2.22.2023

[film] 女性の勝利 (1946)

2月18日、土曜日の午後、国立映画アーカイブの「日本の女性映画人特集」で見ました。
監督は溝口健二、脚本は野田髙梧と新藤兼人、編集に杉原よ志、メイクに増淵いよの。 溝口の戦後第1作だそう。

新進気鋭の女性弁護士ひろ子(田中絹代)は恋人で評論家の山岡(徳大寺伸)が5年間の勾留から解かれて戻ってきたので嬉しい反面、獄中で衰弱しきってそのまま病院送りになったことについては頭にきていて、あの硬直した検事だの司法制度をどうにかしないと、ってぷんすかしていると呼んだか? って検事の河野(松本克平)が顔をだす。彼はひろ子の姉みち子(桑野通子)の旦那なのでどうにも面倒くさくてやなかんじ。

この後も戦後の司法への市民参加を巡ってひろ子と河野はことごとく対立して、河野はこの立ち回り如何によっては検事正になれるかも、って意固地で必死だし、彼を支える姉とのお家内事情だってあるし、でも山岡をあんな目に合わせた河野を許すことはできないし。

そんな時、ひろ子は同窓生だった朝倉さん(三浦光子)が乳児を抱えて道端で困窮しているのを目にして少し気にしていると、職場の事故で寝たきりだった彼女の夫が亡くなり、更にある晩混乱した朝倉さんが訪ねてきて、子供を誤って殺してしまった、と(彼女が訪ねてきて自分のやってしまったことを告白するシーン、カットなしでものすごいテンション)。

病状が日に日に悪化していく山岡からも励まされ、朝倉さんを弁護して河野と法廷で全面対決することになったひろ子は、そして挟まれてどうにも苦しいみち子は…

全体の分量からは大きくないが、これは”Saint Omer”から続けてみると、テーマとして連なるところの沢山ある(年齢差は70以上...)ど真ん中の法廷ドラマにしか見えなくて、司法は法を適正にドライブしたりエンジニアリングしたりの技術者に徹するべし、という河野と、世の中の事情や動きと乖離した法は人を殺すのでそんなのぜったいにおかしい、というひろ子の主張 - 要は法が先か人が先か - 正面からぶつかってすごい迫力なのだが、裁判の休憩時間に入ってみたら山岡は亡くなってしまうわ、みち子は河野の家を出るというわ、どんでんがあって、よし! って再びリングに向かうひろ子を正面からとらえて終わるの。

判決が結局どうなったかについて、映画のなかでは示されない - 圧力とか配慮とかいろいろあったのだろうか? - のだが、それでも十分「女性の勝利」と言いうるだけのいろんな材料は十分に示されていた気がした。

他方で、でもやっぱりごく最近になっても、司法って相変わらず法(と権力の、制度の)ドライバーにしかなっていないよね。まずは世の中のせいにして、だれに守られているのかなにを守りたいのか、目と耳を塞いで法と判例の方だけをみて適用/運用しているだけのしょうもない人たち(だらけのように見えてあたまくる)。

素敵な法衣(RBGの襟!)を纏ってヒールを履いて、しゃんと立つ田中絹代、かっこよいねえ。


胸より胸に (1955)

↑のひとつ前に見ました。
原作は高見順の小説、監督・脚本は家城巳代治、沼崎梅子が編集。独立プロ - 文芸プロダクションにんじんくらぶの第1作だそう。

戦後、浅草のストリッパーとして前向きにがんばる志津子(有馬稲子)がいて、彼女に勝手に思いを寄せる大学の助教授の波多野(冨田浩太郎)とその先輩で既婚(やがて離婚)の日下(下元勉)がいて、波多野は志津子と結婚してくれると思ったのにこいつらは高慢ちきの偏見まみれのなんでこんなのが大学にいるんだのどうしようもないクズ(あまりにひどすぎてびっくりよ)だったので見切りをつけて、彼女は結局傍に寄ってくるトランペット吹きの吉植(大木実)と暮らすしかなくて、でもこいつも結局はガサツな乱暴者のヒモでよくなくて、でもなんとか幸せを掴まなきゃってがんばって働いても踊っても疲れてきて…

北鎌倉で海に向かって突然走り出したり、弾かれたように踊りだす有馬稲子とか、町工場で明るく働く春江(久我美子)とか、ダメ男どもに「あんたが一番好きなのは「自分」だけなんだ」って冷たく言い放つ水戸光子とか、女性たちのすばらしさと比べて、あるいはみんなで合唱して(仕事は苦しいけれど~♪ とか)盛りあがる巷の暖かさと比べて、男たちのどうしようもなさばかりが最後までべったりと残って、しぶとく残るのがそっちの方ばかりなのはやはり残念だったかも。

この後に見たのが↑の 『女性の勝利』だったのでまだ救われたような。 逆だったらしんどかったと思うー。

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