3.31.2013

[art] Impressionism, Fashion, and Modernity

天気、ひどすぎるわ。
NYでの美術館関係をまとめて。

(もう2週間前...)17日の日曜日午前中に、3つをぐるりと。

まずは9:30からMetropolitanでこれ。

"Impressionism, Fashion, and Modernity"

印象派と当時のファッション(衣服)の位置関係を俯瞰しつつ、見るものと見られるもののありようの変化 - Modernityが現れてくるさまを考えてみよう、というかんじ。

8つのセクションに分かれていて、それごとにテーマがあって、そのテーマに沿った絵とその絵に描かれているのに近い意匠の衣服が真ん中に展示されている(もちろん本当は、当時流行っていたであろうドレスがまずあって、画家がそれを着たひとを描いた、というのが正しい順番なのね)。
これはねえ、びっくりするくらいおもしろかった。

印象派の画家が描いた森や光を美術館内に持ちこむことはできないが、衣服はできる。
その衣服のフォルムとか色感とかひだひだとかを見ることで、画家がそこのなにを絵のなかで残し、表現しようとしていたのか、がはっきりとわかるの。
それは勿論、森の緑や陽光があって初めて活きるものだ、ということもできるのかもしれないが、逆に、この衣服の意匠や腰のくびれを、彼や彼女をじっと見つめるその歓喜に溢れる目線を画布の上に呼び込むためにあれらの緑や屋外の陽光が必要とされた、という言い方もできなくはないだろうか。
というわけで、ほとんどManetとMonetとRenoirが映える展示。 Manetの横にはちゃんとBerthe Morisotの絵がある。 (アメリカ人だけど)Mary Cassattもある。

見事だったのはオルセーから来たMonet, でっかいふたつの"Luncheon on the Grass"と"Women in the Garden"、三つ目の部屋の「白い服」コーナー - ここはRenoir、四つ目の部屋の「黒い服」コーナー - ここは当然Manetで。
六つ目の部屋はメンズ、七つ目は帽子とか読書とか、いちいちなるほどなー、で素敵でしたわ。
カタログ、当然買った。

この展示の他には、英国のJames Naresの"Street"ていう大画面のVideoインスタレーション。
NYの街角を車でゆっくり走りながら撮影した映像をスローモーションで再生して、そこにThurston Mooreの12弦アコースティックのインストがゆらゆらと絡む。
信号待ちをしている観光客とかをコマ送りに近いスローで再生しているだけなのに、こんなにも映画のように面白くなってしまうのかー、と。 偽エルモが一瞬映ったので、どの辺で撮影したのかはなんとなくわかった。
これの隣の展示室ではJames Nares自身が"Street"というテーマで選んだMetの収蔵品が古代から現代までランダムに並べられている。 うーんと乱暴に言ってしまうと、いろんな人とかモノの交錯する経路としてのNYのStreetと、いろんな時間/時代の時間軸を超えた交錯ポイントとしての美術館(Street)を並置する、という -

Metropolitanネタでいえば、帰ってくるときに買ったNew Yorker誌のStyle Issueに載っていたCalvin TomkinsによるAndrew Boltonの記事、"Anarchy Unleashed"。 66年生まれで2002年、英国からMetのCostume Instituteにやってきて、Diana Vreelandの動員記録(72年の)を破った2011年の“Alexander McQueen: Savage Beauty”、翌年の"Schiaparelli and Prada: Impossible Conversations"(これもユニークだったねえ)のCurationに続いて今年、満を持してぶっぱなすのが "PUNK: Chaos to Couture"。 9歳のときにPistolsとClashに出会ったんだって。 
この初夏はなにがなんでも行かねばー。

http://www.metmuseum.org/exhibitions/listings/2013/punk/images

関係ないけど、この記事のあとには、ミャンマーのパンク少年たちを撮った記事が。


それで、Metを出て5thをバスで南下してMOMAへ。
Essex Houseの裏手あたりにものすごくのっぽなビルが建っていた。
コンドミニアム部分は$17Milから、だって。 だれか買ってくれないかなあー。

http://www.one57.com/

MOMAで見た展示はふたつ。

日曜の朝10:30のMOMAのチケット売り場がひどいのを久々に思いだした。これが嫌なので、すぐメンバーになってしまうのだが、ここは我慢して並ぶ。

"Bill Brandt: Shadow and Light"
大判の写真が並んでいるのを想像していたら、ほぼ全部、9 x 7 5/8" (22.8 x 19.4 cm)の小さなサイズで、このサイズのゼラチンシルバープリントが近くに寄って見れば見るほど奥が深くて肌理が美しいことを初めて知る。 英国文芸シリーズとか、いいねえ。
カタログは悩んで買うのをやめた。 古本屋でいつかちゃんとしたやつを買うんだ。

"Henri Labrouste: Structure Brought to Light"
ちょうどBill Brandtの隣でやっていた。
アンリ・ラブルーストは、19世紀のフランスの建築家で、古代ギリシャ・ローマ建築のいろんなパーツのデッサン(すんごくきれいなペン画)から代表作であるBibliothèque Sainte-GenevièveとBibliothèque Nationaleの図面とか模型とか。 とにかくソリッドでかっこいいんだよ。
これはカタログかった。 朝から両手がいっぱいになった。

MOMAのあと、更にバスで5thを下ってThe Morgan Library & Museumに。
ここ来たのすんごくひさしぶり。

"Marcel Proust and Swann's Way: 100th Anniversary"
プルーストの『失われた時を求めて』の『スワン家のほうへ』の出版100周年を記念した展示。
わたしは「うしとき」をだらしなくだらだら読むのがだいすきなので、この展示は御礼参りみたいなかんじ。
フランスのBibliothèque Nationale(さっきのアンリ・ラブルーストから繋がった…)から持ってこられた草稿とかカイエとか6畳くらいのスペースに置いてあるだけなのだが、誰もが想像できるであろうそのまんま、ちっちゃなごにょごにょ文字がびっちり、女学生みたいな落書きもあったりする。 こういうの見るとまた読みたくなるねえ。

美術館関係はここまで ー
もういっこ、なんとしても見るべきだったひとつを見逃していたのに後で気づいたので、ここはなんとかしたい。

で、もう3月もおわりなのね。

3.29.2013

[film] The Incredible Burt Wonderstone (2013)

今週は日曜から夜学に通うようにずうっと『ベルリン・アレクサンダー広場』に通っているので書いている時間がないの。

18日月曜日の晩、8時過ぎにTimes SquareのRegal E-Walkで見ました。
この日、夕方から雪ががんがんに吹雪はじめて、お蔭で最後の買い物とか言っている余裕はなくなってしまった。 Rizzori行きたかったのになー。

これ、タイトルがいつまでたっても覚えられないのだが、軽いコメディが見たいな、くらいで。

Steve Carell(若いころは長髪)とSteve Buscemiが幼馴染のコンビでマジシャンになろうってがんばって、自分達のシアターを持てるくらいにまで成りあがるのだが、その後はずるずる落ち目になって、Steve Buscemiは怪我して旅に出てしまうし、体を張ったパフォーマンスで攻めてくるJim Carreyみたいなマジシャンも出てくるしで、しょんぼりで、そんなある日、慰労に行った老人ホームで子供の頃マジックへの目を開いてくれた老マジシャン(Alan Arkin)と出会って再びやる気になって再起にかける というお話し。

キャストだけだとみんな好きなひとで、ぜったいおもしろいはずだし、ひょっとしたら泣けてしまうかも、と思って臨んだのだが、なんかあんましだった。
ところどころ面白いところはあるのだが、スラップスティックに繋がって転がってすっきり抜けていかない。 なんでだろ、もったいない。

たぶん、Steve Carell自身が、こういう芸人一代みたいなじっとりと花開いていくような役を演じるキャラではないからなのかも。
彼は、この作品のなかだとJim Carreyがやっているみたいな爆竹系のキャラのが活きる (ref. Anchormanとか)のでは。
それか思いっきり静かに地味にそこにただそこにいる、"Seeking a Friend for the End of the World" みたいなのをやるか。
こういうのを笑わせながらちゃんと演じられて物語をぐいぐい引っ張れるのって、Ben Stillerとか Will Ferrellくらいなのかなあ。

いちおう、ところどころおもしろいところはあるんだけどね。
最後に仕掛ける大ネタ、観客一発大移動のとことか。

あーでも、女優さんがなあー。  Olivia Wildeさんだとちょっと弱いのなー
なんか太ったおばさんみたいなひと(ま、Melissa McCarthyかね)が引っかき回したら楽しくなったかもしれない。

終わったあとで、Shake Shackに行った。 SmokeShackていうのがメニューに。

NYで見た映画はここまで。

3.25.2013

[film] Ginger & Rosa (2012)

17日の日曜日の晩、9:40くらいからAngelikaで見ました。
これ、米国では公開始まったばかり、本国英国ではもうDVDが出てる。日本は…

いきなり広島の原爆から始まるのでちょっとびっくり。
1945年の英国、同じ病院の隣のベッド同士で生まれ、幼なじみでずっと一緒に育ったGinger (Elle Fanning)とRosa(Alice Englert)のふたり、彼女たちの1962年、17歳。

まだビートルズもヌーヴェルヴァーグも来ていなくて核の脅威が迫っていて、ふたりはつるんでヒッチハイクして男の子と遊んだり、煙草吸ったり、アルコール試したり、反核の集会に出かけたり、Jazz聴いて、T.S.Eliot読んで。 Rosaは自由奔放で、GingerはRosaについていこうとしてあれこれ試したりするけどうまくいかなくて一人で詩を書いていたりするタイプ。 Rosaのパパは既にいなくて、Gingerのパパは作家でボヘミアンで、よいこのGingerはそんなパパを尊敬している。

映画はGingerの目線で推移していき、やがて親友Rosaとの、そして大好きなパパとの間の危機に加えてキューバ危機が立ち塞がって、Gingerの視界と世界は崩壊寸前になってしまう、というお話。

60年代初、英国のティーンの物語、というと"An Education" (2009)が思い起こされて、あれは年上の彼とのごたごたを通して成長するお話で、背後には抑圧的な父親との葛藤があった。こちらは年上ではなくずっと横にいた親友とのごたごたで、更に父親は抵抗勢力ではないところがより面倒くさいし、教育/成長、というテーマからはちょっと離れている。 彼女はなにも悪いことしていないのだし。

世界はどいつもこいつもなんで思うようにいかないのか、みんな核爆弾でふっとんじゃえ!というGingerの声にならない叫びの行方を静かに見守る、というか。

(例えば、The Beatlesがそういう少女達の叫びを世界に解き放った、というのはあるのかも)

"Super 8"や"We Bought a Zoo"でElle Fanningの砂糖菓子の甘さに萌えていた連中は、これを見てぶっとんでしまうことだろう。 女優としてとにかくすばらしいんだから。

これがデビュー作となるRosa役のAlice Englertさんもよいねえ。彼女、Jane Campionの娘なのね。  これの後の"Beautiful Creatures"も見ておけばよかった。

日本で公開されないのはあれ? 原発絡み?

