12.15.2020

[film] Falling (2020)

7日、月曜日の晩、BFI Playerで見ました。

既に劇場でもやっているViggo Mortensenが原作を書いて、プロデュースして、監督もして、出演して、スコアも書いている、そういう作品。

年老いたWillis (Lance Henriksen)と息子のJohn (Viggo Mortensen)が飛行機で移動しているところが冒頭。 Willisは夜の機内で、亡妻の名前を大声で叫んで暴れて、Johnがなんとか宥めて、このシーンでWillisには痴呆の症状が出ていて、その世話をするためにJohnは付き添っているのだな、ということがわかるのと、Willisの動きに連動しているのかいないのか、若い頃のWillis (Sverrir Gudnason)と妻のGwen (Hannah Gross)、幼い頃のJohnや妹のSarahの映像が流れてくる。これがWillisの頭にあるものなのかJohnのそれなのかは明示されないのだが、こういう形でどこかに失われつつある家族の記憶が並行して現れる。

冒頭の機内での挙動でわかるようにWillisはすぐに沸騰して激昂して抑えがきかなくなる性分で過去の映像では重なるDVでGwenは家を出て行ってその後に別の女性がきて、JohnもSarahも怯えて暮らしているきつい様子が描かれる。それはそのまま現在に繋がっていて、WillisはJohnの家に着くなり同性婚をしているJohnのパートナーでアジア系のEric (Terry Chen)に噛みついて、ナガサキには行ったのかと嫌味を言ったり、冷蔵庫に貼ってあるオバマに文句を言ったり、典型的な中西部のごりごり保守頑固じじいで、彼らの養子のMönicaが間に入ったときに少しおとなしくなるのと、何度も繰り返されているので周囲はもう慣れているふうで。

映画は病とやがて来る死を覚悟した父と息子が過去を旅しつつ少しづつ歩み寄るとか、あるいは最期になにかを受けとめて柔くなるとか、そういう定番のものではなくて、Willisは終わりまで自分がぜったい正しいと頑なに信じこんだクソ親父であることを止めない。彼の傍に付き添うJohnが、いつ黒手袋をはめて反撃に転じるのかはらはらするのだが、たまに言い返したりする程度でどこまでも従順に見守ったり看病したりしている。Willisに会いにきた妹のSarah (Laura Linney)も泣かされて、その息子も怒って向こうに行ってしまうのに彼だけは傍についていようとする。

父親が過去母親に対してしたこと、自分たちに対してしたことを赦すとか認めるとか、そういうことではなくて、思い出として出てくる場面も悔しかったり辛かったりすることばかりなのだが、今の自分を作ってきて、今の自分がここにいるのはそうやって溜まっていった何かが作用したからで、それは否定したところでどうなるものでもない。 という諦め、というほどネガティブでもなく全てを赦す、というほど能天気でもない、そういう状態で明らかに弱くなり支離滅裂になっていく父を見つめる、それ以外になにもすることができない息子、という図。

映画の最後にViggo Mortensenの兄弟に捧げられていることがわかるのだが、おそらく自分の、家族のために作られたとても個人的な映画のようで、編集とかもう少しがんばっても、とか思わないでもないのだが、どうしても彼はこれを作りたかったのだと思う。そういう熱がある。

まったく想像していなかったゲイカップルの片方 - 大きめのアクションといったらキスくらい、暴力一切なし - を演じたViggo Mortensenの深く、でも強い演技には痺れるのだが、それ以上にLance Henriksenの突然ブチ切れるくそじじいの不機嫌ときたらすごくて怖いったらない。

静かなエンディングの後に流れてくるSkating Pollyの“A Little Late”がよくて、なんか泣きそうになった。タイトルバックの壁紙模様と共に、とても優しい映画だと思った。 これ以外の劇中の音楽は監督自身の手によるシンプルなピアノ曲で、ギターを弾いているのはBucketheadさん。ふたりのレコーディング風景を見たい。

あと、医者の役でDavid Cronenbergが出てくる。じいさんを改造人間にでもしちゃうのかと思ったがそれはなかった。


ロンドンは水曜日からTier3の全面ロックダウンに入ることになってしまった。週末の街中の混みっぷりみたらそりゃそうよね、しかない(反省)。 水曜日はBFI IMAXで”Wonder Woman 1984”を見るはずだったのになー。 ちぇ。

 

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