6.08.2020

[film] Smithereens (1982)

2日、火曜日の晩、Criterion Channelで見ました。

いまの映画館に通えない状態というのは、これまでずっと見よう/見たいと思いつつも見れていなかったのを捕まえるよい機会だと思うのだが、折角だから映画史に残る名作とか巨匠の作品を網羅的に見よう学ぼうという方にはなかなか向かわず(べつに研究者とか批評家になるわけでもないし)、歴史的には割とどうでもいい辺境のマイナーなのを突っついてばかりになってしまう。これは音楽でもアートでもそうかも。しょうもない。

で、Criterion Channelを掘っていたら引っかかったこれもそういうやつ。80年代初のNYのダウンタウンの端っこ音楽シーンを知るために必須の作品なの。

Susan Seidelmanが”Desperately Seeking Susan” (1985) - 『マドンナのスーザンを探して』 - の前に撮ったインディー作品。”Desperately Seeking Susan”については2010年にLincoln Centerで行われた25th Anniversaryの上映会、2015年にMoMAで行われた30th Anniversaryの上映会に行って(どちらも滞在していた時にたまたまやっていた。すごい偶然。今年は35thだね)、Susan Seidelmanさんのお話しを聞いてきて、そこでもこの作品については言及があったりしたのだが - こういうフィルムってきちんと保存しておかないとやばいよね - 自宅のクローゼットにフィルム缶突っこんでおいたら香ばしいピクルスの匂いになっててびっくり、とかそんなお話。

最近見た”Starstruck” (1982)や”La Brune et moi” (1979)にも連なる、まわりが余りにクズだけどあたしはなんとしても有名になりたいんだ! っていうひとりの女の子の無茶で無謀な冒険を描く。

Wren (Susan Berman)はNJから出てきて拡大コピーした自分の写真に"WHO IS THIS?”って殴り書きしたのを地下鉄とか街中にチラシみたいに撒いたり貼ったりしてて、そんな彼女が目に留まったPaul (Brad Rijn)は彼女を追いかけ始める。 彼女はそんなの気にしないでライブハウスに入っていってそこで演奏しているバンドのメンバーに声をかけて、でもあんま相手にされなくて、やがてEric (Richard Hell)の家に転がりこんでうだうだする。 彼は一発屋だったSmithereensっていうバンド(この時期に実在したNJのバンド - The Smithereensとは違うの。あれはよいバンドだったな)をやって、もう業界から逸れて落ちぶれているのだが、まだ周囲にはいろんな連中がたむろしている。

不良のEricを追いかけるWrenがいて、Wrenに憧れる純朴なPaulがいて、EricはLAに行くっていうし、Paulは車でNew Hampshireに行くっていうし、家賃の滞納で自分のアパートを追われたWrenはEricを頼ってPaulを頼って、やがて宿なし彼なしの野良猫としてどうすんだよ、になっていく過程が、当時のNYのダウンタウンの荒んだ風景をバックに映し出されて、話だけだと悲惨に映るかも知れないけどなんか痛快に見えてしまうのはなんでなのか。

誰も信じないし誰にも依存しない、自分のことだって信じてない、貰えるお金は貰うけどそのために自分を安売りはしない、幸せなんてどうでもいい、やばくなったら逃げるけど覚えてろよ、ていう具合でWrenみたいにその日を生きててへっちゃらな人達って当時は結構いたのね(本当にやばくなっちゃう人もいたけど)。自己責任なんて誰も言わず、そういう隙間があって許されていた社会って、やはり豊かだったのだろうか。「豊か」っていうのとはちょっと違う気がするけど。

生活に何一つ不自由のない主婦のRoberta (Rosanna Arquette) = 不思議の国のアリスがこんな野良世界に迷いこみ、一匹猫Susan (Madonna)と出会って何かを掴む痛快活劇が、この後の”Desperately Seeking Susan”で、ここでもやはりチンピラをやっているRichard Hellは殺されてしまうの。

WrenもPaulもEricも、ダウンタウンのぎすぎすした空気と風景に見事に馴染んでひとつになっているのがすごい。ストーリーもキャラクター設定もどうでもよいかんじなのに、彼らが生きる世界と彼らの生が壁の落書きのように風に曝されてびくともしない。そうやって描かれた世界が問答無用で目の前に現れる、そういう強さをもった映画。

音楽は”The Kid with the Replaceable Head“も流れるけど、全体のトーンを決定しているのはか細く消え入りそうなギター - The Feeliesの”The Boy with the Perpetual Nervousness”であり、”Loveless Love”であり、”Original Love”であり、これらがWrenの彷徨いにとってもよく浸みる。 主人公が男の子だったらJohnny Thundersあたりでもよかったのかも。

贅沢を言えばちょっとぼろい映画館で、16mmで見たかったねえ。


デモに行った翌日はいつも、これで少しは世の中も変わってくれたかしら、って起きあがって、もちろんそんな簡単に変わるもんでないことは百も承知なのだが、この闘争が簡単にコロナの日々の思い出としてどこかに行ってしまいませんように、というのはずっと思っている。そんな時に外務省の注意喚起メールとかNHKの動画とかに触れると、もうなんなの? しか出てこない。世界の田舎(悪い意味の)どころか、はっきりと悪に寄って加担しているよね。

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