8.03.2020

[film] L'intrus (2004)

7月27日、月曜日の晩、Live Screeningを始めたMetrographで見ました。
Metrographなら見なきゃ、なのだがこれ、時間が経つと見れなくなってしまうのもあるようで油断ならない。

とにかくこのシリーズの最初のがClaire Denisの”L’intrus” - 英語タイトルは”The Intruder”なのだが、同名の米国映画があるからか原題のまま。 Metrographのサイトにはここで上映された際に訪米して喋った彼女のイントロ(文章のみ)が掲載されている。

フランス、ヨーロッパで移民問題が顕在化してきた90年代末、Jacques Derridaはこれに関して”Law as Absolute Hospitality”というテキスト(これ、英語のみ?)を書き、DerridaはJean-Luc Nancyにも書くように依頼して書かれたエッセイ - 『侵入者――いま「生命」はどこに?』(未読) - Jean-Luc Nancy自身の心臓移植の経験を綴ったもの - が元になっている、と。

フランスとスイスの国境近くの山沿いに二匹の犬(すごくむっくりよい犬たち)と暮らすLouis (Michel Subor)がいて、息子(Grégoire Colin)の妻は国境警備隊にいて男の子の孫もいる。元傭兵で近隣の連中とは過去にいろいろあったらしいのだが心臓の病を抱えていて、ロシアのパスポートを焼いてすべてを清算し、心臓移植を受けて韓国を経由してタヒチに旅にでる。

筋はたぶんこんなかんじなのだが、登場人物はほぼ無言かどうでもいいことしか喋らないので、映像の連なりと時折鳴り出す不穏な音楽(いつも通りTindersticksのS.A. Staples)とか変な音で、土地によって変わっていく光や空気のかんじと共にLouisの道行きを見守るしかない。 と書くと簡単そうだけど、それが2時間の連なりのなかで実現されているのって驚異だと思う。

移植 - 侵入は暴力なしには為し得ない、それは残忍で獣的なものだ、ということがJean-Luc Nancyのテキストにはあるそうで、いろんな傷や傷跡、その跡の線とそれをなぞる指の動きがそのまま国境のそれに、あるいは様々な断絶や距離のイメージに - それは部屋とかエレベーターにも - それに伴う痛みに重なる。その重なりと狭間で自身の死を見つめて寡黙になるLouisとそれをゴーギャン的に包み込んでいくタヒチの海と。 自分は果たして生きたいのか死にたいのか、いろんな場所で何度も医者にかかりながら自問して、でも結局答えは見つからなかったのではないか。

ひとりで死に場所(or 生き場所?)を探していく彼の反対側で残してきた彼の息子のことと、タヒチでは彼が若い頃につくったらしい息子を探す - 村人によって間抜けなオーディションみたいなのが開かれ - 継承とか連続性についての言及があり、他方で女性たちは、地元で恋人だった薬屋のBambouにしても、大型犬に囲まれているBéatrice Dalleにしても、野山に出没するKatia Golubevaにしても、韓国の盲目のマッサージ師にしても、どこか西部劇で、ひたすら力強く、境目なんて目に見えていないかのよう。

Covid-19で国を跨ぐこと越えることが移民問題以前のところでクローズアップされて、でもそれはやっぱし国境での防御防疫は大事、なんてことではなくて、そんなものがあったところでウィルスの野蛮さ獰猛さのには歯が立たない - 政治の愚かさが戦争や紛争以上に簡単に人を殺す - ということだった気がする。まだ進行中のことではあるけど。 でも生き残るために国を渡る、のではなく、まずはマスクをしろ、は映画的にはきついかもね。マスクの痕をなぞる、とか…

Agnès Godardの撮影(Super 35だそう)がとにかくかっこいい。Louisの車をどこまでも追ってくる二匹の犬を振りきるシーンとか、泣きそうになるけどすごいとしか言いようがない。あとLouisの息子が孫を抱えて歩いていくところで、孫の子がパパに向かってふんわりと浮かべる笑みとか。

Louisが過去なにをやってきたのかについては、主演はそのままでJohnnie To氏に監督してほしい。

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