12.31.2011

[log] いろいろ - Dec.31, 2011

いろいろたまってしまったので、まとめて一挙に書いてしまえ。

12/11(日)"ICE" (1970)

ロンドンに発つ前の晩に。
日仏の特集『鉛の時代 映画のテロリズム』から1本くらいは見ておきたい、と。
いちテロ組織の活動をドキュメンタリー風に追っていくようでありながら、はっきりとフィクションであること、その際が浮かびあがるような作り。 
これを経て次の"Milestones" (1975)に行ったのだなあ、と。

12/18 (日) "HUGO 3D" (2011) 

ロンドン最後の日曜日にみた最後の。
わかりやすいし画面はきれいだし、Scorseseの最近の作品のなかでは、ぜんぜんよいとおもう。
けど、シネフィルの人たちが、泣いた!とか大絶賛するほどのもんでもないような。
『帝都物語』みたいに圧倒的な悪役とか魑魅魍魎とかいたほうがよかったのかも、とか。
どうでもいいけど、主演の男の子がJeff Tweedyそっくりでさあ。

12/23 (金) "Black Magic" (1949) 『黒魔術』

帰国した翌日、シネマヴェーラの特集『映画史上の名作6』から。
オープニングがかっこいいの。カリオストロ侯爵の復讐潭を軸にマリー・アントワネット期のフランス王室の陰謀、催眠師メスマーとの確執などなどが絡んで、お話を締めるのはA・デュマという。
なんでこんなおもしれえのが未公開のまま60年、だったわけ?
IMDBにはDouglas Sirkが監督する予定だったとかあるけど、そしたらどんなんだったかなあ。

12/23 (金) "Nothing Sacred" (1937) 『無責任時代』

『牛泥棒』(1943) のWilliam A. Wellmanによるスクリューボールコメディだって。
こんなのも未公開だったの。
NYのタブロイド紙の記者が特ダネ狙いで田舎のラジウム中毒で死にそうな娘を拾ってきて悲劇のヒロインに仕立てあげてNYじゅう大騒ぎになるのだが、実は飲んだくれ獣医の誤診で中毒でもなんでもなかった、さてどうする、と。
とにかくCarole Lombardがぱきぱき素敵でさあ。終盤のビンタで漫画みたいにひっくり返るとことか最高。
もうちょっとちゃんとしたカラーで見たかったなあ。

12/24 (土) "A Night at the Opera" (1935) 『マルクス兄弟オペラは踊る』

おもしろかったねえ。なんも考えてなくても、動きを目で追っているだけでいくらでも笑っていられる。
詰め込み船室のとこもおもしろいけど、やっぱしラストのオペラハウスの大騒ぎだねえ。
あの、緞帳を垂直にざざーっと這いあがるとことか、信じらんない。
オペラの描写もメインのふたりのとこだけはちゃんとしてるし。
あの会場って、先代のMetropolitan Operahouseなのかなあ。

28日は会社休んで、2本見ました。

12/28 (水) "Mission: Impossible - Ghost Protocol" (2011)

六本木で見ました。おもしろかった。
ほとんどのアクションのとっかかりがサーバーに直接触んないといけないから、ていうのがおもしろいよね。 サーバー=(昔の)金庫、なのね。
でも、サーバールームて地上130階とかには作んないし、どのサーバーのどのポートに差せばいいかなんてそんな簡単にわかんねえよね、ふつう、とか。
でもいいの。 なんかおかしいし。みんな目つりあげて一生懸命走り回ってるし。
最後のあれもあれだけど、ぎりぎりで無効化されたあれがサンフランシスコのあそこにがん、てぶつかって落ちるとこがよかった。 でも、元がぼろいもんだからぶつかったショックで電源入っちゃってどっかーん、とか、だれでも思うよね。
Jeremy Rennerが狂犬じゃないふうで出てていかった。 おれの前職はなあ... って爆弾処理とかやってくれたらもっと面白かったのに。
Léa Seydouxさんもすてきだったねえ。

12/28 (水) "El Bulli: Cooking in Progress" (2011)

閉店によってその秘密(てほどのもんでもないか)が永遠に封印されてしまった(かに見える)El Bulliの1年を追ったドキュメンタリー。
1年の半分でメニューの開発して、残りの半分でお店やってる。
Ferran Adriàは確かに料理のありようを変えた。
料理の要素をサイエンスとデータベースとプレゼンテーションに分解した。
そいで、「おいしい」という食体験をその角度から実験したり検証すること、それができる、ということを世に知らしめた。
楽器ができなくても、ライブの経験がなくてもデスクトップ上で音楽は作れる、それと同じような状況を作り出したのだと思う。
それを具体的にどうやっているのか、を静かな画面構成で追っていったのがこの作品。
Ferran Adriàが料理を作るシーンはなくて、実際につくるのは弟子たちで、彼は延々試食して、だめ出しをしたりするだけ。 
目がぜんぜん笑わないの。「俺にまずいものを食わせるんじゃねえ」って。
あと、火を使うシーンもほとんどなかったかも。
たぶん、使われなかったとこに秘密のほとんどはあるんだろうな、ということがわかる構成だったかも。 ま、店がなくなっちゃった今となってはどうでもよいことなのだが。

12/29 (木) "At War with the Army" (1950) 『底抜け右向け!左』

すっとぼけぼんくらキャラのジェリー・ルイスとねちねちすけべやろうのディーン・マーティンコンビによる軍隊もの。 でも戦場のはなしではなくて、事務所みたいなとこで延々しょうもないことをやったり痴話喧嘩みたいのをやってるだけなの。
でも、音楽になると楽しくてうっとり。 いいよねえ。

これの後で、新宿Pit Innに向かって大友良英 + Jim O'Rourke DUO を聴いた。
なんか締めのライブ行きたいなーと思って。

後ろのほうだったのであんま見えなかったのだが、Jimのプリペアドピアノと大友さんの鉄琴とか、全体としてはとても静かな、除夜の鐘のようにじんわりと染みてくるノイズだった。
アンコールでやった、ピアノとギターのシンプルなのも素敵だった。

これで今年のライブはおわり。
この後、晩から渋谷に戻って。

12/29 (木) "サウダーヂ" (2011)

後でちゃんと書きますわ。 すんばらしい音楽映画だった。

12/30 (金) "One Hour with You" (1932) 『君とひととき』

結婚3年目の仲良し夫婦の、妻の親友が夫に、その親友の夫が妻に、それぞれアタックをかけて、さてどうなるでせう、というお話。 主題歌がすんごーく素敵なのだが、そんなのはともかく、ルビッチのエロが全開ですげえ。 でも画面上はぜんぜんそんなんではないので、それをすけべと感じるあなたがすけべなのです、という罠がびっちり張られててどうすることもできない。
揺るぎない楽観すけべ主義の炎。 すごいわよ。

12/30 (金) "New Year's Eve" (2011)

六本木で見ました。年またいだら見る気しなくなるだろうし。
NYでもLondonでもレビューは最低だったから、それなりに覚悟はしていて、そのせいかそんなにひどくもないような気がした。
最後に結ばれるカップルのオンナのほうがあれじゃなかったら、ほんもんの市長が出なかったら、もうちょっとましなもんになっていたと思う。

だいたいさー、大晦日の玉落としなんて、あんなの田舎もんしか行かないよ。
に始まって、つっこみどころ満載なんですけど。

Michelle Pfeifferはたしかにイタいけど、他に適当なひといっぱいいたじゃろー、とか。
(Juliette Binocheでよかったじゃん、べつに)
Lea Micheleのメイク、はりきってがんばったのだろうが、もうちょっとなんとか、とか。

Michelle Pfeifferの勤務先は14th stって言ってたけど、あの場所は40thのPark Aveだよ。
あと、ふたりが約束してた54thのあたりなんて、なんもないよ。

Radio City Music Hallの看板に、1/29にあったIron & Wineのライブ告知がそのまま出てるの。

そしてどこまでも差別されるスタテン ...

12/31 (土) 幕末太陽傳 (1957) デジタル修復版

今年の締め映画はこれでした。
何回見てもすんばらし。 気のせいかも知れないが画面全体が明るくなって廊下の向こう、さらにその先の海の向こうまで、ずうーっと見事に見渡せて、風通しがよくなった気がした。
その遠くの、向こう側(あめりか)に、俺はまだまだ生きるんでぃ! てさーっと走って行ってしまう佐平次のかっこいいこと。 見習いたい。

そしてしゃべりとアクションが止まんなくてすごい。そのすごさが遊郭の人たちと佐平次にはあって、幕末の志士たちには見事にない。だから明治以降の日本はだめになっていったのね、とか。

それにしても、この映画に出てくる猫とネズミはなんなの? ていつも気になってしょうがない。
飼ってるの? そのへんに勝手にいるの?


というわけでよいお年を!
年が明けたら2011ベストでも書いてみよっと。

12.25.2011

[log] Dec.25, 2011

21日の夕方、HeathrowのラウンジでPCの蓋をぱたんと閉めたあとで、はんぱない寒気と吐気とぐるぐるに見舞われ、こりはたんなる車酔い人酔いとはちがうあれだ、とぼーんとしたあたまで思い至ったもののどうすることもできず、しょうがないのでTonic Waterの小さい缶3つとカモミールをちゃんぽんにして飲みながらとにかくひどくならないようにするしかないと目をつむってて、そうして飛行機に乗りこんだら両脇が例によって赤ん坊連れで固められてて、そういえばこないだ米国から帰るときもそうだったなんだろうこれも罰ゲームかなんかか、でもクリスマスだしきっと天使さまかなんかなんだと思いこむことにして、とりあえず離陸した。

機内食もぜんぜん食べれる状態ではなかったので、お姉さんに和食の小鉢セットだけくらさい眠たいのですとお願いして、それまでの間に、何度目かの"Crazy, Stupid, Love."を見て、最後のほうのキュートなJessicaの後ろ姿を見てからプログラムをaudioのクラシックに切り替えて、リストとしか思えないピアノがばりばりうるさかったがそれでも即座に落っこちて、気がついたらほとんど日本だった。

おうち戻ってからもげろげろは続いて、深夜0時に電話会議で起きた以外はずーっと寝てた。
電話会議で知ったのだが、6時間早いタイミングで帰国した米国側もまったく同じ症状でげろんげろんなのだった。 げんいんはあれかあれかあれか、とか話し合ってみたが、そんなのすでにどうでもええわ、なのだった。

次に気がついたのは23日のお昼で、少し食べてからまた落ちて、でも3時すぎにむっくり起きあがって支度して、ゾンビ状態でシネマヴェーラに向かって「黒魔術」(1949)と「無責任時代」(1937)を見た。 なんであんなに混んでいたのかしらん。 どうやって席を確保したのかも覚えてないや。

24日のイヴもよれよれのまま、シネマヴェーラで「マルクス兄弟オペラは踊る」(1935)を見て、その前、イヴにこんなの見にくるやつにサンタさんが来てくれるわけないからセルフで、と英国で買うのをやめといた"Quadrophenia"の豪華箱を買って、今年の散財はおわり、もうぜったいおわりだから、ということにした。 たぶん。

25日はちゃんと活動しよう、せめてMI4見るとか、ルビッチ見る(変わんないじゃん)とか、代官山のゴジラとか、と思ったのだが、昼間にちょっと横になってさっき気がついたら外はまっくら闇のなか、なのだった…  もうぜんぜんだめ。

みなさまよいクリスマスを。 
もう過ごしちゃったひとも。これからのひとも。

 

12.21.2011

[log] Dec.21, 2011

Heathrowまできました。

あんま寝ていなかったせいか、パディントンまでのタクシーでげろげろになった。
まだきもちわるくて倒れそうなきがする。
(ならPCであそんでるんじゃねえよ)

今回は、予定通りに帰国できる。 すばらしい。
来週からみんな休暇に入ってしまうから、というだけなんだけど。

英国から日本に帰るのって、久々か、ひょっとしたら初めてではないか。
いっつもアメリカに渡ってばかりだったし。
だから、いつものTerminal5じゃなくて、Terminal3で、でもあまりにごちゃごちゃで更に気分悪くなってきたので、買い物はとっととあきらめた。

今回、映画6本しか見れなかった。
やっぱし土地勘がないので動きにくい。 あと夜が早くて9時過ぎたらもうだめなかんじなの。
これじゃだめよね。

日本に帰ったら連休らしい。
もう、とにかく寝る。ぜったい寝る。いっぱい寝る。

おやすみなさい。

[film] Margaret (2011)

18日の日曜日の午後、Harrods行ったあと、Odeon系のインディペンデントのシネコンみたいなとこでみました。
Time Out LondonのBest of 2011 Filmに結構入っていたので、見てみようかと。

マンハッタンの西の上のほう(84thあたり? そんなに高級でもないエリア)に母と弟と3人で暮らす高校生のLisa(Anna Paquin)は、割とふつうにいる少しだけ不良の生意気な娘さんで、ある日バスの運転手にちょっかいだしたら、その運転手は赤信号をスルーして、結果中年の婦人を轢いてしまう。
Lisaは血まみれになりながら婦人を救おうとしたのだが、彼女はそのまま亡くなってしまい、警察の事情聴取には、自分のせいで運転手がミスをした、ということを言えないまま、婦人の信号無視というかたちでケースはクローズしてしまう。

もやもやを抱えつつ高校生活に戻るのだが、なにやってもどこいっても衝突してばかりでうまくいかない。
オフブロードウェイで女優をやっている母は、彼女を慕うコロンビアの起業家(Jean Reno... あやしー)とつきあったりで忙しいし、バージンなんていらねえ、と穏やか系不良のKieran Culkin(Igby...)に頼んでみたりするが、これもうまくいかない(しっかりしろIgby!)。

どんどん荒れて、相談相手もいないまま追い詰められていった彼女は、亡くなった婦人の家族とかその友達に会ったり、いろんなひとに相談した結果、自分の証言した内容を変えて、正直に事の経緯を明らかにして、裁判に持ちこもうとするのだが、それもまた・・・

彼女の学園生活、というよりも親や事件をきっかけに知り合った大人たちとの間でじたばたしまくって、友達もみんないなくなって、とっても痛くて哀しいLisaの姿がマンハッタンの昼のざわざわ、夜のしんとした冷たさのなかで丁寧に描かれる。 ここには希望も救いもない。わるいけど。

いろんなひとがいっぱいいるマンハッタンの、そこで生活するいろんな大人たちとの間でDisconnectされたまま、イライラを募らせていく彼女のことを理解できる、とはいうまい。 ただ、あそこの大人たち、例えば裁判所とかMTA(交通局)とかがどういうロジックで動くのかとか、動かないのかとか、そういう話はとってもよくわかる。 だからそこを経由したうえでの彼女の苛立ち、というのは、わかんないでもない。

それにしても、Anna Paquinのテンションはすさまじい。 役作りとかをすっとばして、そのままそういうひとみたいに見える。 ぼくはどこかできみのことを知っている。

彼女が相談を持ちかける気弱な数学の教師にMatt Damon。 彼女にさみしいのよ、とか言われてつい淫行してしまったり。
それから、ちょっとぼんくらでみんなにからかわれる国語の教師にMatthew Broderick (しっかりしろFerris!) とか、なにげに豪華だったりする。

撮影は2007年に終わっていたのに編集に時間かけすぎて訴訟おこされて、最終的にMartin ScorseseとThelma Schoonmaker組が編集して仕上げてここまでもってきた、と。 150分。 そんなに長いかんじはしなかった。

主人公の名前はLisaなのになんで、"Margaret"なのかというと、英国の詩人Gerard Manley Hopkins (1844 - 1889)の詩:"Spring and Fall: to a young child" から来ているそう。 この詩が国語の授業で読まれるシーンがあるの。

いらいらしたり嘆いたり、上がったり下がったり大変だねえMargaret---, みたいなやつ。

この詩、Natalie Merchantさんの曲にそのままなったりもしているので、それなりにスタンダードなのかしら。

あと、母と娘のお話、ということでいうと、"Black Swan"のバレエ抜き版、みたいなかんじもあったかも。  あそこでも、アッパーウェストの古いアパート暮らしの母娘の関係と、それがなんとなく崩れていく様が描かれていた。

学園ものというよりも、女性映画というよりも、New Yorkの映画、かなあ。
あの独特の冷たくて、とりつくしまもないかんじが。 それがちゃんと描けているのってなかなかないとおもう。

だからOccupy Wall Steetは、こういう場所から、起こるべくして起こった、ともいえるのよ。

[art] Gerhard Richter: Panorama

18日の日曜日のおはなし。
土曜日の晩、Judyの歌にぐすぐす涙していた頃、わらわらと着信が入っていたので半分出社を覚悟していたのだが、結局なんもなかった。

もういっこのMustだった展覧会がこれ。
Tate ModernでのGerhard Richterのレトロスペクティヴ。 
レトロスペクティブを「パノラマ」、としてしまうとこがいかにも。

Gerhard Richterについては、これまでずっと「保留」扱いにしてきた。
アート系の書店や洋書屋に行けばいくらでも作品集があるし、追っかけることは容易なのだろうが、じっくり直接見る機会ができるまでは、あんまし考えないでおこう、と。 
それくらい多様で多彩で、果てがないように見えたの。

60年代の初期のPhoto Paintingから入って、ふたつめくらいの部屋にデュシャンの「階段」と「大ガラス」を参照した作品があって、あーそういうことなのかも、と。

網膜に投影されて像をむすぶ絵画、具象、抽象、かたち、色、そして人、ランドスケープ、世界。
この時点でこれらは全て等価で、透過で、ではそれらがアート作品として知覚され美的体験みたいなところに届くまでになにが必要となるのか、どういうプロセスをたどるのか。

我々の知覚にとって美とはいったいなんでありうるのか。 絵画やオブジェはそこでどういう役割を担ってきたのか、担うべきなのか。
彼のアートはつねにここに立ち返る、というか、彼のアートはそのプロセスを検証し、括弧付きで「体験」するための道具、医療器具みたいなものとして「機能」し知覚にダイレクトに「作用」しようとしているかに見える。 だまし絵とか気づきなんかとは全く別のかたちで。

デュシャンが宙吊りにしてひっくり返した近代における「美」の様相を、「パブリック」という概念を軸に/梃子に展開していったのが50年代以降のアートだったとすると(超おおざっぱ)、Gerhard Richterの取り組みは、それすらも包含した、あらゆる対概念(抽象/具象、パブリック/プライベート、偶然/必然、写真/絵画、ガラスの向こう側/こちら側、等々)を取りこんで並列に置いて入れ子の刺し子になっただんだらでぼやぼやの世界を拡げてみせることだったのではないか。 パノラマ。

そういうかたちでしか、そういう機能や作用をもたらすアートとのインターアクションを通してしか、現代における「美」は知覚されえないのではないか、というちょっとしたひっかかりと、それでもなんで、ひとは美しさ、みたいなものを求めていくのか、ゴミとかクズとかではなく、という問いの隙間に彼のいろんなかたちをした作品群はあって、それらは通常、ぼくらなーんも知らないもん、という顔をしてそこに置かれている。

難解で、やかましくて、人目をひいて、過剰で、そういう形でしかそのありようを伝えることができない現代の「アート」と、ジャンクだのゴミだのクソだの、いろんな恐怖や脅威にまみれている「現実」「リアリティ」と、そういうなかで、彼の作品やオブジェは圧倒的に寡黙でプレーンで、そこにあるだけで。 しかしそれがなにか、ふつーの美術作品とは異なる位相にある、どこか違う像を目の表面に映してくれることがわかるのだった。

要はたんじゅんに、美しい、と思ってしまったのだった。 よいのかわるいのかわからんが。

会場をずうっとなめていくと、ものすごくいろんなバリエーションの作品がたっぶりあって飽きない。 
あとどれを見ても新鮮さと瑞々しさ、みたいのがずっと残るの。 
そして、どれもかっこよくて痺れる。
かんたんにいうとそんなとこ。

もう80歳なのね。 ぜんぜんそう思ってなかったけど。
やっぱしカタログ買ってしまう。 やけくそでハードカバーのほうを。

Tateを出て、せっかくだから買い物でも、とHarrodsに行ったのだが、めちゃくちゃな人混みで、びっくりして出てきた。 それにしてもあのデパート、なんであんなわけわかんない構造なの。

さっきまでの美術館のなかの光景と、これらは、それでも繋がっているのかいないのか-

昨晩とおなじく、BBC2でFritz Langの"Secret Beyond the Door…" (1947)なんかやってる。
すごすぎるー。
だからやめてってゆってるのに。 これから詰めものしないといけないのに…

12.20.2011

[film] Meet Me in St. Louis (1944)

