9.25.2018

[film] Westfront 1918 (1930)

今朝からコート着た。

14日の金曜日にBFIで見ました。”World War One: Regenerations”という小特集からの1本。
こないだ見た”The Guardians”もこの特集も、第一次大戦の終結から100年経った、というのもあるのだろうか。 
邦題は『西部戦線一九一八年』。

BFIのコピーには“The film that Hitler didn’t want his citizens to see”とあって、実際に公開から3年後に上映禁止処分をくらっている。たしかに戦意喪失映画、としか言いようがない。

“Pandora's Box” (1929) - 『パンドラの箱』のG.W.Pabstのトーキー第一作で、ドイツでのリリースは30年の5月、同じ戦争を描いた作品として同年の12月にリリースされたラマルク原作の”All Quiet on the Western Front” (1930) - 『西部戦線異状なし』– これは見ていない – と比べると知名度は低い(こちらの原作はErnst Johannsen)ようだが、これだってじゅうぶんにすごいし怖いと思った。

終戦間際の最終局面の西部戦線(向こう側にはフランス)に駐屯した4人の歩兵 - the Bavarian、Karl、the Lieutenant、the studentのそれぞれの運命を描く – どれもとっても悲惨なのだが。BavarianとKarlとLieutenantの3人が爆撃されて埋まっちゃったところをStudentに救われたり、Student(よいこ)は泥沼のなかでフランス兵とえんえん取っ組み合いしたり、Karlは帰還命令が出たので家に戻ると妻が肉屋といちゃついていたので、絶望して再び前線に戻ったり、戻ると泥水のなかからStudentの腕が出ていたり、Lieutenantはついに発狂しちゃったり、最後は轟音とうめき声が響く薄暗い病棟のどん詰まりで、敵も味方もなくみんなゾンビみたいに呻くばかりで誰にもどうすることもできない。

戦場 - 前線の描写はずっと機械とか戦車とかの低音や砲声が耳鳴りのようにわんわん鳴ってて不快なばかりで、画面は奥のほうの前線 – ただの殺風景な地平線とか煙とかが定点固定で映っているだけの見晴らしはほぼゼロで、でもカメラが動かず、動けないことの不便さ不快さがそのまま前線に置かれているかのような感覚を引き起こして、その灰色の視野の奥から虫のように敵兵とか戦車が湧いて出てきて、気持ちわるいったらないの。

最近の戦争映画の、特殊撮影を駆使して戦争の迫真の「リアルさ」を見せる- 四方八方からあらゆるものが飛んできて、当たれば即死で逃げても即死で、こんなに酷いことになっていてどこにも動きようがない状態 - を緻密に360度の視界と圧縮された時間感覚で見せる - のとは全く異なる、実際に穴に埋まって動けなくなってそのまま埋まって死に向かうしかないひとりの人間の視野・感覚野に同期しようとしていて、どちらかというと後者の方が怖い、というより嫌で、最近これとおなじかんじで厭戦観をたっぷり煽ってくれたのが「野火」(2014) だったかも。

でも、それでもナチスは台頭して二次大戦は起こって、その後もずっと戦争だの紛争だのは続いているので、そんなに泥に埋もれて豚みたいに死んじゃうのがいいのか、て改めて思うのだが、戦争をやりたがるひとが見る映画、作りたがる映画は決してこういうのじゃないんだろうな、って。
でも、反対側の、痛みに対する想像力を持てないひとが創作に関わっちゃだめよね。

終わりの字幕は ”END?” って。終わらないものになることはわかっていた、と。

9.23.2018

[film] A Simple Favor (2018)

17日月曜日の晩、BFIで見ました。

UK PremireでPreviewで、上映前にPaul Feig, Anna Kendrick, Blake Livelyによるイントロ付き。
チケットはあっという間に売り切れていたのを当日なんとか釣りあげた。

