1.30.2021

[film] Perceval le Gallois (1978)

1月24日、日曜日の昼、アメリカのMUBIで見ました。
英語題は”Perceval”、邦題は『聖杯伝説』。監督はÉric Rohmer、撮影はNéstor Almendros。

12世紀フランスのクレティアン・ド・トロワの未完の物語詩 - “Perceval, the Story of the Grail” - 『ペルスヴァルまたは聖杯の物語』。アーサー王伝説を扱ったもので、Robert Bressonの“Lancelot du Lac” (1974) -『湖のランスロ』も彼のが原案だったりするのかしら?(ちゃんと調べてない)

ウェールズの田舎に母と暮らす愚直なPerceval (Fabrice Luchini)が諸国を旅していろんな人と出会って聖杯を見つけて伝説の円卓の騎士”Perceval le Gallois” - ウェールズのパーシヴァルとなるまでを描く。Gauvain (André Dussollier)とかも出てくる。Pascale Ogierも出てくる。

ストーリーは台詞を含めて原作に相当忠実らしいし、伝説とかお伽噺みたいなものとしてふんふん、て見て聞いていれば流れていってしまうのだが、その語りのスタイルはなんだろこれ、になって少し考える。

『獅子座』(1962)とか『コレクションする女』(1967)とか『モード家の一夜』(1969)とか(すごく適当に拾っています)で現代に生きる男女の場面場面で立ちあがったり萎んだりする生々しい欲望の交錯の現場と行き場をとてもそれらしく見える見え方で切り取ってきたRohmerはなんでここでこんなのをー。

ぺったんこ(に見える)薄青緑が背景となるセットで、衣装を纏って古楽を演奏したり朗唱したりするバンドが必ずいて、風景はこれもベタな遠近の強弱を強調した書割で、建物は丸か四角の原色ぺなぺなの板紙作りで、人々はやってくるとフェイクの木々が植えられたロータリーをぐるりと回ったり。喋る言葉とその喋り方も原作に忠実なのであろう古語をそのまま使って朗々と吟ずるような、自身を三人称で語ったり一人称だったりの混合形式があって、中世の彩色画の世界を三次元にもってきたような世界ですべてが展開して、馬に乗った決闘シーンなんて、向かい合ってえいってどついて3秒で終わる。

“Braveheart” (1995)とか “A Knight's Tale” (2001) といったハリウッドが追求する中世騎士劇(なのかなあれらは?)でよく見かける錆びた甲冑とかかっこよく朽ちかけたお城とか髪を振り乱して目をむいて雄叫びをあげる騎士たちのドラマチックな要素は欠片もなくて、なぜならこれらはハリウッドがその内側で培養してきた時代劇のドラマ性が要請する「リアル」要素でしかないから。

クレティアン・ド・トロワの時代が見ていたリアルを彼の物語世界から当時の絵画や建築まで含めて走査探索して再現してみると例えばこんなふうになる。物語における「リアル」の探求というのはこういう形でしかなされないもので、なぜそうする必要があるのかというと、物語から我々が読み取る意味や受け取る感動とかはそういう背景も含めた精緻な読みなしにはありえない(原理的には)はずのものだから。古典はそうやって古典になってきたのだし、古典が伝えようとしたことを学ぶというのはこういう読みと積みあげが必要なのではないか、と。学者さんが文献を読んでいくのと同じこと。

リアル=いまの自分の肌感覚、みたいに敷延してそこで震えたり痺れたり、つまる/つまんないを軸に本を読んだり映画を見たりっておもしろくないし、続かないのよ。そうやって続かないからこそ産業の方は続かせるべく消費を促していくわけだけど。

というアプローチもあれば、他方には『湖のランスロ』みたいにどこまでも即物的に生身の肉によってみて、でも刺したら血がどばどば出るしふつう痛いし、みたいに隠さず暴け曝せ、みたいなのもある。ものすごく怖かったけど、もう一度見直してみたい。

この作品の後に(TV映画を1本挟むけど)Éric Rohmerは「コメディと格言劇」のシリーズを始めて、そこでは現代に遺蹟のように残っている格言や笑い話は日々の職場や生活や恋愛の局面でどのような形で機能するのかしないのか、それは結果としてどんな「教訓」をもたらすのか、それはかつての用法からどれくらいズレてしまうものなのか、といったことを真面目に追及しようとする。どこまでも一貫している。物語はいかに可能となるのか、という問い。

現代でこのころのRohmerに近いことをやっているのってWes Andersonだと思うのだが、どうだろうか? この作品を見て最初に思い浮かべたのがWes Andersonだったの。ノワールの闇がなくなった世界で、陰謀や謀議や「悪いこと」や「悪いやつら」はどうやったら映画として生きるのか、という問い。


気がついたら週末で、次に気がついたら月曜日で、もう2月になっちゃうんだよ。 やだなあ。

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