ホテルに荷物をおろしてから再び外に出てBFI(British Film Institute)に向かう。

いまBFIでやっている特集はMGMのミュージカル特集、他には、なぜかソクーロフなんかもやってる。

MGMの特集から"Meet Me in St.Louise"と"Kiss Me Kate"(3D)を見る。
"Kiss Me Kate"は、ぜんぶで6回上映があるのだが、自分のとった8:40の以外はぜんぶ売り切れていた。
あと、BFIでは、"It's a Wonderful Life"(1946) もやっているのだが、これもSold Outしていた。

こういうとこ、欧米っていいなあ、とおもう。(New YorkとLondonだけかもだけど)
クリスマスには"It's a Wonderful Life"とか"Miracle on 34th St."を家族とか好きなひとと一緒に見るっていうのが年中行事みたいになっているとこが。
どっちもすんごーくよい映画、ではないかもしれないが(でも少なくとも悪い映画ではないよ)、みんなで代々、同じ季節に同じ画面を見て、同じように泣いたり笑ったりするのって、家族にとっても映画にとってもよいことよね。

"... St.Louise"がはじまるまでの約20分でBFI内の本屋をあさる。 
John Watersせんせいのサイン本があったので買った。

なんか食べものを入れないといけなかったので、そこらにいっぱい出てた屋台で、ヌガーを一枚買ってしまう。 なんでよりによってヌガーなのか、他にいっぱいあったろう? とあとで思ったのだが、よくわからない。しょうがない。
とってもおいしかった。 トスカーナの、って言ってたけどほんとうだろうか。

さて、"Meet Me in St.Louise"。
DVDも持ってるし、何回も見ているのだが、何回見たっていいにきまってる。

前回見たのはたしかFilm Forumで、とってもきれいなプリントだったが、今回のはあれを上回る。 
フィルムを水に浸したのではないか、と思われるくらい瑞々しくて鮮やかな色。
絵本の1ページにぐぐぅーって寄っていくとそこに映画の世界が広がっていくのだが、その先もまたひとつの絵本のように楽しくて、美しいの。 絵本でなにがわるいのか。

家族の四季、四季ごとの家族が描かれるし、邦題は『若草の頃』だったりするのだが、これの冬の巻は、ここんとこだけで最高のクリスマス映画だとおもう。

JudyがTootieにしんみりと歌う"Have Yourself a Merry Little Christmas"は、何回見たってTootieと同じように泣いてしまう。
で、胸と頭がいっぱいになってパニックおこしたTootieがびーびー泣きながら庭に飛びだして、雪だるまをぼこぼこに虐殺するとこで同じように胸がいっぱいになってつい周囲に雪だるまを探したくなる。(あったためしがない) 

きっとVincente Minnelliも、Judyの歌を聴いて同様に錯乱しちゃったんだとおもう。

しかし、こんなに泣けて泣けて狂おしいシーンなのに、これをげらげら笑いながら見る英国人とかいるんだよ。 ありえないよ。 パブでビールばっかし飲んでるとあんなふうになっちゃうんだねえ。 かわいそうに。

終わって、シアターの1から3に移動して"Kiss Me Kate"(1953) の3Dを見る。
3D版て、前Film Forumでやっていたのであるのは知っていたのだが、見るのははじめて。
入口で配ってた3Dのグラスが昔のElton Johnがやってたおもちゃみたいなやつで、なんかおかしい。

前座でBugs Bunnyのアニメーション -これも3D- が流れる。"Lumber Jack-Rabbit"ていうの。いいねえ。

で、"Kiss Me Kate"は、最初のMGMのライオンが飛びだしてくるの。 それだけでいいかんじ。

俳優さんはそんなぱっとしないし、歌がべらぼうにうまいわけでもないし、踊りもまた同様、ストーリーも、わざわざシェイクスピアに絡ませるほどでもなかろうに、程度で、でも、Cole Porterの音楽がよいので、それだけでいくらでも見て聴いていられる、しかも3D、そんなやつです。

それくらいで丁度いいのかも。 なんどもなんども見るには。

3Dは、最近のと比較してもぜんぜんしょぼくなかった。 技術的にこの頃のと今のって、どれくらい違うのだろうか、とか。


BBC2でFritz Langの"The Big Heat" (1953)がはじまってしまったよう。 
ねないといけないのにー。

[art] Leonardo da Vinci: Painter at the Court of Milan

17日土曜日のおはなし。
渡英前から、これだけは、映画いっぽんも見れなくても、これだけはなんとしても、だったのがこれ。
前売りは全日分既にSold Out。 チケットを取るにはその日の朝行って並ぶしかない。

8時半少し前に出たのだが地下鉄 (Jubilie…)が途中止まったりしやがって、着いたら9時を回っていた。National Galleryの前には誰もいなかったので、いないじゃん、と思ってのんきに写真撮ったりして遊んでて、でも背筋になんかやな予感が、と思ってちょっと離れたところをのぞいてみたら、そこにはぐちゃーっとありえない人溜まりが。 

もう並ぶしかないので並んだのだが、とにかく寒いし(マフラーも手袋もわすれた)、雨降ってくるし、泣きそうだった。 英国だから、ということでiPodでThe Smithをずっと流していたのだが、"Hatful of Hollow"を過ぎて"Meat is Murder"まで来たところであまりの寒さにコンクリにあたまぶつけて死にたくなってきたので、T-Rexとかに変えてぴょんぴょん跳ねて暖をとる。

列が動き始めたのが開館時間の10時、チケットを買えたのがようやく11時15分くらい。
その時点で取れた入場時間帯は1:30 - 2:00。 £16。 取れただけでじょうとう。

1:30迄隙間があいたので、隣のNational Portrait Galleryで展示をいくつか見る。
"The First Actresses"ていう英国の18世紀の女優さんたちの肖像画特集と、"Photographic Portrait Prize 2011"ていう2011年の肖像写真大賞受賞作品の展示。 なかなかよい写真がいっぱい。

http://www.npg.org.uk:8080/photoprize/site11/index.php

それから、National Galleryのカフェ、National Cafeっていうとこ(イタリアン)で、da Vinci展記念メニューみたいのをやってて、ついでだし、と食べた。(ミネストローネとサフランリゾット、ぜんぜんおいしい)

1:30に行ったらすんなり入れた。中は、普通の展示よりは混んでいたが、日本みたいに柵があるわけでもないし団子の列でべったり行進していくわけでもない。(あれ、変だよねえ)
とりあえずちっちゃい素描はほぼすっとぱして(後でカタログで見る)、でっかいやつだけ流していく。

da Vinciがミラノ公に仕えていた80'sから90's(あ、15世紀のね)の頃にフォーカスした展覧会。
画家としていちばんばりばりにキメてた時代のやつら、なの。 すごいの。

展示場である地下の部屋はぜんぶで6つ。
最初の部屋で脳の毛細血管がぷちぷち音を出しはじめて、ふたつめの部屋で鼻血だして卒倒しそうになり、鼻血も涎もいくらでも出ていい、失禁したっていいから目だけは最後まで生かしておいておねがい、とそこらじゅうに掛かっているマリアさまイエスさま達に手当たり次第お祈りしつつ、なんとか最後までいく。

昨年のBritish Museumでのルネサンスの素描展もすごかったがあれよか遥かに上を行く。
今年のアート関係の、たぶんベスト。 とんでもねえ。

"Portrait of Cecilia Gallerani (The Lady with an Ermine)"の白テンの毛皮のふさふさ、未完の"Saint Jerome"(ヴァチカンにあるやつ)の頭から首にかけての線のぎりぎり感、"The Virgin of the Rocks"のセカンドバージョンのほうの、天使のけつに食いこんだレースのひだひだ、"Christ as Salvator Mundi"の右手の完璧なフォルムと、宇宙がつまった水晶、その重みを支える左手の柔らかさ、などなど。

ルーブルにある"The Virgin of the Rocks"の最初のがあって、くるって振り返ると、セカンドバージョン(これはもともとNational Galleryにある)がそこにいるの。 前を見ても聖母、後ろを見ても聖母。 ありがたやありがたや。 

この先、どんだけデジタルアーカイブがあれこれどんだけ極めていったところで、今回のここで網膜から脳神経を走っていった電撃とアドレナリン嵐は逆立ちしたって再生できないね、て断言しよう。
モダンアートなんてくそくらえ、とかそういうことも思った。 
絵が、アートが、頭んなかに捩じこんでくる強さが、もうぜんぜんちがう。

別館地下のメインの展示コーナーのほかに、本館でも展示をやってて、そっちは「最後の晩餐」特集だった。「最後の…」絡みの習作いくつかと、オリジナルの修復期間中(20年以上)に代理で展示されていた弟子制作版の実物大のをそのまま運んできていた。 
これはこれで十分すごいの。 昨年マンハッタンで見たマルチメディア駆使したやつも、悪くはなかったけど、絵なんだから、こんなふうな絵でじゅうぶんじゃん、とか。

久々に本館のほうにも来たので、いつものようにHolbeinとRembrandtとRaphaelとVermeerをみる。(Vermeerは1点しかいなかった)あと、いつも乳をびろーんて出してて朗らかなPalma Vecchioのおねえさん(あんただれ?っていつもおもう)も。

da Vinciのカタログは、当然のように買う。 意地になってハードカバーのほうを。

それから歩いて前の晩のICAの本屋に行って、何冊か。

ひとつ買ったのはこれ。
http://www.thamesandhudson.com/9780500288917.html

そしたら、この本にはいろいろ問題があるらしいことがわかった。 ふうん。
http://fanzinesbytealtriggs.weebly.com/

この時点で両手が本でいっぱいになってしまったのだが、重いのは今日中に運んでしまおう、とそのままバスでRough TradeのEastに行って何枚か買った。 クリスマスで店内は賑わっていたものの獲物はあんましなかった。12inchなんまいか、7inchなんまいか、10inchいちまい、くらい。 あと本も少し。 

The Pogues & Kirsty MacCallの"Fairytale of New York"の7inchが再発されてた。 うれしい。

ここまでで、これいじょうの買い物はぜったい無理、になったのでバスでいったんホテルに戻る。

12.18.2011

[film] The Women (1939)

Londonの土日が終ってしまったよう。 
ぼろぼろのへろへろだが、とりあえず見たかったものは見れたかも。
だらだら書いていきますわ。

金曜の晩、奇跡的に空いたのでさっさと抜けて見にいったのがこれ。
ICA (Institute of Contemporary Arts)の映画部門で。
途中トラファルガー広場を抜けていったのだが、クリスマスにしては案外しょぼかったかも。

ICAのなかにある本屋というのがまた、地下出版好きの脳とココロをくすぐってくれるやつで、上映直前までじたばたうだうだした。(結局買わず … このときは。)

George Cukorの1939年作品。
George Cukorでいうと、38年の"Holiday"と40年の"The Philadelphia Story"の間にあるやつ。
しかしこのひと、38年から40年までの間に、uncreditのものも含めると全部で8本も撮ってるんだよ。 なんだそれ、だわよ。

客は全部で10人くらい。女子が8割。外国人1割。

もともとは演劇で、New Yorkではロングランを記録していたやつ。
この映画、子供も犬も馬も含めて男子は1匹も出てこないの。
マンハッタンの、当時の女子ネットワークのなかでのいろんなイベント(みんなでファッションショーに行くとこがあって、そこだけカラーになる)とかいざこざをリアルに楽しく描いてて、まあおもしろい。

夫と娘と一緒に幸せに暮らしていると思いこんでいたMaryは、噂が吹き溜まるネイルサロンで突然夫の浮気のことを聞いて愕然として、調べてみるとほんとうらしくて開いた口がふさがらず、更に相手(Joan Crawford)がデパートの香水売り場にいる下品でがらが悪い姐さんなので呆れかえって離婚・別居することにしたのだが、The Social Networkの表面張力の下ではミクロな戦いとか噛みつきあいとか罵倒ケツまくりとかが延々繰り広げられていくのだった。 そして戦いの決着は。

とにかく出てくる全員 - 母も娘も含めて - 全員ばりばりにタフでめげなくて、すごいの。
ふにゃふにゃしてて一番わるい旦那はもちろん最後まで登場しないのだが、女子語りのなかではぐさぐさに血祭りで面目も跡形もない。 

すごいすごいしか言えないけど、Norma Shearer, Joan Crawford, Rosalind Russellのフロント3人がとにかくすごい。 あんたらだったらそれぞれひとりでじゅうぶん立派に生きていけるでしょ、と思うのだが、そうではないのよ、というとことか … よくわからんが。

この映画、2008年にリメイクされてて(日本ではDVDスルー、邦題は『明日の私に着がえたら』…(恥))、フロントのキャストはそれぞれMeg Ryan, Eva Mendes, Annette Bening。 ちょっと見てみたいけど、オリジナルに勝てているとは思えないなー。

終って、後ろの列でずっときゃっきゃっ言いながら楽しそうに見ていた女子3人組のひとりが、あたしこの映画がほんとにほんとに大好きなのよ! て力強く言った。 よい娘さんだねえ。


いま、BBCでTake Thatの復活ライブなんかやってる。 Robbie、おもしろいねえ。

12.15.2011

[film] Moneyball (2011)

土曜日の午後に六本木で見ました。
これをNew Yorkで見なかった理由はかんたん、Oakland Athleticsの実話ドラマだから。

冒頭のFootageからJohnny "原始人" Damonが出てきて、Jason "筋肉バカ" Giambiが出てくる。
2001年のDivision Seriesの対Yankees戦。
これのあとで、原始人はRed Soxに行って、筋肉バカはYankeesに来て、暗黒の00年代がはじまったんである。
忘れるわけがない。 (これがNYで見なかった理由.. ざわざわうるさくなるにきまってるから)

んで、映画はこの敗戦をきっかけにはじまったAthleticsのGM - Billy Beane (Brad Pitt)の奮闘を描く。

Baseballの人材確保はつまるところ人身売買みたいなもんだ。その選手の夢とか将来までも買って、だめだったらぜんぶお払い箱で、それでも次のシーズン、次のゲームは続いていく。 そしてゲームは勝たなければ意味がなくて、勝つためにはお金がいる。
で、これをどうやって安くあげて、しかもゲームに勝って、みんなが幸せになれるのか、それを考えて実行することが肝心で、でもそれを従来の、ふつうのやり方でやっていてはだめだ - そんな時にでてきたのが、Jonah Hill と彼のもちこんだMoneyball理論なの。

Baseballを見にくるファンの代弁者という立場から人買いをするスカウトたちと、勝つために必要なリソース(出塁率の多いやつ)を確保して使おうとするフロント(GMとAGMだけだが)の確執、そのせめぎあいを軸に、GM自身の挫折した過去や彼の家族のお話をねじこんで、彼の捨て身の賭けと、でっかい賭場としての、アメリカ国民の「夢」としてのBaseballのありよう、その現在形を描き出す。 
もちろん、最終的なところは、シナリオ通りにはいかない - だからゲームなんだけど - というところにもちゃんと落ちている。

基本は脚本家(Aaron Sorkin & Steven Zaillian - ヒットメーカー)の映画なので、ほんとスムーズに、洟垂らしてぼーっとしながらでも見ていることはできる。 TVでBaseballの試合みてるのとおなじように。 それでよかったのかしら、とか。

そんなふうにきれいに進行していくかのようで、たまに、逆上したブラピがぼこぼこにものをぶっ壊すところがあって、それがよかった。
なんの説明も前置きもなしにどかどかがしゃーん、とかモノにあたるとこがいいの。

"The Social Network"では主人公がぼーっとしたナードの風貌の裏で平気でひとをばっさり切ったりするが、この主人公も一見快活なビジネスマンのようでいて裏にはもやもやぐしゃぐしゃの闇を抱えこんでいて、そのへんの出し方はよいかも。

Jonah Hill も、ほとんど"Cyrus" (2010)とおなじような不気味なキャラだが、いい。

Moneyball理論を適用したからと言って優勝できるわけではないし、同様にお金をかけたから優勝できる、というわけでもない、だからこそ止められないんだ、やるんだ! とかゆってBaseballに夢とか人生とかをぜんぶ託して、神目線で語られるようなのはまっぴらごめんなのだが、そういうとこは割と冷めてて、上に書いたようながしゃがしゃどがーん、とかでうまく回避できていたかも。 
うまくいくこともあるしいかないこともあるさ、それだけの-。


邦題は、『ブラピのきんたま野球』かなんかでよかったのにな。

12.13.2011

[film] Winter's Bone (2010)

一日だけ会社行ったってどうなるもんでもない、脳みそすかすかでなにも入ってこないし、昔のはぜんぶ忘れてるし。
そんな金曜日の晩、やけくそになって日比谷でみました。

見ておかないと次に帰ってくるころには終わっちゃいそうなやつ。
そいで、昨年、見そびれていたやつ。

山奥の村で、弟と妹と精神を病んだ母親とくらしているRee (Jennifer Lawrence)は、保釈中の父が行方不明になってて、このまま見つからないと父が勝手に担保にして置いていった今の家から出てってもらうことになる、と告げられる。

で、ひとりで身寄りとか伝手を頼って父の消息を尋ねていくのだが、誰ひとりいい顔はしなくて、首を突っこむな、と言われるし、脅迫みたいなことまで受ける。 彼女はそれらを通して、父はもうこの世にいないのだな、ということを悟り、今度は彼の死体を探すことにする。 彼の死を証明できない限り同じ目にあうことは見えているので-。

ものすごく寒くて冷たい、どんづまりの世界がここにはある。
それは、Occupied...の人たちが主張する99%のなんかとか格差とか、そういうのとは全く異なるレイヤーにあるそれで、社会の法とか流通とは別の経路にある掟、みたいなとこで動いていて、でも彼らはずうっとそうやって生活してきた。

Reeが迫害されるのは父の死の真相を探ろうとしたから、というよりは掟の外側で動こうとしていたからだ、ということが彼女にも、見ている我々にもわかってくる。 そういうふうにある社会とその端っこに立っているひとりの女の子の後姿が、ミズーリの冬の荒んだ景色(潰れた赤茶色の)と"Winter's Bone"というタイトルから寒風のようにこちらに向かって吹いてくる。

そんな守ってくれるんだが虐めてるんだかわからない親族共にたったひとり仏頂面で立ち向かうJennifer Lawrenceの存在感がすばらしいのだが、もうひとり、やさしくはないし狂犬のヤク中だし、でもなにかと彼女の側にいて動いてくれるおじ(父の兄)のTeardropを演じるJohn Hawkesもよいの。

このひと、こないだの"Martha Marcy May Marlene"でもMartha Mayを骨抜きにしてしまうカルトのリーダーをほとんどおなじ存在感で演じていたが、なんだろうね。 
がりがりの犬顔男と丸っこくてぶすっとした猫娘の組み合わせ。

犬とか牛とかいろんな家畜と同じ列でじーっと生きて動いているこれら、その風景がひたすら圧倒的なの。 すごいものが映っている、というよりはフィルムを塗りつぶすかのような光と湿度、水の冷たさが、まったく晴れ間と若葉のない世界がそこにある、ということが。
逃げ出そうとあがくわけでも、がんじがらめで身動きがとれないわけでもない、ただのぺたんこな地面としてそこにある、そういうー。

あと、2010年にこういう映画が出てきたことの意味を考えてみることだよね。

[film] The Girl with the Dragon Tattoo (2011)

ロンドンにおります。 ひどい天気〜 ひどい仕事〜

こっちから先に書いておく。

12日、成田で、いまのロンドンはほんとに見る映画がぜんぜんないようー、とぴーぴー泣いていたら、トレントおじさんが泣くんじゃないよ、これでもくらえ、って出してくれたのがこれ。 
洒落たことやってくれるじゃねえか。 これで2009年9月の西海岸の件はちょっとだけ許してあげよう。(まだゆってる)

12日の11:59pmスタートの一回きり、ロンドンでは1館だけ。 158分なので終わって戻ったら3:00amだろう。
それでも見るか? とフライトの間じゅうずっと悩んでいた。

13日には合衆国側が大西洋を渡ってくるので、自由時間が取れるのは12日の晩しかない。
どうせ時差もくそもないあたまとからだだし。
べつにそんな苦労してまで見なくたって。
でもアメリカで見るよかイギリスのほうかも。
ま、チケットなくなっている可能性だってあるしな。 などなど。

でもでも、やっぱし、2月まで待たされて映画泥棒のCMの後に見るのは嫌だったのだ。

ホテルに入ったのが夕方6時。仕事だの食糧調達だので軽く2時間。外は雨。
Twitterをちょっと見てしまったら、ロンドンのひと、Last Chanceだよ!とか言ってて、しょうがないので外に出る。
だめだったら、適当になんか見て帰ってくればいい。

で、地下鉄2回乗り継いで行ったら、チケットは簡単にもらえた。タダ。 一枚で二人入れる。
こんな雨の月曜日の深夜、あとちょっと待てば見れるやつにわざわざ来ないよね。

ホテルに戻って11時まで朝寝というのか夕寝というのかをして、地下鉄で向かう。
ぼーっとしていて、地下鉄のホームにiPhone落として、捕まえようとしたらそのままするするっと滑っていってホームの下に落ちてしまった。 慌てて駅員のひとを探して話したら、深夜に作業員が拾うようにしておくから、明日の朝にくるように、と。
こんなふうに時間をロスしてしまい、着いたのは10分前くらい。

劇場の入口は金属探知機ばりばりの厳戒態勢で、Blackberryまで取られてしまった。

もっている時計はあれだけなので、ほんとに11:59に始まったのかは不明。
場内は、センターのブロックはきちきちだったが、他は割と空いてたかも。

前置きが長くなりましたが。

まず、オープニングタイトルバック、あの"Immigrant Song"に乗って流れる映像がとんでもない。
こないだ公開された、ちょっと気取ったかんじのPVとはぜんぜんちがう、NINの新作PVとしか言いようがない、壊れた/壊される人体、マシーン、粘膜/粘液、流体、虫、花、カラス、等々 - NINの記号、刻印としか言いようのないあれこれが21世紀のデザイン/映像として再生される。
さらに痛快なのは、このイメージって、本編とはあんま関係ないように見えてしまうことなのよ。

わたしは原作本を読んでいないしこれの前の同原作の映画も見ていないので、これらとの比較で言うことはできないのだが、それでも十分におもしろかった。 "The Social Network"にあった脚本と音楽でぐいぐい前に引っ張っていく魔力こそ薄れているが、人里離れた島でひっそりと暮らす一族の間に張りめぐらされた暗黙のひだひだと40年前の失踪事件の謎解きを前作と同様のじぐざぐのナラティヴで表面にひっぱり出そうとする。
そしてこれは前作にはっきりとなかった、暴力と支配への衝動を凍てつく冬の光景のなかに対置・可視化していくこと。

それを探ることができたのは警察でも探偵でもなく、それまで全く異なるトラックを歩んできたジャーナリストとハッカー、それとテクノロジーだった、ということ。 
血(族)の記憶とCPUの衝突、化石として凍結された欲望、その噴出を。 その鉱脈を。  
...ヨーロッパ、そしてスカンジナビア...

