ふつうかー。

素描だと、ボッティチェッリのダンテ『神曲 - 煉獄篇』とミケランジェロのヘヴィメタのぐじゃぐじゃと。

それから京橋で『スヴェニーゴラ』の3時までにまだ少しだけ間があったのでブリヂストン美術館に行って、『ドビュッシー 、音楽と美術 ー印象派と象徴派のあいだで』を見る。 これも1500円。

ブリヂストン美術館、大学の授業で模写に通って以来だわ。30年ぶりくらい。

避難訓練の社内向け業務放送ががんがん流れるなかで見たのがいけなかったのかもだが(うん、きっとそうだね)、ドビュッシーだけじゃネタ切れしちゃうからって、ラファエル前派からジャポニスムから古代の壷から、なんでもかんでも持ってきて置いてみて、音楽と美術って関係あるよねー、あ、文学もねー、影響与えあってるもんねー、とか。 

それがどうした、だわよ。 茶でも飲んでろ、だわよ。

9.11.2012

[log] Seattleそのた - Aug 2012

Seattleからは9/2に戻ってきました。 戻ってみたらもう9月だったという…

帰りの飛行機でみたのはー。(9月に入ったのでメニューが替わっていた)

"Jesus Henry Christ"
Henryはばりばりフェミニストのママ(Toni Collette)に育てられたIQ300のよいこで、10歳になったのを機に精子提供したパパを探そうとする。
バイオロジカル・パパと思われる大学教授(Michael Sheen)とその娘(彼女も出生に疑問を持っている)との間のあれこれとか、ママの(自分の)家族のいろんなこととかを通して成長するお話し。

ふつうにほんわかおもしろかった。 少しだけ『ブリキの太鼓』的なとこが入ったほうがよかったかも。
Toni Colletteのびんたとぼかぼかどつくとことか、そっちのがこわそうで痛そうでねえ。

それから、"Lola Versus"をやってたので、もう一回見る。
2回目はもっとおもしろく見れた気がする。ほんとにおもしろいんだよこれ。
Lolaはまた同じことを繰り返して、ずっとVersusし続けるんだろうなー。
Greta Gerwigさんが下むいて、口をひんまげてぷーって息を吐きだす仕草がよいの。 

さらに、ぼーっとした頭で"Avengers"をもう一回。
1回目よかおもしろくなかった気がした。 なんか能書きが多くて間延びしてるよね。

着陸までの45分で、"Safety Not Guaranteed"ていうのも。
『タイムトラベラーの同行者求む。 Safety Not Guaranteed.』ていう広告を出した人を取材しようとシアトルの田舎のほうに赴いた雑誌編集者3人のお話。 実話だって。

取材されるほうの変人に"Cyrus" (2010) 等を撮った映画監督のMark Duplassさん、彼がなかなかよくて、めっけもんかも、と思ったが最後まで見れなかった。 もう一回飛行機にのるか。


シアトルでのあれこれもすこし。

31日はシアトルのダウンタウンでお仕事だったのでBellevueから車で向かったら、あちこちで交通整理で渋滞しまくっている。
聞くと1日からのBumbershoot Fesの準備だと。 ちっ。
ラインナップ、いいなー。 Mudhoneyとか、盛りあがるだろうなー。

他の日本人組は前日に帰国してしまっていて、相手はアメリカ人だけになったので、今回ぜんぜん買い物に行けていない(うそつき)からレコード屋に連れていってください、とお願いしたらふたつ用意しておいてくれた。

最初のがBop Street Recordていうとこで、Wall Street Journalでアメリカで5本指に入るレコード屋!と讃えられたところらしいが、んまあーそれはそれはすげえ円盤の量でしたわ。
途中で、いかんこれは3時間かかる、と思ったので戦術を変えて7inchに絞ることにして、店のおじさんに聞いてみると半2階みたいなとこに段ボールの小箱に小分けされた45回転と78回転ものがびっちり。 ためしに"80's"と書いてある箱をいっこ取ってみたらそれは”P”の箱(の一部)だったらしく、Tom PettyとPretendersばかりがびっちり詰まっていたのであきれて鳥肌がたって、それでは、と"Local Indies"と書いてある箱を開けてみたら見たことも聞いたこともないようなバンドばっかしで、泣きそうになった。 

