12.12.2020

[film] Angel (1937)

 3日、木曜日の晩、BFI Southbankで見ました。

2回めのロックダウンが明けて – いや、明けたわけではなくて、ロンドンはTier2っていう依然として要警戒区域にあるので緩んではだめよ - 最初に見た1本。 新作で見たいやつはストリーミングで見てしまっているので、やっぱりクラシックとか、恒例のクリスマス映画とかが中心になる。ここ半年以上、ずーっと在宅で、でも今の在宅って夏頃にやっていたそれとはぜんぜん違って、窓の向こうは朝からずっと霧か雨で暗くて日の入りは15:50くらいの冬至まっしぐらの冬篭り前だから暗くて怖いのはあんまし見たくないわ、にどうしてもなりがち。

こういうなか、BFIが12月の特集としてやっているひとつが”Marlene Dietrich: Falling in love again”で、これまであまりきちんと見てこなかったのもあるのでこの機会に見てみよう、と。

監督はErnst Lubitschで、ああこんなときはLubitschに浸かるくらいに見たいなーって。

第二次大戦の前、きな臭くなってきたパリにMaria (Marlene Dietrich)が降りたって、別の名前でホテルにチェックインして、なにをしているんだろうなー のロシアのGrand Duchess (Laura Hope Crews)がやっているサロンに行くと、そこを訪れていたAnthony - Tony Halton (Melvyn Douglas)とぶつかって、食事して音楽を聴いて互いにうっとりして、でも深入りしたらやばい、とMariaは自分の名前を明かさず”Angel”とだけ告げて、夜の公園でふわっと消えてしまう。

Mariaの夫のSir Frederick Barker (Herbert Marshall)はジュネーブでの国際会議を成功させて英国に戻ってきて妻のMariaと久しぶりに会うのだが、Mariaはなんとなくぼんやりどんよりしていて、そのうちFrederickが競馬場で再会した旧友のTonyを家に連れてくる。

パリで一晩だけど穴の開くほど情熱的に見つめ合ったふたりなので、MariaとTonyは互いにすぐこいつだ! ってわかるのだが、夫に内緒でパリに行っていたMariaも彼女が親友の妻であることを知ってしまったTonyも、顔見知りであることは勿論、恋におちてしまったことを知られてはまずいし、MariaとFrederickの夫婦間の溝みたいなのもTonyに対してはやはり同様に隠されなければならないし(これでTonyとFrederickとの関係にも看過できないなにかがあったらおもしろいのに)。

「わたしが知っていることを知らないのはあなただけよ」という笑顔の裏側でエロとか策謀にまみれたあれこれが勝手に転がったり転がされたりしていって気がつけば「あなたが知らないと思っていることはみんなとっくに知っているのよ」になっていたりする、そんな無知の連鎖状態が起動しようとする悲劇を紙一重のところで喜劇とハッピーエンディングの方にぱたんとひっくりかえす、その鮮やかな魔法とその魔法を魔法たらしめる倫理的なタガみたいの、が自分にとっての「ルビッチ・タッチ」で、この映画でのそれは頻繁に現れるドア – FrederickのうちのとGrand Duchessのところにいっぱい出てくる - なの。その開閉とその向こうにいる誰かが世界をひっくり返す。

もういっこ、どこまでも表情を崩さない”Dietrichの顔そのものもドアになっていて、あのエンディングの後、またドアがバタバタするのではないか - 今度は観音開きで - などと想像することも楽しい。そうなるのは、有能そうだけど何かが決定的に欠けていそうなHerbert Marshallと、情熱たっぷりだけど実はナルシストなだけっぽいMelvyn Douglasとのトライアングルがすばらしいから。

Mariaの役を”Ninotchka” (1939)のGreta Garboや“To Be or Not to Be” (1942)のCarole Lombardがやったらどうなったか..  少し考えたけど、やっぱりここはMarleneなの、かなあ。


今日からTVで”Little Woman” (2019)のリピートが始まって、先週からの”Emma.”と合わせて当面はたまんない状態が続きそう。

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