BFIにしては珍しく各席にボトルのお水なんか配られていてイベントっぽい。慣れないことやったからか開始が30分遅れてんの。 イントロの舞台挨拶はぴっかぴかの3人なのでぱーっと派手に明るくて、監督はへらへらおちゃらけつつも、最近いっぱいあるリアルで底の深いスリラー("Gone Girl”みたいな)ではなくて、昔ヒッチコックがやっていたようなびっくりどきどき多めの軽めのサスペンスを目指した、って。 でもあんま期待しないで(Low expectationで)見てねー!って。 (監督が一番目立っててはしゃいでいる、という珍しいケース)

シングルマザーのStephanie (Anna Kendrick)は自分で撮って流している主婦向けのVlogで、いつものように明るく画面の向こうから挨拶した後で、親友のEmily (Blake Lively)がいなくなっちゃってもう5日になるの… てべそをかくのが冒頭で、そこから少し遡って、幼稚園の出迎えでEmily (Blake Lively)と知り合って、彼女と夫のSean (Henry Golding)と息子のNickyの暮らすかっこいい屋敷に出入りするようになるまでが始まり。 EmilyはNYのファッションブランドのPRディレクターで、Seanは小説を1本書いてからは大学で英語を教えてて、Stephanieからするとなにもかもハイソでクールな別世界なのだが、Emilyとはマティーニ飲みながらいろんなことを話すようになる。でも、彼女の写真を撮ったらすぐ消せってえらく怒られるし、あんたを友達とは思ってないから、とか軽く言われたりする。

ある日、Emilyからちょっとしたお願い(A Simple Favor)がある、用事ができたのでNickyを幼稚園に迎えにいってしばらく預かってくれない、と言われて軽くOKしたら、冒頭の状態になって、警察には届けたもののどうしたものか、どこにいっちゃったのか。

やがてミシガンの方でEmilyの目撃情報と車と、やがて湖からは水死体が出てきたのでお葬式して、落ちこんだSeanに誘われるままに(ついでに寝ちゃった)Stephanieは彼の家に引っ越すのだが、Nickyはママを見たよとか言うし、Emily失踪前に保険が掛けられていたとか、いろいろ変なことがわかったり起こったり始めたので、Stephanieは家のなかに遺されたものからEmilyの仕事場に行ったり彼女の生い立ちとかを調べ始める。誰も頼んでないけど。 ここから先は書かないほうがよいかも。

監督がイントロで言っていたようにEmilyの恐るべき魂の闇とか呪われた血筋とかを暴いていく、方には向かわずに、Stephanie = Anna Kendrickが彼女特有の軽いノリで、わぉ! とか きゃー とか言いながらフットワーク軽く動いていって(Vlogで捜査の経過をお知らせしたりとか)、彼女と共にびっくりしたりはらはらしたりしながらそういうことなのかー、って進行していく。
サスペンスとしても謎解きとしても破綻なくさくっと纏まっていて、えーそっちに行くのか、みたいにまとわりついてくるどろどろもなくて、仄かにずっこけた風味もスパイスとして効いている。 Paul Feigなので笑えるとこもいっぱいあって、とにかく楽しいったら。

Anna Kendrickさんは初めて適役らしい適役に当たったのではないかしら、というくらい活き活きしていて、彼女と対照的なBlake Livelyもクールでゴージャスで実は、ってわかりやすいし、Henry Goldingの得体の知れない妙な暗さ("Crazy Rich Asians”でもそこが効いてた)も活きている。
あとはみんなお洒落でさー。 おせっかいママさん探偵ものとは思えないくらい素敵。

とにかく見た後味がなんか爽やかで、その理由は書きませんけど、この風味ってPaul Feigの他のコメディにもあるやつだよね、って。

StephanieがあのときA Simple Favorを断っていたらどう展開していたか、ていうのがDVD化のときの特典映像になるの。 たぶん。

9.22.2018

[film] Sudden Fear (1952)

