6.15.2020

[film] I Don't Belong Anywhere: The Cinema of Chantal Akerman (2015)

7日、日曜日の晩、MUBIで見ました。
前日の6日はChantal Akermanの生誕70周年で、土曜日だったので彼女の作品をいろいろ見ていた。”Family Business” (1984)を見て、”Sud” (1999)を見て、”La chamber” (1972)を見て、まだいろいろ見続けたいし、”Sud”は別で書いた方がよい気もしているのだが、このドキュメンタリーがとてもおもしろかったので、まずこちらから。

いくつかの作品をピックアップしつつChantal自身がこれらを通して自分の映画観のようなところを解説していく。

まず、“Hôtel Monterey” (1973)  - “La chamber” (1972)について、ゲイポルノの映画館でバイトをしていた21歳頃にアバンギャルド - 実験映画に目覚めてデビュー作の”Saute ma ville” (1968)をJonas Mekasに見て貰ったりしていた頃から、一箇所に定住しないノマディックな性分なのだ、と”News from Home” (1977)や“Histoires d'Amérique: Food, Family and Philosophy” (1989)に出てくるNYを見せながら語る。これが基本 – “I Don't Belong Anywhere” - です、と。

そこから、ポーランド移民の子としてブリュッセルに生まれた自分の世界を、母や叔母がいた風景としての”Jeanne Dielman, 23, quai du commerce, 1080 Bruxelles” (1975) – 固定された枠の内側でひたすら家事をこなす – と”Saute ma ville”で靴墨を自分の足に塗りたくって(自分ごと)爆破してしまう自分との対比で語る。... おもしろい。

更に”Jeanne Dielman..”のフレームの扱いに影響を受けたケースとして、”Last Days” (2005)での主人公がキッチンにいる時の動きを監督のGus Van Sant自身が説明してくれる – “No Sideway Shots”とか”Architectural Representations”という言い方で。

そこから、単に映像を見せるのではなく、その時間を経験させるのだ、という”No Home Movie” (2012)の砂漠 ~ ブリュッセルの公園とか、”La folie Almayer” (2011)で主人公にあたる光の揺らめきとか、更にあのすばらしい”Les rendez-vous d'Anna” (1978)でのカーテンを開けるシーン - カーテンを開ける = 世界が開かれるようなかんじがするところとか、ヒールの高さとそれがたてる音にまで配慮すること、とか。

では自分の世界は、というところで ”Toute une nuit” (1982)の、バーで隣り合った男女ふたりのシーン(ちょっとPina Bauschぽい) - バーでひとりでお酒を飲むようなことって自分の世界ではなかった、とか。”Je Tu Il Elle” (1974)のレズシーンはゲイ・レスビアン映画祭には絶対出品させなかった、とか、”Un divan à New York”で、Juliette BinocheがWilliam Hurtにパンチするとことか、William Hurtがアドリブをやりたがったけど決して許さなかった、とか。

終盤は後期のドキュメンタリー作品について、”No Home Movie” ~ ”Là-bas” (2006)のイスラエル~”D'Est”  (1993)の東欧 (+そのインスタレーション作品)~ ”Sud” (1999)のアメリカ南部と流していって、ドキュメンタリーを撮るときにはなにも考えない、と。世界に開かれていることが大事って言いながら砂漠の大地の向こうにひとりですたすた歩いていくの。

インタビュー部分は1時間強で終わって、最後はここで紹介された彼女の作品映像を音抜きテキスト抜きで順番に流していく。これがまたよくて。

彼女が四角く切り取った世界って問答無用に、圧倒的にそこにあるよね。ここに出てくる“Histoires d'Amérique..”のマンハッタンも、出てこなかったけど”O Estado do Mundo” (2007)の上海も、”D'Est”のターミナルも”Sud”の(死体が引き摺られていった)道路も、すべてがそこに集まってくる、そこからすべてを見渡せる、そういう場所から世界を捉えようとしているような。 最後の無音の映像もサイレントでそのまま使えるような強さがあるの。

この点、Agnès Vardaとはやはり違っているような気がした。Agnèsのは人物の動きやエモーションに連動するかたちで世界に色とか視野とかパスが与えられて、その動きと共に世界はオーケストレートされて積みあげられて、そうやって生成されていく世界を我々は体験する。Chantal Akermanの場合、彼女が開げたカーテンがあり、切り取った窓があり、佇んだり寝転んだりする部屋と家があり(或いは車や船があり)、そこから射してくる光や吹いてくる風を感じることができて、これらはどちらがどうだからよいわるいどうする、というものでは勿論ないの。 旅に何を求めるかで旅の仕方もひとそれぞれ、それだけのことよ。

どうでもいいけど、彼女の”La chamber”って、猫動画のいないいないばあ、と同じかんじよね。


今日からリテール系のお店は開けてよろしい、ということで、じゃあいきなりスキップして買い物に出るかというとそこまでの元気はなくて、でも夕方に買い物に出てみると大通りのユニクロとかZARAは行列ができてざわざわ賑わっていた。みんな服とか買いたかったのね、って。
古本屋が本格的に開いてから、かなあ。 あ、でもRough Tradeは明日から開くのか…  

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