8.16.2022

[film] The Iron Horse (1924)

8月6日、土曜日、シネマヴェーラのジョン・フォード特集で見た2本を。

この日のプログラムの最初の方は(近代)乗り物特集で、船(『果てなき航路』 (1940))→ 飛行機 → 鉄道 → リンカーン、だった(リンカーンは乗り物の一種)。乗り物に揺られたり持っていかれたりして遷ろう魂と、断固としてそこに留まってあろうとする – 自分だけは不死身であることを信じて疑わない何かが激突して火を噴いて渦を巻くやつ。

Air Mail (1932)

邦題は『大空の闘士』。ロッキー山脈のふもとの飛行場で航空便の配送を請け負う会社をやっているパイロットのMike (Ralph Bellamy)がいて、日々事故とかに見舞われて大変だし自分は目がもう良くないので医者からは飛ぶのは危険、と警告されている。そこに向こう見ずで自信たっぷりのパイロット”Duke” (Pat O'Brien)が雇われてきてパイロットの間に波風が立ち、"Dizzy” (Russell Hopton)の飛行機が吹雪のなか事故にあって、クリスマスメールの配送に遅れを出してはならない、ってMikeが飛びたったら雪山のなかに落っこちて、Mikeの無事は確認できたものの飛行機で救出に向かうのは無理な場所にある、ってなったところで”Duke”が俺ならできるぜ行けるぜ、って飛び立っちゃうの。

こないだの”Top Gun: Maverick” (2022)にもあった「死なないパイロットはどんなことがあっても死なない伝説」の原型のような作品で、でもその起点がクリスマスのメール郵便をなんとしても届けるんだって.. 大陸を行き交うクリスマスのメールがどれだけ大切で切実なものだったか、って、アメリカのクリスマス・カードの文化とか、少しはわかるので、そういうのを思うとなんか泣けてしまうかも。


The Iron Horse (1924)

150分のサイレント。見たことあるやつだったけど何度見たって怒涛の圧巻の大河 – ただ河が流れていく - ドラマなので。

イリノイ州のスプリングフィールドで、測量技師の父と息子のBrandonはリンカーン(Charles Edward Bull)に大陸横断鉄道の夢を語ってから測量の旅に向かって、それを息子のDavyの仲良しだった少女Miriamと鉄道屋の父Thomas Marsh (Will Walling)が見送る。でも途中の夜の森で父は二本指のコマンチ族の男に殺されてしまってDavyの行方もわからなくなる。

時が流れて大陸横断鉄道の建設が本格的に始まり、東のオマハからユニオン・パシフィック鉄道が、西のサンタモニカからセントラル・パシフィック鉄道がそれぞれ線路を延ばし続けて最後に接続させようって計画で、ユニオン・パシフィック側の鉄道敷設を請け負うのはThomas Marshで、娘のMiriam (Madge Bellamy)は父の下で働く技師Jesson (Cyril Chadwick)と婚約している。

工費と工期削減のための近道探索でJessonに地権者からのやらしい誘導があって近道なんてないと断言されて、でもどこからか現れた青年が近道を知っているという - 彼こそ逞しく成長したDavy (George O'Brien)であった。

近道の在り処を確かめに行ったDavyとJessonだったがDavyは何者かに命綱を切られて消えて、でも傷だらけで生きて戻ってきてこのやろーってJessonをぼこぼこにして、その背後にいた白人なりすましの二本指を見つけて父の仇をうって、でもそれどころじゃないインディアンの襲撃がきて、みんなで銃をとって力を合わせて立ち向かうとか、飢えて死にそうだったところに牛の大群が地の果てからやってくるところとか、嵐のように見どころが次々と襲いかかってくるので目が離せないのだが、でっかい「歴史」のうねりみたいなのをがーんと見せてくれるようなうざい演出は一切ないの。イタリアンやアイリッシュや中国人といった移民が総動員された国家事業だったはずなのだが、大きい小競り合いとかただの喧嘩とか奪いあいとか酔っ払いとか、そういうのの絶え間ない連続のなかで描かれて、クライマックスなんてちっちゃい金の釘を打ちこんで西からのと東からの機関車同志がごっつんこするだけで、盛りあがらないこと凄まじく、だからこそとっても感動したり。

生きた馬でいろんな土地を走り回って競ったり戦ったりしてきたあれこれが鉄の馬に替わる、ただそれだけのことで、そこには勿論生きた馬のときと同じようなドラマがいっぱいあるし、『誉の名手』(1917)や『砂に埋れて』(1918)で見ることができたダイナミックな馬の大暴れが更にすさまじい勢いでやってきて、どんなもんだい、って隠すようなことも騒ぎたてるようなことも何もないし、そういうのを「歴史」的イベントみたい飾りたてるとなんかおいしいことあるの? って。

思慮深げなポーズをとったリンカーンも映ったりするものの、だからなんやねん? くらいの勢いで酔っ払いをはじめとしたいろんな顔の人々とか彼らが勝手に歌う歌とかが画面に溢れてきて、「大義」みたいのをなぎ倒していく、そういう痛快さがあるの。それは歴史のドラマに触れた重みのようなのとは無縁なやつでー。

船の旅には果てない地獄があって、飛行機も落ちたらほぼ死ぬしかなくて、でも馬だけは生でも鉄でも – そりゃ死ぬ危険はあるけど – 乗り物としてはものすごく生きてどこまでも走っていく、という。自動車は? - となるとなんとなく『怒りの葡萄』の積みすぎて死にそうなぽんこつが浮かんできたり、あんま冴えないかも。

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