2.01.2023

[film] The Banshees of Inisherin (2022)

1月28日、土曜日の昼、109シネマズ二子玉川で見ました。『イニシェリン島の精霊』

作・監督はMartin McDonagh、戯曲家としての彼がアラン諸島三部作 - ”The Cripple of Inishmaan” - “The Lieutenant of Inishmore” – “The Banshees of Inisheer” – として書いて、実現しなかった最後のパートを映画用に”The Banshees of Inisherin” - 島の名前を架空のものに据えて書き直したという。以下、なんとなくネタバレしている。

1923年、アイルランドの本島では内戦が続いてその爆音や砲声が聞こえてきたりするが、イニシェリン島 – 実際の撮影はイニシュモア島とアチル島などで – は普段通りののどかな時間が(一見)流れていて、酪農をやっているPádraic (Colin Farrell)はいつものように(午後2時)呑み友達Colm (Brendan Gleeson)の家の扉を叩いて呑みにいこう、って誘うと、Colmはもう君とは付き合わないことにしたのでもう話しかけないでくれ、と言う。その場は前日に酔っ払ってなんか酷いことしたのかな、って下がるのだが思い当たらないし、誰に聞いても別に? って言われるし、彼の機嫌が悪いのかというとパブで他の客とは談笑している。 なのでふつうに寄って掘り下げようと聞いてみると、自分は毎日毎日そういう中味のないバカ話みたいのを繰り返すのはもうやりたくないのだ、って。

困惑したPádraicは妹のSiobhán (Kerry Condon)と話したり教会の司祭に仲介してもらったりもするのだが、事態はよくならなくて、つきまとうのを止めないPádraicに対してColmはこれ以上話しかけてくるならそのたびに自分の指を切り落とすからな、って脅迫みたいなことを言いだす。フィドルを弾いて作曲をしているColmにとって指を切るっていうのは相当なあれなのだが。

話の軸としてはほぼこれだけ – 閉じた隣近所のロバも食わない喧嘩でしかなくて、なぜ突然Colmはそんなことを? っていう事情や背景があるのかというと、別にないの。単にもういい歳になって毎日呑んでバカばっかり喋ったりやったりの生活はもうやらない、ってそういう決意をちゃんと実行しようとしたらこうなる、だろうなーくらい。 仕事の後にちょっと呑んでいくか、みたいな会社文化が死ぬほど嫌だった(いまも)のでよくわかるし、付きあっていた恋人同士が別れるときだってこんなふうでは? 片方はもう会いたくないから会いたくないといい、片方はどうして?そんなはずはないを繰り返して付きまとうけど、決して元に戻ることはない。これ以上中味のないバカ話ばっかりを繰り返したくない、って言いながらバカ話のネタみたいなことを延々繰り返している、という…

でもPádraicはどこまでも納得いかなくて、これまでの自分の生き方がまるごと否定されたような気がして、それをSiobhánに相談したり、近所のちょっと間抜けな - Pádraicは少し見下している - Dominic (Barry Keoghan)と話をしたりするのだが、やはり我慢ならなくなって、Colmが指一本を羊ハサミで切り落とした後に彼の家にばーんって乗りこんでいって…

ブラックコメディ、というほどブラックでもコメディでもないような。昔こんなことがあったよ、くらいの。

タイトルの”The Banshees of Inisherin”はPádraicと縁を切ったColmが書いている曲の名前なのだが、アイルランドのバンシーって、魔女のような恰好で人の死を叫び声で予告すると言われていて、Pádraicの周辺にもMrs McCormick (Sheila Flitton)っていう黒ずくめの老女 – ベルイマンの死神みたいな - が道端にいたりして「あとふたり人がしぬー」みたいなことを告げたりする。でもこれにしても、Colmが教会の懺悔室で告解する司祭も、Dominicの父の暴力警官も、そこらにいるだけでなんの役にも立たないぼんくらだし、道化のDominicはあっさり死んじゃうし、海の向こうの本土は内戦で人が死んでいるらしい。

Pádraicが死ぬまでバカ話を続けても、Colmの書いた曲が歴史に残るものになったとしても、それがどうしたの? って穏やかな犬とロバと馬がじっと見守っている。

どっちもどっちのような愚か(自分がいちばん、て思いこんでいる)で野蛮な男たちの周りで聡明なのは畜獣たちと、このままではやばいいけない、ってひとりで本土に渡っていくSiobhánだけではないか、って。

記号みたいなところだと、みんな未婚なのと、母親がいない世界なのと、馬ロバ犬も含めてそのまま西部劇になる/ができる設定がひと揃いあるかも。銃や大砲だけは海の向こうに。これらをなぜ西部劇にしなかったのか、ならなかったのか? についてー。

でもそれにしても、Pádraicのあの挙動と眉毛はねえ(すごい)よな、って。

Brendan Gleeson、これと同じ演技仕様でもういちどPaddington (Ben Whishaw)と渡りあってみてほしい -「てめえの熊の掌ぶったぎるぞ」とか。
それにしても、ここ数日の政府の答弁があまりにグロテスクで気持ちわるくて、Colmが指切りたくなる気持ちはなんかわかる。

Guardian紙のMartin McDonaghへのインタビューを読むと、彼はThe PoguesのShane MacGowanと同じようにずっとアイルランドの外側に立っていた”London Irish”であった、と。アイルランド的なものを自身の発火点にしているようなところは近いような。

あと、Phoebe Waller-Bridgeとつきあっているって。

あと、音楽のCarter Burwellは控えめながらすばらしい。

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