世の中の多数のひとが望むであろうDavid Fincher的なモーメントはこれも前作同様、そんなにはない。(あるとこにはあるけど)
ここでのDaniel Craigは、007でもCowboyでもなく、ひたすら受け身でおろおろしっぱなしで、替りに、刺青を背負ったRooney MaraさんのLisbethが走りまわる。 本筋とは関係ないがロンドン地下鉄でのひったくりシーンの鮮やかなこと。

Rooney Maraさんて、"The Social Network"でEricaさんをやっていた娘だったのか。 
Sキャラ定着だねえ。

たぶん、メインプロットだけをとってしまえばごく普通のサイコスリラー仕様なので、歳末賞戦からは離れたところに置かれてしまうのかもしれませんが、D.FincherやT.Reznorの作品に親しんできた人たちは彼らの作品に浸る快楽はそういうところにあるのではないことを十分に知っていて、少なくともそれに応える内容のものではあるの。 だからいいの。

音楽は、前作よかTrent Reznor色がくっきりでた、何曲かはもろNINだろ、みたいのもある。
"Fragile"の持っていた夏のイメージを冬に持ってきたようなかんじのも。
あとはこまこましたトリートメントがところどころに。 きっと時間いっぱいあったんだろうな。

トリートメント、ということでいうと、とにかく半世紀以上に渡るいろんなヴィジュアル、戦前の家族写真から現代の監視カメラの映像まで、あらゆるヴィジュアルのパターンとヴァリエーションがミルフィーユみたいに織り込まれている。これらを追っていくだけですごくお勉強になるはず。 お金もかかっているねえ。

ラストは、ほんのちょっとだけせつない。 なんか東映ヤクザ映画のラストみたいな。
そしてクリスマスなんだよ。 せつなく終わるクリスマス映画なんだよ。
だから日本の2月公開なんて、ありえないのにさー。

あと、猫映画でもあるな。

出るときにポスターもらった。 どうしよこれ。

落っことしたiPhone、今朝駅に行ったら戻ってきた。 背中にひびが入ってたが動く。 えらい。


写真はぜんぜん関係ないけど、地下鉄のホームにがーんとでてた、"New Girl" - ZooeyさんのAD。

12.12.2011

[log] Dec.12, 2011

えー。 成田空港におりまして。

これからクリスマス休暇でロンドンに飛びます! きゃー。

...だったら素敵なんだけどな。

これは罰ゲームかなんかか。
しかし罰ゲームが一年以上続くか…

戻ってきたのが木曜日の晩なので、きんどうにち、みっかかんしかいなかったわけだ。
直接飛んじゃえばよかったのに、という声もたしかにある。
でも金曜日はちゃんと会社行ったし。
それにレコードとか本とか、いったん置きに戻る必要があったんだよ。
ほんとに重くて肩が抜けて腰に刺さるかとおもったんだよ。

クリスマス前には帰ってくるよてい。 
なにもなければな。(  …また)

一応、それなりに、健気に調べてみたものの、見事になにもないの。
アメリカの映画は入ってくるのちょっと遅いし。
ホリデーシーズンだしね。 そんなもんよね。

今回の相手は、アメリカの数十倍てごわいので、夜遊びしている暇はねえし。
連合国(アメリカ)側も合流してくるので、相手しなきゃいけないし。

しかしねむい。 四六時中ねむい。
体内時計がよっつくらいあって、みんなそれぞれ同期に失敗してぶっこわれているようなかんじ。
ずうっとこたつで丸まっていたい。

短い滞在でしたが、みっかかんで、3本見ました。
これらについてはまたそのうちー
   

12.10.2011

[log] NYそのた - Dec.2011

ぜっさん時差ぼけちうー。
NYからの帰りの飛行機では、3本ちょっとか。 あんまなかった。

"Crazy, Stupid, Love." (2011)
日本帰ってから劇場で見ようと思っていたのだが、時間が取れるかわかんなかったので、とりあえず見てしまった。 劇場で見たいよねえ、これ。

Steve Carellが長年連れ添ったJulianne Mooreに離婚を言い渡されて錯乱してるとこにぎんぎんのRyan Goslingが現れてナンパとかいろいろ指南してくれるの。で、いろんな女性(Marisa Tomeiさいこう)と関係を持つのだが、ずっといじいじして妻に未練があるの。 Steve CarellのおうちのBaby Sitter(Analeigh Tipton)は彼のことが好きで、でも彼女のことを好きなのは子守りをされてた彼の息子なの。 Ryan Goslingはそのうち弁護士の卵のEmma Stoneと出会ってめろめろになっていくの。 こんなふうにいろんな線がぐしゃぐしゃだし、とっちらかっているのだが、おもしろかった。

CrazyでStupidな"Love"ということもできるのかもだが、「狂人、愚人、愛人」でもいい。
邦題は、ぜんぜんだめよね。

それにしても、だ。 "Dirty Dancing"はオンナを落とすのにそんなに、そんなに有効なのだろうか。
昨年みた"Heartbreaker" のときはへらへら笑っていたが、2回続くと冗談とは思えない。
いつかやってみたいのだが、持ち上げたとこでぺっちゃんこだな。

それから半分寝ながら"Friends with Benefits"を、もう何回めだ?

それからドニー・イェンもの、ということで"The Lost Bladesman"ていうのを。
邦題は『三国志英傑伝 関羽』。

三国志も中国の歴史もぜんぜんわからないので、最初のうちはなにがなんだか誰が誰だかわからず、だったのだが、とにかくドニー関羽さんは最強である、と。強くて情に厚くて、毒を盛られても刺されても、ぜんぜん死なない。 最後にいくにつれてばらけていって血沸き肉踊るみたいなとこがなくなっていくのが残念なのだが、彼がでっかい剣をぶわーんて振りまわすとこだけで、十分なのね。

それから、邦画でも、と「モテキ」を見てみたのだが、なんかぜんぜんだめで、途中でやめちゃった。 なんでだろうねえ。 サブカルとかだめなんだよねえ、だけではないような気がした。ちょっと考えてみる。

でもさあ、"Crazy, Stupid, Love."見て、"Friends with Benefits"見て、これ見ると、ふつうに、たんじゅんに、日本てだめだな、て思わない?

もういっこ、買ったものとか、Brooklynの食べもののお話は、そのうち書きたい。
じかんがあれば。

[film] Mysteries of Lisbon (2010)

4日の日曜日(もう一週間前かあ..)、Brooklyn MuseumのあとでBAMに行って見ました。

BAMのCinematekでは、12月の頭から"Sound and Fury"というタイトルでポルトガル映画特集をやってて、そのなかの1本。 ちなみに同時期にLincoln CenterのFilmのとこはルーマニア映画祭やってた。 どっちも知らない世界ばっかしだったのだが、せめてこれくらいは、と。

昨年他界したチリ生まれの映画作家、Raul Ruizの遺作。原作は19世紀のCamilo Castelo Brancoの小説。 元々は1時間 x 6回のTVシリーズとして製作されたものを編集したもの。

休憩が1回はいる272分。この前の週は237分のだった。 これやると日曜の午後がぜんぶ潰れてしまうのだが、どっちにしても見れる機会がそうあるとは思えないから見よう、と。

そして"A Brighter Summer Day"もそうだったように、これもある時代の、ある場所の少年の彷徨いをみっちり描いていく。 ただ、そこに流れる時間のありようは、やはり、まったくちがう。

大枠は、孤児院に預けられている14歳のJoãoの自身の出生の謎を探る旅、なのであるが、途中からなにがなんだかわからなくなっていく。関わってくる人物がそのまま自身の過去を語り、更にその中の誰かがどっかに飛んで、誰かが誰かになって、記憶と回想とそれらを語る複数の声が交錯し反響し、どこに連れていかれるのかわからないようなナラティブのなかに閉じ込められてしまう。

Joãoが常に持ち運んでいる(母が与えたものだ)小さな玩具の舞台のなかですべては進行していくかに見えて、その舞台装置もまた、少年の置かれた時間のなかにある。

そんなふうに過去がまるごとぶちこまれた装置の総体を"Mysteries"と呼ぶことができるのかもしれないが、そこに難解さやとっつきにくさは全くなく、むしろ目眩を引きおこすような美しさが延々続いていくのでうっとりしているうちに終ってしまう。ソクーロフの「エルミタージュ..」のあの驚異が、どこを切っても、どこから見ても溜息がでるような瞬間の持続が4時間続く。

ポルトガル語の語り、何を考えているのかわからない顔、何かを考えている顔、強い目、建物の天井、壁、調度、光と影、晴れと雨、いろんなドレス、ひらひら。

でもこれは美術館ではなくて、これが、これこそが映画的経験としか言いようがないもので、そのために用意された4時間だったのだねえ、と。


ぜんぜん関係ありませんが、BAMのCinematekではこのあと、”Adventures in the 80s with David Gordon Green”ていう特集が始まったの。

"The Sitter"(Jonah Hillさいこう、たぶん)を作ったDavid Gordon Greenセレクトによる80年代の5本。 いいよねえ。見たかったよう。

- Risky Business (1983)
- Adventures in Babysitting (1987)
- Uncle Buck (1989)
- After Hours (1985)
- Something Wild (1986)

Jonah Hillにはもうちょっと歳取ったら"Uncle Buck"のリメイクをやってほしい。
だからあんま痩せないでね。

[art] Youth and Beauty: Art of the American Twenties

帰ってきました。 あうあう。

最後の日曜日、虫の息だったのであんまし無理はしないことにした。
久々にBrooklyn Museumに行って見た展示がふたつ。
最後に来たのはいつだったか。まだ改修前だったはず。

最初に見たほうの展示は、アメリカのJazz Age - 黄金の20年代を当時の絵画、写真、彫刻などから概観したもの。

http://www.brooklynmuseum.org/exhibitions/youth_beauty/

どれも無垢で素朴で若くてぴかぴかと力強く、よかったねえ、みたいな印象以外にはあまりない(とびぬけて見るべきところがあるわけでもない - はっきし言って)のだが、前日のMetでのStieglitzの時代展と繋がっているテーマも多く、ヨーロッパからの構成主義からの影響(これも素朴な)とかをあちこちに見ることができておもしろかった。
あとは層が厚くて、いっぱいある。 固まったムーブメント、というよりは群発地震のようにそこここでいろんなことが起こっていたことがよくわかる内容だった。 まさに"Youth and Beauty"。

展示のトップイメージになっているLuigi LucioniによるPaul Cadmusの肖像は小さいけど見事で、あとはEdward Hopperはやはり特異に見えるとか、『優雅な生活が最高の復讐である』のGerald Murphyがまとまっていていかったとか、個々にはいろいろー。

続いて、その下のフロアでこれ。

HIDE/SEEK: Difference and Desire in American Portraiture
http://npg.si.edu/exhibit/hideseek/index.html

アメリカのモダンアートが性や性差、その穴や溝や割れ目、でこぼこに対する欲望や目線をどう扱ってきたか、それが時代やテーマごとに表現にどう反映されてきたのか、というのを正面から扱った最初の(ほんと?)展覧会、昨年秋にワシントンのSmithsonianで行われたやつの巡回。

かんじとしては、昨年Tate Modernで見た"Exposed: Voyeurism, Surveillance and the Camera"に近かったかも。 でも印象としては極めて真面目な。 秘宝館みたいのではない。

展示の冒頭にあるのがThomas Cowperthwaite EakinsによるWalt Whitmanの肖像写真。

http://www.brooklynmuseum.org/exhibitions/hide_seek/eakins.php

しょっぱなからこれなの。すごいねえ。 そこからWalholとかJasper Jonesといった60年代の前衛を経由して最近のNan GoldinとかAnnie Leibovitzあたりまで。 
当然、裏に表に偏見、差別、AIDSといったテーマは反復されていく。

量も質もメジャーで、濃いのもいっぱいあって、ずうっと彷徨っているとだんだん性の不思議とその迷宮に呑みこまれていくような、それらの降って湧いてを絶えず繰り返してきたアメリカの近代、ってなんかすごいねえ、と。 
まあ、奥深いよね。 それはそれは。

12.07.2011

[log] Dec.7, 2011

あうあう。 というわけで、帰りのJFKに来ました。
どしゃ降りで車がぜんぜん動かず、いつものようにげろげろになった。

11/6に入ったので、ちょうど1ヶ月の滞在だった。短いよねえ。
あれも見れなかったこれも見れなかった、そんなのばっかし。
でも仕事できたんだからね、しょうがないよね。

まだ書いてないのも少しあるので、それらはおいおい。

今回、Brooklynの食べものばっかり追っていた気がする。
ほんとにおそるべし、だったの。

[music] Latterman - Dec.3

土曜日の晩、"Shame"のあとで、Williamsburgで見ました。
今回、時間がなかったこともありライブはぜんぜんだめで、やっぱしライブって映画と違って体力使いすぎてしまうし、でも音はずっと聴きたくてうずうずしてて、で、こいつでいいや、みたいなかんじ。 あんまよく知らずに。 ごめん。

当日で$14。 これの前後のMaxwellsもBell HouseもSold Outしてた。

前座の2番手、Explosivo!から。
ルックスはぜんいん見事にごめんなさいだったが、音はいかった。
2台のギターをカッティングとメロでうまく使い分けてて外見とは別に丁寧にあげていくかんじ。

Lattermanが出てきたのは10時半すぎくらい。
すごい人気だったのね。 でした。

ライブは5年ぶり、とか言ってて、客もそんなに若い子はいなかったが、しょっぱなからものすごい盛りあがりで、大合唱になって、遠くで見てても気持ちよかった。
始めのうちはダイブやモッシュもいっぱい、だったが、メンバーのひとが、「こらこら、いまそこで人の頭をふんずけた奴がいるだろー? まずそれやったらちゃんと謝るように。 それからなにより、そんなことしないことだよ!」 とかちゃんと言っててよいかんじだった。

このエリアで見たことがあるのって、Against Me! くらいだったが、音としてはほんとに完成度高いし、音はぱりぱり気持ちよく走っていくし、客もみんな喜んで笑っているし、別にいいじゃん、いいよね、なのだった。 (なんか大人目線) 

帰り、おみあげにアナログ買って帰ろうかなー、と思ったがすでに半端でない量を抱えていたので、素直に諦めた。

今年、あといっかいくらいはライブ行きたいよう。

[film] Shame (2011)

Brooklynでお菓子をしぬほど食べたあと、土曜日の夕方に、Chelseaのシネコンで見ました。

Steve McQueenによる英国映画。 NC17指定。

マンハッタンの31stのモダンなアパートに暮らすBrandon (Michael Fassbender)は、独り身で容姿はかっこいいのにSex中毒で、コールガールを含めいろんなひととやりまくり、シャワーしてても自慰、会社のトイレでも自慰、おうち帰ってPC立ち上げたらエロ画像、と、棒いっぽんを中心に全ての生活がまわっているかんじ。

で、そんな彼のとこにあばずれで奔放な妹(Carey Mulligan - いきなりすっぱだか)が転がりこんできて、いろいろ挑発みたいなことするし、自慰してるとこ見られちゃうし、いらいらしまくって、ぶちきれて大喧嘩したら妹は行き場を失ってリストカットしちゃって、兄はああおれはなんて恥ずかしい人間なんだらう、ってしみじみ泣くの。 それだけなの。

Brandonはアナログでグールドのバッハ聴いたりする、村上春樹の小説の登場人物みたいな奴だし、妹萌えでもんもんするとことかも、設定は日本のドラマみたいなのだが、貧乏くさいかんじが全くしないのは、要は日本にはひとりのMichael FassbenderもひとりのCarey Mulliganもいない、ということに尽きるのではないか。

Michael Fassbenderさんは、冒頭からすっぱだかでずっとうろうろするし、自慰やるわ男ともやるわ3Pだってやるわ、悶え顔苦悶顔泣き顔ぜんぶ出してて偉いねえ、これらの点に関しては"Shame"でもなんでもないなあ、と。

えらい長回しがいっぱいあって。
妹と上司と3人で飲んで、アパートになだれこんだら妹と上司がいちゃつきはじめて、いたたまれなくなった彼が運動着に着替えて外に走り出すとこがあるのだが、5th Aveからまっすぐ西に、Madison Square Gardenのとこまで全力疾走するとこを切れ目なしで撮っている。
あれ、ぜんぶレール敷いたのだとしたらすげえ。

あとは、歌手をやってる妹がダウンタウンのバーで"New York, New York"を歌うシーンがあって、兄はその歌を聴いて不覚にも泣いちゃったりするのだが、その歌のシーンも一気に。

他にも、会社の同僚の女の子を誘ってのディナーで、レストランに着席してからオーダーして会話がぎこちなく噛みあわないまま進行していくとこをぜんぶ、そのまま垂れ流している。 
なんかすごい。

しかし、"A Dangerous Method" (2011)でユングやって、その次にこれ、って。
要は、すけべ、ってことなのね。


終わって、監督の名前がスクリーンに出たら、前の席にいたおばあさんが、「あれ、生きてたのね」て呟いたのがおかしかった。

[art] Maurizio Cattelan: All

最後の土日でした。 まあいろいろ。 へとへと。

今回、展覧会かんけいは、あんまいいのがなくて、でもこれだけは、だったのがGuggenheimでのこれ。

で、これに行くならついでにこれもか、とまずはMetropolitan Museumのこっちの展示に行った。

"Stieglitz and His Artists: Matisse to O'Keeffe"

Metは軽く100回は通っているとおもうが、9:30の開館前に並んだのははじめて。
Suggestedの入場料が$25になっていた。 行くたびに上がっていくねえ。

展示場に行く途中のとこで、"Infinite Jest : Caricature and Satire from Leonardo to Levine"ていうのをやってて、まだだれもいない展示コーナーのしょっぱなにda Vinciのデッサンが掛けてあったので、20cmくらいのとこでそれだけじーっと見て通過する。

Stieglitzが20世紀初に5th Aveにオープンした"291" (Gallery)を経由して紹介されたヨーロッパの当時のModern Art - Rodin, Matisse, Picasso, Picabia, 彼の周辺にいた同時代の画家たち -  John Marin, Marius de Zayas, Charles Demuth、同時代の写真家たち - Edward Steichen, Paul Strand、そして、One and Onlyの Georgia O'Keeffe。

とにかくざーっと急ぎでなめてしまった(25分、$25で)ので、ふむふむふむ、だったのだが、もうちょっとちゃんと見ておけば、とこういうのに限って後から。 StieglitzやSteichenの(今見てもじゅうぶんに)かっこよい写真達がアメリカのモダンアートにもたらした影響、を別の角度から、群像劇のようなかたちであぶり出す、一見軽いようでとっても深くて素敵な展示でした。

Carles Demuthの作品を纏めて見れたのはよかったし、Stieglitzの撮ったO'Keeffeのエロくてかっこいいことったら。

そのあとで、Guggenheimまで小走りして、10時の開館とともに中に入って、みました。
天井からじゃらじゃらぶらさがったいろんなのを見たり探したりしつつ、あの廊下をぐるぐる回りながら登っていくのが問答無用に楽しい。
たまに、ぶらさがった玩具の人形が突然太鼓たたいたりして。 (Occupy...の人たちが来たのかとおもったよ)
こんなの、"All"...   としか言いようがないよね。

写真は、左がエントランスから上をみたとこ、真ん中がまんなかあたり、右がてっぺんから下をみたとこ。 実際にはもっとぐじゃぐじゃ。



ここまでここの天井をうまく使った展示って、あんましなかったかも。

まるでクリスマスツリーだよねえ、と思ったとこで、Metropolitanのツリーを見ていなかったことに気付いたのだったが、そんなかんじ。

あれらぜんぶのぐじゃぐじゃをどうやって吊っていったか、はMuseumのサイトにいくと動画で見れます。

で、夜になると吊り紐がきいきい鳴りだして、こいつらは動きだすんだよ...

