2.06.2021

[film] What Happened Was… (1994)

1月30日、土曜日の午後、Film ForumのVirtualで見ました。

俳優として知られるTom Noonan(”RoboCop 2” (1990)とか”Synecdoche, New York” (2008)とか - 顔を見たらあああの人って)が自身の劇作を映画用に書き直して、自ら監督・主演したもの。
1994年のSundanceでGrand Jury Prizeを受賞している。日本公開はされていない模様。

登場人物はJackie (Karen Sillas)とMichael (Tom Noonan)のふたりだけ。場所はマンハッタンにあるJackieが一人で暮らしているアパートのなか。低層階にあるアパートの窓からは夜景というほどのものでもない近隣のアパートの様子やひっそりした街の灯が見える。冒頭の描写で彼女は朝にアラームで起きて(起こされて)会社に行って帰ってくる - それだけ、のような質素な生活をしていることがわかる。

時間はJackieが会社から帰ってきたある一晩のこと。ドアのとこのライトがちかちか壊れていることにイラっとしつつ中に入って留守電を聞いてお酒、ケーキを用意して片付けたり、クローゼットからいろんな服を出して合わせてをする。部屋に貼ってあるポスターはMartin Luther King JrとミュージカルのCatsの。自分で掛けた音楽は'Til Tuesdayの“Voices Carry” (1985)で、途中でヴォリュームをあげてなんとか気合を入れようとしているらしい。(ここで“Voices Carry”がかかったところで彼女がどんな女性(男性でも)なのかがわかる世代)

やがてインターホンが鳴ってMichaelが現れ、やはり玄関のライトは困ったやつで、彼も会社帰り(ネクタイをポケットに突っこんでいる)でぎこちなく挨拶して、飲み物はワインでいい? 食べ物はレンジでチンだけどホタテ貝でいい? という辺りから入り、食事をしながらいろんな話をしていく。ここに住んでどれくらい?(5年)どこで寝てるの?(ソファ)あなたはどこに住んでいるの?(Eastside)どこで育ったの?(ロングアイランド)どこの学校を出たの?(Jackieは技術学校、Michaelはハーバード)などなど。

ふたりはこれがFirst Dateで、同じ法律事務所に勤めていて、オフィスで顔を合わせたことがある程度で、JackieはMichaelのことをパートナーだと思っていた、云々。Michaelは本を出版する準備をしている、とかJackieも自分も昔書いたものがある、ってその一部を朗読したり、距離を探りながらも少しづつ互いの深いところに入りこめないか – できれば入りこみたい、会話を止めてはいけない - と確かめつつ掘っていく。

それなのにスムーズに弾んでいく会話、にはなかなか変わっていってくれなくて、話し出すタイミングもトピックも躓いたり譲りあったり、彼女はソファの方に移動して横になったり、それらしいモーションをかけたり、間に合わせのようなキスをするくらいまではいくのだが、これも何かがすれ違って、最後の切り札のように出してみたケーキ(← Jackieの誕生日だった)もそれを切るナイフも掠らなくて、やがてMichaelはごめん帰ることにするわ..  って。

「ずっといるんだと思っていたのに..」っていうJackieのがっかりがどちらに転ぶのか手に汗握るのだが、こういう緊張感が最後まで持続する - 自分はなにを期待しているのか惨劇か抱擁か - ので目が離せないことは確か。

最初のデートの出会いで、期待していた化学反応とか火花を引き起こすために、ふたりはどんな道具立てとか会話を使ってそのパスを切り開こうとするのか、それが思うようにいかないことがわかったとき、ふたりはそれをどうやって立て直そうとするのか – おつきあい&おしゃべり上手な人/慣れた人はこんなことで悩むなんてありえないって思うのかも知れないが、とにかく生々しく迫ってきて人によっては過去の痛い傷をえぐられたように感じるかもしれない。

もちろん、今の人達であれば出会いを求めるならマッチングサイトから、なのかも知れないし、そこまで行かなくても相手のプロファイルを事前に知ったり確かめたりする方法はいくらでもあるので彼らがやっているような手探りゲームみたいなのってなに? って思うかもしれない。けど、こんなもんだった時代もあったのよ(いきなり家でデートはないかもだけど)。

ていうこの時代の恋人たちの事情とそれがドラマとしてどう機能するのか、をミクロに刻んで追ってみた、その精度とリアリティはすごい、けどそれが映画としておもしろいかというと、またちょっと別の話かもしれない。 Jackieがケーキ用のナイフを手にしたところで流れが変わるかと思ったんだがなあー。 舞台でやったほうが生々しい殺気や徒労感みたいのは伝わったのではないかしら?

あとはこういうのをぜんぶすっ飛ばしたところで成立してしまう(ように見せる)ハリウッド映画の中の出会い〜恋愛がいかに魔法、というか爆発的ななにかであることか、って。


“WandaVision”、最初はおちゃらけ番外シットコムかと思っていたらEP3でUltronとかSokoviaとかの言葉が出てきて動揺し、EP4でKat DenningsとRandall Parkが現れてこれはいかん泣くやつかもになって、今日のラストのあれは…  MCUの世界観、というか世界観を支える諸要素 - 世界はひとつではない、世界は時間と継承で成り立つ、それを動かすのはそれぞれの愛と正義である - というあたりが揺るがないのだな。すごいな。

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