16日の日曜日の午後、BFIのJoan Crawford特集で見ました。
これはねえ、めちゃくちゃおもしろかった。これまでの彼女の特集でも一番だったかも。

“Possessed” (1947) に続いてオスカーの主演女優賞にノミネートされている。 邦題は『突然の恐怖』。

Myra (Crawford)はBroadwayで成功している劇作家で、舞台のリハーサルに立ち会って、あの男優はちょっと違うと思うから替えて、て言うとそう言われた男優 - Lester Blaine (Jack Palance)がなんでだよ、って突っかかってくる、というのが冒頭。

後日自宅のあるSan Franciscoに向かう電車でLesterと偶然(...)再会したMyraはこないだのお詫びもあるし、と食事したりいろいろ話したりしているうちに仲良くなって、そのまま一緒にSFに行って、そのままふたりは結婚してしまう。

しばらくはSFの瀟洒な邸宅 - 書斎には備え付けのレコーダーがあって部屋で思いついて喋ったことをすぐに録音できるの、とか - での甘い生活が綴られるのだが、弁護士との会話から彼女が死後は財産一式をすべて団体に寄付しようとしていることをたまたま知ったLesterがぴきってなって、やがて彼の傍にIrene (Gloria Grahame) が現れて極めて怪しいかんじになる。

IreneはLesterの元カノで、Myraが財産供与の書類にサインするまえにバラしちまおうぜ、ていう計画をMayaのいない時、よりによってあの書斎で密談したもんだから、しかも部屋の録音スイッチをオフにしていなかったもんだから、後でその内容を聞いてしまったMyraは幸福の絶頂から絶望の沼底に叩き落されてわなわなしつつ逆襲のプロットを考え始めて、Ireneの部屋の合鍵を作って出入りしたり、ふたりの字体を真似て嘘の手渡しメモを用意したり、できるだけLesterとは会わないようにしたり、タイムテーブル作って暗唱したり、とかスリル満点で、いよいよ実行の時が..

この特集でこないだ見た”Mannequin” (1937)では、逆の立場 - Spencer Tracyの金持ちからむしりとる側の若い娘で、でも途中で好きになっちゃってどうしよう、だったのに、今度のは若いツバメからむしられる側で、しかもあんなに好きだったのに、もう若くないからこれが最後の愛だと思ってたのにばかばかばか(含.自分)、って。

彼らの計画を知ったときにボロボロ泣いて悲しんで悔しがる姿、Ireneの部屋で計画の実行中、鏡に映った自分の姿にあたしなにやってんだろ、とうろたえる姿などから全開になるJoan Crawfordの無防備なエモと、それでも断固許さないんだから、とあくまで計画を遂行していく強さと、実行中にやってくるはらはらどきどき - 誰も助けてくれねえぜこんちくしょう - が過不足なく三つ巴になってて、最後は握り拳つくってMayaがんばれ逃げろ負けるな、って応援してしまう – そんなふうに入り混じった彼女の像はこれまであまりなかったかも。

Jack Palanceも登場したときからひと目で怪しいってわかる結婚詐欺タイプだし、Annette Beningが”Film Stars Don't Die in Liverpool” (2017)で演じたGloria Grahameのぺらい小悪党ぶりもたまんなくて、三者のアンサンブルもよくて、ノワールとしては明るすぎる(悪い方にあまりのめりこめない)のがちょっと違うかもだけど、お話しの転がりっぷり(SFの坂を転げ落ちるみたい)の気持ちよいことときたら。

で、あのあと、Myraはこれをネタに劇ひとつ書いて当てたのだと思うな。

9.21.2018

[film] Daisy Kanyon (1947)