12.06.2011

[log] Occupy Lincoln Center - Dec.1st 2011

木曜日、いよいよいろんなのがやばくなり、週末に予定していた出国がだめになったところで、そういえばOccupy Wall Steetに行っていなかったな、と。  
映画と食べものばっかし追いかけてて(あ、仕事もね)、すっかり忘れていた。

わたしはヒ弱でキ弱な負け犬系サヨクなので、こういうのは喜んで、いや、喜んじゃいけないけど、行く。

99%ばんざい。 えいえいおー。

夕方7時過ぎにWall SteetのベースであるZuccotti Parkに。
どっかに書いたかも知れんが、90年代と00年代の一時期、ここの半径50m圏内で働いていたことがあるので、ここの公園にはいろんな思い出がいっぱいある。
なので、ニュースとかでここでのいろんな小競り合いが報じられるたびになんかきゅーんとしていたのだが、戻ってみると、ああ懐かしいなー、しか出てこない。 よくないけど、いい。

この日の昼間は、ここでJackson Browneのライブ、というほどではない弾き語りとかがあったらしいのだが、晩は、(たぶん)いつものようにみんなで円陣をくんで、ひとりひとりの発言をみんなで復唱してた。 これは前日のJem Cohenのショートでも見ていて、復唱する、というとこでなんかセクトっぽい臭いがして嫌なかんじがしないでもなかったのだが、輪のなかに入ってみると、ここでのそれはあくまで、後ろのほうのひとにも言っていることがわかるようにすることを目的としたものなのね、ということがわかる。 (聞こえないひとは手をあげてひらひらさせること)

グラウンドゼロに建設中の新しいビルも見た。 タワーと、もういっこのガラスのやつ。
なんかねえ、タワーは別(どうでもいいや、あんなの)として、もういっこのやつを見ると、目の前に前のやつがぼうっと浮かんでくるよね。
お昼にZuccotti Parkを抜けてランチを買いに行くその先にあったWTCの入口がそのまま浮かんで、あれ、泣くひとは泣いちゃうとおもう。

で、いったん部屋に荷物を置いて、Lincoln Centerにむかう。
10:30pmからOccupy Lincoln CenterていうのがあってPhillip Grassさんがなんかやる、と。

10:30に着いたときは、まだ20~30人くらいしかいなかった。
でもNYPDがバリケード立てて、広場に入れないようにしてて、そいつを挟んで睨みあいをしているのだった。
ただ、抗議する側の基本は非暴力のガンジーであるから、睨みあいと言っても、「おじさんそんなとこに立ってなにしてるの~?」とか「子供にそんなとこ見せておとうさんはずかしくないの~?」とか、そんな呼びかけ(主に女性から)が多い。

柵を越えてビラ新聞"Occupy Wall Steer Journal"をばらまくおじさんがたまに警察にどつかれている程度だった。 (どつかれるたびにカメラが一斉にそっちのほうに、「証拠映像」を撮りにいくのでNYPDもやりにくそうで)

ここの広場はみんなのパブリックスペースで、観劇の前とか後とかに、みんなでわいわいする楽しい憩いの場のはずだったのに、それがなんで、デモするってだけで締め出されなきゃいけないのか、Bloombergでてこい! なのだった。

11時近くになって、南のほうからちんどん屋みたいにどかどかどんちきした一団が流れてきてわれわれ(われわれ、だってさ)の一団と合流して、下でやっていたのと同じような抗議の復唱がはじまる。 (なにかしゃべりたいひとは受付の女性のとこに行って名前を書いて順番に、というルールがあるらし)

寒くてしょうがなくなってきたので輪にはいって一緒に復唱する。
いろんなひとがいろんなことを言うのでおもしろかった。
ライブのCall & Resとおなじようなもん、とか、英語のレッスンみたいなかんじもした。
で、そうしているうちにいつのまにかPhillip Grassさんが輪のなかにいて、ステートメントを読みあげたの。 
(ちなみに丁度この晩、Metropolitan Opera Houseで、彼のオペラ、"Satyagraha" - ガンジーがテーマの - が上演されていた)
これがそのとき彼が読みあげたビラね。 これを3回リピートしたの。
 

ちょっと背中をまるめた、もうおじいさんといってもよい彼が、声をはりあげて"Mic Check, Mic Check!"(て最初にいうのが決まり)とかやっているのを見るのは、なかなかよい光景だった。 

そのうち、オペラが終わった客も柵の向こう側から合流してきて柵の向こうから柵なんてどけちゃえ、ってどかしたりした(で、しばらくすると戻しにくるの...  これがえんえん)。

しかし、Wall stもそうだったが、全体の雰囲気はとてもフレンドリーでやわらかくて、居心地がよい。
これじゃテントはって、共同生活したくなっちゃうかも。
変わるものはこういうところからしか変わらないし、変わらないものはどうせ変わらないだろう。 そんなんでいいのかも、って。

この場所での議論、ということだと、アートってなんのための、だれのためのもんなの? だれも買えないようなチケットの値段設定して、喜んでいるのはだれなの? (Bloomberg? )  というのが繰り返しでた。
それは日本でも同じなんだけどね。 あの国はみんなよいこだよね。

これの翌日、金曜の晩はOccupy Broadway、ていうのがあって、仕事の帰りに寄ってみたが、もともとざわざわした場所であるせいか、あんま緊張感ないままに進んでいるようだったので、少しいて帰った。

写真もいっぱい撮ったのだったが、Upして面倒なことになるとやなので、Upするのはやめた。

[film] Eames: The Architect & The Painter (2011)

すべてがぐしゃぐしゃに崩壊してブラックアウト寸前まで、行くとこまで行ってしまいそうな予感を抱えつつ、とりあえず火曜日の晩、IFCで見ました。

上映前の予告編の枠で、Jem CohenのOccupy Wall Streetに関するショート"Newsreels"が流れる。
忘れてはいけないのだった。ここで見れます。

http://vimeo.com/ifccenter

Eames夫妻のドキュメンタリー。 ナレーションはJames Francoさん。

http://firstrunfeatures.com/eames/

断っておくが、わたしはスノビッシュに余裕たっぷりにEamesの椅子だのコルビジェだのを語るCASA Brutus野郎共(会ったことはないけど)なんかだいっきらいだ。
たかが椅子じゃねえか、と思うし、連中の嗜好愛好するデザインやインテリアが世界から消えてくれたらどんなに世界はすっきりするだろう、ておもう。

でも、Eamesに関していうと、この映画を見ればわかるのだが、椅子はあくまで彼らのキャリアの出発点でしかなくて、もっと大きな視野と世界観に立っていろんなことをやろうとしていたのだ(- アメリカ人的なおめでたさ - よくもわるくも - はあるにせよ)、ということを俯瞰できる内容になっている。

うんと省略して言ってしまうと、Steve JobsやGoogleが今のITの世界でやったこと、やろうとしたことを50年代から、デザインの世界で、いや、デザインというより世界の見方接し方を、デザインを媒介とすることでドラスティックに変えようとした、今でいうVisionaryでありInnovatorであった、と。

で、それをカリスマ的なオーラと実行力でぐいぐい引っぱって進めていった(夫Charlesのほうはそうだったみたいだが)、というより夫妻ふたりの関係 - ArchitectからドロップアウトしたCharlesとPainterの目をもったほんわかしたおばさんのRay - を軸に周囲を巻き込んで共同作業として転がしていった、その様が、関係者の証言と、彼らの残した映像、特にフィルムを中心にわかりやすく綴られている。

これらはそんな二人だったから、この二人のケミストリーがあったからこそできたことだった、と。
それは、まだまだ豊かだったアメリカと50~60年代の西海岸の空気が可能にしたものだったのかもしれないが、なんか楽しそうでいいよねー、と。 

64年のNY万博のIBMパビリオンの展示とか、”The World of Franklin and Jefferson”の展示とか、今見たらどんなだろう(どっかで見れるみたいだが)、て思う。 見たいな、と残されたフィルムの抜粋あれこれを見ていくとふつふつと思うのだった。 こないだのSaul Bassのとおなじく。

最後のほうで、Charlesの愛人問題とかにも少し触れられるのだが、Charlesが亡くなった、そこから丁度10年後の全く同じ日にRayも亡くなる、そのへんの符合は、なんかすごいねえ。 ふたりで示しあわせたのだろうか、とか。

12.03.2011

[film] Drive (2011)

28日、月曜日の晩、Times Squareのシネコンで、なんとなく見逃していたやつを1本。

Ryan GoslingがロスのDriverで、こないだMOMAで見た"The Driver"(1978)みたいに強盗の後の車での逃亡を請負してて、普段は映画のカーシーンのスタントとか車の整備とかしているの。

アパートの並びの部屋の刑務所に入っている夫を待っているCarey Mulligan(+その連れ子)とちょっと仲良くなって、彼女の夫が出所してきたとこで、つきあいで彼の仕事の手助けをしたらそいつがやばい金で、なかなかやばいことになる。

Ryan Goslingは楊枝くわえて終始無表情で殆どしゃべらなくて、Carey Mulliganと話すときだけ、ちょっとだけ柔らかくなって、そのトーンで穏やかに進むのかと思ったら、後半はなかなかぐさぐさでえぐいかんじに。

Ryan Goslingの短髪でつるっとした無愛想なとこ、訳ありでちょっと疲れたかんじのCarey Mulliganのショート、黒字にピンクの手書きのタイトル、その字体のままのエンドロール(ロールしないでぱらぱらめくられていくの)、がんがん流れるやや暗めのシンセポップ(だれだこれ?)、悪役のAlbert BrooksとRon Perlmanのいかにも悪悪なかんじ、とにかく全編に80年代テイストむんむんなの。 

そうした必然はあんまわからんが、主演のふたりが見事にそこにはまってしまっているので、まったく文句ない。

Ryan Goslingは、こないだの"Blue Valentine"でも、"The Notebook"ですら、いつ突然ぷちって切れて暴走するかまったく読めない不気味さがたまんないのだが、この作品はほとんど、そこのみにフォーカスしている。

Carey Mulliganさんも、ほんとにうまいのねこの娘さんは。

もう12月なのかー。
ほんとは今頃空港に向かっているはずだったのだが。 また延びたの ...

[film] A Brighter Summer Day (1991)

ぽかぽかと異様にあったかい。 日曜日は午後から映画1本だけ。 『牯嶺街少年殺人事件』。

Martin ScorseseのWorld Cinema Foundationによって2009年にリストアされた237分のDirectors Cut。(昨年秋、BAMでの上映のときに逃したやつ)

これが1週間、Lincoln Centerで2:00と7:00の回だけ上映されていて、それに合わせてEdward Yangのレトロスペクティブがあったの。
これがThanks Givingの連休にもろにぶつかっていた。もちろん見たいのばかりだったのだが、感謝祭にレトロ台湾というのは、なんか違う気がしてー。  でもこれくらいは見ておかないと、と。

最初の数日はEdward Yang婦人が挨拶に来たりしてて、最終日の(12/1)は、Mingを演じたLisa Yang(米国在住)が挨拶したという。(みたかったなー)

本土と台湾の関係があって、戦後の復興期で、貧しいながらも教育には熱心な家族と兄弟姉妹があり、幼馴染がいて、学校があり、学園ドラマがあり、学校の外でのいざこざとか対立するグループがあり、その外には闇とか大人の世界とかがあり、やくざがいて金持ちがいて、「戦後」のアメリカンポップスが流れてきて、雨がふったり晴れたりして、大人になりかけた少年は少女に強く、一途に恋をして、やがて。

それは例えばコッポラやヴィスコンティの映画に流れる時間とは結構違って、これらは確かにどこかで見ていて、自分もそのはじっこの切れ端を知っている50年代末~60年代初のアジアの風景や家屋や学校で、でも、それだからといって、よくできているとか、親しみをおぼえるとか、なつかしいとか、そういう感慨はあまり湧いてこなくて、これらの風景はひたすら生々しく圧倒的にそこにある。

それはロングでひととひとの目があったときに、微笑むか、じっと見つめあうか、なんだてめえおら、って追っかけてくるか、その眼差しのどれかどこかにしかひとは属していない、そういう切迫感のなかにある、そのなかにしかないような、そういう世界なのだった。

あるいは、向かい合ってどつきあうか、横に並んで一緒に歩いていくか、そのどちらかのトラックにしか、ひとはいないような。 
"One Track Mind"。 ElvisじゃなくてJohnny Thundersが流れてもよかった。

だから、これらのいろんな要素が湿気のようにつぶつぶじっとりと纏わりついてくる風景のなか、少年がその無表情の裏でどこまでも切羽詰っていくかんじがたまらないのだし、最後のあの瞬間も、あまりに唐突でびっくりで、でも他に行きようがないかんじで(後から)納得がいく、それは彼らの会話のなかに出てくるトルストイのどんな小説よか哀切でエモーショナルな一瞬、なのだった。  

あのふたりが画面のなかに黙っているだけで、なんであんなにたまらなくなってしまうのか、ほんとにわからん。

どしゃぶりの中の闇討ちのシーンは、しみじみすごかった。 鳥肌もん。

音楽は、ほんとにいいなー。 バンドの演奏も、繰り返し流れる"A Brighter Summer Day"も。

休憩あるかと思ったらぜんぜんなかった。 237分。

これの後で、"Yi Yi"(2000)(ヤンヤン 夏の思い出)- 173分もあったのだったが、ものすごくおなかいっぱいになったので、帰りました。

11.29.2011

[film] We Bought a Zoo (2011)

土曜日、"A Dangerous Method"のあと、Union SquareのRegalに移動して見ました。

向かう途中、Dashwood(本屋)で"100 Fanzines/10 Years of British Punk 1976-1985" ていうのと、"In All Our Decadence People Die" ていうCRASSのグラフィックを集めたのを買った。
(ぜんぜん関係ないか)

本当は12月のクリスマス公開予定なのを、監督自身の希望で26日の7:00に一回だけ、全米800館でSneak Previewしたの。
PJ20の先行は逃しても(まだ言ってる...)これだけはなんとしても、とがんばってチケット取ったのだが、べつに売り切れはしなかったみたい。

でも、確かに最高の感謝祭映画だったよ。 ありがとうCameron!
動物と子供を使うのはずるい、って言うかもしれないが、それだけではぜんぜんなかった。
感動の実話だからどうか、って言うかもしれないが、それがどうした、だわよ。

冒険作家のBenjamin (Matt Damon)は妻を亡くして半年、子供ふたりの面倒を見てきたが上の息子は籠ってグロい絵ばっかり描いているし、下の女の子(かわいいねえRosie)は健気に気丈に振るまっているけど、長くは持たないだろうし、よくないな、と。

こうして彼は新たしい方に舵を切るために仕事を辞めて、大きな庭のついた新しいおうちを探しはじめるの。
で、ようやく一軒、お庭はでっかいし、これこそ探していたやつだ! ていうのを見つけるのだが、こいつは訳あり物件でして、と不動産屋が困った顔をする。
なにが?どこが? と問い詰めると、そこで獣の声が響き渡る。 
「... ?」 「動物園なんです...」  「いぇーい!」(Rosie)。

(ここのとこは予告編で見れるから見てね。おもしろいよ)

こうして、最低限の維持費で繋がっていた動物園をオープンさせるべく、家族と、スタッフの力を合わせた奮闘がはじまるの。
スタッフ側で指揮をとるのがScarlett Johanssonで、その部下には"Almost Famous"のPatrick Fugitくんもいる(猿使いだけど)。
あと、園内の食堂を切り盛りする純朴な娘にElle Fanningさん。

あのさあ、Scarlett JohanssonさんとElle Fanningさんが一緒に汗流して働いてくれるなら、動物園なんていくらでも買うわ。(て思っても言わないこと)

あらすじから想像できるような、動物との共生や格闘を通して家族や仲間との絆が深まった、とかそんな安易なものにはなっていない。
苦労話で強調されるのはオープンに向けた改築や修繕でお財布が底をついて破産しかけて、とかそんなのばかり。   べつに動物園を買わなくても、この家族はこんな道を通ったにちがいない、くらいのかんじは滲んでくる。

クマとかトラとかヘビとか、動物との楽しい(たまに悲しい)やりとりもいっぱいあるけど、やっぱしBoy meets Girlもあって、そこは外してないの。 ていうかそっちだよねー。

自分の家が動物園になっちゃったもんだから拗ねまくるMatt Damonの息子に、毎日サンドイッチを届けにくるElle Fanningとか...
あのさあ、Elle Fanningさんがぁ、毎日、とびきりの笑顔でサンドイッチを届けにきてくれるのにぃ、なに下向いて拗ねてるんだこのぼけガキゃー、と誰もが拳を握りしめ...(思ってもいわないこと)  でもこのふたりは、"Super8"のあのふたりよか、いいかんじだった。

もちろん、いろんな困難を乗り越えて動物園はオープンできるのだが、ラストはこれじゃないの。

それがなんであるかは書きませんけど、"Elizabethtown" (2005)をはるかに超える、ぼうぼう泣きの、でもすばらしいラストが待っている。
で、これこそが、ラストにあんなのを持ってきてしまうとこが、「われわれの」 - "Say Anything... "の、"Singles"の、"Almost Famous"の、"PJ20"のCameron Croweなんだ、って。

"The Tree of Life"はこの内容でもぜんぜんよかったかも。 むしろこっちの内容のほうが。

音楽はJónsiさんで、きらきらぴろぴろしたハッピーなトーンが全体を覆っているが、それ以外にNeil Young とかPJとか、いつものCameron Crowe印のもいっぱい流れる。 
Neil Young は"Cinnamon Girl"だよ。

続編は、"We Bought an Aquarium"、Wes Anderson組にやらせたいものだ。

それにしてもRosieかわいすぎてずるい。(そればっかり)

11.28.2011

[film] A Dangerous Method (2011)

土曜日も映画2本。 

ライブは諦める(泣)。 BAMのPusciferも、BeaconのCure 3daysも。
Cureはくやしい。ほんとにくやしいったら。

夕方、Landmark Sunshineで見ました。
David Cronenbergの新作。これもNYFFでかかっていて、見たかったやつ。

もともと原作があって、舞台用の脚本もあって、更に実在した人物がモデルなので、あんまし転がしようのないお話だと思うのだが、でも、Cronenbergがこれを映画化した理由はなんとなくわかる。

20世紀初にチューリヒに統合失調症の患者としてやってきたSabina Spielrein(Keira Knightley)が担当医のJung(Michael Fassbender)と関係を持つようになり、その関係を対象化していくなかで独自の臨床論を構築していく。その過程で、Freud (Viggo Mortensen)とJungの方向性の違いも明確になっていく。

わたしは3人の登場人物についても、精神分析についても素人なので、こまこま出てくる用語や理論について詳細に論じることはできませんが(日本公開されたらもう一回みる)、Freudの現実の発言や挙動に根ざした治療を、という立場とJungのそれらが現れてくる根源の夢や世界像にまで遡るべしという立場の違いは、間にSpielrein嬢を置いてみることで、3者の関係のありようによって、より判りやすく見えてくる気がした。

そして、例えば、ここでの「精神分析」を「暴力」に置き換えてみること。
Chronenbergの暴力描写って暴力衝動を病理的に捉えることと根源的な力として捉えることの両者の間で常に揺れていて、その揺れを明晰に、それこそカルテを書くかのような冷静さで持って描きだすことにこの人の「暴力」の怖さ、リアルさがある、と思っているのだが、それがこの作品を通すことでようくわかったような。