で、ひくひくの酸欠状態をなんとかすべく、通りの反対側にあるもういっこ、Sonic Boomっていうとこに入ってみてようやく落ち着いた。新譜もあるしサイズも適正だし。
で、12inchだと、Starsの「北」(84/500)とかDivine Fitsとか、7inchは新旧10枚くらい買った。

お食事関係だと、湖畔のレストランで食べたここの農場のラムがすんごくうまかった。

http://www.oregonlamb.com/

あと、レコード屋のある界隈 - Ballard地区のバーでFish & Chipsを食べた。 Japanese Pankoで揚げてある、と書いてあったのだが、食べてみるとそれはたんなる魚のフライなのだった。 モルトビネガーと合わないったら。

車でBellevueから出ようとしたとき、ハイウェイ沿いにWhole Foodsがあったの見かけて、空いた時間に行ってみよう、と歩きだしたら歩いて20分以上かかった。
Whole FoodsはWhole Foodsだったのだが、トルティーヤチップとか、東と西ではブランドがぜんぜん違うのね。


お仕事で行った会社は、でっかいとこで、お客さん対応用の建物はほとんどモダンアートのギャラリーだった。
佐藤 時啓とか畠山 直哉とかがそこらにぺたぺた貼ってあった。
売店で、いろんなgeekグッズを売っていたが、自分はgeekではないので、もちろん買わない。

あとほかになんかあったか。
------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

あの日から11年ということで、お祈りをしました。
11年前も、火曜日だった。 晴れ、としか言いようのないぺたっとした青空だった。

9.09.2012

[film] Prometheus (2012)

これもシアトルの前、26日に六本木で見ました。

これくらいは見ておかないと、"Alien" (1979)のpre-sequelだしね、とか言ってみたいところだが、実は"Alien"て見てない。 "Aliens"もTVで途中まで見たけど怖くて最後まで見れなかったの。
「カニみたいのが腹を食い破って出てくる」それだけでもうぜんぜんだめだったの。 当時は。

あんまし文句のつけようがない。
でっかいものをでっかく描く画面構成、でも壮大で尊大でへえへえばかりかというとそれだけではなくて、眼球表面をちろちろする線虫みたいのとか、自分で開腹とか、ヘルメットのガラスぐしゃ、とか皮膚感覚にまで降りてくるサービスのよさもあるし。

「人類の起源」という大風呂敷を前に、その、きちんと網羅された感をあれこれ言ってどうする、な感じも、いちおう漂うし。
でもさあ、人類の起源があれなんだったら他の動物くん達はどうなるの? あ、それ言ったらキリスト教のひとたちに怒られるの?

それにしてもー、不老不死、永遠のなんとかを希求する大企業が一発冒険に出て大惨事、結局人類って自ら破滅に向かって走るレミングなのだ、みたいな世界観て、こないだの"Rise of the Planet of the Apes" (2011)のときにも思ったけど、最近のハリウッドの典型的な症例だよね。
邦画の気色悪い「絆」だの「がんばれ」万能主義なんかよかぜんぜんましだとは思うが。

Charlize TheronとMichael Fassbenderがもっとぐさぐさやりあうと思ったのになー。
Michael Fassbenderくん、"Prometheus 2"では、ずっと生首状態(男根封印)で出ててほしい。

これでシアトル前はぜんぶか。 たぶん。

[film] August 2012

シアトルに行く前に見たあれこれをまとめて書いておきます。

18日の土曜日、アテネでのルートヴィヒの後、『カール・マイ』182分に突入する覇気はなかったのでシネマヴェーラに行って古典2本だけにしておいた。

The Maze (1953)  『迷路』
カンヌで婚約者とその伯母と婚前バカンスを楽しんでいた男のとこに連絡が入って、スコットランドの古城にひっそりと住んでいた伯父が亡くなったので、至急戻れと。
彼が戻ったあと音信が途絶え、突然婚約も破棄されてしまったので、娘と伯母はスコットランドのお城に乗りこんで行くの。 再会した婚約者はやつれて老けてしまっていて、怪しげな執事とか召使いもいて、すぐ帰ってくれとつんけんされるのだが、ここには何かあるわ、と残り続けるの。
そこでみんなが見たものは…  (ちょっとびっくらした)

