2.08.2023

[film] Portrait of Jason (1967)

2月1日、水曜日の晩、国立映画アーカイブのAFA特集で見ました。
『ジェイソンの肖像』108分。監督はShirley Clarke。

1966年の12月、チェルシーホテルの一室で、カメラに向かって喋ったり歌ったりする42歳のアフリカンアメリカン - Jason Hollidayの姿を12時間に渡って撮ったもの(を編集した)。モノクロで、フィルム交換の際にもカメラは回っていて、Shirley Clarkeやスタッフの声も入ってくるし、Jasonの友人(恋人?)が声を掛けたりもするが、彼らの姿は見えない。煙や白い背景のなかに浮かぶのも消えるのもJasonのみ。

最初に自己紹介して、と言われると彼は詐欺師だ、ってにやにや笑って、生い立ちについては本名はAaron Payneで、サンフランシスコのノブヒルの白人のお屋敷でハウスボーイとして働きながら悪いことを覚えて、そのままずるずる流れていまはビッチでー、などの身の上を語りながらタバコを吸って酒を呑んで酩酊していって、なにを語ってもなにしろ自分は詐欺師なんだから信じるも信じないもー、のようなところを這いずりまわって怪しいったら。

彼の喋りが少し止まると、横から「あの話は?」「あの件は?」のような合いの手が入ったりするので、彼のこのような語りはレパートリーとしてすでに出来上がっているものらしく、それについて得意に喋りだしたり、”Funny Girl”からの曲を歌ったり、Mae Westの真似をしてご機嫌になったり、かと思えば横にいるらしい恋人の俳優 - Carl Leeから彼を「嘘つき」とかなじる言葉が投げられて「ひどいよ」って泣き出したり、フロアに横になっちゃったり、こんなふうに錯乱した酔っ払い – おそらく実際に酔っ払っている - の挙動百態を目の前でやられたらあれだけど、このフィルムについては、そのようなJasonの肖像が靄の向こうから形をとってくっきりと現れてくる。傷だらけで、でもアメリカの地下や扉の向こうでしたたかに生き延びてきた誇り高きクィアの女王が立ちあがるようで、それはJasonが自身で描いた自画像とShirley Clarkeがフィルムによって描こうとした肖像のギャップや重ね絵も含めて、そこに生きている人の像を確かにとらえている。

あと、Frederick Wisemanの人物に対するアプローチって、これに近いのかも(WisemanはShirley Clarkeの”The Cool World” (1963)のプロデューサー – これが彼のキャリア最初期)というのを改めて。


The Personals: Improvisations on Romance in the Golden Years (1998)

2月2日、木曜日の晩にAFA特集で見ました。↓の”Primary”との2本立て。
監督・編集の伊比恵子がNYUの卒業制作をもとに作った短編。アカデミーの短編賞を受賞している。

マンハッタンのダウンタウンにあるコミュニティセンターで、演劇をやってみよう、のようなクラスで演じることの楽しさに目覚めていく(←全員がそうではないけど)ユダヤ系の高齢者の男女の姿を捉えたドキュメンタリー。劇のタイトルは”Improvisations on Romance in the Golden Years”、内容はナンパや広告を介しての出会いから始まる恋とか、入れ歯を洗っていても手術しなければならなくなっても恋はしたいし起こるし何が悪いのさ? っていうもので、そこに参加者それぞれのこれまでの、そして現在の生の姿が被さって、更に、次の年次ではクラスが行われなくなるかも、ってみんなしょんぼりしたり。それでも最後にはリハーサルを重ねてきた劇の本番のお披露目で、ステージ側も客席もみんな幸せそうでよいなー、って。この辺を機に老人たちががんばるコーラスのドキュメンタリーとかいろいろ出てきた気がする。

撮る方が(おそらく相対的には)若くて、撮られる方は撮る側には思いもつかないような老いの境地にあるという撮る側 – 撮られる側の違い・ギャップについて、これは↑の”Portrait of Jason”にもあったものだが、いろいろ考えさせられる。

あと、自分もそろそろ人ごとではなくなってくるかんじとか。
ここに映っているおじいちゃんもおばあちゃんももうみんなこの世にはいないんだろうな.. とか。


Primary (1960)

ドキュメンタリー映画の潮流「ダイレクトシネマ」の発火点となった記念碑・教科書的な作品、として十分に有名な1本。 邦題は『予備選挙』。 製作・監督はRobert Drew、撮影にはRichard Leacock, D. A. Pennebaker, Terence Macartney-Filgate, Albert Mayslesといった錚々たるメンツが参加していて、手持ちの移動撮影がほとんどのはずなのに、モノクロ画面の風格というか、どこを切っても写真集、のような落ち着きっぷりときたらすごい。

1960年のアメリカ大統領選挙に向けた予備選挙 - 民主党の候補者指名を争うJohn F. KennedyとHubert Humphreyのウィスコンシン州での選挙戦の模様を追っていく。よく見るニュースフィルムとどこが違うのか、というと恣意的なストーリーとか結果とかへの誘導志向の薄さ、というか垂れ流しで撮っていったものをばさばさ編集しているかんじ。

なので、どこにでもいそうな野暮ったい田舎のおっさん風のHumphreyとジャッキーも含めて若くきらきらのJFKとの対決はなにが対決なのか、対決になりうるのかすらよくわからず、ふたりの人物の周りにいろんな人々が寄っていく、その波の揺らいでこっちに来るかんじ(ダイレクトななにか)が伝わってくる。

地域社会っていうのは確かにあるんだねえ、というのがこないだの”Harlan County U.S.A.” (1976)と同じように見えてきて、よくわかんないけど興奮してしまうのだった。

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