3.24.2013

[film] The We and the I (2012)

17日の日曜日の昼間にIFC Centerで見ました。
シアター前には大量の親子連れがびっちり列を作っていて、なにかと思ったら"From Up On Poppy Hill"  -『コクリコ坂から』 - だった。 IFCは宮崎アニメのレトロスペクティヴをやった信者の聖地でもあるのでわからなくもないのだが、これ、NYの子供が見てわかる内容なのかしら?(見てないけど)。

Michel Gondryの新作で、ノリとしては"Dave Chappelle's Block Party" (2005) - これすき - に近い、とかレビューにはあったので、行ってみる。

Bronxの高校の年度末の最後の日(初夏)の午後3時頃、Bronxのどこかの街角から家路に向かうバスライン - Bx66 (調べたけど実在してない) にぎゅうぎゅうに乗りあわせた高校生の一団、彼らの数時間、を追った青春映画。たぶん。

混雑した車内で傍若無人に振るまうガキの集団に嫌な思いをしたことがあるひとは日本にも一杯いると思うが、ここのBronxとかBrooklynの連中のワイルドなことときたらアニマル並みにおっかなくて、そういうのを思い起こさせる、という点で見ていてあまり楽しいかんじはしない。Michel Gondryてお坊ちゃんそうだし、そういうとこに居合わせて不快になったこともないんだろうねえ。

つるんで悪さとか悪戯とかばっかりしている連中、ずっと下向いて俯いていたり、絵を描いてばかりいるような子にだって、それぞれの事情とか片思いとか物語はある、塊としての"The We"とそれがSplitしたところで現れてくる"The I"を掬い上げる、という点では青春映画の正当で、それを夏の始まり、学校の終り、夕陽に向かって走り続けるバスの上で実現しようとした、という点はとってもよいと思った。

けどね、あの普段ぎゃーぎゃーうるさい連中が、突然涙こぼしてしくしくとかしてみたところで、いまいち来ないんだよね。 その涙の訳、そこから先をくどくど追っかけないで、バスから降りたらはいさよーなら、にしたところはよいのだけど。

ただ、ゆっくり夕闇におちていくBronxの街中をひたすら走り続けるバス(午後3時からいったい何時間走ってるんだ? はあるけど)、を描いたとこは、ほんとうに素敵で、そこだけ、ね。 あとバスの運転手のおばさんのでっかい背中も。

音楽はYoung MCとかSlick Rickとか、軽快でかっこよくてたまんない。 連中が普段こういうの聴いているとは思えないけど。

[film] Stoker (2013)

16日の土曜日の晩、その午後に牢獄から解放され雪のWilliamsburgをうろうろした後で、Sunshine Landmarkで見ました。 Londonにいた頃から見たかったやつ。

予告ではHBOのPhil Spector - Al Pacino の(ううう見たい)と、"Blue Valentine"のDerek Cianfranceの新作 - 再びRyan GoslingにBradley CooperとEva Mendes …うううこれも。

さて、"Stoker"、犯罪行為のストーカー(Stalker)ではなくて、Stoker家(ref. Bram Stoker)のお話なの。
父親を失ったEvelyn (Nicole Kidman)とIndia (Mia Wasikowska)母娘のところに突然父の弟であるCharlesおじさん(Matthew Goode)が現れて、なぜか同じ屋根の下で暮らし始める。おじさんは夫の死後骨が抜けてしまった母に親しげに近づき、同様にIndiaのところにも友達になりたい、と言って学校にまで追いかけてくるようになる。
夏のアメリカの田舎町、主人のいなくなったがらんとした一軒家、この家を舞台にしたこの三者の攻防と、だんだん明らかになってくるStoker家の過去と、ほぼこれだけ。設定だけなら昼メロにいくらでもありそうなべたべたの。

この設定の上で、Indiaの、Mia Wasikowskaの、行き場を失った不信と不機嫌が炸裂する。
それはゆるゆるふやけてばかりの母に対してでもあるし、プラスティックの笑顔で背後に寄ってくる叔父に対してでもあるし、でもそれだけではないの。
それは例えば"Melancholia"で地獄の釜の蓋を開けてしまうKirstenの不機嫌とも勿論ちがうもので、かといって宣伝文句にある「イノセンスの喪失」のようなところに置いてしまうのもちがう気がする。 イノセンスなんて最初からない、知らない。子供の頃から。 彼女はそんな顔をしている。

その不機嫌はやがて怒りに変わって彼女の手に鉛筆を、銃を、ナイフを握らせる。
(学校でいじめっ子の顔に鉛筆を突き立てるときの、その握り方がたまんない)
その変容と挙動をカメラも驚きとともに固唾を呑んで見守る、それしかできないくらい、Indiaの目と顔の歪みはすごい。 ほぼそれのみの映画、といってよいのかも。 かんじとしては、"Martha Marcy May Marlene" (2011) - あれは彼女の肩の丸みがすべての映画だった - に近いかも。

あとは、Nicoleもすごいねえ。 "Rabbit Hole"もそうだったが、家族の一員を失って喪失状態になってしまう主婦、をやらせたら彼女の右に出るものはいないのではないか。

この母娘を当初予定していたCarey MulliganとJodie Fosterがやっていたらどうなっていただろう。 もっと硬くて、でもウェットなかんじになってしまったかも。

音響がすばらしい。虫の音も鳥の声も。すべてがダイレクトに知覚の端に入ってくるような。
音楽はIndiaと叔父がピアノの連弾をするところがPhilip Glassの"Duet"で、とてもスリリングなの。

ずっとぴりぴりとおっかなかったので、ちっとも眠くならなかった。

3.22.2013

[music] Liza Minnelli and Alan Cumming - Mar.14

14日、NYに到着したその晩に見ました。
もとは13日の一夜限りのはずがあっという間に売り切れたので追加されたやつ。ほとんど天井近くの席(でも$112)で、でも、それでも取った。
問題はどうやって抜け出すか、だったのだが、空港に降りた3時間後に会議にぶっこまれて5時過ぎまで拘束されて、ほんとかわいそうだったのだから、きっと大丈夫に違いない、と。

Town Hallは本当に好きな会場で、ここで見れるというのも大きかった。
で、狭い入り口に向かってぱんぱんに詰めているのはとってもゲイゲイ着飾ったみなさん(あんな密集度はなかなか見れるもんではない)で、みんなハグしあってキスしあって心から幸せそうなの。 だってこの二人の歌会で、しかもみんなのミューズ - Lizaの67歳のお誕生会なんですもの。

バンドはぜんぶで10人くらいで、音楽監督はふたり、Alan CummingがLance Horne、LizaがBilly Stritch、ふたりがデュエットするときは、このふたりもピアノのとこで並んで連弾する。
背後は真っ赤なカーテンで、もろ歌謡ショーのかんじで、歌うのもスタンダードばかりなのだが、それがどうした、なの。

最初に2人で仲良く2曲くらい歌ったあとで、Alanのソロになって、これが50分くらい続く。
ぱりっとしたタキシードのジャケットを脱ぐと、肩から袖先までヌードで、みんなできゃー、ていう。
これまで何度かライブに飛び入りしたのを見た程度だったのだが、このひとは半端なく歌がうまい。
おなじような文系おかまであるところのRufusなんかよか、断然。

"Once"の“Falling Slowly”とかKaty Perryの“Firework”とかAdeleとかLady Gagaとかをつるつる繋いで全く揺るがずに歌い上げてしまう。手品みたい。
2002年頃にStudio54で"Cabaret"を見た時(Sally役はMolly Ringwald!)、Alanも出ていたんだったか、記憶が…

Alanのソロの後で、休憩を入れずにLizaのソロがはじまる。そんでいきなり“New York, New York”だもんだから場内総立ちで、この後、歌い終わるたびに立ち上がって喝采して、歌い始めると座る、が延々続く。
彼女、足はよれよれだし、トークの間はずっとぜえぜえしているのだが、歌のところは問答無用の力強さ。 伸びるししなるし、ドスをきかせるとこは唸りをあげる。すごい歌手って、こんなにもすごいのね。

ふたりが再び一緒になってからは楽しいお喋り -「あたしはほんとは12歳なの」とか - と勿論 "Cabaret"からの曲とか、みんなで"Happy Birthday"の合唱とか、で、締めはGershwinの“Our Love is Here to Stay”(涙)。

すばらしい歌は世界を救うんだわ、て終演後のみんなの笑顔を見たら誰もが確信したはず。
 


3.19.2013

[log] March 19 2013

帰りのJFKまで来ました。 ちぇ。
昨晩の雪嵐がなかなかすごかったので、フライトがキャンセルになることをちょっとだけ期待(ほとんどお祈り)したのだが、ぜんぜんそうはならず、しかも雪が雨に変わったせいでマンハッタン内の渋滞は半端なくぱんぱんでげろげろに車酔いした。

ラウンジに来てみればやはりセサミのクラッカーはラインナップから外されてしまったらしいことがわかって悲しい。あれ、おいしいけどゴマが飛び散って掃除が大変だから、って文句が出たのだとおもう。

今回はほぼずっと氷点下で土曜日の午後なんかずっと雪で冷たくて、仕事も冷たくてなかなか悲惨だった。 こないだの2月2日、Groundhogくんは春は近いよ、って言ってたくせに、うそつき! だった。
Advilの瓶がいっこ軽くなくなったくらい低気圧がひどくて目をまわしてばっかり。

金曜の深夜から土曜の昼過ぎまでずっと缶詰で、そのおかげで体内時計はずっと狂いっぱなし、1時間寝て、2時間寝て、3時間寝て、みたいのをこまこま繰り返していた。それでもなんとかなるのね。

こまこま意識を失ってばかりだったので、こういうときの楽しみのTV - LettermanもJimmy FallonもSNLも、気がついたら終わったりしていた。くやしー。

ライブ(ていうか歌謡ショー)いっこ、映画4本、展覧会4つ。 で目一杯だった。
あんなに雪だの嵐だのが来なければ、仕事がぐだぐだにならなければ、もうちょっとがんばれたのにな。がんばりたかったのにな。  あと1日、あと1週間いられたら .. はいつも思うこと、ね。

