8.17.2022

[film] L'enfer d'Henri-Georges Clouzot (2009)

8月5日、金曜日の晩、ル・シネマのRomy Schneider特集の初日に見ました。邦題は『地獄』。

Henri-Georges Clouzotが1964年に撮ろうとして未完に終わったままとなっていた映画 – “L'enfer” - “Inferno”の撮影の後に残された膨大なフィルム – 185のフィルム缶が2007年に発見され、それをSerge Brombergがドキュメンタリーとして再構成して2009年のカンヌでプレミア上映したもの。2010年のセザール賞でベスト・ドキュメンタリーを受賞している。

タイトルはダンテの『神曲』の地獄篇から取られていて、人物の設定はプルーストの『失われた時を求めて』からMarcel (Serge Reggiani)とOdette (Romy Schneider)から取られている、と(でもそれならスワンとオデットじゃないのか?)。

ドキュメンタリーとして、この作品はなんで失敗して未完で終わってしまったのか、を考察するというより、この作品が、Clouzotがどういうところを狙って何を実現しようとしていたのかを当時のヌーヴェル・ヴァーグやClouzot作品の文脈からも追おうとしていて、でも結局のところ、そこに夏の陽光とか大量のRomy SchneiderとかDany Carrelとかが散りばめられているので、その完成形をイメージして楽しむデモ音源とか遺稿集のような趣きになっているかも。

そもそものドラマは、42歳でホテルを経営する中年男性 Marcelとその26歳の若い妻 Odetteを巡るどろどろで出口なしの嫉妬~妄想のドライブ(矢印としてはMarcelのOdetteに対する)をモノクロ、カラー、いろんな視覚効果、撮影技術を織りこんで描くめくるめく倒錯変態ドラマになったはずで、ラッシュを見たアメリカの方から大規模な資本投下があったのでプロジェクトそのものが膨らんで制御統制できなくなり、3人のカメラマンを使って6ヶ月に及んでいた撮影期間と現場での俳優の酷使と酷暑にぶち切れたSerge Reggianiが役を降りて、Henri-Georges Clouzot自身も健康上の理由(心臓)でやめることになって、放棄するようにしておわった、と。

奔放で美しい若妻 - Romy Schneiderを底抜けに魅惑的な悪魔のように描けば描くほど夫の疑念と嫉妬の地獄の釜の口は広がってお話しとして面白くなるに決まっているので、いろんなメイクをしたり水着だったりヌードだったり横たわっていたりボートで引っ張られていたり、素材としてのRomy Schneiderがスクリーンテストのも含めてこれでもかと並べられてこちらをじっとり見つめてくるので、これが一本の映画として纏まった形で見れなかった無念さ(ここを「地獄」というほどではないけど)が広がってきて、それでもSerge Reggianiが悶えて死にそうになった理由はこれな、っていうのは十分な説得力で伝播してくる。夏の最中にこんなのばかり撮っていたら止まらなく/止められなくなっていったのもなんかわかる。

今回のこれを見る5年ほど前、ロンドンのBarbicanで行われたFashion in Film Festival 2017というので、”The Inferno Unseen” (1964)ていうのを見ていて、これってiMDBにも載っていないしどういう扱いのものなのか不明なのだが、これはこのドキュメンタリーでも使われなかった(unseen)素材を束ねて65分に再構成してRollo Smallcombeによる電子音楽を被せたものだった。

音楽による効果もあったのかも知れないが、とにかく古さを全く感じさせない生々しさ瑞々しさときたら驚異で、今となってはこの『地獄』と併せて改めて見たいかも。

ドラマの文脈から少し切り離されたところで、切り離されてもなお、ファム・ファタールの輝きを見せるRomy Schneiderの肖像を見せる、そういう作品として特異に突出していて、よくある女優の光と影、を見せるタイプのドキュメンタリーとは別に、半生状態でそこにいるだけでなんかすごい – Romy Schneiderという女優の魅力はまさにそういうあり姿にあったのではないか、って - いうのをまだ特集でこれともう1本しか見ていないけど思ったのだった。

でもRomy Schneider自身も、この延々続く撮影にはうんざりしていたそうなので、こういう形で公開されても嬉しかったのかしら? というのが少しだけ。

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