2.03.2023

[film] The Woman on the Beach (1947)

1月20日、月曜日の晩、シネマヴェーラの『ヌーヴェル・ヴァーグ前夜』特集で、見たかったけど時間割が合わなくて、そしたらCriterion ChannelのJoan Bennett特集にあったので、見ました。この特集では他に”Big Brown Eyes” (1936)と”Wild Girl” (1932)も見て、どのJoan Bennettもすばらしいったら。

監督はJean Renoir、原作はMitchell Wilsonの小説 – “None So Blind” (1945)。邦題は『浜辺の女』。
Jean Renoirの最後のハリウッドでの監督作で、興行的にも批評も散々(公開当時)であったが、後年になって再評価された(らしい)一本。

沿岸警備隊のScott (Robert Ryan)は荒れた海で難破した船に絡みつくいろんなのの悪夢でうなされて起きることが多くて、そういうのから逃れようとしているのか、造船所に勤める朗らかなEve (Nan Leslie)と結婚しようとしている – でも彼の方はぜんぜん幸せそうに見えない。

ある日、馬で浜辺を歩いているときに打ちあげられた廃船のところでPeggy (Joan Bennett)という謎めいた女性と会って、やがて丘の上の一軒家に呼ばれて彼女の盲目の画家の夫Tod (Charles Bickford)も紹介されるのだが、TodのPeggyに対する高圧的な態度がちょっと気になって、Scottは彼女に惹かれていきながら(突然キスするのはびっくりする)、Todって本当に目が見えないのか? 見えないふりをしているだけじゃないのか? ってめらめら疑念が湧いて、意地悪に試してみたらTodは崖から落っこちて怪我をして、そんなことばっかりやっているのでEveはTodから離れて、これはなんとかしないと、って振り返ったらTodの家が燃えている…

まん中にいる3人全員が裏に暗い何かを抱えていて邪悪 - 善人はEveくらい - なので、最後は殺し合うしかないんだろうな、と思っていると唐突に遠くで燃えている家が飛びこんでくるの – そのタイミングとかが絶妙で痺れる。

「浜辺の女」- PeggyがScottをノワール的な悪の世界に誘うファム・ファタールとしてそこにいる、というよりもどう見ても考えてもどす黒いなにかを抱えこんでいるのはScott -こないだ見た“Caught“ (1949) 『魅せられて』でRobert Ryanはネジの外れたパラノイアの冷血漢認定 – もしくはTodのほうで、Peggyはそれぞれに火を点けただけのように見える – そこだよ! というのであればそうなのだろうが、それも含めて男社会の犠牲の典型例のようにして浜辺に立たされている彼女。

彼女のいる浜辺が一番水平な安定した場所で、海の方に行ったらのまれて即死だし、なんとか崖をのぼって遠くに見える家(ワイエスのクリスティーナの世界)に手を伸ばそうとしたら燃えていた.. って残酷だなー、って。

Renoirはこの後に舞台をインドに移して「川辺の女」を撮ることになるのだが、いろんな点で浜辺の世界とは違い過ぎていておもしろい。


Le Plaisir (1952)

1月26日、木曜日の晩、シネマヴェーラの『ヌーヴェル・ヴァーグ前夜』で見ました。これがこの特集の最後となった。

邦題は『快楽』。英語題はそのままのことが多いが、”House of Pleasure”というのもあるらしい。
監督はMax Ophüls、原作はモーパッサンの短編 - "Le Masque" (1889), "La Maison Tellier" (1881), and "Le Modèle" (1883) - を重ねて、前菜(しょっぱい)- メイン(てんこもり) - デザート(甘くない)、みたいな構成になっているドラマ。

Le Masque

夜のダンスホールに男女がわらわら集まってきて盛況で、仮面をつけた男が女を誘って、男のほうはのりのりのタコ踊りをするのだがやがてばったり倒れて、その場にいた医者が呼ばれて仮面を剝がしてみると干からびた老人が現れ、彼の家に運んでみるとやはり老いた妻が出てきて、このひとも昔は近所でぶいぶい言わせていたものでしたが… とか言うの。それだけなの。小津が撮ったらおもしろくなったかもしれない。

La Maison Tellier

小さな町のマダムTellierが経営する、小さいけど繁盛している売春宿 - Maison Tellierがあって、それが土曜日に閉まっていたことでいろんなはけ口を失った常連客の間で起こるどうでもいい波風の件が前半。後半はそうやって休んだマダムが、姪の初聖体式に出席するために従業員の娘たちみんなを率いて列車で実家の村に帰る道中記。

村で迎えたのがマダムの兄のJean Gabinで、彼が惚れる従業員娘にはDanielle Darrieuxもいたりするのだが、着飾った娘たちが聖なる式と穏やかな村に巻き起こす波風が朗らかで楽しいのと、彼女たちがお店に戻ったときに前半に出てきた男たちが小躍りして戻ってくるのがしょうもないなあ、って。 このパートは清水宏に撮ってほしい。

Le Modèle

ここまでのお話全体のナレーター(Jean Servais)が姿を現わす。友人の若い画家が美しいモデルのJoséphine (Simone Simon)と出会って一緒に暮して、彼女をモデルに描いた絵も売れて幸せだったのに時が経つと喧嘩ばかりするようになって彼は家に寄りつかなくなり、彼を探して追ってきたJoséphineは窓から飛び降りてやるから! って騒いで、彼がどうぞっていうのであっさり飛び降りて..

最後にナレーターが幸福にはなんの楽しみ(joy)もないのだ、って淡々というあたりがいろいろ深すぎる。ここは成瀬、かなあ。

「快楽」っていうのを生に付随してあるもの、というより生に先立っていたり場合によっては奪ったりする強く生々しいなにか=美しい女性の姿をしている – のように描いて、この描き方が女性への加虐に加担する方に転びやすいしょうもないものであることも含めて、この時代だったら文句ない.. しかない、か。

階段をぐるぐる昇ったり降りたりするめくるめく動きまわる映像も含めて、ほんとすごくて、うっとり眺めるばかりー。

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