帰ったら帰ったでいろいろあるねえ。 また花粉も降ってくるし。
 
ではまた。

3.17.2013

[film] The Cabin in the Woods (2011)

10日の日曜日、仕事のあとで新宿に行って、砂がだ霧だか煙だかから逃れるようにして見ました。 目鼻が痒くてしぬかとおもった。

なんかおもしろかったねえ。

大学仲間の5人 - ふつーの娘、エロおねえさん、体育バカ、その友達の優等生、らりらりバカ - が週末に山小屋に遊びに出かける。
それと並行して、山小屋とか彼らを監視している施設があって、そこの科学者たち(ひとりはRichard Jenkins)はなにか賭けとか競争みたいのをしているようだ。

その山小屋がなにやら特別な仕掛けを持った隔離された施設であることはすぐわかって、やがてそこでひとりひとりと殺されていくこともわかって、その順番もわかりやすくて、誰が生き残りそうかも容易に予測できて、ふつーの学園ホラーみたいなやつ、と途中まではおもう。 そういうのは苦手なので、その辺はほんとにきつかったのだが、我慢する。

そうしていると、それだけじゃなくて、書いたらつまんないので書かないけど、ものすごく深い深いところ(物理的にね)のはなしだった。 あ、そっちにいくんだー、みたいな。
そしてそれは、ざまあみろ! の快楽をもたらしてくれるものでもあって、それは同時に、こういうジャンル映画への愛とこんちくしょー!で溢れかえっていたりもする。
闇がもたらす混沌とか奈落の底、ていうのは例えばこんなふうに。 世界の終りも、こんなふうに。 どうせやるならここまで。
Sigourney Weaverがでてくるのは、Ghost Bustersからのあれ、だよね。

でもあの施設、どうやって作ったんだろか...

Thorのひとが体育バカの役で出ていたが、Thorにしてはあまりに間抜けにやられてしまうので、あんなんでよいのか、とか。

最後の瞬間、NINの"Last"ががんがんに鳴りだすのがとってもはまってて、ぜったい狙ったんだろうなー、って。

[film] Oz the Great and Powerful (2013)

米国に来る前に見ておいたやつを少しだけ。
3/9の夕方、ワイズマンの『パナマ運河地帯』の後、六本木で見ました。

公開されたばかり(だよね?)なのに、客席があまり埋まっていなかったのが気になった。
すばらしくよいのに。 同じディズニーの3Dで比較されている"Alice in Wonderland" (2010) よりも断然よいのに。

オープニングシークエンスのぐるぐるから、モノクロ、スタンダードの芝居小屋の描写がまずすごくすてきで、そこから竜巻でぐるぐるにされるところの音響(特大の洗濯機みたいにすごい)で痺れて、カラー、シネスコの魔法の国も、ぜんぶよいかんじ。 口八丁手八丁で適当にのほほんと生きてきた見世物小屋の魔術師Oscar (Oz)が、魔法の国に飛ばされて、そこで出会った魔女たちに翻弄されて乗せられて、世を救う偉大な魔法使いとして正義のために戦うはめになる - というお話し。

Sam RaimiのSpider-Manがクモの糸に絡みとられる、というのを基本モチーフにしていたのと同じように、ぐるぐる(の竜巻とか、えせトリック)で幻惑される、というのがベースとしてあって、それが見世物小屋から始まった映画という魔法(はったり)、更には3Dの魔法にうまくリンクしている。
映画は足を折られて泣いていたひとりぼっちの少女を救って、すばらしい仲間を呼びこんで、魔女達の施いた恐怖政治から人々を解放する魔術なんだよ。

そして、これもSpider-Manのテーマと近いのだが、Ozが自身の偉大さ(Greatness)を自覚し、そうなるように仕向けるのは、まずOz自身なのだ、ということ(Spider-Manの1作目の最後のPeter Parkerの独白のところ参照)とか、それと、恐ろしい魔女は、最初から魔女だったわけではなくて、それなりのかわいそうな事情とか逃れられない業があるのだ、というとことか。

つまり、ヒーローたる宿命を担ったものが非現実的な世界で活躍する、そういうお話しではなくて、すべてはどっちに転ぶかわからない危ういトリックの線上で最後まで揺れてて、しかもそれは不思議の国に流れてくる前からぜんぶ繋がっていたのだ、という。 それを決意に変えたのは魔術で治せるわけがなかった車椅子の少女と、足を折られてしまってしくしく泣いていたChina Girlだった。  ある意味ではとってもクラシック、ではあるのだが。

James Francoは、詐欺師になりきれない人の善さとその反動としての強がりとほんとのところは繊細で気が小さいとこを併せもつ、Ozの全てにおいて微妙で半端な逡巡を実に巧く演じている。 そして3人の魔女- Mila Kunis, Rachel Weisz, Michelle Williams - すごく好きな女優さんが一同に - もそれぞれに色があって、実際に色で呼ばれるのだが - それぞれとても魅力的なの。 あれならだれにやられたっていい。

次はいよいよ、Dorothyがやってくるはずだわ。 でも難易度高いよねえ。 Judyだからねえ。

[log] March 14 2013 - NY

New Yorkに着いて、その午後から会議にぶっこまれてしんだ...
気温はだいたい0度くらい。 頭がきーんと冷えてちょうどよいかんじなんだが、雪まで降らなくたって...

行きの飛行機で見たのは、3本。

Rise of the Guardians (2012)

DreamWorksのアニメーションで、ずっと見たくて、こないだのLondonでもやっていたのだが、上映時間がどこも朝10時くらいだから見れなかったの。
Executive ProducerがGuillermo del Toroで、だからまちがいないはず、と。

自分が誰だかよくわかっていないJack Frost(氷の精)が、北極のサンタクロースのところに拉致される。
闇の国のPitch(ブギーマン)が蘇り、子供たちに危機が迫っていて、Tooth Fairy(歯の妖精)、Bunny(イースターうさぎ)、Sandman(眠りの精)と共にGuardianとして子供たちを守るように月から指名された、と。

ただ、Jack Frostは、子供たちにはあまり認知されていないし、自分がなんのためにいるのかもわかんないので半信半疑で、でも仲間と一緒に戦って子供たちと接していくうちに覚醒していく。
子供たちにとって妖精はなくてはならないもので、妖精は子供たちの夢や希望と共にある、だから子供たちから夢や希望がなくなると妖精たちもパワーダウンしてしまう → 世界は闇のなかに堕ちる、という世界観が大枠としてあって、妖精はいかにして妖精になるのか、子供たちはなんで守られなければいけないのか、などなどがとってもわかりやすく描かれている。 これってもちろん西欧のものだけど、でも、ごくふつうに正しくて、子供よか大人のほうが見るべき映画かも。

だから最後のほうのJamieとJack Frostの会話はほとんど泣きそうだったし、Sandmanの復活のとこは鳥肌が立って、シアターでみたら大泣きしてたと思う。
アニメで泣いちゃうレベルとしては"Toy Story 3"とおなじくらいかも。 そういえば、Toy Storyのおもちゃと、この映画の妖精 = Guardianはとっても近いところにいるのかもしれない。

こんなにすてきな映画をクリスマスに公開しなかった日本の映画関係者は全員ブギーマンとおなじくらいひどいと思う。 恥を知れ、だわ。
それに「不思議の国のガーディアン」じゃねえだろ。 現実世界のはなしだろこれは。 まじで。

Hitchcock (2012)

わたしは"Psycho"を見ていない。 子供のころにTVでみたシャワーシーンのとこが怖くておそろしくて、いまだに。
"Psycho"を作っていたときの苦労話を、Hitchcock(Anthony Hopkins)と彼の妻Alma(Helen Mirren)の関係を中心にいろいろ。
映画会社はこんなグロい映画に、と出資をしぶったので、自己資金でやることにして、でも夫婦仲はがたがたで、大変だった、と。
HItchcock自身のあれこれとか"Psycho"をよく知っていればもっと楽しめたのかもしれないが、しらなくても十分おもしろかった。

どちらかというと、Almaが転がしていく映画かも。Hitchcockはあたりまえのように、黒子のようにそこらにいて、うますぎて。
Helen Mirrenて、なんであんなに赤が似合うんだろ。

"Psycho"は最初全米で2館でしか上映されなくて、プロモーションが鍵だ、となったときに彼がたてた手作りプランがおもしろくて、実際それが当たってこの映画は史上に残る作品となったのだが、公開初日、シアターの扉の外での彼のうごきがすばらし。 扉の向こうで、観客の恐怖を指揮するの。

そういえばむかし、Hitchcock自身が登場する"Psycho"の長めの予告編を見たことがあったけど、あれも見事だったねえ。
本編もいいかげんに見ないとね。

Life of Pi (2012)

NYFFのWorld Premireのあとで、もういっかいちゃんと見てみよう、と。

「起こったことは起こったことで、そこにはなんの意味もないんだ」と中年になったPiは言う。
あれだけ尽くしてあげたRichard Parkerは、お別れのときに結局振り向いてもくれなかった。
果てのない、解のない円周率(パイ)を名前に持ち、3つの宗教を同時に信じていた彼がそれを言うとき、世界はあまりに救いのない、根拠のない、放棄されたものに見えてしまいはしないか。 

でも、この点にこそ、Ang Leeが映画に向かう動機はあるのだし、この線から眺めてみると"Hulk"も"Brokeback Mountain"も"Lust, Causion"もぜんぶ繋がってくるのかも、とおもった。
全てを語りおわったPiが、「ここから先はもう君の物語だ」というとき、その言葉を受けとめるのはカナダ人の作家であると同時にAng Lee本人でもあるし、映画を見ている我々自身でもあるの。
東洋的ななにか、という議論とは全く別のところで、彼をドライブしている、映画に駆り立てているもの、がここではっきりと見える。

そういったとこも含めての、オスカーの監督賞なのかも、とおもった。

あと、"Skyfall"ももういっかい見ようとしたが、アデルを聴いているうちにずるずると眠りの底にFallしまったのだった。

3.14.2013

[log] March 14 2013

ひどい天気でも花粉は飛んでる…

えー、これからNew Yorkに飛んで仕事まみれして、春分の日に帰ってくる。なにもなければ。
月曜日にむりやり決まって、今度のは前のLondonを遥かに超えるSuicide Missionで、金曜の深夜からはじまってへたしたら土日ぜんぶ潰れる。

