8.04.2020

[film] As Mil e uma Noites (2015)

1日 土曜日の昼にVolume 1を、2日 日曜日の昼にVolume 2を、3日 月曜日の晩にVolume 3をMUBIで見ました。ぜんぶで382分。これまでの長いのに比べれば軽い。”Arabian Nights”。 なんか夏っぽいし。

3部作ではあるがアメリカでは別々に劇場公開されていて、それぞれ別のものとして見ることもできないこともない .. かな? くらいにテーマやトピックの構造的な、時間的な繋がりは緩め。現代のポルトガルで起こっていることを取りあげつつ、その「現代」は断面ではないし「ポルトガル」はEUの一部だし、それを語るのは『千夜一夜物語』のペルシャ = バグダッドのシェヘラザードである、という立ち止まるとなんだそれ? な構成。

冒頭、ドキュメンタリーのような形で造船所の閉鎖によって仕事を失う湾岸労働者たちのデモや中国から来たスズメバチによって脅威にさらされている養蜂業の姿が晒され、あまりのどん詰まり模様に現場から逃走する監督Miguel Gomesの姿がスタッフによって捉えられると、更に監督は首まで砂に埋められてどうすんだよ! って拷問状態にされている。

Miguel Gomesは Our Beloved Month of August (2008)やTabu (2012)を撮ったひとだから、我々は彼がどんなに夏祭りの花火とか熱帯の楽園を愛しているのかを知っている。だから彼が今のヨーロッパの危機を前にどれだけ打ちのめされてしんどい思いをしているのか、今の状況を前に楽園映画なんて撮れないであろう苦悩もよくわかる。 すると画面は突然きらきらに切り替わって海の向こうから女神のようにシェヘラザード(Crista Alfaiate)が颯爽と向かってくる。町の処女を王宮に呼んで首を切りまくっていた野蛮な王シャフリヤールのところに自ら赴いて毎晩おもしろいお話を聞かせて紡いで生きた、あの彼女が。以降、彼女が語るポルトガルの2013年8月から2014年7月に起こった都市や田舎のフィクションのようなドキュメンタリ―のようなお話しが展開していく。

Volume 1: The Restless One 「休息のない人々」

437夜 - “The Men With Hard-Ons”ではインポテンツの銀行家とIMFの役人が緊縮財政をめぐる会談の外で魔法使いの薬でぎんぎんの中学生みたいになってしまうしょうもない話。
445夜 - ”The Story of the Cockerel and the Fire”ではよだれ掛けをした雄鶏(すてき)が放火を検知して早く鳴いたからって裁判にかけられてしまう話。453夜 - ”The Swim of the Magnificents”では打ちあげられた鯨が突然爆発したり(びっくりした..)人魚が瀕死になったりしている浜辺で元旦の寒中水泳に参加する人々のお話し。どれもコミカルで素っ頓狂なようで止められなくなってしまった危うい何かを描いているような。

Volume 2: The Desolate One 「孤独な人々」

470夜 - “The Chronicle of the Escape of Simão 'Without Bowels'”では、「腸なし」Simão (Chico Chapas)と呼ばれているひとりの男 – 近辺一帯の地主のようだが乞食なのか金持ちなのかよくわからない世捨て人暮らしをしていて、警察やドローンに監視されている – が逮捕されたらいきなり英雄のように喝采されるお話。闇の中馬に乗った警官隊が静かに入ってくるシーンがすばらし。

484夜 - “The Tears of The Judge”は、月の出ている婚礼の晩、裸で股から血を流しながら花嫁が母親に電話してすべてうまくいった、というと母親 (Joana de Verona)はそれはよかった起きたときにはマーブルケーキを作るのよ、ってレシピを機械のように喋ると彼女の本業の裁判長に戻って裁判が始まる。毅然と進めたいのだが、ただの窃盗と思われた事件に傍聴席から次々にあいつがあいつがの際限ない指差しが始まって精霊は出てくるわ牛は喋るは個々のはしょうもないけどバラエティに富んだ犯罪の輪がコントのようにめちゃくちゃに転がっていくので、裁判長はブチ切れて泣いちゃうの。で、娘はマーブルケーキを焼いてる。

497夜 - “The Owners of Dixie”は、低所得者向けの団地群で白いテリアのDixie – 拾った飼い主が昔飼っていたDixieに似ていると思って、”Dixie”って呼んだら寄ってくる – の持ち主たちのお話。持ち主の変更に伴って“Part One: Glória, Luísa and Humberto"と“Part Two: Vasco, Vânia, Ana and her Grandchildren”に分かれていて、その他の団地群のいろんなブロックに分かれて暮らすオウムとか人々の模様が描かれる。とにかくDixieがかわいいのだが、Dixieから見た彼らの像は..    “Say You, Say Me”がしっとり流れるのと、なんといってもラストのDixieのー。

過去の罪や罪の連鎖や貧困のまわりで人々は連なって束になってわーわー言うようなのだが、解してみればどこまでもみんなひとりで、なんでこんなに切り離されているのだろうか、という辛さが溢れる。

Volume 3: The Enchanted One 「魅了された人々」

最初にペルシャにいるシェヘラザードが出てきて、彼女の父や海に飛びこんでいるダイバーや盗賊のElvisといろんな話をして、父は危険なことをしている娘の身を心配しているのだが、シェヘラザードは決意を新たに再び王のところに戻ってお話を続けようと、そんな彼女の上下の反対側に現代のポルトガルが倒立してある。

515夜 – “The Inebriating Chorus of the Chaffinches” ポルトガルで昔からずっと続いているズアオアトリの鳴き声バトルのために鳥を捕まえて鍛えて集まってくる男たち(男ばかり)の姿をドキュメンタリーのように - というかほぼドキュメンタリー? - で追っていく。

522夜 – “Hot Forest”は、上にエピソードに挟みこまれる中国からの移民の娘がデモの途中で警察官に出会って恋に落ちて簡単に棄てられてしまう話。

この巻に出てくる人たちは決して幸せではないのかも知れないけど、それぞれのやり方で「愛」に向かっていった or 向かおうとしている人たちとか鳥たちとか。網にかかって覆いかけられて歌いすぎて鳴きすぎて死んでもいいって、その姿はシェヘラザードのそれに重なったりしないだろうか? この巻だけ画面上にテキストが溢れているし。

いまって、割と誰もが「休息のない人々」で「孤独な人々」で「魅了された(い)人々」だよね。

最後にこの映画は監督の娘さん(当時8歳)に捧げられたものであることを知る。そうかー。
いま、この(私たちの好きな)八月、彼らはCovid-19下の世界をどこでどう見ているだろう? またシェヘラザードを?

あとあの幽霊の描きかた、Manoel de Oliveiraにもあったようなあれ。

音楽は巻ごとに結構違っていて、Villa-LobosにRimsky-KorsakovにArvo PärtにThe ExploitedまでくるVol.1、Lionel RichieやCenturyのベタな歌謡曲でしっとりくるVol.2、個人的にいちばんよかったのはNovos Baianosの”Samba da Minha Terra”が来たりするVol.3 だったかも。あと何度もでてくるAlberto Dominguezの”Perfidia”も気持ちよい。


NYのトラットリア、Porsenaがクローズしてしまった。どこまで奪ってくれるのかー(泣)。

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