精神分析も暴力も嫌いだ。 どっちも偉そうだから。

Keira Knightleyは、よくぞあそこまで。 下顎がすごいの。
Viggo MortensenもMichael Fassbenderも悪くはないのだが、どちらかというと肉よりの彼らがずっとちゃんとした学者の顔と格好していると、コスプレでもしているような変なかんじになったりした。 ぜんぜん悪くないんだけどね。  なんかおちょくりたくなる。

画面はずうっと静かで、重厚で、そしていつものようにかっこいい。
バックで流れていた分裂症みたいに変にゆれるピアノ曲はHoward Shoreのか。器用だねえ。

[film] Jack and Jill (2011)

マリリンに続けて、シネコン内渡り(Piggyすまん)、で見ました。これも感謝祭映画だった。

日本ではもう、Adam Sandlerの新作を映画館で見られない - こないだの"Just Go with It"なんてほんとに面白かったのに - ようなので、ここで見ておくしかないじゃんか。

男女の双子のおはなしで、Adamが二役を演じてて、全く違和感ない。

Jackのほうが、CMプロデューサーでちゃんとした家も家庭(妻はKatie Holmes)もあるのに、双子の妹のJillのほうはでっかくてUglyでやかましいのでずっと独り身で、彼女が感謝祭でやってくる、となってもみんなあんまし嬉しくなくて、んで、例によって大騒動が巻きおこるのだが、最後は… わかるよね。 

いつも以上にあったかい、それは別に双子に限ったはなしではなく、誰もが自分のなかにいるもうひとりの自分をそっとハグしてあげたくなるような、そういう柔らかさ、優しさが全面に出た作品になっている。

ま、そんなのよかすごいのは本人役で出てくるAl Pacinoだよね。 同じブロンクス育ちのJillにべた惚れして狂って追っかけまくるの。あの調子と勢いで。 
このへん、Ben Stillerにいいように操られている(のかな)最近のDe Niroとおなじ空気を誰もが感じてしまうのかもしれないが、べつにいいよ、おもしろけりゃ。

あとは、いつものAdam Sandler組もいっぱい、David SpadeもRob Schneiderも。久々にNorm MacDonaldを見れたのもいかった。

これも、これでも日本公開はないのだろうか...
Johnny DeppとAl Pacinoの2ショットがあるんだよ。
Al PacinoがダンキンドーナツのCMで歌って踊るんだよ。 

オープニングとエンディングは、いろんなリアル双子が出てきて、カメラの前で自分たちふたりのことについてしゃべるの。それもおもしろい。 
オープニングにかかるのが、Sonny & Cherの"I Got You Babe"で、エンディングでかかるのが、UB40 & Chrissie Hyndeの"I Got You Babe"なんだよ。 
素敵でしょー。

[film] My Week with Marilyn (2011)

金曜日はBlack Fridayで、昨年もそうだったが、Record Store Dayだったことを当日の朝に知る。 こまったこまった。  で、映画は同様に2本見る。

昼間に入ったWilliamsburgのコーヒー店、すごかった。倉庫みたいな店の半分以上のスペースで焙煎というか実験みたいのしてた。 

http://www.bluebottlecoffee.net/

で、夕方、Times Squareのシネコンで見ました。

"The Prince and The Showgirl"(1957 - 王子と踊子)の撮影のために英国を訪れたMarilyn Monroe(Michelle Williams)と、彼女との短く儚い、甘酸っぱい思い出を、Laurence Olivier (Kenneth Branagh)の丁稚・なんでも係として働き始めたColin(Eddie Redmayne)の目を通して描く。

あくまでColinの目から見た「実話」だし、関係者は殆どいなくなっちゃっただろうからどこまで本当か、というのはあるのだろうが、そんなの別にどうでもいい、というくらい青年の期待と憧れと失望と、要は青春のきゅんとくるかんじは、くる。

Nat King Coleの"Autumn Leaves"に乗って、ほんの束の間の、一日だけの、夢のようなデートをしたときの高揚感と陶酔はじゅうぶん伝わってくる。ま、だれでもそうなるだろうけどな。
この一日の描写だけ、こまこまずーっと流しておけばよかったのに。 

Michelle Williamsがうまい(それなりの覚悟も含めて、賞賛されるべきだろう)のは言うまでもないが、相手のEddie Redmayneもいちいちぽーっとなってしまう青いかんじが出ていてとってもよい。 ま、だれでもそうなるだろうけどな。

あと、並行して彼と仲良くなるEmma Watson。 彼女だけでもじゅうぶんきれいなのに、とか。

久々に見た気がした、丁寧に作られた英国映画、みんなのイメージのなかにある英国 - それはMarilynが見たものでもあるだろう - をちゃんと追おうとした、という点でもわるくないかもー、と思いましたわ。

[film] The Descendants (2011)

Muppetsのあとで、シネコン内渡り(ごめんねPiggy)で"The Descendants" を見る。
今年のNYFFのクロージングだったAlexander Payneの最新作。
これも感謝祭映画、と言えないこともない。 ちょっと地味で暗いけど。

ハワイに住んでいるGeorge Clooneyが一族で代々管理してきた土地を売ろうとしているの。
そんななか、彼の奥さんがボートの事故で意識不明の植物状態になってしまうの。

で、これまでぜんぜん構ってこなくて、荒れ放題になっていた娘ふたりをそばに寄せて、面倒を見ることにする。 やがて荒れまくる長女の口から妻が地元の不動産屋と浮気していたことを知って唖然として。

ハワイに住んで、その血筋を、その土地を受け継いで生きる/生きてきた、ということを家族との葛藤、自身と妻のこれまでの暮らし(知っていたこと知らなかったことも含めて)との対比のなかで見つめ直そうとした - 見つめ直そうとあがく初老の男のドラマとしてじっくりと描く。 
"Sideways" (2004)のナパがそうだったように、ハワイのほんわかした陽光と空気が彼の焦燥と逡巡をくっきりとあぶりだす。

娘ふたりの荒れっぷり、長女の彼(なぜかどこにもついてくる)のぼけっぷり、義父の救いようのない頑迷さ、妻の浮気相手とその家族、そして何よりも、混乱と困惑のみを後に残し、何も語らず機器に繋がれて死を待つだけの妻、どいつもこいつも状態のなかではっきりと自分にとって必要ななにかに目覚めていく男一匹のGeorge Clooneyがただ、よい。 はじめて彼のことよいと思ったかも。

もともとAlexander Payneの映画ってそういうとこあったけど、今回のはテーマも含めてなんだかとっても小津っぽい。 会話もなにもすべてが地味なのにぐいぐい引きこまれ自分自身が事態の、その金縛りのただなかに押しこまれるような、そういう窮屈な居心地の悪さのなかに置かれてしまう。  それは映画の世界に浸る幸せとは別の種類の変な感覚で、ぐったりしたりもするのだが、悪くないの。

Thanks Givingのディナーは、昨年と同様、Prime Meatsの並びにあるFrankies(メニューは同じ)で七面鳥を戴いた。 昨年と同様、ありえないクオリティだった。

[film] The Muppets (2011)

Thanks Givingの日は、感謝祭ということで映画2本。
そういえば去年のThanks Givingもここにいたのだが、あんまし映画見ていないのな。
今年はなんだか見たいのがぱんぱんに詰まっていて大変なのだが。

朝起きたらパレードやってて、歩いて2ブロックのとこだし、見に行ってみた。
見にいったのって、93年以来だったかも。

で、いつもそうなのだが、寒いし、すぐに飽きて帰りたくなって、次になんか(バルーンね)来たら帰ろう、と決めるのだが、そういうときに限ってスカみたいのしかこない。

スカ、っていうのは例えばこんなやつら。



一番いかったのはデュラセルの電池うさぎだったかも。ぐるって一回転してくれた。
ティムバートン風船も来たけど、なんかじみだよねえ。



で、お昼すぎから"The Muppets"を見る。 3Dではないの。
もう、ぜんぜんよい。 人間側主演のJason Segelが思い入れたっぷりに脚本も書いてて、外してないし、Muppetぜんぶが、でっかいのもちっこいのも変なのも生きて跳ねまわっている。
(人間のダンスシーンはもうちょっとフックがほしかったけど)

共演のAmy Adamsも、あんたはもう一生"Enchanted" (2007)とかこういうMuppetsとか魑魅魍魎の世界で夢見て踊ってなされ、というくらいにはまりこんでいる。

Gary(Jason Segel)とマペットのWalterは幼馴染みでずっと一緒に育ってきて、GaryとMary (Amy Adams)の出会って10年目のアニバーサリーに一緒に西に行こう、て言われて最初は遠慮するのだが、憧れのMuppets Studioにも行くから、ということでついていくの。

で、行ってみたらStudioはぼろぼろでしょうもなくて、裏で石油成金(Chris Cooper - Tex Richmanていうの。悪で、ラップとかもするの)がそこを取り壊して石油を掘ろうとしているのを知り、かえるのKermitに頼みこんで彼とかつての仲間を集めてショーを開こうとするの。

まるでBlues Brothersみたいなお話だが、それのどこがわるいのよ、いいに決まってるわよ。

パリまで(車で)行ってMiss Piggyも誘って、同じくぼろぼろだったMuppet Theaterをみんなで修理して、1回限りのTV放映まで取りつけるのだが、始まった時点で客は浮浪者(Zach Galifianakis)くらいしかいないの。 でもだんだんに増えて、盛りあがっていくんだよ。

ショーのクライマックスで、Kermitがバンジョーを持ち出して、横にPiggyが入ってくるあたりからはずーっと、じーんとしていた。 結末なんてわかりきっているのに。 あんなのずるいわ。

カメオも含めて人間側のゲストはそれなりに豪華。
David Grohlさん(ドラムスの音も彼だよね)とかFeistさんも出てくる。 "Harold & Kumar"にいたNPHも。 ほかにもMappet同様、判別できないくらいいっぱい出てくる。

単に、Muppetsファミリー全員集合で、めでたしめでたし、だけじゃなくて、Walterの成長物語で、GaryとWalterの友情の物語で、GaryとMaryの、KermitとPiggyのラブストーリーでもあるの。 
感謝祭なんだよねー。

AMC系のシネコンでは、上映前にMuppetsたちがマナーを教えてくれます。
行儀の悪い客共(Muppets)に、Miss Piggyが怒りの鉄拳を。

[film] A Very Harold & Kumar 3D Christmas (2011)

今年のThanks Givingは、全体にあったかすぎてつまんないの。

水曜日、Thanks Givingの前日は、だーれも仕事なんかやろうとしてなくて、4時くらいから潮が引くみたいにみんな消えてしまうので、つまんなくて映画みて帰る。
Thanks Givingの前に見ておかないといけない気がしたので、これを。

こういうの、見ないひとは一生見ないだろうし、見るひとはどうせ見るに決まっているのであんま書くことはないのだが、おもしろいようー。
3Dになって、なにが飛び出してくるかというと、卵とか煙とか粉(ドラッグね)とか極楽のらりらりとかクレイのちんぽことか、そんなもんなのよ。

Wall stの抗議デモから始まる。このへんはさすが。
Haroldは結婚して、義父が、Machete(Danny Trejo)で、丹精こめて育てあげたもみの木と一族をひき連れて新婚夫婦の家にやってくるの。 一族が留守にしたところでKumarがパッケージを届けにきて、そいでもみの木が燃えちゃって、Macheteにぶっ殺される、と替わりのもみの木を探しに街にでるの。

車がぶっつぶれようが、ウクライナマフィアに殺されかけようが、幼児がヤク中になろうが、会う奴来る奴みんな変態ーろくでなしーやくざのどれかでしかなくても、どんな散々なめに会おうともクリスマスだもん、すべては神のおぼしめし、サンタさんありがと(でも、ずどん)、なの。
だれも文句いわない。いわせない。 ここはアメリカー、ていう開き直りもまた。

次もまちがいなくあるでしょうが、ずっと続いてほしい。 としか言いようねえな。

11.24.2011

[film] The Blues Brothers (1980)

滞在が延びて、それはもちろん、ぜんぜん歓迎すべきことではないのだが、よい面に敢えて目を向けてみようとするならばだ、例えばこんなのがあったの。

BAMの特集で"8 Films by John Landis"。 監督本人がきてQ&Aとサイン会をしてくれるって。

どしゃ降りのぐしゃぐしゃの火曜日の7:00から"The Blues Brothers"を見る。 
もう何回も見ている。 当時高校生だった自分に決定的かつ致命的な影響を与えた1本、なの。
John Landisはもちろん他にもアニマルハウスだって、サボテンだっておもしろいが、この1本はちょっと他とは比べられない。

この映画でR&BやArethaに出会わなかったら、ただのPunk/New Wave好きのカス野郎で終わっていたはずだ。
でもこの映画のせいで、電撃に打たれて神の愛に目覚めてしまったJakeのように、カスよかもうちょっと始末に困るゴミ、くらいのところにまで行ってしまった。 それがどんなにはた迷惑でうっとおしいゴミ野郎であるかは、例えば"High Fidelity"を読んでみればいい。
あんなふうな鼻持ちならねえくされクズになってしまったのさ。

最初にBAMのバカ映画担当(たぶん)のお兄さんが挨拶して、今回の特集はぜんぶ35mmだから、これはすごいんだから、ていう。  はいはい。
確かに、もう日本では35mmなんて残っていないだろう。 35mmで見れる最後の機会かも、と目に焼きつけよう。

監督も最初に一言だけ挨拶する。 
映画はくだんない(Silly)だけど、音楽は最高だから、楽しんでね! って。

内容は、別にいいよね。 
監獄から出てくるときの"She Caught the Katy"のギターカッティングのとこからずうっと拍手と歓声、笑いの渦ばっかし。
エンドロールで流れる"Everybody Needs Somebody to Love"は最後までみんなえんえん手拍子してた。

ボールルームでのライブから車を発進させて怒涛のカーチェイスになだれこむとこまで、なんかじーんとしてた。
なにもかもすばらしすぎる。

あと、みんな死んじゃったねえ。 
JBもCab CallowayもRay CharlesもJohn Lee Hookerも。

監督とのQ&Aもおもしろかった。
あんなにお話がおもしろくてGentleなひとだったとは。 そりゃおもしろいか、あんな映画つくるわけだしな。

"Animal House"の後で、National LampoonとSecond Cityの面白い連中を集めてアイデアをまとめていった話(これらはぜんぶSNLが始まるずうっと前からなんだぞ - ここ何度か強調)とか。

R&Bのメンツは今からするとすごく豪華だが、当時はディスコが全盛だったらか、みんな割とヒマで、ふつうに参加してくれた。
曲に合わせて口パクをしてもらうのがほんとに大変で、JBなんてぜったい無理だったから最初からライブ。 映画のなかで、JBとJohn Lee Hookerのとこはライブ録音だって。

映画のサントラ盤にJohn Lee Hookerを「黒すぎる」という理由で入れてくれなかったので、Ahmet Ertegunと大喧嘩をした、とか。

ナチ親衛隊の車が空を飛ぶとこは、実際に車をシカゴの上空にヘリで運んで、ほんとに落とした。 それを2台やった。 
ずっとやってみたかったので大満足だった。

カーチェイスですごくたくさんの車を潰したと思われているようだが、実際には50台くらい。前のシーンで使ったやつを塗りなおして再利用している、と。

アニマルハウスのときに「イパネマの娘」の替え歌を許可してくれなかったので、トムジョビンのことはずっと恨んでいる。
エレベーターのシーンでさいてーのアレンジの「イパネマ」を流してやるのは、それへのあてつけ。

ラストの監獄のとこで最初にテーブルに飛び乗って騒ぎ出すのはJoe Walshとその兄弟、だって。

こんなふうに映画のおもしろい話はいくらでも出てくるのだった。

最後に言ってたことで印象的だったのは、コメディ映画の質が根本的に変わってしまった、と。
今年一番面白かったのは"Bridesmaids"だとおもうが、あれは結果的にはみんな幸せになっておわる。 "Knocked Up"でも"Juno"もいろいろ事件は起こるけど、最終的にはみんながハッピーになる。("Juno"なんて高校生が子供つくって、それを他人にやっちゃってめでたしめでたし、なんてひどい話なのにさ)  
これはリスクを取ろうとしなくなった映画産業の質の変容とも関係している、と。

この映画もコメディーだけど、最後は刑務所だし、アニマルハウスはアナーキー状態で終わる。この映画の2-3年後の"Fast Times at Ridgemont High"くらいまでだった。  あれ以降、コメディは変わっていってしまった。 と。

サイン会でサインしてくれた本は、"Monsters in the Movies - 100 Years of Cinematic Nightmares"ていうハードカバーのでっかいやつで、映画怪物図鑑、みたいなやつ。 写真いっぱいで、古今のドラキュラとか狼男とかゾンビとか怪獣とか虫とかがきちんと分類されてうじゃうじゃ出てくるの。
Joe DanteとかJohn CarpenterとかSam Raimiとかいろんなひとたちとの会話もいっぱい入ってて、これで$40はぜんぜん安いよ!

  










と、いうわけでThanks Givingにはいるの。

[film] Martha Marcy May Marlene (2011)

"Kooky"のあとで、続けてBAMでみました。 一転して暗くてシリアスなほうへ。
今年のサンダンスで話題になった新人監督の。

MarthaはCatskillの山奥のカルトになんとなく囲われて、なんとなくそこが嫌になって逃げ出す。
行くところがないので、唯一の身寄りであるコネティカットの姉夫婦のところに身を寄せる。

姉のだんなは建築家で、家は湖畔(海かも)にある立派なおうちで、夫婦は2年間も音信不通だった妹を気遣ってあれこれしてくれるのだが、Marthaは自分がどこにいてなにをしていたのかを彼らに言うことができず、溝が深まっていく。

カメラはコネティカットでのリハビリのような彼女の日々と、教団内の共同生活としてあった彼女の過去を交互に追っていって、やがて彼女のなかの逃れられない過去が、彼女の現在をゆっくりと浸食していく。
ひょっとしたら彼女はあそこに戻りたいのか、このままでいたいのか、それすらもわからなくなっていく。

静かな田舎の、環境的には申し分ないと思われる場所(過去のも現在のも)で、じわじわと生きる感覚を失い、戻れる場所を失っていくかんじ(恐怖、とまではいわない)をサイコスリラーのように描いていて見事でした。
何度か反復される水のイメージも、ちょっと古典的すぎる気もしたが、すばらしい。

そして、Marthaを演じたElizabeth Olsenの存在感。 姉ふたりがあんなだと、妹はこんなにも、とは言うまい。
漂白されたような表情、彼女の少し丸めの体型とまあるい肩を後ろから撮ったショットが印象的でねえ。

よく語られがちなサバービアの風景とはまた別のところ、別のかたちとしてある、個々の意識のありよう、時間の感覚をひとりの少女の後ろ姿とまあるい肩でもって語ろうとした、そこにのみ注力しようとした姿勢は評価されてもよいかも。

それにしても、こないだ見た"Red State"といいこれといい、アメリカのカルトってやっぱしこわい。
日本のは笑いとばせるのに、なんでかしら。


これを見たあと、なんでかへろへろに疲れて、Marcy Mayみたいにごろんとなってしんでた。

[film] Kooky (2010)

日曜日も先週とおなじく映画2本だけみてぱたり。

昼間、New Brooklyn Cuisineの代表といわれる(ことが多い)Fort GreeneのThe General Greeneに行った。
要は素朴で、でも丁寧に作ってあるアメリカン、というだけだと思うのだが、どのお皿もあきれるくらいおいしい。
なんでフライドチキンとワッフルが同じ皿の上で喧嘩しないのかがわかったし、Buttermilk Biscuitのほっこり感はどんなよくできたブリオッシュやマドレーヌをも凌ぐ鮮烈なものでした。 デザートの塩キャラメルサンデーがまたなんであんな...

