5.05.2020

[film] Aus dem Leben der Marionetten (1980)

4月28日、火曜日の晩、MUBIで見ました。

脱税容疑で逮捕されてスウェーデンを去ることにしたIngmar Bergmanが出て行った先のドイツでドイツ語で撮ったTV & 劇場公開フィルム。英語題は”From the Life of the Marionettes”、日本ではビデオリリースのみで、邦題は『夢の中の人生』??

そういえばこないだMUBIで見た”Riten” (1969)もTV用に撮られたもので、似た構成であるようなないような。”Riten”は関係者のインタビューが続いて最後に殺しの「儀式」がくる。こっちは最初に殺しがあって、その後に関係者のインタビューが続く。ベルイマンの他の作品との関連でいうと”Scenes from a Marriage” (1973) - 『ある結婚の風景』にPeterとKatarinaという夫婦が出てくるという(未見)。

冒頭とエンディングだけカラーで、Peter Egermann (Robert Atzorn)が娼婦Kを殺して自分で友人の精神科医のところに電話する。それ以降、検屍官などによる関係者 - 妻のKatarina (Christine Buchegger)、Peterの母、(Katarinaと関係があった)精神科医、Katarinaの仕事仲間でPeterに娼婦を紹介した男(ゲイ)、等々へのインタビューと、ふたりのぎすぎす張りつめた結婚の風景がモノクロで描かれる。寡黙でストイックで真面目に仕事をしていくPeterとファッション業界で人に囲まれて多忙な日々を送るKatarinaの間に子供はいなくて、互いの嫌いなところ、互いの違いとそれぞれの自由を認めあった上で夫婦をやっていて、Katarinaの浮気がばれてもPeterの自殺未遂(アパートから飛び降りようとした)があってもどれだけ冷えこんでいても嫌いだって言っても別れない、別れないことで安定的に続いている、という点では揺るがないように見えたのに、なんでか? 

精神科医の分析は明るく快活な母とKatarinaの間で勤勉さと正常性を保ってきたPeterがKatarinaの同僚のゲイの男経由で娼婦を紹介されて、その世界に触れたことで何らかの均衡を崩されてemotional blackoutに陥った、とかいうのだがそれっぽいようなちょっと違うような。

この件に関するPeterからの言葉が出てこない。これは裁判をしてどっちがどっち、とか、動機や真相を探る、というような犯罪映画ではなく、ここで並べられたような夫婦の光景の先にどういうことが起こったのか、ということを描いているだけで、それだけなの。たぶんKatarinaはこの先仕事も環境も振る舞いも変えず、彼の母はわたしのよい子のことをずって想っていくだけなのだろう。 で、ラスト、淡いカラーのなかでテディベアを傍に置いて横になるPeterの姿がなんかしみるの。

ドイツを舞台にした先の見えないどんづまり愛憎ドラマ、というとR. W. Fassbinderが思い浮かんで、確かにどっちがどう悪いって言えない出口なしの自虐っぽい心情は似ていないこともないのだが、ベルイマン映画の登場人物がいつもなんとなく抱えている(神様からの?)宙吊りのかんじ(← タイトルの”Marionettes”)はファスビンダー映画の登場人物にはない – ファスビンダー映画に出てくる連中は天井からの糸を切られたおらおらの状態で横滑りして刺し違えようとしているかのよう。

そしてこの作品の制作中に構想されたのが次の監督作 “Fanny and Alexander” (1982)で、それは家族全員に加えて神から悪魔までぜんぶが宙から吊り下げられているかのような壮大な人形劇となったの。


ライブに行くことができないみんなのためにBrooklynVeganがいろんなライブ映像を紹介してくれているのだが、今日、"Lloyd Cole & The Commotions @ The Marquee, London 1984" ていう約38分のが出ていたので見てみたら、これ、昔にLDで出てたやつだわ(持ってた)。
“Rattlesnakes”がJoan Didionの”Play It As It Lays”の“Life is a crap game, and there are rattlesnakes under every rock”というラインから来ていることは知っていたのだが、“Rattlesnakes”をやった後にちゃんとLloydがそう言っているのだった。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。