8.21.2018

[music] RIP Aretha Franklin

今朝(20日)、NYでの夏休みから戻ってきました。その間のことは追って書いていきますがまずはここから。

16日の午前、JFKに着いて、AirTrainのホームに走りこんだ時にTVのニュース画面で知った。
既に危篤であることはわかっていたけど、これまでも健康上のあれこれはあったのだし、とお祈りしていたところだったので、本当に残念でならなかった。 Detroitで亡くなった彼女の魂がまだ漂っていそうで、みんなが祈りを捧げているこの数日間だけでも、地続きのNYにいられるのであれば、とにかく目一杯の感謝と祈りを捧げるしかないよね、と。

彼女を最初に見て知ったのは映画 “The Blues Brothers” (1980)だった。 映画館で見てすぐにレコード屋に走って、映画のサントラとLP - ”Lady Soul” (1968) - を買って聴きこんだ。 それまでずっと英国の暗いのとかぼそぼそもごもごなに歌っているのかわからないような歌ばかり聴いていた自分にとって、これが初めて買ったソウルのレコードで、そこに躊躇がなかったかといえばあった、のだがあの映画のなかのArethaに説教されてしまったので問答無用だった。だから自分にとってのソウルはMotownでもStaxでもなくAtlanticで、それからしばらくして中古で”Aretha Live at Fillmore West” (1971)を手にいれて圧倒される。 未だにあのライブ・レコーディングはゴスペルとソウルミュージックとR&Bのエッセンスが混じりあって、人の声があの場所のなにかを掴まえて神に届こうとして一番近いところまで行った到達点だったと思っている。

自分にとってパンクは行動原理 - とにかく頭ぶつけて火花を散らしてあとは後悔しない - であるが、Arethaの歌は行動の規範だった。 なんかをやるときには“Think”が、ひとに会ったときには”Respect”が、巻きこまれそうなときには"Chain of Fools”が、沈んでいるときには"Spirit in the Dark" が鳴っていたり聞こえてきたりした。 それはある種絶対的な声でもって上から降ってきて、だから”Queen of Soul”というのはほんとうで、自分にとって彼女の歌は常にそういうものだったの。

92年の秋にNYに渡ってしばらくして、ClintonのInaugurationで彼女が*I Dreamed a Dream*を歌うのをTVで見て、ああ彼女が大統領のために歌う - なんというとんでもない場所に来てしまったんだろうどうしよう.. と震えたことを思い出す。 仕事よりもそっちのほうで震えていたのだった。

彼女のライブは90年代に2回、00年代に1回見ていて、90年代のはRadio City Music Hallのと、Lincoln Centerので、後者のは彼女のレパートリーではなくてゴスペルを歌う、という企画で、ゴスペル界の猛者達とバトルのような歌合戦を繰り広げるとてつもないやつで、自分がこれまで聴いてきたものの正体は、本丸はここにあったのだな、と思い知らされた。 2003年のライブもRadio Cityので、客席にはArif Mardin先生もいて、彼女のソウルの集大成のようなものすごく豪華なやつだったことを思い出す。

これらを見ているので、世の中でどんだけ”Diva”みたいなのが出てきてもちっとも驚かないし、ソウル・ミュージックというのはそんなふうにどっちが上とか相対的な何かを競うものではなく、すべてが”Respect”される境地のようなところで鳴って、みんなに等しく降り注ぐなにかなのだ、ということを教えて貰ったのでなにも怖くない。 ネガティヴィティ、というのは底なし無限の地獄でそれはそれで面白いのだが、ポジティヴィティ、ていうのは、彼女のような女王の絶対王政のお導きがあればそれで十分足りてしまうなにかで、それがある/あった、ので自分はここまで死なずにこれたのだとおもうし、彼女の声はいつでも手と耳に届くところにあって、どこかに消えてしまうことは決してないの。

Queen of Soul。 本当にありがとうございました。 ご冥福をお祈りします。

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