1.06.2021

[film] Da 5 Bloods (2020)

12月28日の昼、NetFlixで見ました。2020年の残りものを拾っていく作業からの1本。

前作”BlacKkKlansman”でKKKに潜入する捜査官たちを描いたSpike Leeがベトナム戦争を描く。短い紹介文だけだと、現代の老いたベトナム帰還兵たちがかつての戦場を再訪する、という内容のようだったのでしんみりした老人回顧映画を想像していたらぜんぜん違った。アフリカン・アメリカンにとってベトナム戦争がなんだったのか、をあらゆる角度からぶちこんでかきまぜてぶちまけた現代の戦争映画、そのものだった。

ベトナムの空港でOtis (Clarke Peters)、Melvin (Isiah Whitlock Jr.)、Eddie (Norm Lewis)、Paul (Delroy Lindo)の4人が再会して、同窓会のようにかつての戦争のこと、現在のことについて語り合う。そこには彼らのリーダーでありヒーローだった“Stormin’ Norman” (Chadwick Boseman)の姿はないが、彼を含めた5人が栄光の小隊 - ”Da 5 Bloods”で、やがて彼らの目的はNormanの遺体を見つけて弔うこと、当時の彼らが見つけてそのまま現地で行方不明になっている金塊でいっぱいのケースを見つけることであるとわかる。

彼らはそのためにジャングルに入る許可を取り、現地のガイドVinh (Johnny Tri Nguyen)を雇い、Otisは従軍時につきあっていた娼婦のTien (Le Y Lan) - 彼女の娘の父親はOtisであると言われる - 経由で金を国外に持ち出すために怪しげなブローカーDesroche (Jean Reno)を紹介して貰って(取り分についての交渉がある)、そこにPTSDであるPaulを心配して追ってきた彼の息子のDavid (Jonathan Majors)が加わり、更に裕福なお家の出でありながら現地で地雷探索を続けているフランス人のHedy (Mélanie Thierry)のチームも背景に現れ、こうして並べてみただけでこの旅が不吉で血なまぐさいものになることは決まりで。

こうして『地獄の黙示録』よろしくボートでかつての戦場に赴く過程で割と朗らかだった4人の老人たちがだんだんおかしくなっていく – そこにはかつての彼らの戦場での記憶と当時のドキュメンタリー映像やニュース映像が画面アスペクトを変えて織り込まれ、彼らの/アメリカの狂気に赴く旅を正当化し、現場についてからの「発見」以降は金塊を巡る血みどろの抗争が展開される。

戦争を巡る愛国や忠誠や犠牲にまつわる美談は、戦争に駆り出されたアフリカン・アメリカンの数や従軍中に聞かされたDr. Martin Luther Kingの暗殺のこと、彼らが実際に見た戦場の地獄の映像と共にかき消され、既によれよれの彼らの唯一の拠り所は誇り高きDa 5 Bloodsの名と戦場で神のような活躍を見せたNormanの勇姿だったのだが、それも現代のベトナムで暮らす人々にとってはだからなに? 結局せこい金塊泥棒だろ? でしかない。

それでも、Spike Leeはベトナム戦争を間違った戦争として糾弾したり貶めたりすることはしていないように思える。あの戦争の惨すぎる悲惨を見つめつつ、頑迷なトランプ支持者になってしまったPaulに対してさえも、Marvin Gaye - “What’s Going On”, “God is Love” - やLangston Hughesを引用しながら彼らの魂を真剣に掬いあげようとしているような。 そうした地点で、本当にこれでいいのか? このままで良くなっていくと言えるのか? という問いに応えるように作った(作ったのはDavid Byrneだけど)作品が、"David Byrne's American Utopia" (2020) だったのではないか。少なくともこの2本はアメリカにおけるユートピア - ディストピアの方を掘ることなくユートピアを – 巡る試論のように共鳴している気がした。

キャストは誰もがすばらしいのだが、やはりPaul を演じたDelroy Lindoがとてつもないのと、Chadwick Bosemanはますます神に近づいてしまったねえ、とか。


Monsoon (2019)

12月23日の晩、BFI Playerで見ました。↑とは全く別の形でベトナムの戦後を描いた – 戦場にされてしまった国を離れ、でもその国に戻ってきた人々をめぐる静かなお話し。

若いベトナム系英国人Kit (Henry Golding)がサイゴンにやってくる。彼は6歳の時に両親と兄と英国に渡った(今は)英国人で、今回は国を離れて以来はじめて、亡くなった両親の遺灰を撒くために後からやってくる兄家族と合流する前にひとりでサイゴンやハノイを旅して、幼馴染だったLee (David Tran)と再会して彼の家族と会ったり、父がベトナム帰還兵だったというLewis (Parker Sawyers)と出会って愛を交わしたり、ハノイでアートのキュレーションをしているLinh (Molly Harris)と出会ったり、そういうエピソードが言葉少なく淡々と描かれる。

Leeには当時自分が住んでいた家(だった場所)に連れていってもらい、Lewisとはなぜ自分は(故郷でもないのに)ベトナムにいるのか、について話し、Linhとは蓮のお茶を作るところに連れていってもらい「退屈でしょ?」「いや全然」とかそういう会話をして、それらはみな、Kitにとってのベトナムはなんなのか - 故郷といえるのか? – の問いとそれに伴う痛みの周囲をまわっていく。自分が生まれ育った家を見ても何も感じないのであれば、それは故郷と言えるのだろうか、故郷の喪失、というのはどういうことなのか、などなど。

誰も責められるべきではないし責められるわけがない、でもなんで自分の家族は英国に渡って(母からは単にクイーンが好きだったから、と聞かされた)、Leeの家族は残ったのか、自分が残っていたらどうなっていただろうか、とか。

どこにも、なにを見ても答えなんてない、その状態が精神にもたらす言葉にならない苦痛を体現してぶらぶらしていくHenry Goldingがすばらしいの。あの映画でもそうだったように彷徨う天使役をやらせたらこの人に適う人がいるだろうか。

そしてここには勿論、なんでこんな素敵な国を戦場にしたんだ? が後からくる。
ベトナムだけじゃない、パレスチナだってアフガニスタンだってイラクだってシリアだって..

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