そんなんまでして行きたいか、ということなの。

1.飛行機に乗れる。
2.花粉がない。(スギ/ヒノキじゃないなんかは飛んでいるけど)
3.買い出し。 頭痛薬とか駄菓子とか。雑誌とかレコードとか.. レコードとか..
4.映画 … 今回はむりだねえ。
5.ライブ … 今回はむり.. かもねえ。 あんまやってないし。

"Breakfast At Tiffany's" もむりだなあ。

奇跡がおこって仕事がするする終わってしまうか、ぜんぶ破綻してふっとんで仕切り直しで滞在が延びるか、どっちかしかない。 どっちもなくて、ずるずる疲弊したままなんとなく終わる、というのが大方の予想。

週末から始まる『ベルリン・アレキサンダー広場』を逃すのがなんといっても一番くやしい。
2年くらい上映されるの待ってて、『2666』を読み終えてすぐにデーブリーンの原作に取りかったけど、まだ半分くらいしか行けてないし、こないだのビブリオテックのトークも仕事で行けなかったし..  でも最初から見たかったようー。

では、いってきますー。

3.13.2013

[film] Canal Zone (1977)

9日土曜日の昼間、アテネのワイズマン特集で見ました。『パナマ運河地帯』。

ワイズマンのドキュメンタリーがその題材をアメリカの外に求めたのはこれが最初だったという。
70年代、米軍が駐留して、パナマ運河を米国が国営会社のようなかたちで統括していた時代のパナマ(≒アメリカ)の記録。  174分、びっくりするくらいあっというま。

最初は運河をがりがりと通過していく船の運航を追っかけ、それに運河の運用(おもしろいねえ)を説明するガイドの声が被さる。
その後は、パナマに暮らすアメリカ人の生活風景あれこれを追う。 軍のイベント、馬乗り、教会での講話、無線交信、児童虐待、心理テスト、コミュニティでのファッションショー、ビンゴ場、卒業式、などなど、基本はアメリカの生活の縮図、ではあるのだが、異国、異文化、異言語での生活によるストレス、摩擦、ホームから離れている(遠い)感覚、が常にあって、それが出てくる人物ひとりひとりの顔や動作、しゃべり方などに現れていて、ナレーションもどんな人かの説明も全くないのに、彼らのどんよりした疲労・倦怠感や大変さは伝わってくる。

この描写 - パナマ内の米国社会のありよう - に挟み込まれるように描かれるのが現地の人々の暮らしで、市場用の牛や豚を追ったり、バスを待ったり、海で泳いだり、それはわれわれを含めた「先進国」の目から見るとエキゾチックで、割とゆったりとした楽しげなものに「見える」。

軍もパナマ運河も、当時のアメリカの国益の維持のために必要なもので、彼らアメリカンの住民はそのため(だけ)にここに住んでいる。 その意味ではその国に大志と理想を抱いて移住してきた移民とは国に対する距離感も生活に対する思いも感覚も違っていて、そのへんの特殊なかんじもなんとなく、わかる。

周りはみんなアメリカ人で、アメリカ人の家族がいて、英語で会話をして、アメリカの様式で暮らしている、けどそれはアメリカに暮らすのとはなにかが決定的に違う。 それは"国"ではなくて、"Zone"と呼ばれる。説明になってないけど。

パナマは90年代に2回くらいお仕事で行った。 
太平洋を見て、車でぶーんてジャングルの中を走ると大西洋に出てしまうのがおもしろかった。
ノリエガが暴れて壊した跡がまだ点々と残っていて、まだ米軍は駐屯していて、軍関係者の住む眺めのいいエリアに入るにはパスポートが必要だったりした。
いいところだなー、とか思ったものだが、暮らすとなると違うんだろうな。 民家の周りに群れていたのはカラスじゃなくてコンドルだったし。

今、「アメリカ」がいなくなった後、どうなっているんだろうなー。

どうでもよいけど、UNIVAC製のキーパンチの機械とか、NCRのコンソールとか、テープユニットとか、当時のコンピュータルームが一瞬でてくるの。 あれ知ってる! て一瞬ざわざわした。

[film] Hit and Run (2012)

ぼろぼろの状態、頭の半分がいかれたかんじで、8日の金曜日の晩、渋谷でみました。
これ、前にSeattleに行ったとき近所のシネコンで見ようとおもって、そしたら時間間違って間に合わなくて悲しかったやつ。

大学院の博士を終えようとしているAnnie (Kristen Bell) となにやっているのかわからないCharles Bronson (仮名)のカップルがいて、Annieのとこにカリフォルニアの大学の社会学の講師(紛争解決学、だって) のオファーがくるの。 彼女にとってはまたとないチャンスで、行ってみたいけど、彼のほうはちょっと微妙で、でもカリフォルニアまで車で送っていくことにする。

なんで彼が微妙だったかというと、Witness Protectionのプログラムで保護観察(担当の保護観察官がTom Arnoldで自爆キャラで、ばかみたいにおかしい)されてて、だから許可なしでどっかに行ってはいけないのだった。 けど、ものすごいエンジンの車をガレージから出してきて、とりあえず車を走らせる。
途中で、Annieの元カノの変な筋肉バカのところに寄ったら因縁つけられて車を調べられて、そういうところから彼の正体がだんだんわかって、Facebok経由でかつてのやばい仕事仲間(Bradley Cooperとか)とかも復讐で追っかけてくるようになって、他にも保護観察官とかぼんくらの警官とか、Charlesのパパとかも巻き込んで騒ぎがでっかくなっていくの。

カーアクションが多いし、きな臭い、ちんぴら臭いことぷんぷんなのだが、誰も死なないし、基本はラブコメ(+Road movie)なんだとおもった。
いろんな過去をとりあえずとっぱらって、今の、目の前の彼・彼女を愛することができるか? ていうテーマの。
最初はなんだこりゃ、みたいなかんじだったのが、彼の正体が見えてくるにつれて、車のスピードが上がっていくにつれて、ぐいぐいおもしろくなっていく。

Kristin Bell - Sarah Marshallさんは、なんでこんなぺったんこ娘が宿命の女ぽくなってしまうのか? みたいな微妙な線を今回もすごくうまく演じていて、いい。
Bradley Cooperは最初は強そうで凶暴に見えるのに、結果はぼこぼこにされてかわいそー、という相変わらずのキャラで、安心して見ていられる。
他には、パパを演じたBeau Bridgesのタコ殴りとか。

音楽は柔らかめのが多いが、ラストにPete Townshendの"Let My Love Open the Door"が流れる。
最後にThe WhoとThe Cureが流れる映画に悪いのはない、という法則はここでもちゃんと機能するのだった。

3.12.2013

[film] Une Vie Meilleure (2011)

3日の日曜日、もう終わっちゃうというので慌てて見にいった。『よりよき人生』。英語題は"A Better Life"
邦題はたぶんそのままで、でもこれならよいかも。 なんといってもセドリック・カーンだし。

ヤンは、学生食堂の料理担当をしながら自分のレストランを作るのを夢みてて、ある日採用してもらいに行ったレストランで給仕をしていたナディアと出会って恋におちて、彼女には前の旦那との間に息子スリマンがいたのだが、かまわない、って一緒になってレストランをやろう、て引っぱる。
で、ある日見つけた物件をここだ、って決めて、結構ぎりぎりの借金をして購入して開店準備をしていくのだが、最後の消防点検でひっかかって、検査をパスするには追加であと数万、て言われてどん詰まりになる。

で、そこからどんどん苦しくなっていって、ナディアはお金を求めてカナダに渡ったきり音信不通になるし(息子はヤンの手元にいる)、借金は火だるまでなにもかも手放さないといけなくなる、でも子供には万引きするな、て叱らなきゃいけないし。 
「よりよき人生」、そりゃわかるけど、なんだよそれ、って。

万策尽きて宙ぶらりんになったヤンとスリマンが最後の金づるを求めて海辺をうろうろするところがとってもよい。
ふたりとも、こんなところで何してるんだろ、赤の他人同士なのに、みたいな顔で所在なげにほっつき歩くの。 このうろうろがラストのあれに繋がっていく。

なにもかも失って、でもなついてくれない子供がいて、というとアサイヤスの"Clean"に少し似ている (あっちは母と子、血の繋がった)。
そして、安易に再生の物語、みたいなところに向かわないところも似ている。 そう簡単に再生も更生もしない。やれることを手探りでやって、それでも、という地を這うようなじたばたを少し離れたところでカメラが追う。 そうやって溜まっていったなにかが最後のほう、ヤンの捨て身の行動につながっていく。 正しい正しくないはあるかもしれないが、見ているほうは、やったねえ、ておもう。 
爽快感、ていうのとはちょっとちがっていて、そのときに「よりよき」ていうのはこういうことかもしれない、と。 今よりひどくも悪くもないけど、とってもよい、とも言えない。

『リグレット』のときにも思ったが、ほんとに見ていてしっくりくるふつうの大人のドラマで、そこから更にドラマにおける「ふつう」とか「大人」とかってなんなのかを考えさせてくれる。 更に更に、それはすぐ絆だの幸せだの再生だの安っぽいお涙ちょうだいに走る日本のドラマなんかを遥か彼方に蹴っとばして、自分のぼろぼろの毎日もちゃんと振り返って俯瞰してくれるものなの。
ほんとになんとかしないとこれ。

[film] A Good Day to Die Hard (2013)

2日の晩に、六本木で見ました。 「最後の手紙」のあとにこんなのを見るのはどうか、とか少し思ったけど。

えーと、5作目? こんどはロシア。 4作目が娘だったので、こんどは息子。(次は宇宙で、孫だな)
なかなか死なないねえ、というのが基本なので、これでどーだ? 死なない これならどーだ? まだまだぁ みたいに延々続くばかなやりとりを、なんも考えないでへらへら見ていられる、というのはよいこと、だとしよう。

傾向として1 - 2 - 3  あたりまでは肉弾の殴り合いのぶったりぶたれたり、が多かった気がするが、それはたぶん高齢化に伴って減っていって(だって蓄積分もあるから死んじゃうよね)、どちらかというと、乗り物ごとぼこぼこになって(されて)、そのなかでまだ生きてるわ、死なないわ、になってきた感がある。肉体のダメージをこまこま追うよりも乗り物込みでそれが物理的にどかんどかんぶっこわれる様を描いたほうが(見ているぶんには)楽しくて快楽で、死なないんだから文句ねえだろ、と言われたら、そりゃそうだねえ、という。

死なない、ということの他に、たまたまそこに居合わせた、というのもあって、ロシアの、チェルノブイリまで巻き込んだでっかい陰謀のトリガーをひく、その瞬間にたまたま居合わせた父と息子、というのを、できすぎ!ていうのはルール違反なの。 すべてはそういう星の下のお話しなんだから。

でも、4ででてきたJustin LongとかKevin Smithみたいな、あるいは3のSamuel L. Jacksonみたいな、横でわーわー言っているだけのキャラがいないのはちょっとさびしかった。

あと、ロシア人がぜんいんあまりに大根だったような。 女の子もぜんぜんだし。


ぜんぜん関係ないけど、母親がChuck Norrisとひとつ違いの同じ誕生日だったことを知った...

