8.26.2022

[film] 春の戯れ (1949)

8月18日、木曜日の晩、国立映画アーカイブの山本嘉次郎特集で見ました。山本嘉次郎のことはほとんど知らないのでお勉強。

マルセル・パニョルの戯曲『マリウス』(昔翻訳が出ているのね)を山本嘉次郎が翻案したラブロマンス、とのこと – 「ラブロマンス」として描けているとは思わなかったけどー。

明治に入ったばかりの頃、横浜までの陸蒸気が通って活気づく品川の海辺の村(?)で居酒屋をやっている金蔵(徳川夢声)と息子の正吉(宇野重吉)がいて、その近所で蛤を剥いたりしているお花(高峰秀子)と母親のおろく(飯田蝶子)がいる。

正吉とお花は幼馴染で、周囲からはそろそろ結婚でも、という話もあるのだが、正吉は近所に姿を見せた外国船ノルマンジャ号が気がかりで、居酒屋にやってきた乗組員や船長から話を聞いてああシンガポール ~ ロンドン ~ ニューヨーク.. ってひとり船員になって海を渡る妄想が止まらなくなっている。

越後屋の主人で独り身の徳兵衛(三島雅夫)は年齢がずっと下のお花を嫁に貰いたくておろくに伝えるのだが本気にして貰えなくて、お花からもまじめに無理です、って返され、お花は正吉にわたしたち一緒になるしかないでしょ、と迫るのがだ正吉は海外に行く/行きたいって頭がいっぱいできちんと返事ができず、でも一緒になるとしたらやはりお花しか考えられないし、って彼女と一晩一緒に過ごした後、出港の時が近づいてきて、もうそんなに行きたいのなら行って、って突っぱねるお花と、でもそんなわけには、っていじいじする正吉がぶつかって、でも結局彼は旅立ってしまう。

とにかく、優柔不断で独りよがりでずっと勝手に悩んでいる宇野重吉が大変にむかついてハエたたきで叩き潰したくなるのに対して、高峰秀子の抑えられた熱と想い – 走り出す瞬間とか - すばらしすぎて震える。

共に過ごしたあの一晩でできてしまった子供もこみで高峰秀子を引き取って自分の家族として一緒に育ててくれる徳兵衛のよい人ぶりに対して、海外に出てもろくに手紙も書いてこない宇野重吉、地獄におちろとしか言いようのない腐れた態度と考えと共に戻ってくる宇野重吉のくずっぷりときたらものすごい。あのまま海外で野垂れ死んでほしかった。
『四季の愛欲』(1958)ではあんなによい旦那だったのにな..

あと、男に棄てられて狂ってしまい、ノンストップで踊り続けるおろくの妹(一の宮あつ子)が出てきてちょっとホラーのように怖くて、お花もああなっちゃうのかしらん.. と思ったけどそれはなかった。


花の中の娘たち (1953)

8月20日、土曜日の夕方、同じ国立映画アーカイブの山本嘉次郎特集で見ました。

東宝初のカラー - 総天然色映画だそうで、テクニカラーの上からさらにこってりお化粧したような濃いめの色づかいで、きれいだけど漫画みたいに見えてしまうところもあった。

戦後、東京と神奈川の間の川に橋がかかって、電車も含めて交通の行き来が激しくなり始めた頃の神奈川県側 – まだ梨農家や田畑が広がって東京は川向うの都会というイメージ。

誇りっぽい田舎道を花嫁行列が通っていって、終わって家に入ろうとすると、あー嫁は玄関から入っちゃいかん勝手口から、とか、ものすごく嫌なかんじ。

梨農家の石井家がいて長女のよし子(杉葉子)は東京のホテルに客室係として働きに出ていて、次女のもも子(岡田茉莉子)は家業の畑仕事を手伝っていて、近所には次男坊でうだうだしている小林桂樹とか典型的なただの赤鼻のおっさんの東野英治郎がいる。

ある日突然、石井家の長男の清太郎が道端で事故死しちゃって、跡継ぎ問題が浮上する。よし子はホテルの電気技師の小泉博とよいかんじで、彼はホテルの客から沖縄(当時は海外)に来ないか、と誘われて意気も前途も洋々で、よし子にもついてきてほしいって言うのだが、この跡継ぎ問題 - よし子にはどこかから婿養子を – のせいでわからなくなってきて、それならもも子のとこに小林桂樹を、って話になるので、隣の下宿生にほんのり憧れていたもも子は犬猫じゃあるまいしじょうだんじゃないわよ! ってなる(当然)。

ふたりの恋愛よりもお家(農家)の存続が優先(家父長制ばんざい)ていうのが口を尖がらせた年長者(なぜ彼らはこういうのを言う時に口を尖らせるのか?)からは当たり前のように告げられてそれについて物語的に何の批判もなされないままにみんな素直に転がってしまうので、結構げろげろになった。これでもハッピーエンディングて呼ぶの? 呼びたいの? 当時の人たちはこういうのを見ても「んだんだ」とか思っていたのかしら? ふつうに思っていたんだろうな、だからいまだに田舎から若者たちは逃げだそうとするのだし、岡山県はあんなパンフを平気で作っちゃうのだし。

映像としてはほっぺたを紅くしてぷんすか怒りまくるもんぺ姿の岡田茉莉子が新鮮だったが、ほんとにそれだけ。 でよいのか?
こういうのって戦時下のプロパガンダ映画よりタチが悪い気がした。『春の戯れ』とか『花の中の娘たち』とかタイトルのボカしてあるかんじもなんかやなかんじよね。
 

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