10日の月曜日の晩、BFIのJoan Crawford特集で見ました。邦題は『哀しみの恋』。
監督は”Laura” (1944)のOtto Preminger。

Daisy Kenyon (Joan Crawford)はマンハッタンのヴィレッジのアパートにひとりで住んでデザイン関係の仕事をして、女友達とはふつうに夜遊びにも出たりしているのだが、そこには頻繁に弁護士のDan (Dana Andrews)が訪ねてくる。Danは成功している弁護士で、妻とふたりの娘がいて裕福で幸せそうで、でもDaisyはずっとこういう関係を続けていてもしょうがないと(明確には言わないけど)、元軍人で妻を亡くしているPeter (Henry Fonda)とデートをするようになって、そのうちDanにはPeterと結婚するかも、だからもう来ないで、という(たぶん駆け引きはんぶん)。

他方でDanの家ではDaisyとのことがばれて、彼の妻は訴訟起こす、って彼の同僚に弁護を頼んで、娘たちは(ママのとこには行きたくないようって)泣いて騒いで大変で、DanはこれでぜんぶおじゃんなのだからDaisyには改めて一緒になろうそれが一番いいだろ、って迫ってくる。

でも裁判に巻き込まれてまるで罪人みたいに見られるわDanはしつこいわPeterは暗いわ、なにもかもうんざりしたDaisyは湖のほうに車を走らせて.. 

ものすごい悪女ふうできんきんのFemme fataleなDaisyがNoirふうに男共を絡めとって家庭込みで潰しにかかる、そういうお話しではなく、むしろ逆で、Daisyはごくふつうに落ち着いた大人の恋をして、できれば結婚できないかしら、程度なのになんでこんなにこじれてくるのかなあ、なんで?  でも男たちはDaisyのことを解っていて幸せにできるのは自分しかいないのだから(その自信はなに?)、会いたいときにはアパートにいてくれなきゃやだ、みたいに攻めてきて、それがトライアングルになると更にひどくなって、なんであんなのがいいんだ? の突っ込みと共にぐじゃぐじゃになって、Daisyかわいそうとしか言いようがないの。

“Laura”でもうまく描かれていたドアとか電話の使い方が見事で、なんでそのドアを開ける? とか、なんでその受話器をとる? とか終始はらはらしっぱなしで、ドアを開けるごとに、電話に出るたびに新たな厄介事がのしかかってくる、そんなプチホラーのように見ることもできるかも。(Noirの映画見てるといっつも思うけど、なんでみんな電話にでるのだろう? 無視できないのかしら)

最後のほうで、横並びしてDaisyに電話をかけまくるDanとPeterをみて、なんなのこのバカ男共は、って思った(客席からも嘲笑が)。 こういうろくでなし男ばかりに引っかかる女性にも問題があるのでは、とかいう話題は昔からあるけど、問題なのはこんなふうに女性を電柱かなんかだと思っているイヌ以下のてめーらのほうだからね。

いきりたったDanがDaisyの部屋にばんって入ってくるなり牛乳瓶からミルクを飲むシーンがおかしくて、他にもこういう変なのは一杯ある。不可思議だからおかしい、というより説得力ありすぎる状況で更に渾身の力を込めてなんかやっちゃうのがおかしいの。  恋愛ってそういうもの?

恋に惑って揺れるDaisyを演じたJoanは”Possessed”のように取り憑かれて凍ってしまった人格ではなく、年齢もあるし相手と時と場合の間で揺れてぶれまくる柔いひと - でも最後の最後にかろうじて自分を掴んで抱きしめる、そういう変遷まで含めて繊細に演じきっていていつものようにすごい。
最後の決断には少しえー、だったけど。

あと、Henry Fondaって、こういう恋愛ドラマ、なんか向いてない気がしてならない。暗くない?