[film] La dernière lettre (2002)

2日の昼間、京橋から流れてアテネフランセで見ました。
特集『フレデリック・ワイズマン・リローデット!』からの1本。『 最後の手紙』

コメディ・フランセーズの女優、Catherine Samieの一人芝居をフィルムに収めたもの。
ワイズマンのドキュメンタリーの流れでいうと、芝居が完成するまでの舞台裏やそのプロセスを追うのだと思うが、この作品は、約1時間、完成された芝居そのものを忠実に追う。 登場人物も女優さんひとりで、語りのなかに出てくる兵士などは全てシルエットとして背後にあるのみ。

Vasili Grossmanの小説『人生と運命』(みすず書房からでっかい3巻本が出ている)の一章が原作で、元々芝居用の脚本をワイズマンが書いて、舞台で演出までしていた。
ナチスのウクライナ侵攻ですべての望みを断たれたユダヤ人の老女医が前線にいる(同様に絶望的な状況にあると思われる)息子に宛てた手紙を口述する、その口述を記録する媒体としてこのフィルムはあって、でもこれは単に記録することを目的としたビデオレターとは少し違って、彼女の言葉が、表情が、その愛と涙が、手紙に生のすべてを注ぎ込む生々しさと悲しみが、それを見る人々にできるだけ正確に伝播されることを目指している。

それを伝えるために、彼のドキュメンタリー撮影の手法 - 表情や目の動き、喋りをまるごと、丁寧に追うこと - はフルに活用されていて、だから、これは、厳密にはドキュメンタリーではないかもしれないが、(被写体とカメラの間に入りこみそうなもの -オーラとか聖性とかも - すべてをとっぱらって)ドキュメンタリーとして撮られた芝居ぜんぶで、その芝居はとてもお芝居とは呼べないような圧迫感と迫真性をもって迫ってくるものだから、それをフィクションだ、と呼んでみたところでそれがなにか? となる。

原作(の脚本)を読んだわけではないが、これとおなじ濃度と密度で書かれた「最後の手紙」が1や10や20どころか、100も200も1000もあったであろうことは容易に想像できて(なんでだろうね?)、それを我々は「歴史」と、決して忘れてはいけないものと名付けて、何度でもその封を、その扉を開くの。 その限りにおいて、それは決して「最後の手紙」とはなりえないのだが、それが、100年過ぎても「最後」たりえないことの悲しさと悲惨さを、歴史の救いようのない野蛮さを、改めて知るべきなのだ。

というようなことをワイズマンは女優の語りを正面に据えて、渾身の力でこちらにぶつけてくる。 
その強さにおいて、これまで知っているワイズマンの中でははっきりと熱い作品だった。

コメディフランセーズのお芝居って、BAMで2回くらいしか見たことないのだが、とにかく金縛りにされるんだよ。 あの力はほんとにすごくて、この作品にもそれがくっきりと。

[film] 感傷夫人 (1956) , 他

Londonから戻ったあとの映画とかをざーっと書いていく。 時間がなさすぎるー。

女妖 (1960)
27日の晩、神保町シアターの田中徳三と三隅研次の特集で見ました。

船越英二の人気作家先生が出会った3人の女性のおはなし。
ひとりは山本富士子で着物のまま金魚すくいにダイブし、もうひとりは野添ひとみで貧乏だから死にたいの、と言い、もうひとりは叶順子で先生はわたしのパパなの、と言う。
作家先生が仲良くなろうと思って近寄ってみると、その娘さんはみんなどこかしら変で困ったねえやれやれ、みたいな話。
なんか、作家だからって、いい人そうだからって、偉そうにするんじゃねえやこのすけべじじい! みたいなかんじにはなる。
昭和(エロ)文壇への抗議として書かれたものだったら、少しだけわかる。 でも、こんな程度で「女妖」って、ナイーブぶるのもいいかげんにしろ、だわ。
3人それぞれにとっても素敵だし、山本富士子なんて最高なのにさ。 船越英二は顔がつるつるすぎてなんというか。

斬る (1962)
28日の晩、神保町シアターで見ました。同じ特集ね。
とにかく、ぜんぜん目が醒めなくてだるくてたまらないので。

市川雷蔵が3年間ふらーっと修行に出て戻ってきたら(外見は爽やかなまま)最強の剣士になっていて、変てこな構えなのに相手は身動き取れなくなってやられちゃうの。
やがて周りの愛するひと達をみんな殺された彼は、幕府の偉いひとのボディガードになるのだが、敵の罠にはめられて主人を守りきれなくて、面目なし、っていって腹切っちゃうの。 出生に秘密とかあってとってもピュアなのはわかるけど、もうちょっとメンタルをつよくしたほうがー。
たぶん、斬ることの虚しさみたいのを伝えたかったのかもしれないが、あれだけ速くかっこよくばさばさ斬れるのであれば苦労ないはずで、だからなんで今更腹切っちゃうのかよくわかんなかった。 きっと疲れちゃったのね。 あ、画面の張りつめかた(特に後半、城内の)、ぱしぱし切れる緊張感ときたら剣と同じく半端じゃなかった。


感傷夫人 (1956)
2日土曜日の昼間、京橋で見ました。 タイトルだけ見てなんとなく。

夫を亡くして一年になる未亡人(月丘夢路)がいて、亡夫の後輩で彼女のことをずっと慕っている秋山(安井昌二)がいて、やはりそんな彼を横目で狙っている娘(北原三枝)がいて、その3人の間でいろいろすったもんだがあって、感傷夫人は涙にくれるの。
最初の、勢いのいっぱつで北原三枝を妊娠させてしまったので一緒にはなれませんごめんなさい、てしんみりあっさり身をひく秋山も、なにが起こってもめそめそ泣いてうなだれてばっかりの夫人も、どうしたもんかね、と見ていると、そのまままっすぐ、感傷の海にひたりっぱなしで終わってしまうので、なかなかびっくりした。 メロドラマで、そりゃ泣くしかないのかもしれないけど、それってそこらにあるただのしょぼい世間話とおなじだよね。 でも、画面はとってもしっとりしててすてきだった。

3.10.2013

[music] The Wedding Present - Mar.5

Londonから戻った後で、映画とかもふつうに見ているのだが、こっちから先に書いておく。

5日の晩、渋谷のO-Nestで。 暫く行っていなかったら禁煙になっていた。  煙対策でおうちから着替えて行ったのだが、うれしい。
日本国内で見るライブは今年これが最初になる... えー。

オープニングがtoddleで、これだけでも十分行く理由になるの。 2年ぶりくらいかしら。
バンドの出てくるとこがNeutral Milk Hotelで、これだけでもとってもえらい。
フロントが女の子だから、とかそんなことよりも2ピースのギターバンドとして、断固すばらしいし、だいすき。

Wedding Present、前回みたのは代田だったかnestだったか。 "Seamonsters"のは出張でだめだったの。
6日の"The Hit Parade"は、バンドがもっとも活動的でばりばりだった時代の作品で、これもよいのだが、どちらを見るべきかというと、やはり1stである"Gerge Best"のほうではないか。

87年、これがリリースされた当時はOrange Juiceの1stとGang of Fourの折衷かー 微笑ましいねえ、くらいの印象だったのだが、その後、90年代に向かって英国音楽がなし崩し的に腐れていくなかで、この盤のもつ輝きは年と共にどんどん増していくのだった。 それこそGeorge Bestの威光が語り継がていくのと同じように。

でも、こんなによい曲が沢山つまったアルバムなのに、彼らの90年代後半(バンドが一時的に消滅する前)のライブでは殆ど演じられることはなかった。それどころか、あの高速回転ギターそのものを封印していたような時期もあったのである。 そういうところの感慨も含めて、今回のライブは必見必聴だったの。

最初から"George Best"に入ることはなくて、90年代のいくつかと最新作"Valentina"からのいろいろ。 "The Hit Parade"からも"Blue Eyes"とか、"Sticky"とか、"California"とかをやってくれた。 うれしい。("Let's Make Some Plans", 聴きたかったなー)  92年て、毎月これの7inchのリリースがあって、ほんとに楽しみだったの。途中で米国赴任になって、そのときなにより心配だったのが、これの入手経路の確保だった。どうやってやったんだっけか?

とにかく、"George Best"のパートはすばらしかった。 弦がぴちぴき切れまくるのがかわいそうだったが、そういうとこも含めての、そういう曲群 - Gedgeさんも言っていたように、"virtually, impossibly, Fast" - で、そうやってかき鳴らされた"Shatner"のギターの輝きは、その速さ故にすべてを振り切って今のこの瞬間を永遠にする。 ほんとうに素晴らしいギターのひっかきは、今現在にそうやって傷をつけてでっかいバウムクーヘンをつくる。

昨年聞いた最も悲しいニュースは、Vini ReillyとWilko Johnson、このふたりの稀代の(世界でいちばん好きな)ふたりのギタリストの現状、だった。その神経の震えを、その筋肉の硬直を、ダイレクトに弦に流しこむことができる彼らのギターをもう聴けなくなってしまうかもしれない、その辛さをGedgeの音は吹き飛ばしてくれたの。

曲数も曲順もなんか違うような気がしないでもなかったが、まあいいや。
でも、CDのほうに入ってた"Getting Nowhere Fast"、やってほしかったなあ。
ついでに最初期の"Once More"とかもなあー。

ラストは、なんでか"Brassneck" でしたわ。

[log] Londonそのた - Feb.2013

ロンドンでのその他あれこれ。

展覧会ではないのだが、いっこ、観光みたいのをした。

The Shard.
http://the-shard.com/

これ、ずーっと泊っているホテルの横で工事してて、まだLondon Bridge駅も含めた周辺の工事は続いているのだが、展望台のとこが"The View"、としてオープンしていた。

