9.26.2018

[film] Les Demoiselles de Rochefort (1967)

19日、水曜日の晩、BFIのBig Screen Classicsていう企画 - クラシックを大画面で見よう、ていうだけなの – で見ました。
『ロシュフォールの恋人たち』ね。もちろん。

少し前の12日の晩、ここの同じ企画で“French Cancan“ (1955)を見て、あーやっぱりいいなあフランスのこういう… って思って、さらに「こういう」ってなんだろと思って、ただぴらぴら女性の動きが圧倒的にきれいな「だけ」のやつかな ..  ていう思いつきを抱えた状態で見た。

上映前にこの企画のプログラマーのGeoff Andrewさん(よいひと)がイントロで出てきて、プログラムノート(BFIで上映前に配られる一枚紙)のなかでJonathan Rosenbaum氏が自分のFavourite Musicalであると断言していて(98年のChicago Readerより)、先日英国フランス大使のところを訪問した折にAgnès Varda女史と会話したら彼女もこれがベストだって言っていて、自分もずっとそう思っていて、この3人が揃って言うのだからこのミュージカルはやはり世界一と呼んでよいのではないか、と。

ただこのミュージカルが参照したりリスペクトしたりしているアメリカ産のミュージカルと比べたとき、どこかぎこちなかったり人工的だったりするところがあることは確かで、それはミュージカルについてのミュージカルでもあるから、というのと、なんでミュージカルが必要なのかというとひとは恋に落ちたら歌ったり踊ったりしたくなるからで、つまりこれは恋に落ちることについての映画でもあって、その恋は叶ったり叶わなかったりするものだが - 初めて見るひともいるだろうからこれ以上は言わないけど – たとえばFrançoise DorléacとGene Kellyが出会って、恋に落ちる一瞬を、そのとんでもなさを見てほしい、というようなことをものすごい勢いでがーっと喋って消えた。(ぱちぱちぱち)

ストーリーはいいよね。 ロシュフォールの街の金曜日から翌月曜日にかけてのお話しで、週末に向かって大量のアメリカ兵(など)が大量の恋の予感とかフェロモン(など)を運びこんできていて、迎え撃つ側にはDelphine (Catherine Deneuve)とSolange (Françoise Dorléac)の姉妹がいて、ママはYvonne (Danielle Darrieux)で、みんな宿命ど真ん中の、100%の恋人とか離れ離れになってしまった恋人とかを胸に秘めてやたら燃えていて、部屋とか店とか道路とかで歌って踊って手を伸ばしてキスを誘うの。 そのハーモニーは途切れずに天に昇るのもあれば、そのままでフェードアウトするのもあるけど、パリを目指したり次の週末を目指したり渡り鳥となってどこまでも飛んでいく。 要するに、恋愛ばんざい! ていうことを言うため(だけ)に台詞、歌、振付、色彩、音楽、映画を構成する要素ぜんぶが奉仕していてクレーンで宙に持ちあげられる。こんな渾身の、でも天使みたいな力技見たことないし、なんでこんなことができたのかというと、Jacques Demyそのひとが常にその只中にあって、それに溺れたり浮かんだりしながら映画や歌やダンスを求め続けたひとだったからではないか。

それにしても改めてMichel Legrandの音楽は、音楽がもたらす怒涛のような恋への予感と恋が始まってからの洗濯機の渦と洗濯ものが干されて風に吹かれて飛んでいくまでを微細にキャッチ―に描きこんでいてものすごい。 そしてそこに乗っかるJacques Demyの歌詞もまた、恋愛に完全に酔っぱらって叩きのめされているジャンキーのそれで、こういうのを書けるのはBryan FerryとかSerge Gainsbourgとか、そういう特殊なおじさんたちだけ。 どこから聴いてもどこまで聴いても終わることも飽きることもなくオートリバース(って最近の子は知ってるのか?)し続けるMix Tapeみたいなの。

(関係ないけど、こないだ”French Cancan”見たとき、これスラッシュメタルみたいかも、って思った。死ぬまでがんがんバンギングしていそうな歓喜と気迫、それのみなの。理由はないの)

ロシュフォール、いつか行ってみたいな。 ナントの方が先かな。

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