2.17.2021

[film] Normal People (2020)

2月8日の週にBBC iPlayerで見ました。
BBC制作のTVドラマシリーズで、各話30分くらい(エピソードによって長短あり)のが全12話。仕事を始める前とか会議の合間にちょこちょこ見たり。

昨年からずっと見なきゃと宿題になっていたやつをようやく見て、とっても感動した。

原作はこっちではベストセラーになったSally Rooneyの同名小説で、ドラマでの脚本化にも彼女自身の他に、Alice Birch - 映画だと”Lady Macbeth” (2016)を書いた人 – が加わっている。TV Scriptsの本も出ていたので買った。

アイルランドのスライゴっていう田舎で同じ高校に通うMarianne (Daisy Edgar-Jones)とConnell (Paul Mescal)がいて、Marianneは成績優秀なのだがつんとしていて教師にも突っかかったりしていつも一人でいて、Connellも成績優秀なのだが彼はラグビーもできるしみんなの人気者で、Marianneはそれを遠くから見ている。

Marianneのお家はお金持で立派な邸宅があって、Connellの母はMarianne宅の掃除婦をしているので、母を車で送り迎えするのにConnellはMarianneの家に行って彼女と顔を合わせたりしていて、そういうのもあってふたりは近くなっていく。Marianneの母は投資かなんかをやっているばりばりの仕事人で、彼女の兄は引き籠りでぶらぶらしていて、彼女は家庭からは切り離されている。Connellの母はこれとは正反対に誰に対しても優しくて暖かくて、こんなふうに家庭環境には差があって、どちらの家にも父親はいない。

こんなふたりがMarianneの”I like you”っていう小声の告白から付き合い始めて互いの家でセックスしたりするようになるのだが、友人たちの間では(みんなもう知っているのに)ふたりのことを大っぴらにはしていなくて、ConnellはDebs(アメリカのプロム)の相手に別の女性を選んだので、Marianneは傷ついてそれきりになる。

やがてダブリンのTrinity Collegeに進んだふたりは、それぞれにシェアハウスを借りて、それぞれに彼・彼女をもったりしているのだが、なんとなく空虚でお互いが気になりはじめてまた一緒になって、でも夏休みでバイト先がクローズするのでシェアのとこに居られなくなったConnellは一緒に暮らそうって言いだせなくて、ふたりはまた疎遠になって..

こんなふうに年代は明示されないものの原作だと2011年から2015年まで、くっついては何かの掛け違いで距離を置いて、それぞれに別の異性とくっついて、でもそこで(その時の相手とMarianneとConnellの両方を想って)また苦しむことになって、”It’s not like this with other people..”ってもとに戻って、を繰り返していく。 それは互いに不誠実だからとか不真面目だからとかではなくて、相手のことを真剣に思いすぎて直視したり真っ直ぐに言うのが怖くて(その強弱の度合いはふたりが育った環境にもよっていて)離れてしまう、でもそうやって離れても、いつも戻ってくるのはMarianneと過ごした時の、Connellと過ごした時のあのかんじと息遣いと眼差しで、で我慢できなくておかしくなってぐるぐる… になるばかりで。

好きなのに離れることになった時の傷の、傷口のそれぞれの痛み - 剥きだしのそれをじーっと見つめることになるので恋愛の歓び、みたいのはあまりなくて、どちらかというとセックスのぴったり貼りつくかんじがカサブタのような痛みや痒みを思い起こさせて、SMに近いなにかのよう(後半でMarianneはそっちの方に)だが、そういうのとも違うのだって気づくまでに何度かのクリスマスや新年が過ぎて、イタリアでの休暇を過ごし、スカラシップを得て卒業して..  

どこまでも暗くて地味な演出で、ふたりが楽しそうに笑ってデートしたりするシーンはあまり出てこない。ぼーっとキッチンシンク(流れている水、壊れたグラス)を見つめたり、深夜に思いつめてスマホを握っていたり、虚ろな目でぼーっと泣いていたり、あとはセックスしているか、それくらい。恋愛ドラマのコードからすると相当に規格外なふうで、それでも画面に引き寄せられてしまうのは彼らが引き摺っているものを我々もどこかできっと引き摺っているからで、それは青春の回顧みたいなのも違う、未だに生々しくあるやつだからだ。

“Normal People”とは何か? みたいな話ではなくて、どちらかというと”Other People”というのが出てくる。ぼくらはなんでOther Peopleとだとだめなんだろうか? って。そういう形で一回転して再定義される”Normal”について。 Normalであれ、という教条的にマウントしてくるあれらとも、変態であれ、という居直りとも程遠い、これがNormalでないというのならなにをそう呼ぶのだろう? っていう小さな問い。 そして現実はというと、Normal Peopleのものではないので、どこまで行っても辛いし苦しいしやってらんない。

あのラストはハッピーエンディングなのだろうか?  あれで安心するのはややNormalすぎやしないだろうか、って周囲を見回してしまったり。 シーズン2がNYで撮られますように。

音楽は主題歌みたいなのがいちいちじゃーん、て鳴るわけではなくて、各エピソードの途中やエンディングにNick Drakeの”Horn”とか、Elliott Smithの”Angeles”とか、Yazooの”Only You”とか、Hope Sandovalとか、”Love Will Tear Us Apart”のNerina Pallotによるカバーとか、静かに控えめに聞こえてきて、素敵ったらない。

こんなにも明るくない、ぼそぼそめそめそしながらセックスしてばかりの若者ふたりのドラマを作ったBBCは偉いなあ、って。

もちろん、主演のふたりのすばらしいこと。Daisy Edgar-Jonesさんは確かにAnne Hathawayさんに似過ぎているかもしれない。イズリントンのお生れなのね。
 

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