9.20.2018

[film] Crazy Rich Asians (2018)

15日土曜日の午後、Picturehouse Centralで見ました。 公開直後だったのでなかなか盛況だった。
邦題はー… 邦題から”Asians”を外した件について、いろいろ言いたいことはあるけど、とりあえずはそれを決めた奴にShame On You . って言ってやる。こんなおもしろいのにさ。

Kevin Kwanの2013年のベストセラー小説をAll AsianのCastで映画化した「アメリカ映画」。
冒頭、95年のロンドンで、暴風雨の晩にホテルにチェックインしようとしたアジア人家族がホテル側
から差別目線たっぷり慇懃に追い払われそうになったところで、実は... というのが序章。そこから20数年を経たいま。

NYUで経済を教えているRachel (Constance Wu)が、ポーカーの必勝手(心理学的なほう)について講義したりしていて(これが後で効くの)、BFのNick Young (Henry Golding)から幼馴染のColin (Chris Pang)が結婚することになって自分はそこでBest Manをやるので一緒にシンガポールに行かないか - 家族にも紹介するよ、と誘われて、アジア行ったことなかったし、いいよ、って軽く返す。

出発の日、JFKに着いたら車から降りた途端に人が迎えに現れて、なんかの間違いよあたしらエコノミーなんだから、って言うと実はファーストで、ひょっとしてあんたのうちってお金持ちなの? て聞くとNickは微笑んで”We are comfortable”とか言ってて(一度言ってみたいもんだわ)、着いてみたらやっぱり.. で、いちおう結婚を考えている相手として紹介されるのだが、to-be舅のママはEleanor(Michelle Yeoh) で、おっかなそうったらなくて、やばいやられた..  って。

その後もいちいちYoung家のCrazy Richぶりにあきれるばかりで、大学時代の友人Awkwafinaのうちに行ったらえええあのYoung一族か、って驚愕されるし、そこらじゅうから値踏みされる目で見られるし、Bachelorette partyでは嫌な思いさせられるし、Nickといる時以外は恐怖・戦慄体験ばかりで、そうかと思えばおばあちゃんも入れてみんなでテーブル囲んで餃子作ったりのほっこりもあったり、これって昔からある結婚してみたら向こうの家は..(ガチの農家だった、ガチのやくざだった、等々)ホラー寄りの異文化衝突ロマコメに見えるのだが、ここでのポイントは、彼らのCrazy Richぶりというのは(単なる職業とか属性の話ではなく)彼ら一族(華僑)がみんなで戦いながら勝ち取って歩んできた歴史と不可分であるということと、他方でRachelは同じアジア系でもアメリカで生まれて育った根っからのアメリカ人で、後からEleanorによって暴かれてしまう出生からして決定的なギャップが横たわっていて、これってやっぱり乗り越えられないやつなんじゃないか?  将来どう考えてもNickは実家に戻るしかないみたいだし… って、RachelはAwkwafinaの家に籠って丸まってしまう。

こんなふうに普遍性のある背景・事情をきっちり押さえているから偉いのか、ロマコメの土俵でこれを堂々とやったから偉いのか、その両方なのか、どちらにしても終盤、Michelle Yeohが見せる藤純子 - 緋牡丹博徒 - ばりにしなるテンションがこのコメディの瞬発力を尋常ならざるなにかにしていて、すごいったらない。 し、機内プロポーズのカタルシスときたら”The Wedding Singer” (1998) 以来のすばらしさ、と言ってよいのではないか。(あの瞬間、後ろのほうから、まじで「はっ」て息を呑む音が複数聞こえた)

ていうシリアスな(ロマコメとしての、よ)お話しの背景に、Crazy Richなアジア民総出のバカ騒ぎぶりを – 安っぽく見える画面作りもわざと計算して – 置いて盛りあげまくるところと、サイドエピソードとして置かれるNickのいとこのAstrid (Gemma Chan)夫婦のお話し – いくらお金があっても幸せにはなれないって – もスパイスが効いててよいの。

