12.29.2020

[film] Soul (2020)

25日の晩、Disney+で見ました。The Guardian紙では2020年のBest 50のNo.2で、昨年のLFFで公開されたときからとても評判がよい。

でも話題になっている表示文字のローカライズの件とか邦題とか - 英国で関係ないとはいえ - やっぱりなんか嫌で。だってソウルフルなワールドでもミュージックでもフードのお話でもないもん。ソウル - 魂そのもののお話なのにさ。

監督は”Up” (2009)とか”Inside Out” (2015)のひとで、最近のDisney/Pixarの作品で顕著になってきた気がする精神世界とか死者の世界とか思い出とか記憶とか伝説とか、誰も見たことがない、おそらく目に見えないものだけど登場人物たちを支えているにちがいない大切な価値とか生きる意味とかを描く手法としてアニメーションを使っていて、そのフリーフォームのあの手この手を使って家族まるごと泣かせにくるやつ(←ひねくれた見方だけど)。

クイーンズに暮らす中年の音楽教師Joe (Jamie Fox)はJazzミュージシャンになる夢を持っているものの今はただの音楽教師で、でもある日、憧れのサクソフォン奏者Dorothea (Angela Bassett)とジャムしたら認められてライブハウスに来るように言われて、有頂天でスキップしていたらマンホールに落ちて、気がつくと全身が水色半透明のぷよぷよになって浮かんで”The Great Beyond”っていうあの世へのエスカレーターの待ち行列に並んでいて、いやこれはなんかの間違いだから、まだ向こう側に行くつもりないから、って真っ青になる。

この死と生の手前のゾーンには、”The Great Before”っていうまだ生成されていない魂(ぽわぽわの泡状に目鼻がついたようなやつら)が学習してReady-to-Bornのきちんとした魂になって地球にダイブしていくための場所があって、ピカソの線画みたいなJerryっていうメンターとか、Terryっていう監視屋とかが全体を統括してて、そういう幼稚園みたいな場所から落ちこぼれて真っ黒に肥大した“lost” soulsのいるエリアもある。

そういうところで、Joeは(どんな偉大な先生の講義を受けても)つまんないよってふてくされている魂の”22” (Tina Fey)と出会い、こいつのメンターになりすまして自分もこっそり生き延びようとして、ふたりで地球におりてみたら、入院していたJoeの体に22のSoulが、Joeのベッドの上にいたセラピー猫にJoeの魂が入ってしまう。

ふたつの魂が交錯してジャズってしまった一人と一匹は、じたばたしつつもOJTよろしくJoe猫の指導のもと、22は人間として生きるっていうのはこういうことなのか、ってピザとか床屋とかJazzとかを通して実感し始めるのだが、いいかんじになってきたところで、二人を規則違反で追っかけていたTerryに捕まってGreat Beforeに送り返されて… ここから先は書かないほうがいいか。

果たして、22はひとつというのかひとりというのかの立派な「魂」として下界に降りていくことができるのか、っていうのと、もともと死ぬつもりのなかったJoeは同様に元の状態に戻ることができるのか、っていうのと、このふたつというかふたりのすったもんだを通して、どういう条件とか状態が整うとひとは生きるにふさわしい魂の状態に至ることができるのだろうか、を問うている、のかしら。

これを赤ん坊に見せても小学生に見せてもあまり効果はなくて、胎教にいいとかそういうこともなくて、ふだん布団にたどり着く前にソファで落ちちゃったりしてこんな状態で生きているなんてとても言えねえかもって後ろを向いているようなひとが、三途の川を渡って自分の人生を振り返ることになったとき、生きていましたわ!ってどういう状態だったら言えるのか、あっちの世への顔認証の改札を通してもらえるのか、とか。  22が何度もしょんぼりという”I’m not good enough”とか、Spark(きらきら)がない/こない、とかそういう人にー。

この作品がやろうとしているのは魂とか未知の世界の成り立ちや構造を見せる、ということ以上に、いまのこの世界でどうやってそういう光とかSparkを見出すことができるのか、っていう地点に向かおうとしていて、それってハッピーエンディング - 主人公がよいひとになる - を志向するハリウッド・クラシックのそれと重なって見えて、批評家受けがよいのはその辺もあるのかしら。英国のレビューはやはりPowell & Pressburgerの”A Matter of Life and Death” (1946)を参照しているのが多くて、これもすごく素敵な作品。

でもわたしは自己実現だの生きがいだの大人がなんか言いにくるたびに、けっ、って蹴っとばしたりばっくれたりしてきた80年代の人間なので、こういうテーマが来るとつい反射的にふん、それで?とか思ってしまうのよね。いいかげんそういうのやめないと天国行けなくなるよ、っていろんな映画とかに教わってきているのに。

このテーマの背景にジャズという音楽 - “Jazzing”が、NYのいろんな風景(あっちの世界の抽象的な造形との対照で細かなところまで見事に再現されている)がうまくはまることもわかるし、そういうののバランスも含めた全体の構築感はすごいと思うし、宮崎アニメの「生きろ!」みたいな臭みがないのもいいと思うし。 他方で、The Great Beforeでガンジーとかマザー・テレサに教わってきた魂 → 人間界がなんで戦争とか虐待とか差別とか、悪の方に向かってしまったりするのか、とか。

あとね、でもね、これは途中まで大島弓子の『四月怪談』(あと『いちょうの実』も)ではないか、と思いながら見ていて、結末は違ったけど、わたしにはDisney/Pixarがどれだけ束になってかかってきてもひとりの大島弓子にかなうわけがない、という強い確信がある。 猫のボディに人が入ることはあるのに、ひとつのボディにはひとつのソウル、なんだね。「いっしょに生きよう!」にならないのだろうか。

音楽はこれもまたTrent Reznor & Atticus Rossで、しかしなあ、Trentがこんなテーマのアニメ音楽を手がけるんだよ。はじめはなんだよこれ、って思ったけどRS誌の記事とか読むと真剣に考えているので尊敬する。 魂の地上への落下、これこそが”The Downward Spiral”ではないか、と言われたらそれはそうかも。

あと、Tina Feyが22の声をやっているのがなんだかとっても嬉しい。


BOOK/SHOPからジャケットのSecond Editionが届いた。自分へのクリスマス第二弾。本が入るポケットに“New Directions - San Francisco Review”の1963年のが突っ込んであった。なんて粋なことをしてくれるの。

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