で、BAMのPuppet映画祭(この日が最終日)でこれ見ました。



チェコの実写人形劇(かなあ)。 これがUSプレミアだそうで、Kookyがこの映画祭のパンフの表紙だったし、主催のJim Henson財団のおばさんもとにかくいいのよ、て絶賛していた。

よれたひょろひょろのクマ(?)みたいなぬいぐるみがKookyで、彼とその同類がそのキャラの世界のなかで動いていくお話ではなかった。
喘息もちの男の子がKookyとずっとに一緒にいて、Kookyはぼろになってきたし、洗うこともできないから、と親が捨てちゃうの。
でもKookyと一緒にいたい男の子がKooky戻ってきて、て祈るとゴミ捨て場のKookyは動きだして、ゴミ捨て場を抜けて森に入っていくの。

でもゴミ捨て場を管理している警察みたいな連中(腐ったペットボトルみたいのでできてる)とかはKookyを追っかけだして、森に入ったKookyは森の仲間をみつけて、一緒に森を抜けて男の子の元に帰ろうとするの。
木の実とかきのことか芋とか、そういうのでできた仲間のほかに、ほんもんのリスとかキツネとかイノシシとかナメクジとかうじ虫とかトリとか、いっぱい出てきて助けあって一緒に動くし、なんかすごい。

それと並行して男の子の喘息は悪化していって、Kookyは戻らなきゃってけなげにがんばるの。
こないだの、"Toy Story 3"にもあった、あのきゅーんとするかんじが、じわじわくる。

Toy Storyの場合、それはいつかは離れなきゃいけないおもちゃ達の想い(それはわれわれ人間のものでもある - 永遠の片想い)に貫かれていたわけだが、こっちはあの男の子の祈りにも似た願いが全編をドライブする。 それはKookyに対してだけじゃなくて、森のいろんな生き物とか、犬ころとか、ショッピングセンターにたむろしているホームレスとか、世界全体を覆っていて、Kookyは、Kookyを乗せた車は、それをぜんぶ背負って懸命に走っていく。 単に持ち主のところに帰るだけじゃない、Kookyは鳥の卵だって、ホームレスだって救う。 
Kookyは彼の目になり、翼になって、世界を捕まえようとする。(両想いなの) 

Toy Storyのキャラクター達だったら、或いはチェブラーシカみたいなのだったら、わかる。 彼らはそういうふうに創られた連中だから。
でも、Kookyは、そこらで、$5くらいで売っていそうなただの布きれクマ人形なのに。 そいつが糸かなんかでひょこひょこ動いているだけなのに、なんでこんなにじーんとしてしまうのか、と。

場内にいっぱいいるガキ共は大喜びでしたが、それ以上に大人も十分にどよめいていた。 
どっちかというと大人のための、だったかも。

でも、くーきー、いいな。

11.23.2011

[music] Eleanor Friedberger -Nov.19

19日のライブ関係は、なかなかきびしいものがあった。

最初は、Japan Societyでの大友良英&Christian Marclayのデュオ、に行くつもりでいた。 
ら、いつのまにか売り切れてて唖然。

それからTerminal5でのMastodon + DEP + Red Fangを狙ったのだが、チケットは売り切れ状態のままてこでも動かず。

あとはBAMで3日間だけやっているJohn Malkovichの演劇"The Infernal Comedy: Confessions of a Serial Killer"(いかもにー)にしようかとも思ったのだが、チケットが$175もしたのでちょっと考えて諦めー。

しょうがないので、といったら失礼だが、Film Forumの近所のLe Poisson Rougeでやってたこれにしたの。  7時開始で早く終わりそうだったし。 当日で$15。

7時過ぎに入ったらまだ前座の一番手でひとがほとんどいなかった。
Grand Rapidsていう4ピースで、DrとBが女の子で、あとはGふたり。
自分はつくづくこういう、どたどたがたがたしたギター2ピースバンドが好きなんだなあ、と改めておもった。
このフォーマットなら、どんな曲でもラブリーに聴こえてしまうという、困った病気のようなもん、というか。

続いてのAn American Dreamは、KeyとViolinを含む6人編成で、The Bandみたいな楽曲をよりモダンにダークに吹きまくるようなかんじ。悪くはないのだが、なんか重たくてきついかも、と思い始めたら20分くらいでひっ、こんでしまった。

で、Eleanorさん。 出てきたのは8:40くらいだったか。

セッティングのときはそこらの男の子みたいなどうでもいい恰好をしていたのに、ステージでは全身ぴかぴかの白スーツできめてくる。

まだちゃんと聴けていないのだが新譜の木綿系SSWのイメージよりは、ぱりぱりがしゃがしゃしたロック!な音で、わるくない。
(よい意味で)いびつでトランシーなパワーポップなFiery Furnacesからも離れて、ほんとによくできたギター/ガレージを。
ドラムスとベースがかなりしっかりしてて、もうひとりのギターのカッティングとフレージングがよくて、要するに気持ちよくて、彼女もギターを抱えてそれに乗っかり、気持ちよさそうに歌う。  
怒涛の勢いで走るわけでも、派手に動いて煽るわけでも、しみじみ歌いあげるわけでもなく、このへんの淡々としたかんじは、Fiery Furnacesでもおなじだったかも。  Cool。てことね。

アンコール2曲も入れて1時間ちょうど。 とにかく気持ちよくて、後に残んなくていかった、と。

戻ってから見たSNLのホストは、Jason Segelだった。 パペットに囲まれていたので、わー、と思ったらあとは落ちた。
音楽ゲストは、朦朧とした意識のむこうで女性があわーあわーひっくりかえった声で叫んでて、えーとえーとこれは、Florence and the Machineだねえなんでこのひとあんますきになれないんだらうー、とぶつぶつ思いながらふたたびおちた。


 

[film] The Life and Death of Colonel Blimp (1943)

MOMAの後、Film Forumに移動してみました。
これもMOMAの修復イベントで話題になっていた1本で、Powell & Pressburger組の弟子であり、本作のRestoration ConsultantでもあったMartin Scorseseさんの挨拶があったり(金曜の晩、即刻売り切れ)、Michael Powellの奥さんであったThelma Schoonmaker Powellの挨拶があったりした。

163分のFull Length versionをFull Color Restoration (日本のDVDはモノクロだったみたいだが)。   邦題は『老兵は死なず』。

映画を紹介する一枚のスチールが、おふろで汗てかてかのたこみたいなはげおやじで、これが「老兵」にあたるRoger Liveseyで、これだけだとぜんぜん気が進まなかったのだが、すんばらしく面白かった。 あっという間の約3時間。

ドイツとの戦闘前夜、興奮して先走ろうとする若年兵にお風呂で老兵が語って聞かせる40年前のお話。 ドイツに乗りこんでいって、ドイツ兵と決闘して、そいつと友達になって、などなど。 が、軽妙なおとぎ話のようなトーンでさくさく進んでいく。

戦争のシリアスさや手柄話を諭すように聞かせる、というよりもこんなことがあってこんなひとに会って、それらをどうやって乗り越えてきたか、みたいなお話を孫に聞かせるかのようにやさしく伝えてくる。

とにかく色彩がすんばらしくよいの。 冒頭のタペストリーの色の一粒一粒から、軍服の鮮やかな赤や青、調度品のひとつひとつ。
そして、いちばんとんでもないのは、たこおやじではなくて、一人3役を演じているDeborah Kerrの驚異的な美しさなの。
彼女の衣装はもちろんだが、肌の肌理といい目のふるふる濡れたかんじといい、彼女の前ではタコは、もうほんとうにただのタコでしかない。

いちおう、ふたつの戦争を乗り越えた敵国間兵士の40年以上に渡る友情物語、というのがメインのテーマなのだろうし、それはそれでぜんぜん悪くないし、やってれば、なのだが、とにかくDeborah Kerrの美しさがすさまじくて、結局彼女の美しさがあったからこそ二人の友情はなんとか保たれたのだろうな、としか思えないのだった。 彼女を見ているだけでうっとり、なのだった。

でも、ロンドンの地下鉄乗っててもああいうきれいな人って見たことないんですけど。

[film] A Celebration of George Kuchar: Rambunctious Rarities, Moody Masterpieces

土曜日は、いつものように、映画ふたつとライブひとつ。

映画の最初のは、MOMAの修復フィルムイベントの最後ので、この9月に突然世を去ってしまった実験映画作家、George Kucharの回顧で、リストアされた短編5本にVideo1本、双子の兄Mike KucharのVedeo1本を見ました。 (彼が遺したフィルムは200本以上ある)

見たのは順番に

・Mosholu Holiday (1966)
・Asphalt Ribbon (1977)
・I, an Actress  (1977)
・Wild Night in El Reno (1977)
・Motel Capri  (1986)
・Statue in the Park  (1996)  ..Videowork by Mick Kuchar
・Temple of Torment  (2006)  ...Videowork

個々には書きませんが、どれもキッチュでほのぼのとジャンクでエロで、ただ見ていて楽しい。
John WatersやDavid Lynch、Harmony Korineあたりまで、フィルムのなかに(悪)夢や妄想、がらくた等々をぜんぶぶちこもうとした作家たちの先駆として、歴史のお勉強というよりは現在進行形で投影され続ける夢のかけらとして見られるべきものだとおもった。

いいなーと思ったのは、どんなに変な、気持ちわるそうな人を描いても、小汚い矮小なかんじがしなくて、そこにWeirdnessやLonlinessのようなものがあるにせよ、ちゃんとそこに彼/彼女は存在していることだった。
あたりまえのことなのだが、部屋や公園や道ばたといったランドスケープのなかで、人がいること・あること、そのコンポジションを描けているからあんまり小品といったかんじはしない。
尊厳、とまでは言わなくてもいいけど、いろんなひとがそこにはいるよね。 変態だろうがなんだろうが、と。

あとは共同制作としての映画の楽しさみたいのもわかるの。
どの作品も最後に彼を中心にスタッフ(彼が教えていたSan Francisco Art Instituteの生徒達)が手を振ってくるのだが、それがあることで、映画に描かれた題材や人が、よりくっきりとした輪郭でもって、すぐそこに現れてくる。
きっとよい先生だったのだろうなあ、とか。

冬の入口に見るにはちょうどよいかんじのぴりっと変態した作品群でしたわ。

11.21.2011

[film] The Twilight Saga: Breaking Dawn - Part 1 (2011)

金曜の晩にみました。
ひとつ前の"Eclipse" (2010)のときは、帰国前日だったのでしょうがなく木曜0:01のオープニングを大勢のヤングに囲まれてみた。なかなかすごいお祭りだった。

金曜日に会社にいたら、何人かに昨日の晩のは行かなかったのか? と聞かれた。
行くわけねえだろ、とか応えつつ、でも、すげえおもしろいとは思えないけど、気になるのでつい見てしまうんだよな、という点ではみんな同じであることがわかった。

TImes Squareのシネコンで、RPXていうでっかい音の部屋で、10:20の回。
30分前にシアターに着いたら、入り口のとこは1時間後の上映の待ち行列でぱんぱんで、上行ったら更にすごくて死にそうになった。 ストローラーも何台かいるし乳幼児抱えているのもいっぱいいる。

前も書いたが、深夜のTimes Squareのシネコンは無法地帯で、あばずれとならず者しかいない。
携帯のチャットもおしゃべりもやり放題、鷹の爪団がこれ見たら発狂してしまうだろうし、映画泥棒だってうじゃうじゃいると思う。 でも画面と音がでっかいのなら気になることもねえ。

予告でかかった"Snow White and the Huntsman" (2012)で客全員、なぜかものすごい興奮状態に陥る。 よくわからない。

で、本編。 期待通りつっこみどころ満載でー。
ずうっと、みんなでぎゃーぎゃー騒ぎながらみる。 それでいいの。

冒頭、雨のなか、式の招待状をたたきつけ、怒りにぶるぶるしながらシャツを脱ぎ捨て上半身はだかで走り出す狼くんに全員熱狂。 はいはい。 いつも思うのだが、下はなんで脱がないのかね。

ゆるゆるの結婚式の準備、そして結婚式本番。
ただ、新郎一族が黒のフォーマルを着ると、白塗りが際立ってみえて、はっきり変なのだが。
特に新郎は、髪型のせいもあって、ひ弱なフランケンシュタインみたいに見えることがある。
こんな一見しただけで怪しいとわかる怪物くん一族に娘をやっていいのか、と普通は思うと思うのだが、パパはもう洗脳されたか、疲れてあたまが変になってしまったのだろう。

(今、日曜の晩、TVで"Twilight"の1作目をやっているのだが、Robert Pattinsonくんははっきり顔が崩れてきてやしないか)

式の一番いいとこで流れるのが、Iron & Wine。 音楽だけは、よいのがいっぱい。

式は、新婦が不機嫌なのはいつものことなのだが、"Melanchoria"みたいにはならない。
でも監督をSophia Coppolaにやらせる案もあったというのだから、Lars von Trierにやらせてもよかったのではないか。 テーマ的にも結構はまっていると思うのだが。

ハネムーンはRio。 Rioにはあんなみんなで楽しくダンスするようなフレンドリーな場所はないし、沖合にあんなプライベートリゾートがあるとも思えないのだが。

初夜に興奮のあまり、ベッドの柵を粉々に、羽根布団をずたずたにしてしまう新郎。
そうだよね、さんざん待たされてじらされたんだから爆発するよね。
で、その爆発力はミサイルの破壊力でもって、ベラをいっぱつで身籠らせてしまい、赤んぼは2〜3日後には母親の腹をキックしはじめる。

ブラジル人の、ハウスキーパー兼呪術師みたいなおばさん(そういうひとがたまたまいた、と)に見てもらうと一言、「死、じゃ…」と。 

なんで? とかゆってもしょうがない、相手は何百年も生きてきた超利己的遺伝子をもった化け物なんだから。 そういう奴と結婚したんだから。

で、慌ててオレゴンに戻って、絶対安静状態に置いて、心配した狼くんはなにをしたこのやろうーばうばう、とか吠えるのだが、もうしょうがない。 
あとはもう血みどろの出産ホラーみたいな展開。 
ベラは一体どうなるのか、腹を食い破って出てくるのはいったい...

これなら出会ってすぐに噛んじまえばよかったんだよ、とか言わないこと。

Part2はこれまでのトラックに戻って妖怪大戦争になると…

なごめるのはAnna Kendrickさんが出てくるとこくらいでしたわ。

11.20.2011

[log] pictures - Nov.19

"Melancholia"にあんなに熱くなってしまったのは、やっぱし星とかに激突してもらいたいからなのだねえ。

こうして、やっぱし滞在が延びる。 ThanksGivingを超えて12月頭まで。

だからそんな計画立てるじゃねえよ、てずうっと言っているのだが、なにが悪いのだろうか? 自分か? やっぱし。
去年からずっと、1週間を超える滞在の場合、ぜったい延長になってしまうのはなんでか?

最初から1ヶ月ってわかっているのといないのとでは、心構えがぜんぜんちがうのにさ。

ThanksGiving前の写真。
左から、SOHOのAnthropologieの店内、真ん中がおきまりRadio Cityのツリー、右がBergdorfのウィンドウ(のひとつ)。 今年のBergdorfのはとってもよい。

11.19.2011

[film] Melancholia (2011)

Angelikaで水曜日の晩にみました。 雨で、だんだん冷たくなってくる。

カンヌでKirstenに主演女優賞と監督によるナチ擁護発言(→永久追放)のおまけをもたらした、どういう顔して賞受けとりゃいいのよ、だったLars von Trierの最新作。

"Antichrist" (2009)もすんばらしかったが、これもすごい。
空前絶後のあるまげどん大作、震災と原発と天災の年に現れるべくして現れた大傑作、と勝手におもうのだがそう思わないひともいっぱいいるんだろうな。

ワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』がわんわん鳴り響く中、ストップモーションでこれから起こるいくつかの場面が流されて、そのあとで結婚式の会場、古城に入っていく。

花嫁(Kirsten Dunst)と花婿が会場に入った時点で客はすでに2時間待たされていて、誰もが愛想笑いしかしない。
家族はそれいじょうで、姉(Charlotte Gainsbourg)もママ(Charlotte Rampling)もパパ(John Hurt)もみんなひどい顔してる。
姉のだんなのKiefer SutherlandもWedding PlannerのUdo Kierもみんな不穏な、めでたくない顔。

あまりに退屈なので、花嫁は会場抜け出してゴルフ場行ってドレスのまま放尿したりお風呂入ったり、職場の新人と青姦したり、やりたい放題、そのたびに全員がじとーっと待たされる。
そんなに式やりたくないならやめればいい、ていうか結婚したいとも思えないのになんで結婚するの、とか。

このへん、アルトマンの"A Wedding" (1978)の暗黒版であるとともに、Sofia Coppola的世界への、或いは"The Tree of Life" (2011)への強烈なアンチ、であり毒盛りにもなっているとおもう。 やっちまえ、てかんじ。

ほんとにねえ、いつCharlotteがあの不機嫌顔のまま、釘と金槌を持ち出してくるかと。
どうってことない所作とか表情とかがいちいちおっかない。 意味不明のばりばりの緊張感のなかにある。
かわいかった頃のCharlotteとか、お茶目なKirstenとか、そういうのが永遠に思い出せなくなってしまうのでは、と心配になるくらいこの映画の彼女たちの不機嫌鉄面顔はこわい。

Kirsten, Charlotte, そしてもうひとりのCharlotte (Rampling), この3人がそれぞれにあの不機嫌猫顔でこっちを睨む。それがどんなにおっかないことか。 それだけで世界の息の根が止まっておかしくないとおもう。 この点では、最強の女子映画、ではあるな。

と、そう思っていると、ちょうど都合よく惑星Melancholia(めらんこりん)が地球に向かってやってくるの。
彼女たちの不満と怒りと鬱憤がこいつを呼びよせたのだとしか思えない。(だって星があんなふうに踊るか?)
星は冒頭からちょこちょこ見えていたんだけど、それがだんだんでっかく、目障り耳障りになっていくの。 頭のなかの毒とおなじようにぐりぐりとくいこんできて止まらない。 血が血を呼ぶ惨劇のかわりに星がぶつかってくる。

「世界の終り」、ってこれまでいろんな形でいろんなひとが語ってきたが、終わる直前にひとは何を考えてなにをやっているんだろう、とか、その瞬間て、地底に落ちるのか水にのまれるのか空がひっくりかえるのか火で焼かれるのか、あんまイメージできるものではなかったような気がする。
この作品で描かれる「終り」は、そういうのを考えさせるような、極めて具体的なものに思えて。
これならあるまげどんもそんな悪くないかも、みたいなそういう作りになっていて、その辺はいいなー、と。  (いいのか?)

で、これのあとで、"The Tree of Life"がいけしゃあしゃあと再生されるのね。


あと、あの最後のとこは絶対爆音しかありえない。
Angelikaもなかなかすごい音(+横を走っている地下鉄音)が出るのだが、あれであれなんだから爆音だったら地球が潰れるようなすんごい音になるのではないか。

この回だけかもしれないが、終わって、画面が暗転した瞬間、なんでか大爆笑がまきおこったの。
なんじゃこりゃすげえー、みたいな。 わかんなくはないけどね。

[film] Two Weeks with Love (1950)

あまりにいろんなことがぼろぼろと崩れていくので、なんもやるきにならず、火曜日の晩に抜けだしてみました。

Walter Readeの横の展示室で、" Style and Motion: The Art of the Movie Poster (from the Mike Kaplan collection)" ていうのをやってて、それはそれはきれいでうっとりするしかない昔のミュージカルのポスターがいっぱいあって、それの関連イベントで、Jane Powellさんを囲む一夜、というのがある、と。

JanePowellさんのことは、『掠奪された七人の花嫁』 (1954) くらいでしか知らないのだが、こういう昔の映画はどんな知らなくてもなにがなんでも見ておけぜったい損はしないから、という内部ルールがあるので、見にいった。  振付はBusby Berkeleyだし。

上映前にトークがあって、本人登場の前のイントロとしてStanley Donenの"Royal Wedding"(1951)からFred Astaireとのダンスシーンのクリップが流される。 すごーい(それだけで尊敬する)。 
アステアと歌って踊って、彼の帽子をがしがし踏んずけたひとのほんもんに会えるんだー、と。

ご本人は小柄で、とっても元気でチャーミングなおばあちゃんだった。 「84なのよ、やーねー」
基本は聞き手が投げてくる昔話とか思い出話を語っていくだけなのだが、当然のように、内容はあんまわからない(みんなふんふん頷いていたが)。 
それにしても、スターだなあ、って。 なんであんなにきらきらしているのかねえ。
彼女、エリザベステイラーの最初の結婚のときのBridesmaidだったんだって。 すごいねえ。(そればっかし)

上映された映画は、彼女の一番のお気に入りということで、その理由については、「かんたんよ。見ればわかるからよ。エンターテイメントなのよ!」 だって。 あと、家族についてのとってもTenderなおはなしだから、と。

夏休みでCatskill(NYの北のほう)に避暑にいった6人家族の2週間のおはなし。長女のPatti(Janeさん)は、恋に恋をはじめた18歳で、同じく避暑に来ていた謎のキューバのお金持ちにぽーっとなって、浮かんだり沈んだり泣いたり、それに家族は振りまわされて、あれこれ大変なのだが、とにかく歌って踊ってしまえばなんとなく楽しくなるからいい。 いいったらいいの。

Janeさんはすごい美人さんというわけではなくて、Girl-Next-Doorの、でも歌のものすごくうまい女の子で、ちょっとだけDrew Barrimoreさんがふわーんとしたときの顔に似てみえるとこもあった。

ほんとにTenderなアメリカの家族のおはなしで、John Hughesの『すてきな片想い』 (1984)の、あれよかもっと無防備な、砂糖菓子のような家族の原型を見るようでした。 
ああいう家族って、いまもあるのかなあ、むかしはあったのかなあ、とか。

あとは、ぴかぴかのテクニカラーの色彩の美しさについては、至福としかいいようがない。 
この先、どんなデジタルのCGの3Dのすごいのが出てこようとも、美しいのは断然こっちだ、裁判で争ったっていいね、とおもった。 
でも今のシネコンとか映画技術が向かっているのって、こういうのとは全然別の方角なんだよなー。
リアリティって、そんなに重要なもんなのかしら。

コピーできない、互換もない、暗闇のなかでしか現れることのない美しさ、そういうものがある、っていうことをどうやったら若い子たちに伝えていくことができるんだろうねえ。
  

11.17.2011

[film] Saul Bass: A Life in Film & Design

月曜日の晩、MOMAの"To Save and Project: The Ninth MoMA International Festival of Film Preservation"の一環のイベント。

チケット取っておくのを忘れてて、当日も抜け出せるかどうか直前までわからず、15分前に会場についたらとっくにSold Outで、Stand-byのすんごい行列ができていた。  そりゃねー。MOMAでSaul Bassだもんねー。 
とりあえずおしりに並んで、じゃあかわりに何見ようかなー、と探しはじめたら、なんと入れてしまった。

"Saul Bass: A Life in Film & Design" (Laurence King, 2011)ていう本の出版を記念して、彼の業績を振り返る。  講義してくれるのはPat Kirkham, Chip Kidd, Kyle Cooperの各氏。

オープニングが"Walk on the Wild Side" (1962)のタイトルロール。
土管からでてきた黒猫のしのし、黒猫vs.白猫、黒猫勝ってふたたびのしのし。
この時点で全員溜息しかでない。 ありえないくらいにかっこよすぎる。

最初のパートは彼自身へのインタビューも含めて彼のいろんな業績をざーっと紹介したショートフィルム。

面白かったのが、"Phycho"(1960)のシャワーのシーンを彼が手書きしたシークエンスと実際の映像をパラで流していくところ。
アングルとか、ほとんどおなじに推移していくところがすげえ。

それからあまり紹介される機会のなかったTV CMを紹介するコーナー。
ABCのFrank Sinatra Showとか、ビールのCM(Rainier Beer、National Bohemian Beer)とか。
ビールのCMの格調高いこと深いこと。 (これと比べると、最近の日本のビールのCMのクズなことゴミなこと...)