スカイツリーなんて金積まれたって上る気にはならない(ださいんだもの)が、この、ヨーロッパで一番のっぽさんの、Renzo Piano設計の尖塔はやっぱし上りたくなる。 朝でも晩でも、このガラスの塔のとんがりが霧の上からぴーんて出ているところはなかなか素敵なの。 東京タワー派のひとにはたまんないはず。

The Viewのチケットは予約制で£29くらい。でも行って即みたいひとは、びん!て£100出せば入れてくれるの(いつかやってみたい)。 これも金曜日の晩、仕事のうっぷんばらしでサイトに行ってみたら既に昼間のチケットはいっぱいで、日曜の晩、20:00のしか取れなかった。

つまり、日曜は17:00にValentino、20:00にThe Shardが入っていて、その状態で最後のお買い物とか映画("To the Wonder"は、The Shardの後で滑りこんだ)とかに挑まねばならなかったのである。 かわいそうに。

チケットを切ったあとでなかなか厳重な金属探知機を抜け、エレベーターを乗り継いで68階まで、そこがふつうの展望台で、階段を昇った69階はオープンエアになってて、ぴゅーぴゅーしてて寒いけど、これもいい。(さらに上にあるらしい72階は、入れてくれなかった)

ぜんぶガラスと鉄骨だけだからかっこいいねえ。ロンドンの上からの夜景なんてどうか、だったのだが、ぜんぜんきれい。 観覧車もロンドン塔もビッグベンもぜんぶきれいに、下のほうに。
むきだしの鉄骨(下の写真)もその筋の方には痺れるのではないか。






置いてある望遠カメラ(無料)もかっこよくて、建物にポイントするとラベルが浮きあがるの。
んで、同じカメラで、昼間のビュー(もちろんライブじゃないけど)も表示してくれる。

今年の2Qにはマンダリンオリエンタルがオープンする、と。 次回の滞在はここがいいなー(殴)。

お買い物あれこれ。

Rough Trade Eastは、土曜日のTate Modernの後に行った。
ここではアナログの新譜しか買わない。 Nick Caveのとか、Cocteau Twinsの"Treasure" (1984)の重量盤再発とか"Neu! '75"とか、よくわからないが最初期のAdam Antのテストプレスみたいなのとか、7inchいろいろ。 

Cocteau Twinsって、リリース当時はあんま聴かなかったのだが、今はなんか聴き頃かも、という気がしている。 なんでだろ。

あと本は、Tracey Thornの自伝、"Bedsit Disco Queen - How I Grew Up and Tried to Be A Pop Star"が積んであったので買う。
まだぱらぱら斜め読みですが、音楽に目覚めた頃の話がすごい。78年あたりにライブ - Siouxsie & the Banshees、The Cure, Echo & the Bunnymen、Gang of Four、Buzzcocks、Delta5 - などなどに行きまくっているの(チケットの半券が貼ってある)…  いいなあ。
Ben Wattに出会った頃のエピソードとか印象とか「殆ど憶えていない」とか言いつつ、彼のレコード棚にあったVic GodardとThe Durutti Columnがフェイバリットだったので意気投合した、とか。 ね、このふたりは、そういうふたりなんですよ。

BFIの本屋さんでは、Chantal AkermanのMuseum of Contemporary Art Antwerpでの展覧会のカタログ? "Too Far, Too Close" とか、Kent Jones編によるOlivier Assayas本(写真がいっぱい)、行くたびに1冊づつ買って帰るBFI Screen Guidesは、"100 Shakespeare Films"を。

Foyles Bookstoreは、ManetとValentinoの間に行った。正味40分くらいしかいられなくて、吐きそうで泣きそうで死ぬかとおもった。

買ったのは、
"if you leave"  ていう若手写真家のアンソロジー(?) 白と黒と銀の3册。
こんなかんじ↓   "if you leave… " ていう呟きが静かにこだましていく、そんな世界の。

http://if-you-leave.tumblr.com/

"Salt Yard: Food & Wine from Spain & Italy" 、ていうロンドンのお店のレシピ本。
なんかおいしそうでさー。

"Cereal" ていうKinfolkに似たかんじの雑誌。
http://readcereal.com/

あと1時間ほしかったよう。

帰りのHeathrowのマガジンスタンドで、その前の週のT Magazine - Spring women's fashion issue - Lee RadziwillがFeatureされているのを見つけた。 これは付録なので値段は付いていないのだが、いちおうレジに持って行ったら、わかんないから持ってっていい、と言われる。
ラッキー。 T Magazineは、こんなふうによく落ちているので、探してみませう。

帰りの便は、待望の新しい機材だった。 だったのだが、チェックインの際、ビジネスはいっぱいだからファーストにします、って勝手に振られてしまったの。

このたびの新しいやつで、一番変わったのはビジネスなのでそれがどれだけ変わったのかを確かめたかったのだが、少しだけざんねん、だった。

ファーストはそんなに大きく変わっていないということだったが、いろんなのがあるし、いろんなことをしてくれるのでおもしろかった。
普段お酒は飲めないし飲まないのだが、Salon1999とかあると舐めたくなるし、Queen of Blueていう瓶入りのお茶もおいしくていっぱい飲んだ。

なんか動くとすぐCAさんが「なにか?」って寄ってくる。こういうサービスをあたりまえだと思っちゃうから日本の偉い連中はしょうもなく腐って醜くなっていくんだとおもった。

映画は、もう見るのは残っていないはずだったのだが、一本だけあった。
Won't Back Down (2012)

Maggie Gyllenhaalが失読症の娘を持つ母親で、そういう娘の障害を無視して補習もなんもしようとしない学校の運営にあたまきて、同様に疑問を感じていたその学校の教師Viola Davisと一緒に学校を変えよう、て運動をはじめるのだが、そこには教師の組合とか親の無理解とか教師そのものの意識とかいろんな壁があって、でもまず子供のことを考えようよ! ってめげずにがんばって、市の聴聞会までこぎつけるの。

いつもぎすぎす落ち着かないMaggie Gyllenhaalとむっつり不機嫌なViola Davisの組み合わせがよくて、更にRosie Perezさんとかも絡んで、更に組合側の刺客として登場するHolly Hunter - あまりにかすかすなのでびっくりする - とか、ウーマンパワーがすごいの。 特にViola Davisの、鬱屈していた不機嫌が外に向かって噴出してくる瞬間のすごみ、強さ。

これ、日本では自治体の教育委員会の圧力で上映不可になるのです。 たぶん。

お食事おわって映画も終わって、眠くなってきたとこでCAのひとがきて、ベッドをおつくりします、ということでお布団を敷いてくれて、重力に吸いつくような寝心地がありえないくらいよくて、これは寝るのがもったいない、と思ったのだが、落ちた。

起きあがって朦朧としつつ、十四代のたらこ粕漬けていうのと一緒に十四代を舐めつつ、"Pitch Perfect"の最後のところをもう一回みた。 ライブのとこがもうちょっと弾けていて、Rebel Wilsonががーんと爆発してくれたら、とか。 あと、改めてJohn Hughesの偉大さを。

でも、こんなに居心地よくても機内偏頭痛はやってくるのだった。

ほかになんかないか。

3.08.2013

[art] Manet: Portraying Life

関係ないけど、今日の粉はなに? 殺す気?

ロンドンの展覧会関係をまとめて(時系列)。

A Bigger Splash: Painting after Performance  -  Tate Modern

23日土曜日の午後、気を失った状態から立ちあがり目ざましに、と人混みでぐじゃぐじゃのBorough Marketを抜けて歩いてTate Modernまで行った。
目はさめたけど、それはたんにとっても寒かったから。
ほんとうはこれと、もうひとつの展示 - "Lichtenstein: A Retrospective"も見たかったのだが、こっちはオープンしたばかりで盛況で、今チケット買っても入場できるのは17:00から、と言われたので諦める。

わたしはHockneyの"A Bigger Splash" (1967)ていう絵が大好きで、最初に出会ったのは高校くらいだったと思うが、本物は見たことがなかった. 気がした。
のでまずこの機会にちゃんと見よう、と。

で、見た。思っていたよりずっと小さかった。なんてすてきな青とその飛沫。 67年のカリフォルニアの青と肌色と。

この展示のテーマは、「水しぶき」、を引き起こす/引き起こしたおおもとの人体とか、人体を使ったアートとか、そういうのかと思って、実際にポロックからはじまって、イヴ・クラインとかウォーホルとか、ボディアート一般みたいなとこに広がったかと思ったら、そのうち「環境」のようなとこにも延びていって、最後のほうの若手アーティストの展示のあたりになると確実に軸がぶれてしまっていたような。 でも、でっかい水しぶきが見れたからいいや、と。

Manet: Portraying Life - Royal Academy of Arts

日曜日の午後4時くらい。 ホテルに戻って会社の荷物を置き捨てている暇もなく、でっかい鞄を抱えてRoyal Academy of Artsに行って見ました。
肖像画に的を絞ったManetの特集。 点数はそんなにないが、彼はどうやって対象を見つめ、対象はどうやってそれに応え、彼を見つめ返し、そこで走った電流が絵筆の先に広がっていったのか。

ひとつひとつの絵を近くでじーっと見ると、見れば見るほどすごい。 なんであんなひょろひょろの線が、淡い黒の線が、あんなふうな表情として浮かんでくるのか - 浮かんでくるようなふうに見えるのか。この黒は、なんなのか。影でも闇でもない、前に置かれているような黒。
今回のメインのイメージになっている"Berthe Morisot with a Bouquet of Violets" (1872)の絵なんて、驚嘆する。
これと比べると、(例えば)Renoirの肖像画の、なんとわかりやすいことか(よいわるい、ではなくて)。 「印象」以前の、ひとの「印象」を構成する要素は一体なんなのか、みたいなところまで考えさせるいくつもの謎が。

あと、"Music in the Tuileries Gardens" (1862)の展示はこれ用にひと部屋あてがわれていて、この顔はどこの誰、が記されたシートを手に当時のセレブ図鑑を眺めることができるのだった。 
ここでみれます↓

http://www.royalacademy.org.uk/exhibitions/manet/events-and-resources/key-to-music-in-the-tuileries-gardens-1862,979,MA.html

描かれた彼らが向こうからこっちを眺めているのと同じように、我々は画布の向こう側の彼らを眺めるの。
これはカタログ買った。 ハードカバーのほう。













Valentino: Master of Couture -  Somerset House

日曜日の午後5時、Somerset Houseで見ました。
これだけは渡英前から行こうと決めてて、でも金曜の晩に籠城しながら念のためサイトを見てみたらびっくり、チケットは殆ど売り切れてて、空いているのは日曜の5:00pm - 5:15pm入場分のみだったの。 もちろんおお慌てで、捨てるの覚悟で取った。

