1.16.2021

[film] Pretend It's a City (2021)

1月9日から12日の間、何回かに分けてNetflixで見ました。邦題は『都市を歩くように-フラン・レボウィッツの視点-』 これが今年見た最初の新作映画だかTVプログラムだか、になる。

Martin Scorseseが監督、でありFran Lebowitzの対話の相手になっていて、彼以外にもAlec BaldwinとかSpike LeeとかOlivia WildeとかToni MorrisonとかDavid Lettermanなんかとのトークの映像も所々に入ってくる。音楽はNYを舞台にした映画音楽からLeonard BernsteinからCharles MingusからNew York Dolls(RIP Sylvain Sylvain)から、なんでも。

Martin Scorseseが以前に監督した彼女のドキュメンタリー”Public Speaking” (2010)もこの際に見てみようと思ったのだが、Webにあるのは短縮版みたいなやつだったので、見れていない。

Fran Lebowitzさんについては各自勝手に調べてほしいが、ここんとこ自分が見るドキュメンタリーには彼女が登場してコメントをする場面がなかなか多くて、昨年だけでも“Toni Morrison: The Pieces I Am” (2019)、“The Booksellers” (2019)、“Wojnarowicz: F**k You F*ggot F**ker” (2020)と3本もあった。

彼女の語るその内容がおもしろくて納得、というのは勿論なのだが、それが正しい正しくない、ということよりも自身の言葉に突っ込みを入れて、自分が拠って立つ場所や根拠を明らかにしつつもだからこういうことだよね、ということを語る、それを的確な例えを使ってユーモラスに伝える、これをべらんめえみたいな口調ですいすいやれる、そういうアクロバティックな話芸に痺れている。どうしたらそんなユーモアのセンスを? って聞かれて自分の身長を伸ばすのと同じようなもんよ、なんて答えていたけど、とにかくおもしろい – それはお喋りだけでなくて、例えばこの映画にもいっぱい出てくるが、彼女が街中をぶらぶら歩いている、それだけでなんか愉快な絵になってしまう。なんでだろうね?

見たのはシリーズ1で、各30分くらいで全7エピソード、それぞれに“Pretend It's a City” - “Cultural Affairs” – “Metropolitan Transit” – “Board of Estimate” - “Department of Sports & Health” – “Hall of Records” - “Library Services” ていうタイトルが付いている。

テーマはNew York。全体のタイトルは“Pretend It's a City”。その理由については最初のエピソードの中で触れられている。みんな街を歩いていてもみんなスマホを見たり自分のことしか考えていないくせに、そこに街があるかのように振るまっているし、観光客以外の人達だっている街だ、っていうふうに見せかけている。”Pretend.. ”の前には”I feel like”が来るのであくまで彼女がどう感じたか、であるし、そもそも”City”とはなんぞや? という話はあるにせよ、NYっていうのは極めて利己的な人々が集うところで、ここで動いている連中はみんな自分のお金のためにそれをやっている、そんな雑多な交差点のような場所なのに、街として喧伝されたり場合によっては愛されてしまって文学になったり映画になったり音楽になったりしてしまう不思議。

映画はQueens Museum of ArtのNYCの巨大ジオラマを前に、Franがゴジラのスーツを着てマンハッタンに上陸するとしたらどこから?(Martinが本多 猪四郎!って声をかける)というかんじで、個々のテーマを踏みつぶし、度々ジオラマの前に戻って全体を俯瞰しながら都市を焼け野原にしていく。あるいは、NYの市長なんて大変なのでやりたくないけど、やれるのなら夜の市長(Night Mayer)をやりたいと、もしそうなったらなにを? とか。 日本版でどんな字幕がついているのかいないのかわかんないけど、文化活動、交通、お金取引、スポーツと健康、過去の記憶、本について、などなど。

それぞれの話はNY生活とか風物全般への悪態を延々並べていって、そんなに嫌なら出ていけばいいのに、になる手前で、いやそれってこういうことなのよ、って(本人はぜったい言わないけど)愛とか、まあDV夫との腐れ縁みたいに続いてしまうあれこれについて。

とにかくNYで生活するって大変なんだ(ワーグナーのリングサイクルみたいになる)、と。自分も日本から2回引越した(ついでに言うと、ロンドンへの引越しの方がまだ楽だった気がする)ので同意しかないのだが、とにかく近所にきちんとしたクリーニング屋を見つけるのだけでも大仕事で消耗するしなんでもすぐ壊れるし崩れるし、でもそのくせ、いろんなコストが掛かりすぎてやってられない、とか全員が口を揃えて文句いうくせにみんなやって来てしれっと暮らしている - というミステリー。

こんな調子でTimes Squareの人混みについて、タクシーに地下鉄にバスのサービスについて、必要なお金について(宝くじには当たる必要がある。うんうん)、タバコやドラッグについて、スポーツなんてどーでもいい(Spike Leeとのやりとり、おもしろすぎ)、ヨガマットのこと、パーティについて、Guilty Pleasureについて(Guiltyなんて感じる必要ない)、インターネットについて、本と本屋のこと、などなどを語り、その合間合間に、いろんなエピソード – ブロードウェイの“The Phantom of the Opera“のオープニングに行ってパニックになったこと、ヴィレッジでCharles Mingusに追いかけられたこと、Andy Warholとのこと、などなどが付いてまわる。

で、やっぱりスポーツなんて世の中から消えてしまえばいいし、お金は必要だし、よいアパートも必要だし、本は世界だからそれを手放すことなんてありえないし、”Wellness”なんてクソくらえ、だし。わかんないもの、いらないもの、必要なのに手に入らないものだらけなのに、助け合いなんてゼロなのに、なんで生きていけてるのかあんまわかっていないけどずっと生きてる、と。

これってべつに「正論」とか「金言」を持っていたりそういうのを語ったりする強さとか、「ネタ」として仕込んだり溜めこんだなにかとか、なにかの主義主張の代弁なんかとかとはまったく別のもので、彼女がこれまでいろんな人と会ったり喋ったり本を読んだり映画を見たりして重ねてきたいろんな経験の束が彼女のいろんな引き出しから半自動でべらべら出てくるようなかんじで、それだけなのにとにかく笑えて、そうそうそう、になるのと、やっぱり本は読まなきゃ映画は見なきゃ、っていつも焚き付けられる。

一度ライブで見てみたい。Martin Scorseseのトークは結構聞いている(このおじいさんは珍しい映画の上映があるとよく映画館に現れて話をしてくれていた)のだが、ふたりのやり合いはおもしろいに決まっているし。

彼女の語りに近いのを持った日本のひとだと、自分の知っているところだと淀川長治さんではないかしら。 あ、Tokyo CityはPretend どころか、あんなのただのフェイクの寄せ集めだとおもう。

シリーズ2も楽しみー。

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