2.20.2023

[theatre] National Theatre Live: The Seagull (2022)

2月14日、火曜日の晩、TOHOシネマズ日本橋で見ました。

上演はHarold Pinter Theatre - 日本食材スーパーのお向かい、なつかしい – で、チェーホフの同名の古典劇 (1895)をAnya Reissが脚色し、James McAvoyの”Cyrano de Bergerac” (2019) – あー見てないや – のJamie Lloydが演出している。

Previewは2019年の12月で、でも開始間もなくのCovidまん延によりPreviewのみで終わっていた – なのでこの公演は、2年間の中断を経ての(厳密には)リバイバルとなるのだそう。

NTLによくあるイントロ - 作家とか演出家へのインタビューもなしにいきなり始まる。ぼんやりした模様のように並んでいる影が形をとって、その焦点があうと簡素なステージ上に出演者全員が簡素な椅子に座って、横並びでこちらを向いている。服装も地味でシンプルで、壁はウッドチップの模様の壁紙がぺたんと、牢獄ほど冷たくはないがリビングのように暖かくもない。待合室? のような。

発話する場合は立ちあがって相手の方を向いてなにか言ったり合いの手を入れたりするものの、直接的なアクションに繋がったり激しい感情をのぞかせることもないし、その波動が周囲を急かして動かすこともない。どこか誰かに言わされているかんじ。言われなければぜったいチェーホフだとはわからない。ベケットとか不条理劇のような噛みあわないトーン。

母のIrina (Indira Varma)がいて、息子のKonstantin (Daniel Monks)の芝居が不評 – 貶されるというよりわかんないと言われる - で、母は人気作家のTrigorin (Tom Rhys Harries)と関係があり、そこに新進女優のNina (Emilia Clarke)が入ってきて..  会話が進むにつれて、舞台上にいる他の親族や村人たちとの関係も明らかになっていくのだが、家や場面の転換と共に扉をくぐったり抜けたりを通じてお喋りのアンサンブルやリレーが「物語」を「顛末」に向けて転がしていくチェーホフのコメディ/ドラマの騒がしさ、人々の密なかんじからは程遠い。

これってリモートワークでのZoomの会議みたいな建付けなのだろうか。ムダの塊のようなチェーホフの会話劇を効率化・生産性向上のツールであるZoomを介して洗濯してみたらどうなるか、って。 全員が縦横のグリッド上にいて等価で、派手に目立つことは憚られて、誰かひとりと話したくても全員に伝わってしまうので、ホットなやり取りは無理か、ってクリックして入ってからそこに居ることを強いられ、勝手に抜けるわけにもいかなくて、たまにフリーズしたりホワイトアウトしたり、などなど。でも、居心地わるくても伝えられるべきこと、決められるべきことはここでぜんぶ捌くべし、OK? などなど。

ぜんぶで二幕あって、幕間でライトが落ちている間もKonstantinは舞台上の椅子に座ってぼーっとしたり床に転がったりしていて – 夜の動物園のようにぼんやりと確認できる - 二幕目に入るとステージの一部が取り払われてより骨組みのみのメタ演劇っぽい広がりが現れ、Konstantinが劇作家として人気がでて有名になるにつれNinaとの距離も縮まっていくのだが、Konstantinのどんよりはっきりしない態度は変わらないままで… 名声とか影響力とか世代的なあれこれと同様、恋愛も芸術もとめどない片思いばっかしでなんか疲弊するねえ、どうしていったらよいのかしら.. みたいなところで終わる – 画面上からひとりひとり消えていくようにして。 はて、「かもめ」ってこんな話だったかしら? という圧倒的に腑抜けたかんじ(よい意味で)と共に。

これがWest EndデビューとなるEmilia Clarkeはきらきら圧倒的に光っていて、母役のIndira Varmaの過去に生きて動じないかんじも、ふたりに挟まれるTom Rhys Harriesの神話的に堂々としたかんじも、これに対してずっと途方に暮れた眼差しと表情で遠くを見たまま漂ってぼそぼそしたDaniel Monksがすばらしい。彼は障害者俳優なのだが、この人がこの位置にいることで芝居の像は変わるのか変わらないのか、それはどうしてなのか、などを考える。

他方で、このやり方でシェイクスピアでもイプセンでもピンターでもなく、チェーホフを上演することの意味を考える .. 程には自分はチェーホフを知らないのが残念だった。それなしでも十分おもしろいのだが。

ところで、直近の映画のMichael Mayerによる”The Seagull” (2018)って、結局日本公開はされなかったの? IrinaをAnnette Beningが、NinaをSaoirse Ronanが演じて、巧い人ばかりだったのでアンサンブルとしてはとてもスリリングでよくて、これと一緒に見たらいろいろ発見もあったかもしれないのにー、とか。

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