ちょうどLondon Collectionのまっただなかで、入口に到達するまでの広場のとこはテントがあってきれいな男女がいっぱいで、その奥のビルの地下に潜ったところに入口はある。 2年くらい前に、Maison Martin Margielaの20周年記念展を見たのとおなじスペース。

会場はだいたい4つくらいに分かれていて、最初のコーナーが過去のショーの招待状とかプレス関係の資料をばーっと並べたもの、そこから階段を上がったとこがメインの"The Catwalk"。 30mくらいの結構狭い通路の両脇にマネキンが纏った過去の作品がざーっと(年代はランダム。マネキンの色で年代がわかる)並んでいて、その側の椅子のとこに、xx年、誰それが着用、とか書いてある。入口でもらった小冊子には、もう少し細かいデータがいっぱい(但し画像はなし)。 白と黒と赤、の泣く子も黙るゴージャスな幽霊たち - それを着たひとの名前と一緒にその服が立っていると、まさにそんなふうに見える。(夜になると動きだすの)

The Catwalkが終わったとこでまた階段を下りて、そこに白の怪獣みたいにばーんてひろがってあるのが、Princess Marie-Chantal of GreeceのWedding gownで、これはもう上から見ても、下におりて横からみても正面からみても、パーフェクト! て感嘆するしかなかった。
これまで見たいちばん素敵なWedding DressってV&AでみたVivianのだった気がするがあれを上回ったかも。

最後のコーナーには、リボンとかレースとかドレスのいろんな素材が標本箱みたいのに入ったのと、それと同じ平面上、それらを作っている映像が液晶画面で流れている。

それを抜けたら終わりで、おみあげものコーナーで、バッグとか香水とか売っているのだが、そこにくると雰囲気が途端におばさん臭いかんじになってしまうのが妙におかしかった。

そこを抜けて、夕暮れの橋を渡って向こう岸に渡ったらBFIがあったが、もう見るものなかったので、そのまま地下鉄に乗ってかえった。

3.06.2013

[film] To the Wonder (2012)

米国では4月公開だったはずなのが、英国では2/22公開であることを(地下鉄の看板で)知り、24日の日曜日の晩に見ました。 Terrence Malickの新しいやつ。

この日は土曜日に続いて朝から仕事で、何時に終わるかわかんないまま午後に入って、計画のひとつひとつがめりめりとキャタピラーで潰されていく。 翌月曜日は朝から会社で午後には空港に向かうので、ほんとに最後の最後というのにー。

場所は"For Ellen"を見たCurzon Sohoで、お手洗いに行ったら"Curzon Solo?"ていうイベントのチラシがべたべた貼ってある。 "Male + Female Speed Dating!" - 26日夜、この映画を見た後で男女で語りあおう!ていうお見合い会で、女子分は売り切れ、求む男子! だって。  こんな映画の後でいったいどんなアドヴェンチャーを... 。

男女(Ben AffleckとOlga Kurylenko)がいて、ヨーロッパを渡っていて、モン・サン=ミシェルに着いて、いちゃいちゃしていて潮の干満があって、子供が生まれて、アメリカ(オクラホマ?)に渡って、不仲になって、そんな男女のあれこれあれこれあれこれ、がえんえん続く。 Ben Affleckが土地開発系の仕事をしていて、もうひとり、アメリカのその土地で暗い顔して貧困層をサポートしている牧師(Javier Bardem)が出てくる。 会話は殆どなくて、それぞれのモノローグがぼそぼそと浮かんでは消える。 時系列はあまり考慮されていない。

前作 -"Tree of Life"からの流れでみるのがいちばんわかりやすいかもしれない。
"Tree of Life"のテーマを、すごく乱暴に生命の起源と家族の成り立ち、それをアメリカのここ数十年の歴史にプロットすること、としてしまえるのであれば、今度のは愛と信仰、をベースに置いたバリエーション、ということになる。 前者がツリー状に織られた生命やファミリーの不思議を隕石とか恐竜とかまで動員した絵巻ものとして描こうとした(ように見える)のに比べると、今回のはほんとに良くも悪くも散文的で、それこそタイトルそのままに「びっくりの方へ」てきょとんとするしかない。

それぞれの場面~極端なクローズアップからぐるーっとまわって世界全体を俯瞰するようなカメラ、それが映しだす微妙な表情の揺れ、或いはひとの途方に暮れる後姿、これらは頻繁に登場するイメージだが、これらひとつひとつに何の関連も連係もないし、終盤に撚りあっていくこともない。 殺し合いになるわけでも地獄の逃避行が始まるわけでも悪魔祓いが始まるわけでもない。
むしろ、そういうドラマ、ストーリー的な進行を排除したところで愛や信仰のかたちをどうやって描きだすのか、に注力しているように思える。

愛も信仰も、Treeを形成しないひとりひとりの、個の営みであり表象である、と。 
(その象徴としてのモン・サン=ミシェル、とか)

"Tree of Life"を見て、わけわかんねー、と怒ったひとはあんま見ないほうがよいかもしれない。

でも、Ben Affleckのぼんやり佇む後ろ姿がずっと残るので割と好きかも("Argo"の100倍いい)。
どことなく"Gerry" (2002)みたいに止まらないかんじもある(あれはCasey Affleckだったけど)。 
なんとなく、Terrence Malickは、これからGus Van Sant化(ってなに?)していくのではないか。 

音楽は"Tree of Life"と同様、Hanan Townshendですんばらしいのだが、今回はそれに加えてDaniel Lanoisがサウンド・デザインで参加していて、ところどころものすごく不穏な、すさまじい音が鳴る。 遠雷みたいに。 画面の、終始水に濡れたような美しさはいうまでもなし。

Olga Kurylenkoさんはとてもすてきで、Rachel McAdamsの二の腕は変わらず生々しい。

ここまででLondonで見た映画はおわり。

3.05.2013

[film] The Misfits (1961)

土曜日の晩、"Madame De..." - 『たそがれの女心』に続いて、8:30からBFIで見ました。
USのでけでけパンクバンドのはなし、ではなくて、John Hustonの『荒馬と女』 です。

124分、こんどこそ、ぜったいねる。 と思ったが、しぶとかった。
BFIの一番でっかいスクリーンのとこがほぼいっぱいになっていた。若者も結構いる。いいなー。

水曜日に見た" Suddenly, Last Summer"とおなじMontgomery Clift特集の中の1本だが、自分としては米国の劇作家シリーズ。 Tennessee Williamsにつづいて、Arthur Miller。映画用の脚本も彼で、すんばらしい音楽はAlex North。
この特集だとあと1本、John Hustonの"Freud" (1962)も見たかったのだがー。

話題としてはこの映画のラストで肩を抱きあって夜空の星を眺めていただClark GableとMarilyn Monroeがこの映画を最後にほんとにふたりとも星になられてしまった、というあたり。

タイトルデザイン - 黒白ゴシック太字のフォントと噛みあわないジグソーパズル片 - がすばらし。 Saul Bassかなあと思ったらGeorge Nelsonだった。ふうんー。

離婚したばかりでぐったり傷ついたMarilynが土地(Nevada州のReno)の時代遅れみたいな男達 - Eli Wallach、Clark Gable、Montgomery Clift達と出会って、びくびくしながらも彼らの粗野な魅力とか体臭とかにゆっくりと惹かれて溶かされていく、それだけのお話し。 ただ、必ずしも西部男ばんざい、みたいな内容にはなっていなくて、彼らは彼らで何かから取り残された感覚のまま - Misfitst: 不適応者 - としてあることを十分に自覚していて、それをそのままに放置した苦いかんじは最後まで残る。 あそこにいる全員がそのまま幸せになれるとは思えない - でもいいの。

離婚という、当時の社会通念からするとちょっと外れたところに踏みだしてしまった女と、野にあるものは自分がモノにすれば自分のもの、という意識を疑うことなく生きてきた男はどうやったら一緒になれるのか、そもそも彼の方には「一緒になる」とか「わかりあう」という感覚そのものがないようにも見えて、そこにあるのは荒馬を地面に捻じ伏せる力のみで、それがなにか? で、女はぴーて泣くしかないのか。 という具合に「幸せ」を軽く突き放して砂に塗して、でもそこには善も悪もなくて、パズルのピースが転がっているだけ、という。 

ついさっき見た"Madame De..."の世界とあまりに違う(あたりめーだ)のでくらくらするのだが、男女がえんえん交わることのない輪舞のなかにある、というあたりは案外似ていて、イヤリングのかわりに差し出されるのが野性のお馬、なのかもしれない。

それにしても馬をつかまえるシーンはすごい。昔はみんなああやって捕まえていたんだろうなー。
(カメラはRussell Metty)

アメリカの取り残された人々をノスタルジックに、クラッシーに乾いたトーンで描く、というあたりはBruce Weberの写真の被写体のようにも見える。 しわしわでぜんぜんよいとは思えないClark Gableですら、既に壊滅的にぼろぼろだったというMarilyn(John Hustonの自伝「王になろうとした男」にその様子がある)だって、爽やかなかんじすらするの。

3.04.2013

[film] Madame De … (1953)

23日土曜日の夕方6:30、BFIで見ました。

少し前にも書きましたが、金曜の夕方から始まった某所でのお籠もりが当初予定の午前1時終了を超えて土曜の昼まで行って強制終了 ~ 翌日再開となったので、土日に予定していたあれこれぜんぶ組み直しになってしまった。
へろへろでホテルに戻ったのが12時丁度くらい、シャワー浴びてばったり倒れこんで落ちること約1時間強、2時くらいに杖をついて立ちあがり、Tate Modernに行ってRough Trade Eastに行って、PoppiesでFish & Chips食べて、BFIに着いたのは6時くらい。

もうこんなの、絶対ねる、ねたってしょうがない、だったのに落ちなかった。落ちないもんだねえ。

35mmでリストアされたやつがBFIで2週間くらい上映されてて、昔ぼけぼけので見ただけだった気がするので、見る。 Max Ophülsの『たそがれの女心』。

冒頭のクローゼットで衣装やアクセサリーをあれこれ探すところからもう宝石箱の中にいるみたい、前見た版の10倍くらい明るくて綺麗で、室内の照明とかレースのひだひだとかいちいちその微細な濃淡が美しく、ああこれだけで十分だいつ落ちてもいい、と思ったがずっとこの調子のうっとりが続くので、目を閉じることができなかった。