短いけどすごくきちんとまとまってて面白かった。リリース時の3Dで見たい。
あとこれ、パーフェクトな坂田靖子ワールドだったかも…

A Girl in Every Port (1928) 『港々に女あり』
船員のSpikeが着く港々でかつて仲良くした女たちのとこに行くと、みんな既にある男のマーキングがされていてあったま来るのだが、そいつとやがて仲良くなって最強無敵の二人組になるの。そうしているうちに宿命の女が現れるの。 
港(D)と酒場(B)と喧嘩(G)と女(K)、これに男ふたり(Vo)。 他にはなんにもいらねえ。 
他にいるものがあるなら言ってみろ、という強さで鳴り続けるバンドの音。 サイレントだけど。 

Louise Brooksの顔がVictor McLaglenの顔の半分くらいの大きさしかなくて、驚嘆。
喧嘩のシーンはほんと惚れ惚れかっこいいねえ。

19日の日曜日、新宿で見ました。

鐡三角 (2007) 『強奪のトライアングル』
ツイ・ハーク、リンゴ・ラム、ジョニー・トーの3人がこの順番で30分づつ撮って繋いだ1本。
切れ目がどこにあるのかぜんぜんわからないし、最初の2人の映画的特性を知っているわけではないのでしょーもないだろ、なのだが、そんなのぜんぜん気にならないおもしろさ。

貧乏で冴えない3人組が、やくざから宝石店強盗に誘われたりしつつ、安酒場で怪しげな老人に怪しげな財宝のありかを示されて、掘りあててみたらこれが大当たり、そいつを巡ってやくざと悪警察と彼らの間で鍋底をひっかきまわすような三つ巴の追っかけっこが繰り広げられる。
 
強奪の三角形は、その財宝を巡ってのそれでもあるし、微妙に捩れてしまった過去とか家族とか、そういうのを取り戻そうとするあがき、でもあるの。
いろんな三角形があちこちにあって、その三角がぱたぱたぎこちなく転がっていく。

アンカーのジョニー・トーのパートはやっぱし彼としか言いようがなく、あたまから例のでぶさん(ラム・シュー)がぜんぶ持っていって、最後は草むらを這いまわってのどんぱちで、たった30分でもやるんだねえ、としみじみ感心した。

なんでこんなに面白くできるかねー、なんだろうねー、と呆れて見るしかないの。

25日、"Twixt"の後で渋谷に移動して見ました。

The Southerner (1945) 『南部の人』
誰もが知っている、ルノアールのアメリカ渡米後の第一作。
アメリカ南部で、綿花の雇われ農家をしている一家で、叔父さんが過酷すぎる労働で死んじゃったのを機に自分で畑借りてやってみよう、とずっと耕されていなかった場所に引っ越してきたものの、家はぼろぼろ穴だらけの廃屋で(下見とかしないのね)、おばあちゃんは拗ねて家に入ってくれないし隣人は井戸も貸してくれないし、それでもみんなで力を合わせてがんばってようやく収穫の季節を迎えたと思ったら大嵐が来てぜんぶおじゃんになるの。 さすがにもうこりは無理だ工場で働くだ、と思ったらCMみたいにストーブに火が入りましたよー、って奥さんに言われてもういっちょがんばるかー、って決意するの。 ほんとに心あったまるお話なの。

主人公の農夫の友人(都会で働いてる)が一家のお話を語る、という構成で、この友人がルノワールでもあるのね。

9.07.2012

[film] Twixt (2011)

まだシアトル行く前に見て、書いてないのがいっぱいあるのだが、どうしよ。
これもそんな1本で、これは25日に見たやつなのだが、一応書いておこう。『ヴァージニア』。

売れないファンタジー作家(Val Kilmer ... Nicholas Cageじゃなくてよかった)が自分の新作をもって行商ツアーに出たら、そこは7面の狂った時計台がある変な街で、いかれたシェリフ(Bruce Dern)とか、エドガー・アラン・ポーの亡霊とか、女の子の亡霊(Elle Fanning ... 彼女がV - Virginia)とか、封印されていた過去の殺人事件に遭遇する、そんなお話し。

