2.21.2021

[film] Un amour de Swann (1984)

2月13日、土曜日の昼にCriterion Channelで見ました。英語題は”Swann in Love”。

ここでは先に亡くなられたJean-Claude Carrièreの追悼選集が組まれていて、そこにあったので。
で、ここには彼が活動初期に共同監督をしていたPierre Étaixの作品もあったので、短編とかも見たりして、たまんないかんじになる。Pierre Étaix、いいよねえ。

プルーストの『失われた時を求めて』の『スワン家のほうへ』の第二部『スワンの恋』の映画化。
大昔、90年代の中頃にNYにいた時、地下鉄とかバスの中とか待っている時間に長編小説を読むのにはまっていたことがあって(移動中の時のみ読む、ていうのがルール)、あんなうるさくてごちゃごちゃしてて夏は暑いし冬は寒いしの中で読めるのか、と思うかもしれないが、実はものすごく集中してさくさく読める。そうやってドフトエフスキーもトルストイもゲーテも文庫で出ているのはほぼ読んで、これもちくま文庫のを読んだ。とってもはまって読み終えるのがもったいなくて、最後まで読み終えた瞬間にUnion Squareの駅に着いたことを思い出す。

それ以来この小説はなんか好きでたまらず、集英社文庫のが出た時も、岩波文庫のが出た時も、光文社古典新訳文庫のが出た時も全巻じゃないけど好きなところを買って、気が向いたときに適当なところを開いて読んでる。読んで数ページ行ったところで薬が効いてくるみたいに向こうの世界が開けてくるかんじがよくて、これはどの訳本でもそうなるので、たぶんそういうやばい効果をもたらす小説なのだと思う。こないだもBFIの前にいつも出ている古本市で、ペンギンの”Swann’s Way”の1921年の英訳本を買った。英語だとこの辺のかんじはどうなるのかしら。

この小説を読むことそれ自体が(よくできた)映画のように完成されたひとつの世界の中に入っていくような痺れる経験をさせてくれるので、これの映画化に求められるのは、これと同じような経験をさせてくれるのかどうか、それができていればストーリーなんてどうでもいいの(とまでは言わない)。
他の映画化作品だとChantal Akermanの”La Captive” (2000)は昔に日仏で見ていて大好きなやつで、Raúl Ruizのはまだ見れていない。

監督はVolker Schlöndorff。元はPeter Brookの企画で脚本も彼が一部書いていたものを彼が引き継いだと。撮影はIngmar Bergmanの”Persona” (1966)や”Fanny and Alexander” (1982)を手がけているSven Nykvist。

原作ではこのパートは、主人公である語り手の一家の友人であるSwannの若い頃 - 当然語り手が生まれるずっと前 - の恋を描いたもので、ここだけ独立した変な位置にある - ただこのパートがなぜ導入に近いところに置かれているのかは読み進めていくとわかってくる - のだが、映画では、老いてよれよれになったCharles Swann (Jeremy Irons)が、若い頃の自分の恋を回想する、という構成に変わっている。 小説の語り手はどこでどのような状態にあるSwannからこの話を聞いたのか、というのがちょっと気になるのだが、映画に浸る上で特にもんだいはない。

Swannはユダヤ人の仲買人なので当時の社交界のなかでは変な位置にいるのだが、裕福なヴェルデュラン夫人 (Marie-Christine Barrault)のサロンに出入りしているうちに高級娼婦のOdette de Crecy (Ornella Muti)に出会ってめろめろになって、というか、めろめろになるというのはこういうことだよ、っていうようなぐでぐでとだらしない(どこにも行かない行けない)恋模様が描かれる。 この他に重要な登場人物となるゲルマント公爵夫人 (Fanny Ardant)とか同性愛者のシャルリュス男爵 (Alain Delon)とかも出てきて、小説全体の基調底音となるヴァントゥイユのソナタが若い頃のSwannに与えたドラッギーな効果とかも映像になっている。

この後の小説全体において重要な位置を占めることになる主要な人物や要素が網羅されているので、今のフランチャイズ映画でいうとprequelと呼ばれるパートになるのだろうが、そんなことを気にしなくても十分に楽しめる。 ある部屋の調度や棚の奥や調光やそこに流れてくる音楽やそこに佇んでいる(たんにクスリでラリっている)女性にやられて溺れてそこに囚われるという経験ってどういうものなのか、そうなる過程で世界はどんなふうにゆるりとひっくり返るものなのか、などがきちんと描かれてその横でしたり顔のシャルリュス男爵がふむふむ、とか言っている。変態ばんざい、みんなでストーンしよう、っていうだけなのだが、それのどこが悪いというのか、って。 ここに乗れないひとにはものすごくつまんないやつかもしれない。

安っぽい嘘っぽい、っていうのとは違う、あやしくてマイナーで、でも確かに目の前にぶら下がっていてどうするどうしようかってなる世界と、その網にまんまと引っかかって絡まってじたばたしている人々の悲喜劇を描いてきたのがJean-Claude Carrièreさんだったのだなあ、って。


少しだけ暖かくなってきたのだが、粉らしきものが飛んでいるようなのでちっとも嬉しくない。

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