1.18.2021

[film] 早春 (1956)

1月7日の夕方、BFI Playerで見ました。2時間24分もあった。

英語題は”Early Spring”で、『早春』、というとイエジー・スコリモフスキの映画にもそういうのがあった気がしたが、こっちの英語題は“Deep End”で、まあ当たり前だけど、ちがうわ。

蒲田の住宅街(長屋みたいに並んでいる)にサラリーマンの正二(池部良)と妻昌子(淡島千景)の夫婦が暮らしていて、向かいには杉村春子が住んでて、ドブ川を渡って原っぱを抜けて駅の方に歩いていくと人がわらわら増えていって、ホームには人がいっぱい溢れていて、そのホーム上で会社の同僚の高橋貞二や知り合いと挨拶して週末にみんなでピクニックに行く相談なんかをしてて、こんなの毎日やっていたら死んじゃうかんじもするが、勤め先は丸の内 - 丸ビルで、とにかく毎日がんばって通勤しているらしい。

元の上司で仲人の小野寺(笠智衆)とかもう会社を辞めている阿合(山村聡)と会ったり、酒場で会った東野英治郎から会社員生活なんてろくでもないものだったし、続けるもんじゃない、とか聞かされたり、結核で寝たきりになったまま回復しない三浦(増田順二)がいたり、こんなふうにサラリーマン生活には嫌気たっぷり、先の見えない疲れが見え始めてて、夫婦生活の方も - 彼らは息子を疫痢で失っている - 笑顔や会話がなくなり始めている。

で、みんなで江ノ島にピクニックに行ったときに正二はきんぎょ(岸恵子)と仲良くなって、昼間に会って、晩にもお好み焼き屋で会ってキスして、そのまま旅館(月島あたり?)でひと晩を過ごしてしまって、そこからだんだん昌子との間もきんぎょとの間もなんだかぎこちなくなっていく。

昌子は実家の母しげ(浦邊粂子)のところ - おでんがおいしそうで素敵な猫がいる - であれこれ言いあったり、友人の中北千枝子にグチ - 女房なんてご飯炊く道具だと思ってるのよ、とか語ったりしている。

正二はかつての軍人仲間 - 加東大介たちと飲み会をして(ろくでもない戦争話と軍歌)、ぐでんぐでんになった彼らは夜更けに正二の家に転がり込んで昌子に絡んできて - 翌日は息子の命日なのに - ますます夫婦仲はひどくなってー。

そのうち友人の間では正二ときんぎょの間が噂になり始めて飲み会でみんなして査問会をしてつるしあげよう(ひー)になって、そこにひとり座ったきんぎょは、あんたたち小姑の腐ったみたいだってぶちきれて - ほんとにさいてーの連中 - なにがヒューマニズムだよクソ - 出ていって、その勢いのまま正二の家に押しかけてしまい…

こうして夫婦ふたりの亀裂が決定的になったときの夜の部屋の暗さがすばらしく、それとは対照的な夏の明るい朝に昌子は家を出ていっちゃって、もうあれこれどうしようもなくなった正二は部長の中村伸郎が持ちかけてきた岡山への転勤話を受けることにする。

夫婦の危機を描いた作品には『お茶漬けの味』(1952)があって、あれはサラリーマンとしては成功してお手伝いさんもいる裕福な家庭で、そういうのの内側で腐っていくのが嫌になった妻がちゃぶ台をひっくり返そうとするお話だったが、こっちの原因はサラリーマン生活とかなにもかも嫌になってきた夫の側で起こって、出ていったら戻ってくる話にはなりそうがないし。でも転勤がそういう困難を解決してくれるって、サラリーマン生活に自分から身を差しだす証でしかないし。

実家に身を寄せたら母からは「杉山さん、男がいいからね」とかわけわかんないことを言われるし、昌子の弟の田浦正巳はそれって古いなあ、なんて笑うのだが、そんなことをちゃらちゃら言うあんたはこの次の『東京暮色』で有馬稲子に思いっきりビンタをくらうことになるんだからね。

なにもかも半端なダメ男を演じた池部良はすばらしいのだが、この映画で圧倒的に正しいのはきんぎょではないか、と思った。 岸恵子が『東京暮色』の明子を演じていたらどうなっていただろうか。

「高度成長期の日本を支えたサラリーマン(男)」とか「戦争で日本のために戦った軍人(男)」がいかにしょうもないろくでなしだったか、1956年の時点でこんなにも正確に的確に表現されているのに、いまだに彼らを近代日本の礎みたいに崇め奉ってやまない一定の勢力がいて、そういうのが今のにっぽんをこんなにだめにしちゃったんだわ、って。

そういえば、『東京暮色』で流れていた変な行進曲みたいのはここで既に流れているのだった。


あと3日をきった。 お願いだから何も起こりませんように。

 

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