"Tetro"(2009)の、モノクロ/カラー(現在と過去)の周到に準備された人物と時間の配置の揺るぎなさと比べて、こんどのはどうか、というと闇夜の照明は安っぽい服飾ブランドのCMみたいだし、プロットもCoppolaの雑誌"All-Story"の創作コンペに応募してきた習作みたいにわざとらしいとこ - 特にポーが登場するとことか - があるし、夢と現の境界とか、その記号だの象徴だのもみえみえだし、これがCoppolaなの? ようなとこがてんこもり。 
あと、ゴシックホラーだと思われるのに、決定的な闇の怖さに欠けるとか。

でもそれでも、昼の世界と闇の(夢の)世界の行き来の果てに、ずるずると向こう側に引きずりこまれていく(or こちら側が...)、その力の強さ、どっちつかずの磁場に幻惑されていく道程、みたいのはすごくはっきりと見えて、その中間地帯で主人公は目が眩んだり、耳鳴りがしたり、誰かに殴られたりで、地面に崩れ落ちてばかりなの。 
人工的な光と影、浮き上がった世界で幽霊のように流れていく人々 - しかし、しっかりとそこに留まる情念 - というと、"One from the Heart"(1982) あたりの ー

あとは、全体にすごく軽く、多少雑でもいいからえい、って作ってしまったような勢いがあって、それがよいの。
湖のほとりにたむろしているゴスの親玉、Flamingoがバイクでがーっと行くとこなんて素敵だわ。

Elle Fanningさんは、"Super8"に続いて魔物演技が見られるのだが、あまりにナチュラルでオーガニックなので、すごいのかすごくないのだかわかんないや。

あんま関係ないのだが、なんでか"Willow"(1988)が見たくなった。

9.06.2012

[film] For a Good Time, Call... (2012)

30日の木曜日は、仕事から抜けられず映画は断念した。 
TVのJimmy FallonでWilcoを見て、うううとなったくらいだった。

31日の最終日は、ごめんなさいをして、早めに抜けて、これを見ました。
この日が初日の新作映画のなかでは、"Sleepwalk with Me"か"Side by Side"を見たかったのだが、そんなのはぜんぜんやってないし。

なかなかしょうもない映画なのだが、ぜんぜん憎めないし、むしろ好きかも。
日本だとDVDスルーにすらならない可能性もたっぷり。 でもかまうもんかー

Lauren(Lauren Miller)は、一緒に暮らしている彼から君と一緒にいてもセックスするだけだし退屈だ、と言われて結婚を棚上げにされイタリアに長期出張に出られてしまう。 
呆然脱力した彼女は、親切な男友達(Justin Long ... すげえ変)の導きで彼の女友達のGramercyのアパートに同居することになるのだが、そこにいたのはかつての天敵、高校卒業記念に買って貰った車に小便をぶちまけられた最低の過去をもつあばずれ女だった...
で、そのあばずれKatie(Ari Graynor)が部屋で毎夜喘ぎ声を出してなんかやっているので聞いてみると、テレフォンセックスの小銭稼ぎをしてて、失職中のLaurenもなんとなくそれの事務手伝いみたいのをやっていくうちにはまっていって、やがて自分もコールに参加するようになる。 
(トレーニングするとことか、おもしろいったら)

こうしてふたりのビジネスは順調にいって、仲良しになっていくのだが、それぞれ堅気への未練とか親とか悩みとかいろいろあるし... というお話し。

セックスコメディー、というよりはふつうの女の子の友情物語で、爽やかなかんじすらするの。
主人公ふたりが表情も含めて最初はぜんぜんいけてないのが、だんだんきれいになっていくとことか。
いちおうR指定なのだが、胸はださないし絡みもほとんどないし。 よくもわるくも。

