8.16.2020

[film] Os Verdes Anos (1963)

 9日、日曜日の晩、Lincoln CenterのVirtual Cinemaで見ました。
ポルトガルのPaulo Rochaのデビュー作。 デジタルリストア版がここで公開されていて、先週終わりからは彼の第二作の“Mudar de Vida” (1966) - 英語題 - “Change of Life” - 邦題『新しい人生』も見れるようになっている。

英語題は”The Green Years”、邦題は『青い年』。画面はモノクロ。日本では「青い」のが、欧米では「緑」になる。おもしろいねえ。

19歳のJúlio (Rui Gomes)をリスボンに迎える伯父のAfonso (Paulo Renato)の語り - 偉そうなおじさんの語り - から入る。彼を自分の靴屋の見習いとして雇い入れるので車で迎えに行こうとするのだが途中のバーで友達に捕まってそのまま..  後はなんとかなったのかJúlioは都会にやってきて、迷い込んだおおきな建物でIlda (Isabel Ruth)と出会い、そのお金持ちの家でメイドをしているIldaは靴の修理を頼みに行ったAfonsoのとこでJúlioに再会して、ふたりは公園とかで休みの度に会うようになって、Afonsoもふたりをリスボン観光に連れていったりする。

ふたりの関係の進展を示すような会話とか出来事がクローズアップされることも、彼らの思いや感情が切々と語られることもあまりなくて、面倒を見てくれるAfonsoとのやりとりとか、突然バーでJúlioを誘って気前よく驕ってくれるおじさんとか、Ildaのメイドしている家の女主人との会話とか、それら大人たちとの関係や会話のなかで彼らがどう反応するのか、から彼らの世間に対する態度 - 公園とか原っぱでのんびりしていれば幸せ、とか - がなんとなく見えてくる。

働いている家で男主人が隠れて浮気しているのを見たりしているIldaは現実的で将来の生活設計とかもちゃんと考えているようで、他方で無口で無愛想なJúlioは、自分に構ってくる大人がちょっと煩わしくて、もう大人なんだからほっといてくれ、って思っている(たぶん。ほぼ喋らないからわからないけど)。なので、Afonsoが連れてってくれたダンスホールで、うまく踊ることができないとJúlioは膨れちゃうし、AfonsoがIldaにあげた忘れ物のセーターがJúlioには気に食わなくて、その程度のこと(って大人はおもう)で喧嘩してセーターを取りあげて気まずくなって。

で、そのあんまり社会化されていない一途さでもってJúlioはIldaに結婚を申し込んで、当然のようにIldaはまだ無理だわ、って返して …  
Júlioがもうちょっと聞き分けのよいこだったら … 映画にはならないか。

ここには大人 - 収入を得て自分で生活できるというくらいの意味 - の入り口に立ったばかりの若者、村とは違って友人や仲間たちと楽しく会話したりできる人たちが沢山いる都会にやってきた若者、そのタイミングで初めて好きになって付き合ってくれそうな女性と出会った若者、でもそれだけで、大きなイベントもなく夢も野望もなく、ただ日々働いていくしかないJúlioのような若者は例えばこんなふうになる、というのがとても正確に繊細に捉えられていて、そこには感情移入できるような熱さも突き放してしまう冷たさもない、なにかを代表したり代弁したりすることもない、ただ冷静で精緻で - 誠実、という言い方がよいのかどうか - これと同じかんじは、Manoel de Oliveiraにも、Pedro Costaにも、Miguel Gomesにもある気がして、ポルトガル映画的ななにかなのだろうか、とか。

ひょっとしたらものすごく悲惨な状況を描いているのかもしれないけど、あまりそうは見えないような。 そこにわかりやすく社会構造や風習のようななにか、人々の意識や偏見まで織り込むこともできるのかもしれないけど、そこには行かない。 登場人物たちひとりひとりの語らない表情や言葉に寄っていっては離れて、ある一定の距離が保たれていることで見えてくるものがある。

Carlos Paredesの音楽がすばらしい。弦の引っ張りと縮みが透明なところから束になるところまで、水のように空気を震わせてその震えがはっきりとこちらに伝わる。ブラジル音楽のそれにも通じる、高性能な糸電話みたいなのを通してやってくる音。サントラ、どこかにあるのかしら?

ポルトガル、また行きたいなー。


昨日の夜に雨がざーざー来て、いちおう熱波は行ってくれたみたい。もう二度とくんな。

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