5.04.2020

[film] Down and Out in America (1986)

4月27日の晩、Film ForumがやっているVirtual Cinemaで見ました。見れないかしら? と思ったら英国からもアクセスできた。

女優のLee Grantさんによるドキュメンタリーで、同年のオスカーを受賞している(制作のHBOにとっても最初のオスカーとなった)。
3つの場所でレーガンの時代のアメリカの貧困と困窮が描かれる。

ミネソタの農業地帯で地元の地方銀行に委託していたローンが中央からの評価替えで紙切れ同然になり自分たちの家や農地を失いつつある農家たちの戦い。LAで失業して家を失った人たちを収容・支援していた施設 - Justice Villeが取り壊されてしまう話。NYでも同様に家のない家族を収容するwelfare hotel - 廃墟となったビルに暮らす家族の話。

衝撃的な困窮の実態を暴きたてる、というより、どれもじゅうぶん想像できる範囲のこと - 見ているだけで辛くなる話 - 以前はこうだったのに突然こんなことになってしまって本当に困っている、というものばかりで、彼らが直截的に政府や政治に訴えるようなことはないし、それを受けた政府や自治体側の言い分や見解や打開策が出てくることもない。レーガンの名前が出てくる箇所はあるが「レーガノミクス」は出てこない(たしか)。政策の是非や欠陥や勝ち負けを具体例をあげて検証するのではなく、とにかく困って途方に暮れている人たちがこれだけいるのだという事実のみを提示して、これが今(当時)のアメリカなのだ、と。なんかおかしくないか? って。

もう30年以上経っていることなので今なら検証も可能だろうし、当時だってなぜこうなってしまったのか、を描こうと思えばできたと思う。国内外へのアピールを含めたキャンペーンのような大規模国策が世間の実態・実情との乖離軋轢を生んで日々の暮らしを破壊する - 容易に想像できるのだが、そういうことではなくて、なんでそのために大量にでてきた苦しんでいる人たちを放っておくのか救えないのか、国とか政治ってなんのためにあるの? っていう極めて根源的な問いがここにはある。

それは根源的であるが故に現在にもきれいに刺さってくる。強者と弱者に分離された格差社会がプロパガンダし続けている弱者は弱いから弱者なのだ、というしょうもない修辞。やろうと思えばできたはずの撤回や回避をどこまでも拒んで先延ばしにする強者(=卑怯者)の論理(屁理屈)。日本のメディアとかの(一見もっともらしく見える)弱者と強者の両方の言い分を並べて分断に向けて誘導していくような手法とか。こういった格差社会の論調とか基盤を想像力の貧しさ不寛容さ(見たくないものは見ない)と結果が全ての経済が下支えしてグローバルに広げていったのがこの30年だったのではないのか。

話が逸れてしまったが、このドキュメンタリーが今のパンデミックの世界に公開される意味は十分にあって、それは苦しんでいて救われるべき人たちは無条件で救われなくてはいけなくて、それができない社会は当たり前だけどどこかが腐って機能していないんだ、って。バブルってこういう腐食の上に成立していたんだ、って。

まず病気で苦しんでいる人たちがいたら(どんな人でもぜんぶ)救われなきゃいけないよね。それが伝染病だったら全体に影響が及ぶから当然よね。ぜんぶ一遍には無理だから統計値と専門知に基づいていろんな軸で対応の優先順位を決めて予防策も立てられて、あとは順番にやるだけ。そこで政治家がやるべきことは予算の確保とリソースの調達と国民へのアナウンス、これだけのはず。よね。

どっかの国を見てて絶望的になるのはその順番もやり口もめちゃくちゃだから。正しい方向に向かう気配すら示さずに曖昧で情緒的なことしか言わない言えない。(書いててやんなってきたので切ります)

いま日本でもっとも見られるべきドキュメンタリー。どっちみち地獄なら手遅れってことはないの。


今日はSWの日なので、”Ep IX - The Rise of Skywalker”がTVでかかった。(On Demandではもう少し前からやってた)  ふたり、いろいろ遠隔で会話しすぎよね。 あれもDistancingなの?

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