マンハッタンの昔のケーブルTVだと35chとかで深夜になると延々"Call Me xxx"みたいなCMを延々やっている桃色の時間帯があるのだが、そういうのを思い出した。 大都会にはすけべ野郎がいくらでもいるのよ。
で、この映画だと、彼女らに相手してもらうには、1-877-MMM-HMMMをCallする必要があって、そんなふうに電話してくる連中に、Kevin Smith(NJのタクシー運転手、客を乗せたまま電話する)とか、Seth Rogen (フライトに出る直前のパイロット役でトイレから掛けてきて小難しい要求をいろいろ)とかがいて、この二人が対面しないものの同じ映画のなかにいるってなかなかすごいわ、なのだった。

シリーズ化されたらおもしろいと思うけど、ならないかなー。

9.04.2012

[film] Cosmopolis (2012)

火曜日の夕方、映画を見るためにいちいちシアトルに通っていたらお金がなくなってしまうので近隣で探さねば、と思っていたらホテルのすぐ裏にIMAXつきのシネコンがあるのを発見した。 
ホテルとも一体になったコンプレックス施設で、2階にボーリングとゲーセン、3階がシネコン。
でも、どの映画も最終の回はだいたい22:30くらい。 つまんない。

で、水曜日の晩にそこで見ました。
原作はDon DeLilloの(読んでない)。
22:10の回、客は自分をいれて2人だけでした。

近未来のマンハッタンで、金融でビリオネアになった主人公(Robert Pattinson)が自身のロングストレッチのリモでマンハッタンを横切って床屋に行く、という。 お付きは丁度今大統領が来ていて道路が渋滞してて動かない、と止めるのだが、いや、行く、といって車を進めるの。
で、そののろのろ進んでいく車中で(時折車の外で)、どこから来たのか得体の知れない人たちと、いろんな、抽象的な対話をしたり、交尾したり、放尿したりする。

最初のうちは自分がなにをどうしてこうなった、ような独り言に近いあれこれをとりとめもなく話しているのだが、途中でOccupy Wall Stのようなデモ隊の抗議に巻きこまれ、世界の、世界の突端にあるこの街をぴかぴかのリモで安全に移動している自身の位置を再確認し、でもそれは内省とか懺悔とかには向かわずに、ぎらーんとした暴力への衝動のようなとこに彼を追いたてていく。

車中の人物として登場するのは、Juliette Binoche(いきなり後背位で。わざとかもだが、あまりうまくない)、Samantha Morton、パイ投げのアナーキストにMathieu Amalric、などなかなか豪華。最初のほうの思弁的な会話は、- これもわざとだろうが - 脚本を棒読みしているかんじで、それらしい臭気は漂うものの、これがCronenbergだろうか?  という感が漂いだしたあたりで最後の15分くらい、Lower Eastの廃墟のようなアパートの一室でのPaul Giamattiとの最終対決で突然ギアがはいる。 映像のテンションもモードも鮮やかに反転する。

Paul Giamattiの役は元アナリストで今は完全に堕ちて鼠のような暮らしをしている「敗者」で、彼は明らかに「勝者」であるRobert Pattinsonを殺そうとしている。

昨年の"A Dangerous Method"は、見た当時は面白いと思ったものだったが、あれ、今となっては印象に残っているのはKeira Knightleyの下顎だけだったりする。 よくもわるくも。

で、この映画では、この最後のとこだけ、" A History of Violence" (2005) ~ "Eastern Promises" (2007) にあった暴力の突発的噴出、その予兆、みたいのに溢れかえり、主人公自身の言葉で"Violence"と"Crime"に関する定義が語られる。 「我々はなぜViolenceを求めてしまうのか」のようなところまで。

主人公の大金持ち役には当初Colin Farrellがキャスティングされていたらしいが、Robert Pattinsonくんもなかなかわるくない。この人、きりっとした顔のときもあるのだが、たまに蠅がぷーんて集っていそうな死人顔を見せることがあって、その汚れたかんじがなかなかすてき。

音楽は前作に続いてベースがHoward Shoreで, でもメインのテーマはMetric。
遠くで鳴っているマシンビートが前面になだれこんでくるところはこのバンドならでは。

そして、フランス、カナダ、ポルトガル、イタリア資本で作られた映画である、ということ -

あと、Pollockで始まってRothkoで終わる、そういう映画でもあるの - モダンアートは衝動をいかに平面に塗りつぶしていったのか - とか。


9.01.2012

[film] Premium Rush (2012)

