8.24.2020

[film] My Rembrandt (2019)

 17日、月曜日の晩、Curzon Home Cinemaで見ました。
『ようこそ、アムステルダム国立美術館へ』(2008)のOeke Hoogendijkによる美術ドキュメンタリー。UKではDogwoofが配給している。

昨年は生誕350年のRembrandt Yearのお祭りだったので、2年続けて(昨年はほぼこのためだけに)アムステルダムに行って見てきて、今年もAshmoleanで” Young Rembrandt”展が始まったところなので行こうかな、になっていて、たぶん自分はRembrandtが好きなのだと思うのだが、見れば見るほど生涯に渡り節操なく描き散らかしたこのおっさんのどこがよいのかわからなくなってきて、そこら辺を振り返って考えるネタにはなったかも。

スコットランドの地主で公爵のお城にかけてある一枚のRembrandt – “Old Woman Reading” (1655)を愛おしそうに見つめる持ち主の老人とか、アメリカの投資家で既に11枚Rembrandtを所有しているThomas Kaplanとか、アムステルダムのアートディーラーで由緒正しい家柄のJan Sixとか、個人宅に置いていたでっかいRembrandtを税金対策のために売りに出すEric de Rothschildとか、要は西欧社会における貴族(=大金持ち)のひとたちがどんなふうにRembrandtを愛し、彼の絵の「本物」を手元に置きたがっているのか、いろんなケースを追っていく。

スコットランドのはシンプルで、寝室(?)の上の方に掛けてある“Old Woman Reading”をもう少しだけ明るい部屋に移設する、それだけのことなのだが、それにしてもこの絵、世界中にいっぱいある読書する女性を描いた絵のなかでも最高峰のひとつなのではなかろうか。ああ実物を見たい。

Thomas Kaplanはアメリカ人の快活さでRembrandtへの愛を語り、”Study of an Elderly Woman in a White Cap”を落札して手元に来た時、たまらず絵にキスしてしまった、とか言う。げろげろ、なのだが、触れたくなるくらい彼の絵は生々しくこちらに寄ってくる、ということ、なのだろう。

パリのRothschild家がでっかい2枚 - Portret van Marten Soolmans / Portret van Oopjen Coppit (1634)を売る、と公表したらRijksmuseumはそんなのオランダにないとあかんやろ、と言い、ルーブルはフランス国外に持ちだすのはだめざんす、と返して戦争状態になって、でもどっちもそんな裕福な国でもないので...     この2枚、2018年にRijksmuseumの“High Society”展で展示されていたのを見て、こんなでっかいのに見たことないやつだったので「?」になった謎が解けた。(この展覧会が初お披露目だったのね)

アムステルダムのJan Sixは家が代々地元で画商・コレクターをやっていて、その初代は“Portrait of Jan Six” (1654)としてRembrandtの肖像になっているくらいなので、Rembrandtにかける情熱も人一倍強くて、まず映画の冒頭で、”Let the Children Come to Me” (1627-28)を指して、この絵の中に若い頃のRembrandtらしい人物が描かれている、というのと、クリスティーズのカタログにあった“Portrait of a Young Gentleman”という作品 - ”by Rembrandt Circle”となっているけど実はRembrandt自身の手によるものではないか、というのと、これらの絵画の真偽を研究者を交えて追っていくのと、それを落札し、メディアに大々的に発表するまでのところでおまえズルしただろ、って叩かれて友人を失ってしょんぼりするまで。

彼にとっては血筋もあるしこの謎を世界に解き放つのは自分しかいないんだ、って自分で自分にスポットあてて使命感に燃えてしまったのだろうが、真偽鑑定に入るまえに「これは本物に違いない」から入ってしまうのは – しかもそこにお金が絡むのだとしたら – ちょっといけなかったかも。 敵が若くてハンサムで金持ちで家柄もちゃんとしていて、となると叩きたい側は燃えちゃうだろうし。

その辺の事情と経緯はNew York Times Magazineのちょっと長いけどこの記事に;

https://www.nytimes.com/2019/02/27/magazine/rembrandt-jan-six.html

こうしてみるとRembrandtの絵って、”My Rembrandt”とやや熱のこもった調子で呟かせてしまうような引力があって、それって「わたしはあなたを描いているんですよ」「いまのあなたはわたしにはこんなふうに見えるんですよ」ということを仄暗い蝋燭の灯の元で切々と説く、その密なやりとりを見ているような、彼のブラシのストロークとかタッチって、そういう狂おしい感覚を伝えてくるかんじがある、ということ(逆にものすごく適当に流しているようなのもあるけど)。

あと、真偽鑑定や所蔵先を巡ってこれだけ騒ぎが大きくなるのは、マーケットへの影響がそれだけでっかい – それだけ規模範囲が拡がっているということで、なんか複雑。絵は見たいし見るのは必要だと思うけど、そのために絵をあちこち巡回させるのって(それを追っかけまわすのって)しんどいしこわいし。でもデジタルばっかりになっちゃうのもなー。

ほんとはこれくらいの古典絵画って世界遺産みたいなものだから売買とか凍結しちゃえばいいのに、くらいのことは思う。投資と金儲けはバカっぽいモダンアートの連中にやらせとけばいいの。

Jan Sixさんが日本文化を勉強したら肩のあたりに「恋撫蘭徒 ヤン六」ってタトゥーを彫ってほしいと思う。どうでもいいけど。


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