8.30.2018

[film] Heathers (1988)

11日の土曜日、2本の1937年のJoas Crawford映画の合間に、これもBFIで見ました。

リリースから30周年ということで4Kリストア版がリバイバル公開されてて、ミュージカルもあるし、監督のMichael Lehmannを招いての上映会はあっという間に売り切れていたし、なかなか謎の盛りあがりを見せている。こんなに人気ある作品だったのね。
邦題は『ヘザース/ベロニカの熱い日』。

オハイオの高校で、Heathersていうファーストネームがみんなおなじ”Heather”っていう高慢ちきな3人組がいて、Veronica (Winona Ryder)は彼女たちに認められたくて周りをうろちょろしているのだがおちょくられたり虐められたりばかりなのでだんだんなんなのこれ、て頭くるようになって、転校してきたJ.D. (Christian Slater)にそれを言ったら彼はひとりのHeatherを洗剤で殺しちゃって、そこからJ.D.はどんどんエスカレートしてなぎ倒していくのでどうなっちゃうのかしら、と。

これまでの学園ものがどちらかというと嫌なことがあってもみんなでどうにか解決してうまくやろうぜマインドだったとこに、気にくわないんだったら消しちゃえばいいじゃん、ていうオルタナな解決策を明るめに持ちこんできた、そういうやつ。 死/死体というのを学園風景のなかに(川の縁に)置いてみたのがこないだ見た”River's Edge” (1986) – ここにはKeanu Reevesが出ている – だったとすると、Winona Ryderをまんなかに置いたこれは、更にそれ(死)を前景に出して、学校には夢も聖域もない、Best FriendもWorst Enemyもたいして違わない、それはくそったれの社会 – Society – と同じで、そのもので、だから自殺だって殺人だってふつうにあるだろぼけ、ってびんたをかましてくる。

でも、それは、だから、救いようのない底なしの地獄なのだ、とは言わない。
2回流れる”Que Sera, Sera” - 最初のはSyd Strawさん(アレンジはVan Dyke Parks !)、後のはSly and the Family Stoneの - が全体の空気を作っていて、そこにWinona RyderもChristian Slaterも軽やかに乗っかって颯爽と向こうに走っていってしまう。 それは、これの数年前に“Ferris Bueller's Day Off” (1986)でFerrisたちが父親的な同調勢力から鮮やかに逃走したのと似ていないこともない。 Heathersや体育会系男子の意味不明の圧に従うことにいったいどんな意味があるというのか。
そういう旧来の文脈から離れてみたとき、ティーンエイジの恋 - 彼らはほとんど感情を露わにしない - はどんなふうな模様を描くのか。などなど。

ただこの30年の間に、学校というのがいるだけで命を狙われてしまうようなシャレにならない場所になってしまったことも確かだし、こないだの”Eighth Grade” (2018)のようにネットという別次元の囲い込みに追われている今の子たちの事情もあるだろうし、そういったことも含めていろいろなことを考えることができる。 或いは、John Waters的なブラック・ジョークの流れに置いてみることだってできるだろうし。

音楽は”Que Sera, Sera”以外では、Don DixonとMitch Easterによるバンドによる”Teenage Suicide (Don't Do It)”ていうのが流れる。 Don Dixon、なつかしいな。

あと、Joan Crawfordさんはこの映画にも一瞬でてきたのですごいや、て感動した。

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