5.21.2020

[film] Dinner at Eight (1933)

14日、木曜日の晩、Criterion Channelで見ました。George S. KaufmanとEdna Ferberによる同名戯曲をFrances MarionとHerman J. Mankiewiczが脚色してGeorge Cukorが監督したもの。こんなの見るしかない。邦題は『晩餐八時』。

Cukorにとって最初のMGM作品で、MGMとしては”Grand Hotel” (1932)に続くオールスターキャスト映画である、と。 あのすばらしい”The Women” (1939)との繋がりでいうと舞台版の原作(by Clare Boothe Luce)に今作のGeorge S. Kaufmanがリライトで加わっていた(という話が国書刊行会のキューカー本 – こっちにも持ってきた - に出ている)。

いまのこんな時期、籠ってこういうクラシックばかり見ていたいのだが、あまりに世間にずれてしまうのもよくない気がしてたまに新しめのとかドキュメンタリーとか見る。けどこういうのに出会うとこれだけで十分じゃないか、って。だってまじでほんとにおもしろいんだもの。

舞台はNYなのに摩天楼も公園も劇場もバー出てこなくて、替わりにホテルの部屋、オフィス、おうちの中、最後に小さなパーティ会場などを繋いで繰り広げられるドラマ。

NYの海運業の大物Oliver (Lionel Barrymore)と社交大好きMillicent (Billie Burke)の夫婦が晩餐会を企画してて、英国の大金持ちFerncliffe卿夫妻が来てくれるわ!ってMillicentははしゃぐのだがOliverはそんなことより自分の会社が大恐慌の大波で傾きかけているのが心配でなんか体調もよくない。

それからOliverは、ヨーロッパから戻ってきたばかりの伝説の大女優Carlotta (Marie Dressler)を呼べないか、と。彼のオフィスに現れたCarlottaは見事に落ちぶれて昔の栄華の話しかせずに株とか宝石を売ろうとしているのだが、彼女が持っていたOliverの会社の株も実は不況すぎて売れなくて、他方でがめつい投資家のDan Packard (Wallace Beery)はOliverの会社の乗っ取りを企んでいて、やんちゃな妻のKitty (Jean Harlow)と一緒に晩餐会の招待を受けとる。

Millicentはもう一人、サイレント映画時代のスターLarry Renault (John Barrymore)を招いたのだが彼のホテルの部屋にいたのがMillicentたちの娘のPaula (Madge Evans)で、Larryはもう3回の結婚全部失敗しているし君はまだ若いのだから、とやさしく諭すのだが、Paulaはめろめろで聞く耳もたないの。ヨーロッパから婚約者が戻ってくるというのに。で、そうやっている様子を同じホテルに滞在していたCarlottaに見られてしまう。

下品でがさつな夫にうんざりのKittyはかかりつけの医者のWayne (Edmund Lowe)に恋していて、彼の妻Lucy (Karen Morley)もそれを知っているのだが、具合が悪くなったOliverが担ぎこまれてきたのでそれどころではなくて、診察したら彼は冠動脈血栓症であまり長くもたないかも、って。で、それをMillicentに告げると主賓のFerncliffe卿から晩餐のキャンセルをくらったばかりの彼女はしにそうになる。

晩餐会じゃなくてワシントンD.C.に行きたいDanとKittyは行く行かないで喧々囂々の大げんかして結果Kittyが勝つのだがこの喧嘩シーンのすさまじいことおもしろいことときたら。

Larryはマネージャーと彼が連れてきた大物プロデューサーとも大げんかして縁切られて、ホテルからも出て行ってほしいって言われ、ひとり静かに部屋の隙間を詰めてガスの栓をひねる(自殺を決意した彼が横たわるまでの一連の動作がとてつもないの。大スターなの)。

こんなふうにMillicentが思い描いていた理想の晩餐会はその日その時に向けてがらがら崩れていって、ひとりひとりもそれぞれの事情を抱えてぼろぼろだったり暴発寸前だったり(色恋してもどうにもならん)、しかも大恐慌でうんざりぐったりで、いややっぱりこんな時だからこそ、と愛想笑いと共に開こうとした晩餐会が更にみんなを右往左往させて、悲しい事故も起こるのだが、とにかく最後の最後に晩餐会は開かれる。

え? 開かれちゃうんだ? って思うのだが開かれることで、別のなにか – それがソサエティっていうもの? - が現れてひとりひとりの顔が違って見える気がするおもしろさ。これって”The Women”にもあった、小さなサークルの小競り合いがある点を越えたら鮮やかにひとりひとりの顔色を変えしまう魔法で、それがアンサンブルの魔法であることをちっとも感じさせないという点において魔法としか言いようがない。

最後にみんなに向かってKittyが最近読んだ本に書いてあったんだけど - 今みたいに機械化が進んでいくと人間はいらなくなっちゃうみたいよ、って。 Carlottaが返すその答えが極めて現代的で素敵で、パーティ禁止の今だからこそ見られるべき映画なの。

で、これを見て唸っていたらCriterionでFrances Marionの特集が始まって、いまパーフェクトにはまっている。 原因ふめい。


今週に入ってTVで”Fast & Furious”のシリーズを延々 - なぜか”6”まで、”6”のあとに最初のに戻る - 流し続けていて、なにがおもしろいのかあんまわかんないのだが、なんとなく流している。 やっぱし”5”がいちばん痛快かなあ。

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