2.16.2023

[film] キクとイサム (1959)

2月11日、土曜日に国立映画アーカイブの特集『日本の女性映画人(1)―無声映画期から1960年代まで』から4本(うち1本は短編)を見ました。この日の1950年代の3本で描かれていることときたら、「教育」〜「就職」〜「結婚」それぞれのライフステージ(けっ)でのこと、それはそのまま今に繋がっているので、とっとと国を出たくなるやつ。

キクとイサム (1959)

監督は今井正、脚本は水木洋子で、彼女は成瀬のかわいそうで泣いちゃうやつを沢山書いている人なのでこれも覚悟して。キネマ旬報ベスト・テンの第1位を獲っている。

会津磐梯山麓の農村の学校でおもしろい歌で子供たちが縄跳びをしたりしている中にキク(高橋恵美子)とイサム(奥の山ジョージ)の姉弟がいて、子供たちの間で明らかに異なる外見のふたりは「くろんぼ」とか言われたり虐められたり蔑視を含む好奇の目で見られながらも、祖母(北林谷栄 – この時48歳って..)の畑仕事を手伝ったり母屋の若夫婦に助けてもらったりしながら暮らしている。ふたりの母は亡くなっていて父はアメリカに帰ってから連絡が取れないまま。

祖母が腰を痛めて病院に行った時の医師との会話(おらが死んだらふたりはどうなってしまうだ?)から、アメリカ人家庭に養子を送る取り組みがある、って話が転がってその団体の人が来て、キクはそんなの嫌だと拒むが、イサムはアメリカに行ってみたいな、というのでー。

ものすごく悲しい話になったらどうしよう.. だったがそうはならない(おばあちゃんも無事)し、キクがどこまでもドライで強いのはよかった。旅芝居の一座の前でタップを披露するところとか、ドッジボールで男子をぼこぼこにしていくところとか痛快で。

ふたりを養子に出す件について近隣親戚で議論するところで、「外国人」とか「ハーフ」に対する日本人の目線(偏見)や態度ってこの頃からぜんぜん変わっていないんだな… ってため息がでた。

どうでもよいけど、北林谷栄の顔がクリント・イーストウッドそっくりに見えることがあったり..


夕やけ雲 (1956)

監督は木下恵介、脚本は楠田芳子、撮影は楠田浩之。ポスターには「詩情あふれる名作」ってあるけど、こんなかわいそうな話ないし、なんでこれを「詩情」とやらで包んでしまえるのかしら。

洋一(田中晋二)は父(東野英治郎)が亡くなったあと、母(望月優子)とふたりで下町の小さな魚屋を切り盛りしてがんばっているのだが、金持ちのところに嫁いだ姉(久我美子)はしょっちゅう実家に戻ってきてはぶつくさ言っている。なんでこんなことに… って丘の上から夕やけ雲を見て思う洋一から始まるおはなし。

彼の小さい頃からの夢は船乗りになることで、叔父から貰った双眼鏡で窓から遠くの方を眺めたりしているのだが、父は病弱だし、恋人=金づるが信条の姉は相手をとっかえひっかえして、結婚式の日にもひどいことが起こるし、親友は北海道に行ってしまうし、双眼鏡経由でぼんやり憧れていた女性も嫁いでいなくなるし、やがて姉のことで激怒した父はそのままばったり亡くなって、妹は大阪の叔父のところに養子にだすしかないし、彼の道は魚屋になるしか残されていなかった、と。

金のことしか頭にない姉がぜんぶわるいんじゃないか、なのだが、そんな彼女の価値観を作って煽ってしまったのは当時の社会とか政治なので、そんなので洋一の我慢と選択をえらい、なんて言ってしまってよいのか(波風立てたり迷惑かけなければえらいのか)。でも、今もおなじような事情で諦めてしまう若者多数なんだろうな。

そして、洋一以上に一番かわいそうで報われないのはお母さんなのだと思うよ。彼女が決して自分の境遇や不満について口に出さない/出せないのってどういうことなのか、そこでも「詩情」なんてほざけるのか考えてみろぼけー、って。 映画はとてもよいのだけどつい。

木内克とその作品 (1972)

彫刻家の木内克についての30分のドキュメンタリー。脚本が楠田芳子で、↑で撮影担当だった夫の楠田浩之が監督をしている。
猫がいっぱいいたので、猫が彫刻をなぎ倒したり彫刻で爪を研いだりやらかしてしてほしかったのだが、それはなかった。


姉妹 (1953)

「きょうだい」って読むの。脚本は橋田壽賀子、監督は岩間鶴夫、撮影は厚田雄春。

犬猫病院をやっている笠智衆と沢村貞子には上から津島恵子、淡路恵子、美空ひばりの三人姉妹がいて、上ふたりの姉たちが誰と結婚するしないでひばりが歌ったり泣いたり怒ったりする。

まず建築会社の若原雅夫と津島恵子が同じ職場でつんけんしながらも津島恵子の方が想いを寄せていたらひばりが間に入って若原雅夫と淡路恵子を婚約させちゃって、今度は津島恵子がかわいそうだから、って金持ちの伊沢一郎を見つけてきたら淡路恵子がなんか彼の方がいいかも、って寄りはじめて、ひばりはいいかげんにしてよ、ってぶちきれて犬を連れて家出して…

結婚というゴールに向かって家の女性たちが総出でわーわー泣いて笑って喧嘩して、男性の方は大抵ずぼらかマザコンでなにもしないかにやにやしているだけ、というジャパンの「ホームドラマ」の原型は既にあって、その設定のソデで美空ひばりが歌ったり踊ったりする異様な世界なのだが、厚田雄春のカメラが笠智衆を捉えるとそこだけ別世界のようになるのがおもしろい。いや、あまりおもしろがりたくはないのだが。

これらで原風景のようなイメージとして近代化と共に受け容れられ広がっていった「ホームドラマ」の「ホーム」ってアメリカにも英国にもあるように思うのだが、これが今世紀に入った多様化うんたらへの反動として再び鎌首をもたげてきた、のがいまの家父長制ばんざい、の風潮なのかしら。とにかくうざいったら。

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