そしてChip Kiddさん(おしゃれねー : 写真下)が登場して、企業のCIデザインを中心に紹介、ていうかほとんど大学の講義みたいだった。
CIひとつひとつをぱたぱた流して論評していくの。
Lawry'sとかBell SystemsとかALCOAとか、QuakerとかUnitedとかWarnerとかGeffinとか。日本だとミノルタとか。

Chip Kiddさんは、10歳くらいの子供むけのグラフィックデザイン入門、みたいな本を出すそうです。

それから、自身も映画のタイトルを多く手掛けるKyle Cooperさんが登場してSaul Bassが手掛けた映画のタイトルシークエンスの紹介を2回に分けて。
(間違っていたり漏れていたりしたらごめん)

第1部はー;

The Man with the Golden Arm (1955)  ..Otto Preminger
Bunny Lake Is Missing (1965) ...Otto Preminger 
Cape Fear (1991)  ..Martin Scorsese
Vertigo (1958)  ..Alfred Hitchcock
Something Wild (1961) ..Jack Garfein
Cowboy (1958)  ...Delmer Daves

これらはそれぞれの映画のテーマである妄想(Obsession)にドライブされていくさまを象徴的なイメージの連鎖のなかで集約させようとしたもの、だと。

第2部はー;

Grand Prix (1966)  ... John Frankenheimer
Seconds (1966)  ... John Frankenheimer
North by Northwest (1959)  ..Alfred Hitchcock
The Age of Innocence (1993)   ..Martin Scorsese
Casino (1995)   ..Martin Scorsese

こちらは、映画のオープニングの掴みとして、一挙に物語のコアとか全体像に見る人を連れて行ってくれるような、そういう効果をもったやつ。

よくできたオープニングって、ほんとにどきどきして見たくなりすぎてストレスがたまる。
いつの日かぜんぶ制覇したい。
あと、"The Age of Innocence"て、Saul Bassだったんだ、とか。

Kyleさんがあきれてたのは、今だとCGのデジタル処理できることが相当あるのだが、50年代60年代はフィルムしかないわけで、そういうなかでなんであんなことができたのか、って。

で、いちばん最後に、リストレーションを終えたばかりだという、Saul Bass自身によるショートフィルム"Why Man Creates" (1968) 。
原始人のアニメーションから入って、だんだん進化の階段を上っていって、タイトル通りのいろんなイメージとかコントがてんこもりで、とにかくおかしいの。

全体として、ものすごく気持ちよい音楽を聴いているときに近い極楽浄土感覚で楽しむことができた。
約2時間のプログラムで全貌をつかめるようなひとでないことだけはわかったので、これからもちびちび追っていきたいと思いました。
                 


           

[film] The Owl and the Pussycat (1970)

Film Forumのあとで、Lincoln Centerに行って、見ました。
Hollywood's "Jew Wave"(この日が最終日だった)の1本。 Herbert Rossの70年作品。

邦題は『フクロウと子猫ちゃん』。 Pussycat = 子猫ちゃん?
この映画に出てくるのは子猫ちゃんではないねえ。

いつも行っているWalter Reade Theaterの窓口に行ったら、上映するのはここじゃなくて通りの反対側よ、と言われる。
この春に新しい上映館ができたのは知っていて、主に新作の上映をやっているところで。
シアターの名前は、The Elinor Bunin Munroe Film Center ていうの。 誰だよそれ、って。

できたばかりなので中はとってもきれいでちゃんとしたカフェもある。 BFIにあるやつみたいな。
ポップコーンのコーナーに、Parmigiano Black Truffle Popcornていうのがあったので、頼んでみた。($5)
... しっぱいだった。 
パルミジャーノとトリュフのくさいべたべた汁にポップコーンが浸かっているだけなのだった。

書店勤務で作家志望のさえない男(George Segal)が、おなじアパートの別の部屋をしめだされて転がりこんできたあばずれのコールガール(Barbra Streisand)と喧嘩して、両方とも首ねっこ掴まれてつまみだされて、互いにぎゃーぎゃーやりあっていくうちに仲良くなっていくおはなし。

めちゃくちゃおもしろいの。

これが最初のnon-musicalの主演だというBarbra Streisandの機関銃としか言いようがないブルックリン訛りも、それで蜂の巣にされながらもめげずにねちねちやり返していく梟男のGeorge Segalも偉くて、で、そんなふたりに突然スイッチが入って恋になだれこんでいく瞬間のうわわあー、みたいなかんじとか。 それがマンハッタンの西側のぼろいアパートとかで起こる、そのリアルさと、いろんなアパートを転々としてセントラルパークまで流れていってしまうずるずるしたかんじとか。

Barbra Streisandは、とにかくキュート。 子猫ではないし、実際にいたらおっかなそうだし、あんま関わりたくないけど、でもキュート。

上映後に脚本のBuck HenryさんとのIn personがあった。(写真)

もともとはお芝居をベースにしていて、もとは男のほうはSidney Poitierを想定して書いてて、そのあとで別のひとになって(名前忘れた)、最後に彼が即興劇団でいっしょだったGeorge Segalに落ちついたのだそうな。

あと、Barbra Streisandは撮影のときはもっといっぱい脱いでて(すばらしいプロポーションだった、と)、ぜんぜんそういうのにこだわっていないふうだったのだが、公開直前になってやっぱりいろいろ友達とかもいるし恥かしいのでやめて、と言ってきて、それで今のバージョンになったのだという。

あと、"Taking Off" (1971)(『パパ ずれてるゥ!』)で一緒だったMilos Formanとのエピソードとか。
(おもしろいーとおもったのにもう忘れてら...ばかばか)

音楽はBlood, Sweat & Tears が全面担当してて、これもすばらしいの。
満月の白い丸のなかにクレジットが映しだされて、静かなホーンの音色と共にマンハッタンの上にゆっくりと降りてくるタイトルバックのかっこよさに見事にはまるの。
サントラみつけたら、買おう。

このあと、8:30からは、Barbraの"Funny Girl"(1968) もあったのだが、仕事があったので諦めてしおしおと帰った。

11.16.2011

[film] The Other F Word (2011)

日曜日は、地味によいこに映画2本だけ。  Foo Fighters、行けばよかったかなあ。

ブランチは、TribecaのLocanda Verdeで、Wood-Fired Uova Al Forno、というのをいただいた。
深皿にお豆とモッツアレラとはっぱを敷いてこんがり焼きあげたやつ。 しょうげき、だった。

3:00からFilm Forumで見ました。 ドキュメンタリー。 パンクの... かなあ。
http://www.theotherfwordmovie.com/

ふだん、職場(=ライブ会場)でFワードを連発しているLAパンクシーンの重鎮のみなさんが、自分の子供をもって、子育てという事態に直面したとき、どうなったのか。 パンクにとって子育てとは、いったいどういう意味をもつのか。

いろんな人たちがいっぱい出てくるが、メインで出てくるのは、Jim Lindberg (Pennywise), Fat Mike (NOFX), Lars Frederiksen (Rancid), Mark Hoppus (Blink 182), Tim McIlrath (Rise Against) あたりで, 他出るのはBrett Gurewitz (Bad Religion), Ron Reyes (Black Flag),  Flea, Josh Freese, Mark Mothersbaugh,  などなど。

めちゃくちゃおもしろかった。
パンクていうのはまず親に反抗し、体制に反抗し、既成概念に反抗し、なにごとにもきんきん針と中指を突ったてるものだった。
だがしかし、その針の内側に守るべきものができる、自分があれほど嫌っていた親に自分がなる、ちゃんと子供を育てるために学校にも通わせる、そのためにそれなりの生活レベルを維持確保する、これらって自分がずっとやってきたことを否定することにもなりやしないか。

で、そういう事態になって、彼らは彼らなりに考えるわけだ。 自分はなんであんなにも親を嫌ってパンクになっていったのか、とか。

よいのは、「パンクも人の子」とか、「ご家庭パンク」とかおちゃらけたりしないこと、パンクがそんなことを... とかも言わないことだ。
そんなの言うこと自体おかしい。 あくまで線を引くのは自分だし、パンクってそういうもんだから、と。

こうして、彼らが本当に真剣にParenthood - 親になること - を考え、実行し、苦闘するその姿がおもしろおかしく描かれる。

それは結果的に、誕生から35年だかなんだかを過ぎようとしているパンクの本質に向かうものに - そこらの安っぽいパンクドキュメンタリーをはるかに超えるものに - なっていたように思う。

だから年間200日を超えるツアーに出るような生活を子育てのためにやめる = バンドを脱退する Jim Lindbergさんが感動的にうつるのだし、子供がいてくれてほんとによかった、と泣きだしてしまう泣き虫Fleaさんも沁みるのね。

でもだからといって、最近の女性誌にいっぱいでている「子供をつくろう」みたいのとは全然別だからね。  あれってほんとにほんとに気持ちわるいんだけど。

映画全体のトーンは、ほのぼのとおかしい。
子供をあやすのにDevoのフィギュアを使ったり、完全に子供の尻にしかれてたり。

あとね、弱点があるとすれば、これってパンクは男性のもの、っていうそれなりの前提に立ったものなんだよね。
女性側の視点(パンクの夫を持ってしまった妻たち、自身がパンクであるママたち)を入れたらどうなったのか、とか。

続編をつくってほしいものだ。

あとね、これって西海岸(LAパンク)だから成立したテーマかもしれない、とか。

Josh Freeseさんの息子、NINのJones Beachのときにステージの端にでてきてあそんでたねえ。

[music] Sebadoh - Nov.12

"Like Crazy"のあとで再びBrooklynに戻る。 こんどはWilliamsburg。

ライブまでは時間があったので、Academy Recordsですこし漁った。 
店内ではでっかい音でPILの"Flowers of Romance"が流れていた。どんどこどこどこ。
いつもはカウンターで寝ている猫がずっとうろうろしているのであんま集中できず。

Spoonbill & Sugartownの本屋にもいった。 あそこにいつも寝っころがっている猫の写真を展示販売してた。
一枚$100は高いのではないか。 だって実物がそこで寝てるのにさ。 いつきてもほんとによく寝てるねえきみは。

9時過ぎにMHOWに入って、最初の前座がはじまっていたのだが、床に座ってそのまま意識を失っていた。 ごめんね。

2番手がMazesていう英国の4ピースで、説明書きにもあったがほんとにGuided by Voicesみたいだった。 きみたち、ほんとに英国のバンドなの? それくらいにからからすっこ抜けた音だった。

で、だらだらしたセッティングの後、10:55くらいにようやく登場する。 
それまで、壁に寄りかかって気を失ってた。

出張で見れなかったこないだの来日公演のリベンジ。 きほん負け犬だけどそういうとこはへこたれない。  行きたいものは行く。
2011年のツアー全部の最終日、ということでリラックスした、開放感に溢れたライブでした。

というか開放しすぎ。 曲間にだらだらしゃべるしゃべる。 しかもギターの調子がよくない、とかチューニングしながらえんえん。
君たちの曲って、そんなに厳密なチューニングいらないでしょ? と思うのだが、まあ音はばりばり出ていたのでゆるす。

90年代中期にLo-Fiと呼ばれた音が抱えていた壊れやすさ、繊細さ、揺れっぷりは歳月と彼らの年齢と共に、あらかじめどこか壊れた、やけくその音の塊として思いっきり地面に叩きつけられていた。 そういうものだし、それでいい。
そうして再生された"Bakesale"や"Harmacy"の音は、それでも、じゅうぶんに瑞々しいんだもの。

新旧いろんなのをいっぱいやって、でもSebadohらしくだれだれで、で、1時間半を過ぎたくらいで、Louが「みなさん、とても残念なお知らせがあります」とかいう。 「曲のリストをぜんぜんこなせていません。どうしよう...  云々」。 

それでもだらだらチューニングとおしゃべりは止まず(まったく悪いと思ってない)、その状態のまま、「いまのが1回目のアンコールね」 その後しばらくして「これが2回目のアンコールだよ」... 
終わったら1時を軽くまわってて、メンバーはひっこんだものの客電がつかないので50人くらいがずっと帰らずにわあわあ騒いでいた。 あのあと、出てきたのだろうか。

JasonのMCでおもしろかったとこ「ヘンリーロリンズのやろうがルーザーでいて何が楽しいんだ? とか言いやがってよお。うるせえよ、ほっとけってんだよ」 そうだそうだー。 えいえいおー。

アパートに戻ったのは2時半過ぎで、さすがにもうあかんこういうのは、とおもった。 何度目だよ。

[film] Like Crazy (2011)

BAMのあと、裏手のGreenlight Bookstoreでだらだらして、いいかげんBrooklynの地図とか買った。
あと、Jonathan Lethemのサイン本がいっぱいあったので「孤独の要塞」を買った。

晩のライブまでのつなぎで最近の若者むけのもなんか見ないと、と思ってマンハッタンのシネコンでこれを。

予告でかかったJason Reitmanの新作、"Young Adult"がすごくみたい。

で、"Like Crazy"。 2011年のSandanceでGrand Jury Prizeを受賞しているそうな。

学生の終わり頃に知り合った彼(Anton Yelchin)と彼女(Felicity Jones)が、仲良くなるのだが、彼女はVisaの関係で英国に戻らなきゃいけなくなって、その後Vacationでアメリカに入ろうとしたのだがVisaのViolationがあったから、ということで入国できなくて、双方それぞれの国に仕事もあるし、遠距離恋愛で悶々するの。 それだけなの。

きほん、こういうのは彼と彼女(だけ)の問題なので、暗くも明るくもない。静かに、じっくりと感情が昂ぶったり落ち込んだり諦めたりしていくさまをきちきちと描いていく。 こないだのDrew Barrymoreの"Going The Distance" (2010) みたいなわんわんしたはた迷惑な騒々しさはなくて、双方が見えない糸であや取りをしているようなもどかしさが、えんえんと。 たぶんこっちのがリアルなんだねえ。

いっそのこと結婚を、とか思うがグリーンカード目当ての結婚もあるので当局はうるさくて、しょんぼりして、そうしているうちにそれぞれに仲良くなるひともでてきたりして、もうさようなら、になってしまいそうになる。 しょうがないかー。

遠距離恋愛、というのはたんに物理的に隔たっているということだけではなくて、そのひとがそのひとである限りにおいて、それぞれに流れていく時間がある限りにおいてもうどうしようもないのだと。 泣いてもわめいても狂っても。

そういうのを、そういう状態を画面の濃淡と分割と切り返しだけで示そうとする。 耐えられないのであれば、恋をやめるか、自分であることをやめるか。
修羅場も殺傷もない、懇願も恨み節もない、決定的な一撃も殺し文句もない、ふつうそういうもんだよね。

そんな彼と彼女を演じたAnton YelchinとFelicity Jonesはすばらしい。
Antonは、あと5年もしたらはげてでぶになってしまうだろうから、今が旬だとおもう。 ほんともったいないが。

あと、彼のほうの彼女(職場の同僚で、できちゃうの)にJennifer Lawrence。 彼女もよいかんじ。

音楽はいろいろ流れるが、つき合いだした頃にふたりが好きだ、といったのが、Paul Simonの"Graceland"でー (ふーん...)。
ラスト、画面が暗転したところにStarsの"Dead Hearts"がきらきらと流れだす。 その瞬間、うしろのほうにいた女子数名から「きゅぅー」みたいなへんな鳴き声がきこえた。

久々にみた恋愛映画、だったかも。

[film] Being Elmo: A Puppeteer's Journey (2011)

12日の土曜日は、映画2本にライブ1本。 このへんがもう体力の限界だわ。

7月から、アストリアのMuseum of Moving ImageではJim Hensonの特集をずっとやっている。
"Jim Henson's Fantastic World"
http://www.movingimage.us/exhibitions/2011/07/16/detail/jim-hensons-fantastic-world/

で、BAMのシネマテークでも、この日からPuppet映画特集がはじまったの。
"Puppets on Film"
http://www.bam.org/view.aspx?pid=3734

かわいいやつだけでなくて、ホラーとかも含めてざーっと。 見たいよねえ。

2時から見たのがこれで、IFCでは既に公開されてて、オープニングのときにはElmoが来て一緒に写真撮ってくれたりサインしてくれたりしてて、それを見せびらかす同志Mをはげしく嫉妬した。 
今回もPuppeteerのKevin Clashさんが挨拶に来るということで。

ボルチモアの郊外で生まれ育ったKevinさんがPuppetの世界に魅せられてPuppeteerを志し、やがてJim Hensonのチームに加わり、やがて驚異のいきものElmoを生みだすまでのおはなし。
彼とその家族のお話であることは勿論なのだが、Puppeteerの目からみた巨星、Jim Hensonの足跡を辿る旅 - つまるところそれは、Sesame Streetにむかう旅、でもあるのだった。

小さい頃にTVで見ていたSesame Streetは、ウルトラマンとかの怪獣ものと並んで、世界にはっきりと実在する不思議であり、憧れだった。 アーニーとバート、ビッグバードにクッキーモンスターは、どっかの国のあの町に、よくわかんない言葉を話す生き物としてそこにいるのだと信じこんでいた。 彼らの存在は決定的で、その後のディズニーもサンリオもそんなに来なかったのは、まず彼らがいたからだとおもう。

なので、映画の最初のほうで、Sesame Streetのテーマが流れて、アーニーとバートの顔がアップでスクリーンに大写しになった瞬間、ぶわっと泣きそうになってしまった。 とつぜん出るんだもの。

それと同じように最初のほうで、まだ動いてないElmoのもしゃもしゃにKevinさんが寄っていって、毛を撫で揃えて、腕にはめて、くるっと振り返ってElmoが、生きたElmoが目の前に現れた瞬間、客席のあちこちでなんともいえないため息がでるの。 ふにゃー、みたいな。

というわけで、ドキュメンタリーとして、Kevinさんの歩んできた道を追う、というだけではなくPuppeteerがPuppetに吹き込む命のありえないかんじ、のほうがすごくて、痺れっぱなしだった。 例えばすごいギタリストのプレイを追う、アーティストの創作過程を追う、それに近いのかも知れないが、そういうのよか、よりダイレクトに来るものがくる。 よくわかんないけど。 

