8.16.2018

[log] August 16 2018

何度も書いているけど今年の夏の暑さはほんとうに異常で異様で、それでも日本よりはましだろ、なのはわかるけど、でも冷房のないロンドンの地下鉄やアパートの暑さと冷房があっても効いてこないという日本の屋内の暑さをたんじゅんに比較するのは違うのではないでしょうか、と。 どっちも死にそうなのにつべこべ言ってるんじゃねえ、てのはわかりますけどね。ええ。

というわけで、7月の真ん中くらいから「避暑」みたいな言葉が雲のように浮かび始めて、ここだと北欧とかスイスあたりになるのだろうが、そういうとこ行って涼んでもねえ、だし先週くらいから気候も通常運転に戻って涼しくなってきちゃった(夜は窓閉めないと寒くなった)ので、しょうがねえ、と通常運転でNYに行くことにした。

そういえばここ数年はPanoramaに行ったりしていて、あれはあれで楽しいからよいのだけど、今年のラインナップときたらしーん  – わかっていてしーん&わかんなくてしーんのミックス - みたいなかんじだったのと、ライブは6月のMeltdownで散々行った気がしたので少し抑えて、でもただNYの街行くだけだといつも通りに本屋行ってレコ屋行って映画館行って「だけ」、になっちゃう可能性が大きいので、もう少しなんかないか、と思ったりしている。

でもそうは言っても、ロンドンに来て半年が経過していた昨年の訪問と、そこから更に1年が過ぎた今度の訪問は、目線も気分もたぶん違っていて、まだふらふらしていたロンドンのあれこれをNYのあれこれで答え合わせするかんじだった昨年に比べると、今年のは余裕でどっちに対してもそういうもんよね、って言える気がする ← なにさま?

そしてたぶん、ここからしばらくは、そうやって現れてきた都市の違いを踏んだり転がしたりしながらこれらの都市とか街とかが自分にとってどういう意味を持つのか、本当にそれらがないとしんじゃうのか、みたいなところを確認していくことになるのだろう。自分の死に場所を探してみる、みたいなのを。
そういうことを考えたりするようになったのは、ロンドン(とかその他の欧州の街)が本当にいろんな死者といろんな死体の上に建てられた街で、その上に住む人たちは死者を想うように自分たちの街の成り立ちだのなんだの、そんなことばかりを考えている(ようにみえる)から - という辺りからNY(とかアメリカの街)を考えてみることは可能なのか? どんなふうに? 意味あるのかしら? などなど。

だいたいさあ、暑さで干上がった土地から遺跡が浮きあがってくる、ってなんだそれ、とかも。

こっちには月曜の朝に戻ってくる。時間はもうすでにぜんぜんない。
とにかくゆっくりしてきますわ。やれるもんなら。

ではまた。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。