6.01.2020

[film] River of Grass (1994)

5月26日、火曜日の晩、Criterion Channelで見ました。ここの5/31迄で見れなくなるよリストにあって、月が変わって見れなくなるとやなのは他にもたくさんあったのだが、これはとにかく。

Kelly Reichardt作・監督のデビュー作で、彼女の作品はぜんぶよくてどれも大好きなのだが、特に”Wendy and Lucy” (2008)は必見なの。

“River of Grass”は舞台となるフロリダ州の南に広がる草地帯のことで、先住民ですら草しかないなんもないしょうもない土地って呼んでいた土地である、と。

Cozy (Lisa Bowman)はそこに暮らす平々凡々な主婦で、夫も子供も父親もいるけどもう全てがどうでもよくてやる気ゼロで、なれるもんなら体操の選手とかダンサーとか.. なーんちゃって..  って呟いてみたらおわり、のようなかったるい世界で生きている。バーで明らかに自分と同種の夢遊病者Lee (Larry Fessenden)と会ってどうでもよい同士でなんとなく盛りあがってどこかの家のプールに忍びこんで泳いでいたらその家の人が出てきたのでLeeが持っていた銃 – これはCozyの父親が勤務中に落としたものだった – を突発的にぶっ放したら当たっちゃった気がしてやばいぞって車で逃げてからふたりでモーテルに籠って、ボニー&クライド気取り – なんてものではないけどひょっとしたら.. - の逃避行が始まる。

ふたりには始めから犯罪をするつもりも人を殺してしまったという確証も逃げて潔白をはらす意思もなんもないような空っぽ空っけつぶりで、でも車に乗って逃げるとなったらモーテルだろうし、外からのノックには気をつけるし、金はないのでお店には押し入って食べ物盗ろうとしても失敗して、Leeとかを見るとほんとに隅から隅までダメダメで、筋書きだけだと十分ノワールになれるのに、このふたりの緊張感とやる気のなさのせいでただホワイトトラッシュがぐだぐだしているだけのように見えてしまう。

でもそれでも怒る気にも笑う気にもなれないのはCozyもLeeも我々が暮らしていて通り過ぎたりすれ違ったりしている世界の住人で、彼らは今もきっとCovid-19の隔離でしぬほどつまんないしんだほうがましかも、とかぶつぶつ言いながら腹をだして転がっている我々の隣人だからだ。 彼らの定まらない眼差し、どうでもよい方に寄っていってしまう目線、殺したいなら殺せばーの態度ぜんぶ、こういう人たちで構成されている世界、というのがKelly Reichardtのその後の映画にも出てくる。ものすごく邪悪でも天使がちらちらする花園でもない、目につく鼻につく連中がごそごそなんかやってて、そうやって維持されてしまう、決してxx Lives Matterにはなっていかない日々。不条理? それを言うならわたしの生そのものがそう。でも、だから。 

で、デビュー作から既にこういう世界のこういう人々を描いていた、というところでKelly Reichardt作品て本当にすばらしくて、かんじとしては初期のジャームッシュの映画にあったようなざらっとした粗い布の薮のなかを猫背で横移動していくような。横移動してもどこにも行かないし行けないし。 でも彼らはだーれにも依存しないでそこにいる。 彼女はずっとそういう人達を描いているの。

CozyとLeeを並べてみると、どっちもぼんくらだけどどう見てもCozyの方がまだ立派にそこに立っているふうで、”Certain Women” (2016)のなかに出てきてもおかしくなかったのではないかしら、って。

エンドロールでSammyの“Evergladed” (1994)ががんがん流れてきて懐かしく、そういえばBeckの”Loser”は93年、Pavementの”Crooked Rain, Crooked Rain”は94年だったな、と。この辺りの空気もたしかにある。


6月になって外に出てみるとやっぱり車の量が増えて店も少しづつ開きだしているみたい。でも最寄駅はまだ開いてない。美術館も映画館もまだ。今月は行けるようになったりするのかしら(期待しない)。
ところで3月から5月の日照時間はトータルで600時間を超える記録的なものだったそう。確かに毎日外に出ていっても降られたのは一回だけだったし。こんなによい天気なのに、というのか、こんな状況だから天気くらいは、というのか。 熱波だけはこないでね。

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