2.21.2019

[theatre] All About Eve

4日、月曜日の晩、Noël Coward Theatreで見ました。

1946年、Mary OrrがCosmopolitan誌に発表した短編 - “The Wisdom of Eve”をJoseph L Mankiewiczが脚本化して監督した映画の古典 – “All About Eve” (1950)をベースに演出 - Ivo van Hove, 主演Gillian Anderson & Lily James、音楽PJ Harvey、で舞台化、ときたら見ないわけにはいかないので、オープンして2日後のチケットを取った。 休憩なしの約120分。

元の映画版は随分昔に見たのだが、ほとんど頭に残っていない。← ほんとしょうもない。

ブロードウェイ女優のMargo Channing (Gillian Anderson)がいて、彼女のファンだというEve (Lily James)が訪ねてきてあなたのような女優になりたい、と言ってそのまま横について、だんだんにのしあがっていく、その果てのない衝突だか葛藤の(演劇とは関係のない)ドラマに劇作家とかその妻とかが絡む、それだけといえばそれだけのー。

映画版にあった(気がする)老若それぞれの女優の意地とか野心が織りなす重厚なドラマ、というのは、まああるよね、くらいの地点に後退、というか背景としてあるだけで、まず女優がいて、女優というのは舞台で演技をする女性のことで、彼女の生きる場所はフロントステージとバックステージとがあって、彼女は生きているので歳を重ねたり、それによって後から来た者に交替したりされたり、ということがあって、そういう生々しいのはだいたいバックステージで起こる、よね。 といった具合に分解して再構成して、そうやって生成されてくるドラマ、これもまた演劇である、と。

2017年の秋にbarbicanで見た、彼の演出による2本立て - ”After the Rehearsal” - バックステージでの葛藤とか言い争い と”Persona” -  舞台で動けなくなり喋れなくなった女優と看護婦のふたりの女性の睨みあい絡みあい、というベルイマンの映画を舞台化したものを思い起こすこともできるし、あるいは同年の春にやはりbarbicanで見たヴィスコンティの映画『郵便配達は二度ベルを鳴らす』(1942) をJude Law主演で舞台化した”Obsession” - これはどこからか現れた若い男が、歳取った夫から彼の若い妻を横取りする話だったけど - に似ていないこともない。

ただ似ている似ていないというのは大したことではなくて、同じ性別のがふたりともういっこの性別のがひとりの3人いてその間で会話が交わされ諍いが起こり、そしてそれを「舞台」のようなかたちで切り出す - それは、それを見る我々の世界を含めた入れ子構造になる - ことができれば、演劇というのは成立する、というか、そういう要素で構成されているのがIvo van Hoveの演劇、といえないこともない、のかもしれない。
それはやはり叫びと囁きと交歓を画面の端から端まで使って、緻密に丹念に拾いあげ、「それだけ」のドラマとして構成されるベルイマンの映画にとても近いかんじがあるのだが、でもそれだけではなくて、演劇はライブである、というのもある。

この舞台では中央に舞台のメイクアップをする鏡台が置かれてその鏡を覗きこむ女優の顔がライブで上部のスクリーンに大写しされ、ドレッシングルームの奥にまでカメラが入り込んで、それもまた前面上部のスクリーンに投影される。老いた女優のすっぴんの顔が大写しになり、毛穴も含めてすべてが晒され、バックステージというものがなくなる。
(スクリーンによる細部の誇張は”Obsession”にもあったが、あの場合はふたりのラブシーンをでかでかと映しだしていた)

女優ふたりは、Gillian Andersonの貫禄(なんかすごかった)とLily Jamesの狡猾さが火花を散らす見事なものだった。
でも、あえて言うなら、”All About Eve”という映画のクラシックをこのミニマルな様式にぶつけてバラしてみることの意義って… という声は出てくるのかもしれない。 それが狙いでもあるのだろうが。

あと、PJ Harveyの音は、Web上でdemoが公開されている”The Sandman”を最後にLily Jamesがひとりピアノで唄うの。 こないだの”Mamma Mia!”と比べるとちょっとはらはらなのだが、それはそれで。

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