8.02.2022

[film] Judge Priest (1934)

7月24日、日曜日の午後、シネマヴェーラのジョン・フォード特集での2本。
『プリースト判事』とそのリメイク版を続けて。ジョン・フォードって悲しいのとか楽しいのとか泣けるのとかの起伏が激しいと思うのだが、これは間違いなく「楽しいフォード」の方の1本。

原作はIrvin S. Cobbの人気シリーズ – 70くらいストーリーがあるって - で、なんとか捕物帳、というほどではないけど、町の騒動記、みたいなかんじの。公開した年の大ヒット作品だったという。

1890年、プリースト判事(Will Rogers)は南軍の退役軍人で、ケンタッキーの小さな町の判事をやっているのだが、裁判中に新聞読んでいたり平気で脇道に逸れていったりあまり真面目に仕事をしているかんじはなくて、みんなに好かれる気のよいおじさん、ふうで、親友は黒人の使用人のJeff Poindexter (Stepin Fetchit)だったり。

プリーストの甥のJerome (Tom Brown)が法律の勉強を終えて実家に戻ってきて、判事の隣の家に暮らす少女Ellie May (Anita Louise)をちょっと好きになるのだが、Jeromeのママはそんな父親が誰かもわからないような娘との結婚は許しません、て言ってて、そんなある日、無口で怪しげな男Bob Gillis (David Landau)が巻きこまれている刺殺事件の裁判が開かれ、日頃から判事をよく思っていない検事がいきなりプリーストの罷免を要求してきたので、判事ははいよ、ってあっさり下りちゃって、でもBobの弁護を担当したJeromeが劣勢になってくるとプリーストが弁護人として立ちあがり、そこで彼が語ったある過去のこと..

途中から筋立てとか人間関係はなんとなくわかるし、それらに乗せられるに決まっているのに、やっぱりまんまと乗せられてじーんとなったってぜんぜんよいの。みんなよく知っているフォスターを中心に南部の民謡が心地よく流れて、裁判の山場になると裁判所の外で南部のDixieがじゃんじゃか鳴り始めて、そのなかで語られる南北戦争の伝説のようなお話し – でもこれって伝説なんかじゃないよ、って。

陪審員席にいるFrancis Fordが痰壺めがけてspitして正確に落っことす - 壺をどこに移動してもぜったいに! - そのクリアな音も含めて、お見事! よかったねえ、ってなるの。


The Sun Shines Bright (1953)

『プリースト判事』に続けて見ました。邦題は『太陽は光り輝く』。
映画館に貼ってあったポスターがきれいな緑のカラーだったのでカラー作品かと思ったらモノクロだった。

プリースト判事を主人公とする原作は同じのシリーズだが、いくつかの短編をミックスしたもののようで、話の流れも登場人物も結構違ってて、通常のリメイクとはややちがうかも。

プリースト判事役はCharles Winningerに替わっていて、前のWill Rogersよりも丸っこく朗らかでおしゃべり好きで暖かみがある南部/南軍の人、というかんじ。Will Rogersの一見したところ暗そうで、なに考えてるのかわからない得体も底も知れない方が個人的にはやや好きかも。

蒸気船で若いAshby Corwin (John Russell)が故郷に帰ってきて、地元の医者の養女であるLucy (Arleen Whelan)のことを好きになって、という↑に似たエピソードと、黒人の少年のU.S. Grant Woodford (Elzie Emanuel)がレイプ容疑をかけられて町の連中と犬に追われてリンチされそうになる話と、町に現れて突然行き倒れて亡くなった女性が誰なのか、もうひとり、法廷に現れた謎めいた黒衣のMallie Cramp (Eve March)は何者なのか、という話に、次の判事選挙を控えたプリーストは北部出の宿敵Horace K. Maydew (Milburn Stone)に勝つことができるのか - あんま勝とうとしているようには見えないけど..  などが絡んでいって、最後にはそもそも我々はどこから来たのか、のような地点まで連れていかれてしまう。

プリースト判事の朗らかな笑顔の反対側で、1934年版のより個々のエピソードはシリアスで重くて、裁判とか選挙だとかを放ったままたったひとりの無音の行進がうねりをもったパレードに変わっていく様は圧巻で、これはなんだ? ってなる。攻撃的な人種差別があり、当然のような顔で現れてくる女性差別や偏見があり、生々しい戦争の傷と記憶もあり、それはともかく南軍も将軍 - General Fairfield (James Kirkwood) - も万歳で、こんなんでよいのか? という問いかけは一切なく、将来よりも死者に対する弔意が優先なんだから、ひとは救われなければならないものだから、って。これに関してはそういうもんだよね、って見ただけで納得させられてしまう問答無用の強さがある。  ”He saved us from ourselves.”

これが最後の映画出演となるFrancis Fordのよれよれぶりも素敵ったらない。彼だけじゃない、どんな人だってどこを向いたってがっちりそこにいて、太陽は光り輝いて、その – どう形容したらよいのかわからない圧倒的なそこにいる/ある正しさというかなんというか。お手あげ。

そしてこれって最近の「国葬」を巡るグロテスクなあれらとはまったくぜんぜん別の話だからー。

それにしても、蓮實重彦インタビュー(後編)の「次はヴァージニア・ウルフ」にはちょっとびっくりした。そうなの?…

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