12.14.2020

[film] With Drawn Arms (2020)

6日、日曜日の晩、MetrographのVirtualで見ました。 Tribeca映画祭でプレミアされたドキュメンタリー。
エグゼクティブ・プロデューサーにJohn LegendやNelson Georgeの名前がある。

1968年のメキシコ五輪の短距離走のメダル授与式の表彰台で、金と銅のふたりのアメリカ人選手 Tommie SmithとJohn Carlos - が国家斉唱の際に拳を突きあげて抗議のポーズをとった。誰もが写真は見たことがあるであろうあのポーズ - 近年のスポーツイベントでも同様の抗議を見ることが多くなったあれ - について監督のGlenn Kainoが当事者Tommie Smithにあれこれ聞いていく。 あれから50年が過ぎて、あの時なぜあんなことをしたのか? あの行動は彼と彼の世界になにをもたらしたのか? などなど。

65年にSelmaでのプロテストのマーチがあり、68年の4月にはMartin Luther King Jr.の暗殺があり、アフリカン・アメリカンの公民権運動が高まりを見せて、世界的にも学生を中心に同様の抗議活動が盛りあがり、そういう最中に開催された五輪は、初めて世界で同時TV中継されるイベントとなった。なにかを発信するのにこんな格好の絶好の機会があろうか、とそう考えてそれを実現してしまった彼ら、まずすごくないか?

とにかく彼らは、そういう状況を踏まえた上で競技に勝って、黒の手袋に黒の靴下とか、服装も含めて全てきちんと計画して表彰式に向かった、と。 今でこそ象徴的に取りあげられるそのポーズはポジティブなイメージで語られることが多いが、当時の映像音声を見ると相当なブーイングを聞くことができて、実際に彼らはあの後、陸上競技の世界からは追放され、Tommieはアメリカンフットボールをやったり、車のセールスマンをしたり、補助教員をしたり、あまりぱっとしない日々を送ることになった、と。

Tommieの証言だけではなく、当時現場から(ややネガティブなトーンの)中継をしたキャスターのBrent Musburgerのコメントがあり、まだ存命だったJohn Lewis氏が公民権運動の現場から当時の情勢を語り、現在のスポーツの世界で選手達はどう見ているのかをサッカーのMegan Rapinoeさん - かっこいい - らが語る。 50年、という年月のスパンで見た時、ここまで来たのか、と思うひともいるだろうし、BLMを見てもわかるように本質は何も変わっていないのではないか、と言う人もいるだろう。 そして、ここまで変わってきたのだから言い続けることは必要だ、になることもあるし、ここまでやっても変わらないのであればもう無理なのかも、となるのもわからないでもない。でもこれは差別と人権の問題なので異論反論で議論する話ではなく、辛い思いをする人がいなくなるまでやり続けるしかないことなのだと思う。

スポーツの世界に政治を持ち込むな、はこの当時からあって、いま大阪なおみさんを攻撃したがる人は50年遅れていると思うし、スポーツもアートもなんぼのもんじゃボケ、とこの角度から「問題」が立ちあがるたびにいっつも思う。そもそもオリンピックなんて中立公正からは程遠い金と政治と利権のしょうもない吹き溜まり以外のなにものでもないし、それを開催する連中の腐った欺瞞を突っついただけで、あの人たちってなんであんなに怒るんだろ? しかもやたら偉そうに。

映画の後半はTommieの思いを伝えるべく、彼の振り上げた腕をモチーフにしたアートを広めていく話で、ちょっとつまんなくなってしまうのだが(それをなんでつまんないと思ったのかについてはもう少し考えてみよう ← 自分)、前半だけでも十分。 スポーツと体育会が嫌いなすべての人に見てほしい。

一番最後に、IOCがオリンピックでのすべての政治活動を禁じることを決定しました、って字幕ででるので、画面に向かって中指を突き立てる。 オリンピックに公金を投じることを禁じる法案を誰か通して。

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