"Ruby Sparks"が終わったのが2:48くらい、これ1本見ただけで帰る - これだけで往復$70 - というのはもったいない気がしたので、横の部屋のどれかに行ってみよう、と思って、時間割をみたら2:50のこれがあったので、フロアをつーっと横切って入ってみたら、客は自分しかいなかった。 
怒られたらお金はらってごめんなさいしよう、と思ってそのままそーっと座った。

オープニングとエンディングにThe Whoの"Baba O'riley"が流れるので、それだけでいい(断言)。

マンハッタンと自転車のお話し。
マンハッタンが恋しいよう、て椅子をぎゅーっとしながら見る。

マンハッタンを東西南北にびゅんびゅんぶっとばすメッセンジャーのJoseph Gordon-Levittさんがある日、コロンビア大学(たぶん)の娘さんからこの封筒を7時までにチャイナタウンのある場所にいる女性に渡してほしい、ぜったいに手渡しで、と頼まれるの。
その封筒をめぐって、勤務中のばくちに失敗してやばいことになったNYPDの刑事(- "Take Shelter"のMichael Shannon)とメッセンジャーがマンハッタン中を追っかけっこする。 他にNYPDの自転車野郎とか、メッセンジャー仲間が絡んで騒ぎが膨らんでいく。

でもそんな大騒ぎもマンハッタンの慢性的な渋滞のやかましさからすると、どうってことないかんじの。
でもだからこそ、点と点を確実に結ぶメッセンジャーがあそこには必要で、ほんとの生命線として機能したりする。

アクション映画だし、コピーは"RUN LIKE HELL"だったりするのだが、殴り合いとか銃とか痛そうなシーンは殆ど出てこない。 ものすごいスピードで人と車の間をぬって走り回る自転車の動き、すっとんで彼方に消えていくメッセンジャーの背中がすべてで、見ててぜんぜん飽きない。

マンハッタンの俯瞰図上でポイントされる起点Aと着点B、そこでルートが決まった瞬間に始まるタイムレース。 その瞬間から複数のいろんな人生がそのルート上を流れ始めて、それはもうほとんどパニック映画のような怒涛の強さと勢いでもって迫ってくる。 マンハッタンのノイズの洪水、その大波をぬってチェーンとタイヤでサーフィンをしているような。

中国マフィアの黒幕が絡んでいて、それが町の見えないところから見えるところに突然力となって現れるその様はジョニー・トーの映画みたいだった。 あそこまで暴力的ではないのだが、人々が人力でじたばたしつつ決着に向けてだんごで転がっていく面白さとか。

Joseph Gordon-Levittさんはたまに痛い目にあいながらもいつものように涼しい顔して乗り越えてしまう。
その軽さが、自転車の走りの軽快さと見事に合っていて、かっこいいったら。
あそこまで自転車乗りが似合う俳優さん、他にだれがいるだろうか?

サイコな悪刑事を演じるぎょろ目のMichael Shannonさんもすばらし。 
"Take Shelter"よりも更に狂って迫ってくるのでえらくおっかないのだが、いかにもそこらにいそうな。
これって例えばかつて、Willem Dafoeが担っていたポジションだねえ。

音楽は久々に聞いた気がするDavid Sardyさんで、なかなかいかった。

これが終って口笛吹いて外に出て(おこられなかった)、タクシーを探そうと思ったがこれっぽっちも寄ってこなくて、30分くらいふらふら立ち尽くして、ようやく捕まってホテルに戻り、他の買い物にも行ってみた。

のだが、周りになんもないの。 でっかいショッピングモールはあるのだが、あれってぜんぜん嬉しくない。だいたいさあ、Macy'sとNordstromとJCPennyを一箇所に並べて、いったいなにが楽しいのだろうか? 1ブロックごとにマガジンスタンドもDuane Readeもないなんて、そんなの町じゃない!

さらに、Barnes & Nobleにも行ってみたのだが、だだっぴろいだけで、ほんとになんもねえの。
買ったのは、Molly Ringwaldさんの小説くらいでしたわ。