お金に困った御婦人(Danielle Darrieux)が結婚の記念に夫から貰ったイヤリングを売っちゃって、そのイヤリングが人から人にぐるーっと回っていくのとおなじように、婦人の周囲の人間模様も(なんとなく)逆回りで回転していくの。 誰がよいとかわるいとか、どこの誰のとこで落着するとか愛はどっちに転ぶのか、とかそういうことよりも、舞踏会のダンスとおなじようにいろんなのが物理の法則でくるくる回っていく、その動きの緩やかさ(決して速くないの)、楽しさ美しさを見ていればよい、そういう映画で、そういう愛の顛末を描く、というよりも、愛ていうのはイヤリングが人から人に渡っていくことで、映画のカメラはそれをひたすら追っかけるだけだから、と言っているようなかんじ。

伝説の剣が本来の持ち主の手に戻った時に光り輝いてすさまじい威力を発揮する、そういうどこかのくだんないゲームのように、Danielle Darrieuxのイヤリングには力があって、それがないときの彼女はごくふつーのおねえさん(じゅうぶんきれいだけど)になってしまうのがすごい。 そういう演技のそういう演出なのだろうけど。

IMDbにも書いてあるが、ダンスシークエンスの演出をしたのがJean-Pierre Melvilleってほんとなのかしら(噂、ってある)。 配布されたレジュメには書いてなかったけど。

3.02.2013

[film] For Ellen (2012)

修羅場目前の21日木曜日の21時くらいに見ました。
どうやって抜け出したのか、すでにあまり憶えていない。思いだしたくない。

場所はCurzon Soho ていうアート系のシネコンで、シアターは地下2階に3つ、地下1階にソファとかがあって、3/1公開の"Stoker"(Mia Wasikowska vs. Nicole Kidman。 はやくみたい)の宣伝用の看板がでかでかと置いてあってたのしい。 どのシアターも音はTHX certifiedでなかなかよいし。

この映画は去年、Film Forumでやってて、見たかったのだが叶わず、Londonに来てようやく。でもこっちでも既に1日2回上映くらい。 この回も5人くらいしか入ってない..

Paul Danoが主演で、製作にも関わっている。
彼はぎすぎすやつれたロック・ミュージシャン(外見だけだと少し前のシアトル系)で凍てつく冬の道路を車でずっと走って妻との離婚調停に向かうとこで、バンドのお仕事もうまくいっていないようで、ついてねーやってらんねーオーラを全身で発している。

離婚担当の弁護士がややマザコンのJon Hederで、こんな弁護士じゃ勝てるわけもないのでさらにぐだぐだに荒れていく。
で、彼の唯一の希望はもう目も合わせてくれず復縁の見込みもまったくない妻、ではなくて娘のEllenのほうで、ずっと会っていなかった彼女に一目惚れしてしまった彼は、彼女に生きる希望の光を見いだして、一日彼女を連れ出していい日になると、どっかの雑誌から切り抜いたパパのための娘アテンドマニュアルみたいのを握りしめてめちゃくちゃ張り切る … けどあまり当たらない。「アイスクリームきらい」って言われちゃうし。 要は彼女は彼をパパとして認知していないの。「だってずっと家にいなかったし」

でも、なんとしても諦めきれなくて、お別れしたあと、彼女がひとりでいる部屋に窓から入りこんで対面でお話しするシーンがとってもいい。 Paul Danoが出てくる映画って、変によれたテンション(テンションのタイプでいうと、今回のは"There Will Be Blood"に近いかも)のが多くてあまり泣けるとこがないのが普通のような気がするが、これは珍しく泣けるやつかも。

タイトルの"For Ellen"は、ベートーベンの"Für Elise" -「エリーゼのために」から来ているの。

ロック・ミュージシャンが出てくる映画なのにロックはそんなに流れてこない。
唯一あるのが、弁護士とふたりでゲーセンに行った彼が、Whitesnakeの"Still of the Night"にのって変な痙攣ダンスをするとこ。 でもそれをじっと見つめるJon Hederの目ははっきりと、オレのがもっと、オレだったらもっと … て言っている。

それからラスト、冬の凍りつく大地にド演歌のような力強さで吹いてくるThe Nationalの"Sorrow"。このバンド、ほんとにいいなあなんでこんなに滲みるかなあ、ってしみじみする。

あ、最後のほうで現在の彼女役でJena Maloneがちょこっと出てくる。
なんだちゃんと彼女いるじゃん、とかおもうの。

3.01.2013

[film] Suddenly, Last Summer (1959)

20日の水曜日の8:30、BFIで見ました。  BFIはやっぱし避けて通れない。

今やっているMontgomery Clift特集からの1本。『去年の夏 突然に』。

上映前にかかったPasoliniの"The Gospel According to Matthew"の予告がぞくぞくするくらいかっこいい。
↓ここで見れます。

http://www.bfi.org.uk/pier-paolo-pasolini

原作は Tennessee Williamsで、映画用の脚本も Tennessee WilliamsとGore Vidalが書いていて、要は Tennessee Williamsの映画。 でもこれは、Joseph L. Mankiewiczの映画でもあるの。  

州の精神病院で、お金持ちの婦人(Katharine Hepburn)が、頭のおかしくなった姪を黙らせたいのでロボトミー手術を施してほしい、と言ってくる。Montgomery Cliftの脳外科医はやや不審に思いつつ(だっておかしいのはどう見てもKatharineのほうだし)、姪(Elizabeth Taylor)のとこに言って話を聞いてみると彼女はそんなに変というわけでもなくて、ただ彼女ら二人とも、去年の夏突然に起こったある事件のとこでつっかえて拘っていて、それが婦人の息子の死に関係しているらしいことを知る。

全体のトーンは患者との間の謎解きを中心としたミステリーに近いのだが、部屋から部屋への移動とか、天井から椅子に座ってぐーんて降りてくるKatharine Hepburnとか、いろんな患者さんのゆらーんとした動きとか、映画的なおもしろさと緊張感に溢れていて、すばらしくおもしろかった。

そしてなんといっても去年の夏の出来事のフラッシュバックと、その瞬間をつんざくElizabeth Taylorの絶叫のすさまじいこと。
去年の夏、突然、わんわん鳴り続ける太鼓の音、まっしろの陽射し、これらすべてをふっとばして現在に垂直に楔を打ちこむ、強力な下剤のような、そんな強い強い叫び。 なにがどうなったらこの叫びをぶちまけるところまでいくのか?

3人の大俳優の演技の激突を期待しても、Montgomery Cliftは自身が患者さんみたいにぼんやりしているし、Katharine Hepburnは明らかに行き場を失って困っているかんじで、やはりElizabeth Taylorがすごくて、なんという女優さんなんだ、と今更ながらおもった。


そしてそういえば去年の夏、なにをしていたのかを殆ど思い出せない自分に絶叫したくなるのだった。

[theater] The Judas Kiss - Feb.19

19日、火曜日の晩、West EndのThe Duke of York's Theatreで見ました。 メタリカの同名曲とは関係ない。 たぶん。

こういう出張の場合、だいたい火曜日くらいに一番眠くてたまんなくなって、だから早く帰るか仲良しで飲みにいくかになることが多くて、実際そうなってくれたので、では帰って寝ます、といってホテルに戻りランドセルを...(以下略)。

7:30始まりで、売り切れで入れなかったらこの近所の映画館で"The Sessions"を見ようと思っていたのだが、劇場探しに時間がかかって、窓口に着いたら7:32くらいで、席はLimited Viewのしかなくて、もう始まっているから中に入れるのは7分後になるけどいい? と言われた。 とりあえずいい。

£15の席で、3階くらいの右てっぺん近く、左前方にぐーっと前かがみにならないと舞台中央は見えなくて、更にそれでも右側は切れて見えない、という位置で、その前傾姿勢でずーっとじりじり進んでいく会話劇につきあっていくのはきついので、途中からOscar Wilde =  Rupert Everettの動きと喋りだけを追っていくことにした。

David Hareの全2幕の戯曲で、1幕目がsodomiteの罪で裁判にかけられることが決まっているOscar Wildeの滞在するホテルにお稚児さんだったLord Alfred Douglas -"Bosie" - ぴちぴち - が、逮捕されるに決まっているから国外に逃げて、と諭しにくる場面で、2幕は刑務所から出てきてげっそり萎れたOscar WildeとBosie - きらきら - がナポリのホテルで再会して... という場面で、1幕と2幕でWildeの立場・形勢がひっくり返ってなかなかせつないの。 それでも恋せよ男子、みたいなかんじ。

初演は98年、このときのWilde役はLiam Neesonで、こっちよりはRupert EverettさんのがOscar Wildeにはふさわしいように思うのだがどうか。
ただ、この舞台での彼は、"Another Country" (1984) の頃の、Another Countryとしか言いようのなかった美青年のかんじはあまりなくて、そのなれの果てのどっしりもっさりとした重さがあり、その(罪の?)重さ故のしんどさを体現していて、たしかに晩年のOscar Wildeぽくて、彼が小さく横たわって宙を睨むラストが滲みるの。 でもそれは彼の正しさを損なうものではぜんぜんなくて。













月曜日の晩で書き忘れたが、ライブから戻ってTVをつけてチャンネルをまわして(とは言わないねもう)いたら、Adam Sandlerの映画らしいのをやっていて、なんだろ?と思ってそのまま見てたら、Seth RogenとJonah Hill、さらにJason Schwartzmanまで現れたので、あ、これはJudd Apatowの"Funny People" (2009) だ! と気づき、眠いのに眠れなくなる。けどCMが長いし、本編も長いし(153分)うとうとしながら2:00amくらいまで掛けて最後までいく。 ひとを笑わせるのが商売のコメディアンがぜんぜん笑えない事態(重病 - 余命あとすこし)に陥ったらどうするか、どうなるか、ていうバックステージもので、大スターのコメディアンがAdam Sandler、彼を世話するあんま売れないコメディアンがSeth Rogenで、これまでのように笑えるところはそんなにない。本人役で出てくるゲストいろいろがすごくて(Eminemとか)、実娘ふたりも出ていて、はっきりと地続きのドラマで、おそらく決意表明のようなものとしてこれを作ったのではないかと。 
あと、スタジオでセッションすることでJon Brionさんとかが出ていた。 
あと、陰影が美しいのでだれかと思ったカメラは、Janusz Kaminskiだった。

で、火曜日の晩は、ホテルに戻って、こんどこそ、と0時くらいに寝ようとしたらBBC Oneで"The Breakfast Club"が始まってしまい、なんてこったい、て暫く見ていたのだが諦めておちた。