映画のなかでも出てくるが、どんな調子の悪い子供たちでもElmoが寄っていってハグしただけで、にこにこになる。この会場でも、上映後のQ&Aの最中に子供がぐずぐず泣き出すと、Kevinさんがいけねえいけねえ、というかんじで、Elmoを腕にはめてそこに飛んでいくと、とたんに収まってしまう。 どう説明したらよいのかわからないの。 

という謎と驚異に満ちた80分だった。 
日本の、アニメとせいぜいディズニーくらいしか知らないかわいそうな子供達に見せたい。

Q&Aはおもしろかった。
「Elmoっていくつなの?」 「んー、52歳とかそんなもんよ」 とか。

彼に公認されたElmo使いは世界で4人くらいいるんだって。 
Elmoの人形は全部で9体あって、場面によって使い分けられるようにほんのちょっとづつ仕様が違うのだそうな。

あと、Puppeteerの指使いをみんなでやってみる、ていうのもやった。 One, Two, Three... をカウントしていくだけなんだけど。
こんど靴下でやってみる。

Elmoのもしゃもしゃにも触った。 絶滅危惧種よか珍しいやつに。

もうじき公開される"The Muppets"も、見て帰りたいけどなあー。 


ElmoとKevinさんは、11/19にLincoln Centerにも現れるよ。


[film] This is Spinal Tap (1984)

11日、金曜日の晩にBAMでみました。

"The Movie that Goes to 11: This is Spinal Tap"という特別上映が夜の7時と11時11分11秒の2回あって、11時のほうを。

11年11月11日11時11分11秒きっかりにはじまる。 
(でもちゃんと画面に時計をだして同期をとるわけでもなく、秒針がわかんないから結局みんなの掛け声ベースになったの)
なんでこだわるかというと、知っているひとは知っていると思うが、このバンドのアンプの目盛りが10ではなく11まであるからなのよ。
くだんないけどね、でもこういうしょうもないこだわりがこの映画のすべてでもあるの。

というわけで、11時11分の回はSold Outしてしまったのだった。 客席は普通の格好した中高年ばっかし。
主催者が嬉しそうに、US国内にはこれの35mmプリントがなかったので、スカンジナビアのどっかからわざわざ取り寄せたのだという。
たった2回の上映のために。  DVDだって出ているんだから別にいいのに、でもこのこだわりこそが... (以下略)

上映前に特別プレゼント、ということで、チケットの半券の番号で抽選会があった。 
商品はギターアンプ....
こればっかりは当たりませんように、と少し祈ってしまった。 (前の列のひとに当たってた)

振り返ってみるとこの月曜の晩に見たのがCarl Reinerの映画で、金曜の晩のがRob Reinerの映画だった。
Reiner親子に挟まれてしまった一週間にどういう必然と偶然が働いていたのか。 
これもすごくどうでもいいことではあるのだが。

架空のロックバンド"Spinal Tap"のRockumentary。
60年代の結成からスタイルをころころ変え、ドラムスの屍体の山を乗り越え、メガロックバンドとして米国に上陸する、その大活躍の表裏をドキュメントしているの。 メタ・ドキュメンタリーでもあるの。

84年の段階で、ここまでロックバンドとそのスタイルについて鋭い洞察と観察力でもって、そのありようを描いたものはなかった。
そしてその殺傷力はいまだにぜんぜん有効である。 というか、「ファンのため」を名目に金目当ての再結成を繰り返す三流バンドと業界一丸となってそいつらを甘やかす提灯メディアがはびこる今こそ、改めてじっくりと見られるべき映画なのだとおもう。

それにしても、この映画の延長線上にあった"Wayne's World"(92-93)以降、もうこういう映画はほとんどなくなってしまった。
せいぜい、"Get Him to the Greek" (2010)くらいじゃなかったろうか。
もうほんとうに、その芯からロックの世界は腐りきってしまったのだろう。

公開すらされていない日本なんか、もうさいてーのど田舎だよな。
ファッションとしてのロックを喧伝する業界と、そのスタイルゆえに虐げられている(と思いこんでいる)メタル村の住民と。
そんなのぜんぶ、どーでもいい。 ほーんと、どうでもいいったらいい。 中指。

あと、Rob Reinerさんはこの後、"Stand By Me" (1986) - そういえば見たことねえや - とかでハートウォーミングなドラマを作る名匠、というラベルが定着してしまったようだが、あくまで原点はここだし、これが彼の最高傑作だとおもうの。

ほんとうにしみじみ愛されているバンドであり、映画なのだなあ、とおもった。
客席はみんなずうっと歌っているし。

11.12.2011

[film] Sometimes a Great Notion (1970)

10日、木曜日の晩、9:15から見ました。 なんか毎晩映画見ているようだが、とにかく目も当てられないくらいの惨状なのよ。

公開40周年記念、ということでBAMで1週間だけ上映されていて、みんながみんな必見!傑作! て騒いでいるので。

邦題は『オレゴン大森林/わが緑の大地』。
原作は『カッコーの巣の上で』のKen Keseyの小説。

監督・主演がPaul Newman。 
最近の子にはポップコーンとドレッシングのおじさんかもしれないが、昔はこんなにかっこよかったんだよ。

オレゴンの山奥で、木の伐採と運び出しをやっている一家があって、家長がHenry Fondaで、Paul Newmanとか義弟とか、ぜんぶで6人くらいで暮らしている。 おうちの銘は"Never Give a Inch"。 言葉少なくて、でも岩のようにがんこなの。

ストへの誘いを断ったりしたせいで組合からあれこれ嫌がらせをうけて、でもめげずに一家で山に仕事に出たら事故にあっていろいろ失ってぼろぼろになって、それでもくじけない、折れない、という。

今ならClint Eastwoodがやりそうなテーマだが、あそこまできつい、悲惨なかんじにはならない。
オレゴンの森と、伐採シーンのばりばりをどこまでもでっかく見せて、更にラストの曳航のところの堂々としたふん!うるせえよ、に繋がっていくところに主人公のどこまでもまっすぐな自分の仕事に対する思いと誇りが投影されているからだと思う。

喋らないし、がたがた言わない、喧嘩もしない、ストなんかやってる暇があるんだったら働け、木を切れよ、って。
えらいなー。 無駄口いっさいなし。

ああ、あんなふうに澄んだ瞳でただただ自分の仕事ができたら、どんなにかよいだろう!  
と一応書いておこう。

それにしても、木の伐採て、すごいしこわいねえ。木の屠殺だもんなー。

ラストの中指、あれもすんばらしいー!

土曜日になりました。 外は5℃...

[film] Brooklyn Boheme (2011)

9日、水曜日の晩、IFCで。 これも"NYC DOC"からの1本。 行けるところまでいってみよう。

ブラックミュージック関係のライターとして知られるNelson Georgeさんが自ら監督をして、BrooklynのFort Greene界隈に80年代~90年代末まで暮らしていた音楽家、アーティスト、これらボヘミアン達の肖像を関係者インタビューを通して描く。

Nelson Georgeさん自身が今もずっとそこに暮らしていることもあり、とっても地元愛に溢れたものであることは確かなのだが、それにしても出てくる人たちがすごい。

Spike Lee, Branford Marsalis, Rosie Perez, Chris Rock, Saul Williams, Vernon Reid, Talib Kweli, などなど。
映画には出てこないけど、ほかには、Erykah Baduとか、Jeffrey Wrightとか、Mos Defとか。

彼らはみんな同じエリアに住んで、作品をつくったりしつつ、それぞれがそれぞれに有名になって、去っていった。
そのあまりの集中具合に20年代のJazzが出てきた頃のハーレムが引き合いに出されたりするが、こっちは音楽だけでなく、映画も俳優も漫談もある、全方位で、しかも旧来からのコミュニティのような強い繋がりをベースにしたわけではなく、ケミストリーみたいのが働いて同時発生的に拡がっていったようなところがおもしろい。

存在として大きいのは、やはりSpike Leeと彼のプロダクション(が"Do the Right Thing"(1989) 以降ぐいぐい上がっていった頃)なのだが、それだけではない、変な磁場があったのだとしか言いようがない。

そしてインタビューされる全員が、暮らしていた当時がどんなに日々エキサイティングで楽しかったか、を楽しそうに語るの。
Rosie Perezさんとかは当時を思い出して涙を流してしまったりするのだが、でも、単にあの時代はよかった、だけの回顧では終わっていない。 全員が当時を振り返りつつ、なんであんなだったんだろ、とか感嘆しつつも、あくまで今を向いているかんじが気持ちよい。

ここで出てきたヒップホップ系の領域はそんなに詳しくないのだが、このエリアにあるBrooklyn Academy of Music (BAM)は93~96年頃、ほんとによく通っていたので町の雰囲気みたいなとこはようくわかる。 といっても当時はまだ十分おっかなかったけど。

で、このうねりは、90年代末の不動産バブルと地上げの波と共に消滅して、離れるひとは離れていってしまう。 ださい高層ビルが沢山建ちはじめて家賃がどんどん上がっていった時期。 でも、残るものは残るはずだし、ということでNelson Georgeさんは今も同じところに暮らしている。

Vernon Reidさんが言っていたBlack Nerdの話がおもしろかった。要は、マッチョではない、黒縁メガネの文系の、でもブラック、という異端な連中が登場しはじめたのはここで、まさに自分もそういうひとりで、その流れは今もTV on the Radioとかに引き継がれているのだ、とか。 なるほどなー。
それを言うと、この映画に出てくる連中はみんなそんなかんじかも。強引にのし上がっていくタイプじゃない。 みんな結構神経質で、でも言うことはいうし、やることはやってすたこら逃げる、みたいな。

上映後のトークでは、Nelsonさんと、あとVernon Reiddさんとかも参加してなかなか楽しかった。

どういうかんじかというとだな、夜中に飲み物を買いに出るとするでしょ、そうすると、みんなどこにだれが住んでいるか知っているわけ、で、ちょこちょこのぞいてみたりすると、みんなリハしたり創作したり勉強したりしている、なので自分もなんかやらなきゃなー、と思うわけよ。 とかね。

あと、Erykah Baduさんがはじめてみんなの前でパフォーマンスをしたときの話とか。

これは映画の本来のテーマからは外れてしまうのだろうが、川向こうのNYのダウンタウンシーンとの関係(バスキアは一瞬出てくるけど)とか、エリアは違うものの、Brooklyn育ちの白人たち - Jonathan LethemとかNoah Baumbach とかはどうだったんだろ、とか、いろいろ広がるよね。

Nelson Georgeさんは、12日の土曜日、Museum of Moving Imageで行われる、"We Gotta Have It: The 20th Anniversary of the New Wave of Black Cinema"ていうイベントのKeynote address もやるの。 これもぜったいおもしろいんだけどなあ。

http://www.movingimage.us/visit/calendar/2011/11/12/detail/we-gotta-have-it-the-20th-anniversary-of-the-new-wave-of-black-cinema

[film] Cure for Pain: The Mark Sandman Story (2011)

火曜日。 9:00からIFCで。 そろそろなにをやっているのかわからなくなってきたかも。

11/2から10日まで、DOC NYCていうドキュメンタリー映画祭をやってて、このなかの1本。

http://www.docnyc.net/

来る前はぜんぜんマークしていなかったが、ラインナップは地味にすごい。

Werner HerzogとJonathan Demmeの新作がかかって本人達がくるし、 Richard LeacockへのTributeはあるし。
Stan LeeとかElliott ErwittとかJoe Frazierを追ったドキュメンタリーとかもある。
(8日にJoe FrazierのIn Personが予定されていたのに、ご本人が亡くなってしまったのだった...)

音楽関係だとサブセクションで"Midnight Rock Doc"ていうのがあって、これはそのなかの1本。

これの他には、Jay Reatardさんの亡くなる一ヶ月前の記録とか、こないだ吉祥寺の爆音でやってたSigur Rosの"INNI"とか、これをなんで今頃?の"DEPECHE MODE 101"(1989) とか。

それにしても、これら全部にアクセスできるパスが$125って、安いよね。

で、この映画のはなし。

Mark Sandmanが、Morphineが亡くなったのは99年なので、もう10年以上も過ぎてしまったのだった。
そんなに時間が経ってしまったとは思わなかった。 忘れていた、と言うのは失礼で、ちょっとちがう。 
なんというか、Morphineの音を思い起こさせるようなバンドとか機会に出会うことがなかった、ということなのではないかしら。

この映画の冒頭に流れる"Buena"とかを久々に聴いて、懐かしい、というよりかは、なんて素敵でかっこいいんだ、と改めて思ってしまった。 2弦ベースの岩盤をぶいぶいごつごつぶつかって、転がっていくサックス。 力強く、固くて渋くてダークでちょっとユーモラスで、そんなにアヴァンギャルドでもエキセントリックでもない。 冬のボストンみたいな音。

そんなMorphineの音を全編に流しつつ、Mark Sandmanの生い立ちとかバンド結成、そして最後のライブまでを追っていく。

音楽関係で出てくる人たちは、Morphineのメンバーはもちろん、Les Claypool、Joshua Homme、Mike Watt、Ben Harper、などなど。
誰もが、Morphineの音楽の不思議と、2弦ベースの驚異について語る。最初聴いたときは「なんじゃこれ?」だったと。

音楽のほかには、亡くなってしまった彼の2人の兄弟のことも。
彼も含めると、3人の男の子を失ってしまったお母さん、かわいそうすぎる。
(そして、2010年に亡くなったお母さんにこの映画は捧げられているの)

そして、イタリアの、演奏中に倒れて亡くなった晩のライブのことも。
最後にMike Wattさんがぽつりと「本当に惜しいやつを亡くした」 と呟く。 それがとってもしみる。

Morphineなんて聴いたこともない若者たちへのガイドとしても、すばらしい内容なのだが、日本での上映はむりかなあ...

[film] Where's Poppa? (1972)

体力はまったくないが、時間だってない。 見れるものは膝にナイフを突き刺しながらでも見るの。

月曜日の8:45から、Jew Wave特集の1本。

Carl Reiner(Rob Reinerのパパね)の72年作品。邦題は『パパはどこ?』...  ふつうだ...

George Segalが弁護士で、年老いた母との二人暮らしで、彼女の面倒を見ているの。
"Where's Poppa?"ていうのは母がいつも呟いている言葉で、息子はその度に「あーもういないの、しんじゃったの」と半自動で答える。

母を演じているのが、"Harold and Maude"のおばあちゃん(はこの作品の後なのね)、Ruth Gordonで、あれも十分チャーミングだったが、こっちもボケているんだか正気なんだか不明の、憎めないいじわるばあさんを見事に演じている。
ほんとにね、ボケていようが狂っていようが、それが明確になったところで生活がたいして変わるわけでもないので、この作品の乾いた突き放しっぷりはいいなー、とおもった。

そいで、彼女に散々振り回されるGeorge Segalがすんばらしくおかしい。
なんか起こるたびに、ぴきっ、てなって、口を半開きにして頭をゆっくり返してわらわらあたふた対応する。 ほんとに漫画みたい。
ホームコメディの王道だと思いましたわ。

せっかく、理想の、運命の女性(32時間前に離婚したって... )とめぐり合っても母がいちいち間に入ってくるので、なにもかもがらがらと崩されてしまう。 で、いいかげんあったまきて、母を車に乗っけて老人ホームを探しにいって見つけたところに置いてくるの。

結局ママには勝てないんだよね、というのを、こんなにも爽やかに面白おかしく描いた作品があっただろうか。

中心のふたり以外にも、法廷でのあれこれとか、身ぐるみ剥がされる兄の話とか、いちいち変でおかしい。   ユダヤ人のユーモアってこういうの、というのが割ときちんと出ているような気は、した。

あと、おばあちゃんがシリアルにペプシかけて食べていたが、あれって普通にあるもの?

[film] The Driver (1978)

6日の日曜日、MOMAに移動してみたのがこれ。 MoMA International Festival of Film Preservationのうちの1本。
客席はなかなか一杯入っていた。 5日の上映のときは、監督が挨拶で登場したもよう。 いいなー

Walter Hillの監督2作目。 彼はこれのあとで、"The Warriors"(1979) を作っておらおらとのし上がっていく。 んだよね?

Ryan O'Nealが"The Driver"で、名前はついていなくて、Bruce Dernが"The Detective"で、同様、Isabelle Adjaniが"The Player"で、同様。 

The Driverが強盗とかやったあとの犯人達を車に乗っけて安全な場所に連れて行く仕事のひとで、The Detectiveは彼を執拗に追っかけているやつで、The Playerは...  よくわかんないや、よくいる謎の女。

エモーショナルな会話は殆どない、というか会話自体殆どなくて、Ryan O'Nealは眉ひとつ動かさずにびゅんびゅん車をぶっぱなして警察をまいて、逃げきる。 助手席のIsabelleも、ひどい運転で死にそうになるのにきゃー、もなんも言わない仏頂面で最後までのりきる。

筋はあってないようなもんで、逃げる車と追っかける車がずうっとフレームのなかを走り回っているだけなの。 警察が罠とか仕掛けてしょっぴこうとしても、ぜんぜん捕まらないの。 それだけ。

でも、この面白さと速さと痛快さとかっこよさはなんなのか、と。

車が空を飛んだりアクロバティックな動きをすることはない。すごい車を使うわけでもなく、ほとんどが置いてあったやつを盗んだりして使う。車というのは重くて、四輪で、動いたり止まったり、止めたりするのは摩擦の働きで、それによる物理的な衝突とか横滑りとか、カメラが追っかけるのは車の中と外からのそれだけ。 それだけで、こんな歯をくいしばるようなやつが撮れてしまうのだねえ。

客席は、口をとんがらせて「ひゅぅー」ていうか「わぁぉー」て唸るかのどっちかしかなかった。

こないだ機内でみたメガなんとかなんて、これと比べたらぶよぶよ脂肪の塊だねえ。

久々に"Streets of Fire" (1984)が見たいよう。
Michael PareとDiane Laneのコンビの原型って、Ryan O'NealとIsabelle Adjaniなのかも。 無口でぶーっとしたとことか。
しかし、彼女達の鋼鉄の仏頂面のあとで、最近の若い女優さんのそれ見ると、ついおちょくりたくなってしまう。

[film] I Love You, Alice B. Toklas! (1968)

到着した日、11/6の最初の1本。

今、MOMAでは、毎年恒例の修復フィルム祭りをやっている。 どれもしぬほどみたい。

To Save and Project: The Ninth MoMA International Festival of Film Preservation
http://www.moma.org/visit/calendar/films/1210

で、本当は、1時からの、Richard Fleischerの"The Girl in the Red Velvet Swing" (1955) をすんごく見たかったのであるが、さすがにきつかったので4時からのWalter Readeのにした。

Walter Readeで今やっている特集がこれ。

Hollywood’s “Jew Wave”
http://www.filmlinc.com/films/series/hollywoods-jew-wave 

Jewishのことはあんまよくわからなくて、でも、わからないなりにおもしろそうなのがいっぱいで、そのなかの1本。

Hy Averbackによる"I Love You, Alice B. Toklas!" (1968)。
邦題は『太ももに蝶』... たしかに太ももに蝶の刺青は出てくるのだが、ひでえな。

弁護士のPeter Sellersさんは婚約者もできたし(せっつかれて結婚することにした)ママも幸せでよかったよかったなのだが、ヒッピーの娘さん(Leigh Taylor-Young)と出会ってぽーっとなり、彼女のつくったはっぱ入りのブラウニーを食べたら人生が極彩色に染まって別の幸せと快楽のかたちを知ってしまうのであった、という、それだけのお話。

ヒッピー文化やFlower Movementが堅気で真面目なJewish文化をおちょくる、というのはここに限った話ではなく、割りと普通にあるテーマだと思うのだが、ここでは結構どまんなかにやろうとしていて、これはこれでまた生真面目なアプローチ、というかなんというか。

Peter Sellersは崩壊していく弁護士の役をきちんと演じていてすばらしい。
Mike Myersあたりがやったら絶対おちゃらけてしまうだろうし、こうはいかないよね。
今のひとだったらOwen WilsonかAdrien Brody あたり、だろうか。

タイトルにあるAlice B. Toklasは、彼女の料理本にらりらりブラウニーのレシピが載っているから。
で、"I Love You, Alice B. Toklas!"ていうのは、Harpers Bizzareの"4"に収録されている曲で、大学の頃にこれの中古盤を買ってからずうっと聴いてきてて、ようやく使われているほんもんに出会うことができた。
映画のなかだと、 I Love You, Alice B. Toklas~♪のフレーズだけがちょこちょこいろんな場面で繰り返される。

これだけでよかったよかった、なのだった。

で、これに続いて、ベルイマンの71年作品"The Touch"- 邦題「愛のさすらい」があって、Elliott GouldのQ&Aもおまけでついていたりしたのだが、MOMAのほうを見たかったのでそっちにさすらうことにした。