2.27.2021

[film] La folie Almayer (2011)

2月21日、日曜日の昼、MUBIで見ました。
Chantal Akermanのフィクション映画の最後となった作品で、原作はJoseph Conradのデビュー作 ”Almayer's Folly” (1895) - 『オルメイヤーの阿房宮』(未読だった)。英語題も”Almayer's Folly”。

冒頭、アジアのどこかのバーのステージ上で男Daïn (Zac Andianas)が歌っていて、そこにフロアから男が寄っていって歌っている男を刺したらバックダンサーとかみんな逃げるのだが、ひとりだけ残って歌って踊り続ける女性 – Nina (Aurora Marion)がいて、彼女に誰かが「Daïnは死んだよ」っていうと彼女は少しだけ微笑む(気がした)。

そこから時間を遡って、Capitaine Lingard (Marc Barbé)が子供の頃のNinaをジャングルの奥地で暮らすAlmayer (Stanislas Merhar) – Ninaは彼と現地人の妻の間の娘らしい - の住処から寄宿学校に入れてきちんとした教育を受けさせるから、って無理やり連れ出すところが描かれる。

そこからまた時間が過ぎて、Capitaine Lingardが亡くなり、そのまま自動で寄宿学校から追い出されたNinaはAlmayerのところに戻ってくる。彼女は「混血」である自分は寄宿学校には馴染めないし、このままヨーロッパに連れていって貰っても真っ当には生きていけないことを充分自覚していて、それでも「外」に出ていこうとする彼女を不良のDaïnが背後でたぶらかしている。

そういうことをわかっているのかそれどころではないのか、Almayerは湿地帯の繁みや廃屋の奥や夜の河に向きあって止まない虫の音に囲まれて灰色〜真っ白になって宙を睨んで佇んでいるばかり、そんなに喋るわけではないから彼がなにをどう思っているのか、正気なのか狂ってしまったのかもよくわからない。彼は熱帯の湿地にいる生き物とは明らかに別のモードとトーンで、でもはっきりとそこに生きていることは確か。

ふつうに考えればそこにほぼひとりで暮らしていたってどうなるものでもないので、諦めて故郷のヨーロッパに帰ったほうが、なのだが、すでに十分ふつうでなくなっているようだし、明確に帰る理由があるわけでもないし、Ninaのこともあるし – でも最後にNinaとDaïnが出て行ってしまうと…  

Chantal Akerman作品で、同じStanislas Merharが主演した“La Captive” (2000) - プルーストの『失われた時を求めて』の『囚われの女』の翻案 -  でガールフレンドのAriane (Sylvie Testud) =アルベルチーヌ - を自意識の内外で「囚われ」にして悶々としていたのと同じ彼が、少し老けてカンボジアに現れたのではないか。原作がコンラッドなので『闇の奥』の方かと思ったけど、どちらかというとプルースト的な粘着と諦念が螺旋を描いて結局なんにもならない・どこにもいけないドラマが。

もういっこはChantal Akermanが後期のドキュメンタリー作品 - “D'Est” (1993), “South” (1999), “Là-bas” (2006), “No Home Movie” (2015) あたり - で追っていった見知らぬ異国の土地を前にして、なんで自分はここにいるのか、なぜここに留まってカメラをまわしているのか、その反対側で、こことあそこではなにが違うのか、自分にとってのホームとは? などなどの問いでがんじがらめに縛られて立ちすくんでいる姿と同じなにかが現れているような。 ここではないどこか、が現れるとしたらそれはどんな場所であり時間なのか、それぞれの場所で圧倒的に生きている人々の隅の方に、(彼女の像が)幽霊のように映りこんでいる - 彼女のドキュメンタリーのもつ強さってなんなのか。

(同じように世界のいろんな土地に向かうAgnès Vardaのドキュメンタリーとの比較もいつかやってみたい。彼女の場合、”Faces Places”で、まず顔とか貌が来て、それら(彼ら)と一緒に動いていく。Chantal Akermanの土地は - 彼女の世界は建物も道も夜の川辺も彼女の「部屋」の延長としてあって、その部屋から出るか篭るか壁を壊すかを考えながら撮っているような)

それかあるいは、”Jeanne Dielman, 23, quai du commerce, 1080 Bruxelles” (1975)で描かれた果てのない家庭内労働の反復から遠く離れたところで、どうしようもない無産者の男はこんなふうにみっともなく朽ちていくのだ、とか。 さらには”Saute ma ville” (1968)で自分のアパートを爆破しようとしてひとりじたばたもがいていたChantal Akermanそのひととの距離とか、あそこから40年後とか..

ぜんぜん動きのない一見地味な作品なのだが、ものすごくおもしろかったの。

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