1.22.2021

[film] 麦秋 (1951)

1月9日、土曜日の昼、BFI Playerで見ました。↓の”Ratcatcher”からだと「麦」繋がり。

英語題は”Early Summer”。紀子トリロジーのふたつめ、という点では『晩春』(1949) の”Late Spring”からわかりやすく繋がるけど、英語題は他に”Early Spring” (1956) - 『早春』もあるので混乱するかしら?

まず北鎌倉の浜を犬が歩いていって、廊下には鳥籠が近いところと遠いところに置いてあってどちらも鳥がちゅんちゅんしている(鳥籠はところどころ出てくる)。ここの間宮家にはほぼ家にいる周吉(菅井一郎)と志げ(東山千栄子)の夫婦がいて、医師をしている長男の康一(笠智衆)と史子(三宅邦子)の夫婦と元気のいい彼らの息子ふたりがいて、長女の紀子(原節子)は未婚で東京まで通勤する会社員 – 専務の秘書 - をしている - という三世代同居の家がある。あと、康一と紀子の間には戦死した次男の省二がいた。

周吉の兄でもうお年寄りの茂吉(高堂國典)が大和から訪ねてきて、紀子が28であることを聞いた茂吉は「嫁にゆこじゃなし婿とろじゃなし鯛の濱焼きくおじゃなし」 - 英語字幕だと“Some women don’t want to get married – You’re not one of them, are you?”、そろそろなんとかせんとな、って耳が遠くて子供達からもばかにされている茂吉は大仏のところで紀子に同じことをもう一回いう。紀子の結婚については老人達だけでなく康一も史子と紀子のいる席でシャコを食べながら、戦後になってどいつもこいつもエチケットだなんだ、エチケットの悪用で女がずうずうしくなってきた - だからお嫁にいけないんだ、とか、好き勝手に言ってて、もうやらないといかんな、が紀子の外で渦を巻く。
 
紀子の周りには結婚しない仲間の友人アヤ(淡島千景)と夫婦仲が円満すぎて喧嘩ばかりしている高子(井川邦子)がいて、友人の結婚式の後でも既婚者ふたり組と未婚者ふたり組の対決になって、未婚者にはとやかく言う権利なしとか、未婚者はあたしたちどうせ小姑だもん、と言いあったりしていると、会社の専務(佐野周二)からもいいかげんに行けよ、いいのがあるんだ、どっかの常務で童貞かどうかはわかんないが、とか勧めてくる。この専務は変態としか言いようがないキモさ満載でいろいろありえない。

これまで見てきた小津映画の主人公が結婚に向かうシリーズでは、結婚を女性を幸せにするために不可避のものとしつつも結婚する当事者と結婚によって去られる者(親)とその周辺を軸としたRom-Comだったが、この作品では結婚の価値や意義はそのままに、それが家族全員に - 相手の家族のぶんも巻き込んで - なにをもたらすのかを考察しているように思った。  結婚したら家族は本当に幸せになれるものなのか?  家族の幸せってなにがどうなっている状態のことをいうのか? とか。 ものすごく深く考えてあれこれ練りこまれたとてつもない傑作ではないのこれ。

専務が持ってきた縁談の相手は、顔写真はよくわかんないもののみんなに評判で、でも初婚で42っていうのはいいのか? いや欲張りすぎてはいけない、とかやっていると興信所がうろついているわよ、って近所のたみ(杉村春子)がやってくる。たみの息子の謙吉(二本柳寛)は康一の同僚の医師で、戦死した次男の省二の親友で、妻を亡くして幼い一人娘とたみと3人で暮らしている。康一のふたりの息子が玩具のレールのかわりに食パンを買ってきた親に抗議して家出したときに、紀子はたみのところに彼らの消息を訊ねてきて、そこでなにかの火が灯ったのか、秋田への転勤で謙吉が旅立つ前夜にたみがあんたみたいな人に来て貰えたらねえ、と呟いたのを掴まえてあたしなんかでよければ.. と謙吉との結婚を決めてしまう。謙吉の意思なんて知るか、と。

この紀子の突然の決意が家族周辺にもたらした波紋はでっかく、あたしたちがついていながら申し訳ないとか、あの娘は田園調布のお庭があってショパンが流れててスコッチテリアがいるような家庭に行くかと思っていたのに、とか各自言いたい放題で、でも紀子はどうしてそんな気になったのか… たみに言われるまで近すぎて探し物がそこにあるのに気がつかなかったとか、安心できる気持ちとか、すっとそういう気持ちになれた、後悔することはないのだ、って。(ねえねえ謙吉のきもちは?)

でも紀子を中心としたそういう狂騒の隣では周吉と志げがしんみり、紀子が嫁にいけばこの家も変わる - いまがいちばんいい時かもしれないねえ、って空を飛んでいく風船を見上げていう - 風船を飛ばしてしまった子は泣いているかも。 そうやっていろんなことを振り返って物憂げな志げの表情、謙吉の転勤を告げられた時のたみの悲しそうな顔とか、その逆に紀子から結婚してもいいと言われた時のはしゃぎよう - あたしゃおしゃべりでよかったとか、あんぱん食べない?とか。失われてしまった子供達、飛んでいく風船を中心に家族の移り変わりを見つめてきた老人たちのアップダウンが基調にある。(とにかく東山千栄子と杉村春子のすばらしいこと)

もういっこは経済で、子供達のレールもそうだし900円のケーキもそうだしお茶漬けもあるし、やりくりとかお金勘定 – もつもたない - の話も無視はできないの。結婚もそういう経済活動の延長としてあるのだと。紀子が史子に語る - (謙吉の)子供とうまくやっていける、お金がなくても平気、子供くらいあるほうが信頼できるとかいう辺りも。 

ところどころで印象的に移動するカメラ - 有名なクレーンショットも素敵で、家出して海辺を歩いていく兄弟と、終わりの方でやはり海辺を歩く史子と紀子の後ろ姿が重なる。 ラストに大和にきた周吉と志げが畑道をいく花嫁行列を見て、どんなとこに片付くんでしょうねえ、の後の横移動とかも。

音楽(by 伊藤宣二)はオルゴールの音色みたいなぴらぴらしたのが、この家庭ではそれなりに不穏に耳触りに聞こえてきたり。


ところで『宗方姉妹』(1950) はなんでBFIにもCriterion Channelにも置いてないの?


アマゾンプライムに上がっていたという小津の彩色版、やったやつには校庭100周、なんかで済まされるもんではないと思うが、やっぱり教育かねえ。Webばかり見てコンテンツとか言っているとああいうバカが出て来ちゃうのねえ。

Inaugurationのライブ、Foo Fightersの時点で午前2時だったので寝ちゃったのだが、Katy Perryの花火は見たかったなあ。

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