8.10.2020

[film] Nothing But A Man (1964)

5日、水曜日の晩、MetrographのLive Screeningで見ました。ここでNan Goldinのセレクトした作品と彼女自身の作品も含めて上映されていて、その中の1本。上映に合わせたイントロやトークもあったようなのだが見逃した。93年にLibrary of CongressによってNational Film Registryに登録されている。64年にインディペンデントでこんな作品が作られていたなんて。

鉄道線路工事の現場で働くDuff (Ivan Dixon)がいて、仲間とつるんで遊ぶのが苦手で、ある晩に入った教会で教師のJosie (Abbey Lincoln)と出会ってデートをするようになる。彼女の父は厳格な宣教師で不愛想なDuffのことをよいと思っていないし、Duffも結婚までは考えていないのだが、継母のところにほぼ棄てた状態になっている自分の息子を見たり、ひとり飲んだくれ状態で転がっているの自分の父を見たりして、やっぱりちゃんとした家庭を持たねば、と決意してJosieと結婚して小さな家を手に入れて子供もできる。

Duffは結婚を機により安定した収入を求めて線路工事仕事をやめて地元の工場で働くことにするのだが、職場にあった白人・黒人間の模様の上に漂う空気を読んでうまく立ち回ることができず、結果的に周りから組合寄り、って指さされて解雇されて、それ以降はブラックリストに載って職を求めていっても門前払いをくらうようになる。義父になんとか紹介してもらったガソリンスタンドの職でも白人客との間でトラブルを起こして、抑えが利かなくなったDuffは宥めようとするJosieを押し倒して家を出てしまって… という転落と、彼とJosieはそこからなぜ、どう抜けだそうとしたのか、を。

貧困に真面目に向き合って、自分に向けられた差別にまともに立ち向かおうとすればするほど肌身に冷たくのしかかってくる社会 – 家族同胞ですら - の圧。公民権運動以前のところで差別はこんなふうにひとを絞め殺そうとする、というそのきつさと、それでもその状態を救うなにかがあるとすれば.. というテーマをきめ細かく生々しく追って、その説得力ときたらものすごい。タイトルにあるように結局は「男ってこんな.. (しょうもない)」になってしまう気もするが、それってつまりここがこうだからこうなってしまうのだ、って教えてくれる。

この時代の黒人社会の貧困と差別を描いた、と安易に括ってしまうことはできるのだが、この映画のふたりをドライブしているのは怒りや憤りではなくて、Josieの無償の愛で、なんでDuffのバカでダメで浅はかな挙動に彼女は向き合い、それでも彼の肌に触れようとしたのか、Nan Goldinが惚れたのもそこだったのだと思うし、Malcolm Xのfavoriteだったというのもなんかわかる。

監督のMichael RoemerのインタビューテキストがMetrographのサイトにはあって、彼はドイツに生まれた白人で、ナチスの迫害から逃れて10歳の時に英国に渡り、そのまま移民としてUSに来た。そういう彼でも、というかそういう彼だからこそ描けたドラマだったのではないか。だからBLMにしてもなんにしても、他の国のことだから、なんて遠くから眺めるのはもったいないし、ここで描かれた家族や職場のハラスメントのありようなんて今の日本のにもいくらでも見ることができそうだし、なによりもこんなにすばらしいドラマが転がっているのだからー。

音楽は当時のMotownの数々が使われていて、Motownがサントラ盤をリリースしたのはこの映画のが最初だそうだが、我々のイメージにあるMotownの曲が流れた途端に画面がぱーっと華やぐようなことはなくて、車のエンジン音と同じように、ガレージパンクみたいなノリで背後にがんがん流れていく。まだデトロイトのインディレーベルだった頃のMotownの音。


とにかくあっつい。お昼寝もできないくらいにあっつい。
BBC Radio 6のTwitterが”How’s the weather where you are?”っていうお題でレコードジャケットを貼れ、ってやってておもしろい。 BattlesのIce CreamとかPrinceのLovesexyとかいろいろあるのだが、やっぱりPeter Gabrielの”third”だよねえ。あんなふうに溶けてる。(他にもありそう)

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