あと、なぜここに偉そうな父親や長老翁が出てこないのか、(そういうのがぜったい渦の真ん中から湧いて出る)日本の家父長制との違いで考えてみるのもおもしろいかも。

原作のほうは3部構成になっているそうなので次も楽しみ。

Awkwafinaの一家って、まるで天才バカボンのうちみたいでおかしくて、彼らも含めて俳優さんは誰もみんなすごくうまいねえ。

でもさあ、NYからシンガポールに引っ越したら古本屋もレコ屋もないし、きっとつまんなくなるからやめたほうがいいよ。

あと、おいしい餃子が食べたくなるねえ。

9.19.2018

[film] Educating Rita (1983)

9日、日曜日の午後、BFIで見ました。

“Working Class Heroes”ていう小特集からの1本で、この特集、結構知らない作品が並んでいてそりゃそうかもな、とも思う。”Distant Voices, Still Lives”もそうだけど”Working Class”というのが、壁や格差も含めてこの国にはずっとあって、それをテーマにした作品も日本で見るよりも相当に多いことがわかった。(いまの日本はそっちに向かいつつあるのかな?)

もともとは1980年の舞台劇で、舞台版でも主演はJulie Waltersで、原作を書いたWilly Russellが映画の脚本もやっている。
邦題は『リタと大学教授』。

20台後半でヘアドレッサーをやっているRita (Julie Walters) - 髪型も原色中心のファッションももろアーリー80’s  - が大学のOpen Universityの文学の講座に応募してきて、受け持つことになったのが半分アル中でよたっているFrank (Michael Caine)で、Ritaは熱意はあるけど基礎教養も含めてゼロ、Frankは教授だから教養はあるみたいだけど熱意はゼロ、まずは手始めに彼女に”Howard’s End”を読ませてみても、こんなのどこがおもしろいの? とか言われてしまう。

Ritaは結婚していて家もあるのだが、夫からも親からも早く子供を、とか言われてうんざりしていて、子供を持つのはいいけど、今のままで育児に忙殺されて歳をとってしまうのは嫌だ、なにか打ちこめる世界が欲しいんだ、って切実で、そんな彼女に押される形で渋々相手をしていたFrankがこいつおもしろいかも、ってだんだん仲良くなっていく過程と、それに対する周囲からの反動や圧力はRitaの側にもFrankの方にもゆっくりやってくる、ていうのと。

RitaがFrankのうちのDinner Partyに招かれて、自分なりにおしゃれして向かうのだが、通りから覗いたパーティのハイソな様子を見て、こりゃお呼びじゃないな、って引き返し、パブでやっていた家族の飲み会に合流するのだが、こっちの飲めや歌えのどんちゃんにもついていけなくて、あたしの居場所はどこにも..  って天を仰ぐシーンとかすごくわかる。
(歳とるとどっちもどうでもよくなって蓋して行かなくなるので割と安定する - 自分の場合)

で、結局Ritaは旦那と別れて職も替えて友達と共同アパートに住んで、ひとりでどんどん走り始めてFrankの方がびっくりしてついていくようになるの。Summer Schoolから戻ってきたRitaがBlakeの詩をすらすら暗唱するシーンとかも、いいの。

George Bernard Shawの"Pygmalion"(→マイ・フェア・レディ)的な教える側と教わる側の調教のどたばた、というより、どちらもがたがたのぼろぼろで、でも/だからいろんなこと – "Assonance"とか - を学ぶのってやっぱりおもしろいよね、というのに気付く、という柱があって、ラストのふっきれたかんじもとても素敵。 客席はわーわー笑いながら見ていて終わったら拍手、だった。みんなに愛されている映画なんだね。

映画とは関係ないけど、勉強しとけばよかったな、ってことが死ぬほど出てくるから勉強できるひとは本当にしておいたほうがいいよ。 自分もなんか学びたいなー、って改めて強く思った。本屋いくと知らない本とか作家だらけなのよね。

2002年に Halle BerryとDenzel Washingtonでリメイクの話しがあったらしいけど、今やったらおもしろいのができるよ。 家庭の方はDVとか各種抑圧でぱんぱんに膨れてて、大学はPCとかコンプラでがちがちで、更に政治の方からは予算削減とかきたりして。
これじゃただのディストピアすぎて笑えるのにはならないかもね。 タイトルは”Surviving Rita”とか。

