4.08.2021

[film] Les sorcières de l'Orient (2021)

4月2日、金曜日の晩、MoMAのVirtualで見ました。
ここでやっていたDoc Fortnight 2021というドキュメンタリー映画祭の中で上映された1本。

テニス選手ジョン・マッケンローのドキュメンタリー - ”L'empire de la perfection” (2018) – “John McEnroe: In the Realm of Perfection”を撮ったフラン人映画監督Julien Farautの最新作。
英語題は”The Witches of the Orient”、邦題は『東洋の魔女』(しかないよね)。

ジョン・マッケンローのドキュメンタリーはすごく面白くて、アーカイブに遺されていた彼の試合の映像のみを使い、本人へのインタビュー映像も関係者コメントもなしに、なんでマッケンローはあんなに強かったのか、彼のテニスは他とどう違うのかを分析する - これを通してスポーツを見ることの愉しみにまで到達していたような。

この作品も国立スポーツ体育研究所(INSEP)に遺されていた映像を監督が見つけたところから掘り下げていったのだという。ただ今回のは日本にまで飛んで、存命している彼女たちと会って、その日常を撮ったり当時を振り返ってコメントを貰ったりもしているので、前作とはややアプローチが異なる。

1962年のワールドカップと1964年の東京オリンピックを制覇して、「東洋の魔女」と呼ばれた日紡貝塚のバレーボールチームがなんであんなに強かったのか? を当時の記録フィルムと現在の彼女たちからのコメンタリーと共に振り返る。

冒頭、古いアニメーション - 『塙團右衛門化け物退治の巻』 (1935) by 片岡芳太郎 (←たぶんこれだと思う)が流れて、東洋のエキゾチックななにかと、なんで「東洋の魔女」になったのか。最初はソ連に行くまでに消えてしまうだろうから「東洋の台風」って呼ばれていたのが、ソ連を破ったので「魔女」になってしまった、とか。

そこから当時の日紡貝塚の選手の一日、のような記録フィルムから選手たちの一日が夕方から深夜まで延々続く練習漬けと大松監督の指導ぶりと、1962年のワールドカップでの誰も予想していなかった勝利とそれに続く1964年のオリンピック、そこには敗戦の底から立ちあがって高度成長に向かう日本国民の期待と希望がたっぷり込められていて負けるなんて許されるものではなかった。

当時の記録フィルムと並行して使われるのが『アタックNo.1』のアニメーションの抜粋で、試合の場面では実況席の解説はこのアニメになっていたり、試合の実写場面でもピカピカ光る効果が加えられたり。回転レシーブも当然あるし、監督の厳しいしごきの場面ではアニメの中で選手同士がかばいあうシーンがそのまま使われていたり。初めのうちは冗談でしょ、って見ているのだが、そのうち両者がなんの違和感もなく繋がっていくので これはなんだろう? になっていく。 東洋の魔女たちの動きがアニメーションのそれと同期していくかのような…  

映画.comにあった監督のインタビューを読むと、当時のチームのありえない練習量や選手の監督に対する信頼の置きかたに素朴に感銘を受けているようなのだが、そういう傾向や風景を散々見てきて日本の教育風土を覆ってきた体育会的なあれこれから全力で遠ざかろうとしてきた者からすると、ああやっぱりな、しかない。

並の努力ではだめ、人一倍練習して全員が一丸になってがんばれば必ず努力は報われる - だから歯を食いしばってやるのだーやればできるのだーイズムがもたらしたかつての繁栄と栄光と、当時の成功体験ゆえの脳内の縛りから一歩も抜け出せない硬直した老人たちがもたらした現代の歪みと没落。 そこを直視したくない人たちはまだ努力が足らないこの国はまだやれるしか思っていない - その辺のことを改めてようくわからせてくれる映画だった。本来のテーマとはぜんぜん違うところでー。

当時の選手たちはそんなこと思っていなかったのだろうし彼女たちには賞賛しかないのだが、特訓とか呼ばれたあれらの指導はやっぱりハラスメントだとしか言いようがないし、ああいう結果になったのだからよかった、でもぜんぜんない。むしろこれと同じことを求められて潰されたり報われなかった大勢の人たちや、ここに乗っかって子供たちをコントロール下に置こうとするしょうもない大人のことを思うし、これって戦前からなんも変わっていない懲りない風土病のようななにかだよね。

前作の“John McEnroe: In the Realm of Perfection”ではSerge Daneyの言葉を引用して語られたパーフェクトなショットへの希求が、ここでは60年代アニメーションの単純化された動きや線に重ねされていく。おもしろいけど、あんまし笑えないのも確かだった。 テニスの後はバレーボールって、コートのなかで延々続く切り返し、っていうシンプリシティにこそスポーツの醍醐味はある、と見ているのかしら。 次は卓球かなあ、とか。

前作ではSonic Youthの”The Sprawl”が効果的に使われていたが、今回はPortisheadの”Machine Gun”が炸裂する。 そしてエンドロールでは、みんなが知っている『アタックNo.1』の主題歌がフルでがんがん流れるの。

64年の東京オリンピックは敗戦からの復興を象徴する輝かしいものになったが、いまだに本当にやるつもりらしい今度のオリンピックは、すでにこの国の劣化と没落を象徴するじゅうぶん腐れたものに仕上がってきている。伝説を作りたくてしょうがない勢力の稚拙な手口の裏には代理店しかいない。やめちゃえ。

『アタックNo.1』のほかにより生々しい『サインはV』というのもあった、って監督に教えてあげて。

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