[film] Distant Voices, Still Lives (1988)

5日、水曜の晩、BFIで見ました。

Terence Davies - 最近だとEmily Dickinsonの評伝映画”A Quiet Passion” (2016)  - のデビュー作(監督、脚本)が公開30周年を記念して4Kリストアされてリバイバル公開されたもの(これと”Heathers”が同い年、ていうのはなんかおかしいな)。 英国映画オールタイムベスト、のような企画には必ずリストされてくる作品で、ある時代のイギリスの魂を描いたようなものとして受けとめられている、ような。最初にこれの予告が流れたときも高齢の御婦人数名が”Aw..”って息を呑んで見入っている様子が感じられた。

85分しかない作品で、第一部が” Distant Voices”、第二部が”Still Lives”。

Liverpoolのworking-classの一家の1940年代から50年代初 - 戦中から戦後を描いていて、第一部で戦中、厳格でDVな父と優しい母の元で育っていく子供たちの姿を、第二部でその子供たちが大きくなって結婚したりするようになるまでを。

登場する人物や家族の個々の人格や性格について(関係や名前すらも)説明されたり立ち入られたりすることはなく、はっきりしたストーリーラインや結末があるわけでもなく、あのときあんなことあったよね、のような笑ったり泣いたり歌ったりのエピソードをファミリーアルバムをめくっていくように並べていく。その抽象度の高さを補ったり繋いだりしていくのが当時の流行歌とか歌声で、家族や親族や友人たちは集まるとお酒を呑んで目配せして、歌をみんなで歌ったり踊ったりする。

言葉は訛りがすごくて半分くらいしか何言ってるかわかんなくて、音楽も知っているのは殆どなくて、それでもおもしろいのか、というと、おもしろいの。 これってなんなのだろうか。

馬の手入れをしているときは優しい顔なのに、母や子供たちにはすぐ手をあげる父(Pete Postlethwaite)、いつも微笑みながら家事をしている母 (Freda Dowie)、家の軒先や部屋の隅から固まってふたりを見あげる子供たち - 「なんでパパと結婚したのさ?」「ダンスがうまかったのよ」とか、二階の窓から不安定に身を乗り出して窓掃除をする母とか、玄関口で緩やかに手を振って見送ってくれる母とか、古い家の階段とか壁の模様、そこの記憶にこびりついた彼らの癇癪、嗚咽、不安、そして歌声。

映像は固定だったりスローだったり、それは自分の記憶を辿っていくときに脳内に映し出されるパタパタしたなにかに似ていて、似ているからどうということではないのだが、自分がその家、その家族に含まれている(他に行きようがない)ということを発見する瞬間、あるいは自分がそこから出て行くこと、離れることを自覚する瞬間はこんなふうだったのではないか、と思い起こさせるなにかがあって、それが感じ取れるだけですごいと思った。 それがDistant VoicesでありStill Livesなんだな、と。

あと、ここには歌と踊りが必要で、どっちが先だかわからないがお酒も必要で、ここからしばらく経つとお茶の間のTVなんかが入ってくるのだろうか。

これらの記憶とそのありようが普遍的ななにかだとは思わないし思えないし、戦中~戦後の英国のある時代のあるクラスに横たわっていた何か、であるのかも知れないわけだが、こういうどこからかの「声」がこんな形で表象されて再認知される、こういうことって今の時代でもこれからも、起こりうることなのか、起こりうるとしたらそれはどんな景色になるのか、は興味あるかも。

こういう映画は35mmで見たほうがよいのかもしれないけど、このリストアは全体の色調が堅め抑えめに仕上げてあってとてもよいかんじだった。

日本だとこういうの、成瀬とか川島雄三とかになるのかなあ。  三丁目のなんとか? ふん。