9.25.2018

[film] Westfront 1918 (1930)

今朝からコート着た。

14日の金曜日にBFIで見ました。”World War One: Regenerations”という小特集からの1本。
こないだ見た”The Guardians”もこの特集も、第一次大戦の終結から100年経った、というのもあるのだろうか。 
邦題は『西部戦線一九一八年』。

BFIのコピーには“The film that Hitler didn’t want his citizens to see”とあって、実際に公開から3年後に上映禁止処分をくらっている。たしかに戦意喪失映画、としか言いようがない。

“Pandora's Box” (1929) - 『パンドラの箱』のG.W.Pabstのトーキー第一作で、ドイツでのリリースは30年の5月、同じ戦争を描いた作品として同年の12月にリリースされたラマルク原作の”All Quiet on the Western Front” (1930) - 『西部戦線異状なし』– これは見ていない – と比べると知名度は低い(こちらの原作はErnst Johannsen)ようだが、これだってじゅうぶんにすごいし怖いと思った。

終戦間際の最終局面の西部戦線(向こう側にはフランス)に駐屯した4人の歩兵 - the Bavarian、Karl、the Lieutenant、the studentのそれぞれの運命を描く – どれもとっても悲惨なのだが。BavarianとKarlとLieutenantの3人が爆撃されて埋まっちゃったところをStudentに救われたり、Student(よいこ)は泥沼のなかでフランス兵とえんえん取っ組み合いしたり、Karlは帰還命令が出たので家に戻ると妻が肉屋といちゃついていたので、絶望して再び前線に戻ったり、戻ると泥水のなかからStudentの腕が出ていたり、Lieutenantはついに発狂しちゃったり、最後は轟音とうめき声が響く薄暗い病棟のどん詰まりで、敵も味方もなくみんなゾンビみたいに呻くばかりで誰にもどうすることもできない。

戦場 - 前線の描写はずっと機械とか戦車とかの低音や砲声が耳鳴りのようにわんわん鳴ってて不快なばかりで、画面は奥のほうの前線 – ただの殺風景な地平線とか煙とかが定点固定で映っているだけの見晴らしはほぼゼロで、でもカメラが動かず、動けないことの不便さ不快さがそのまま前線に置かれているかのような感覚を引き起こして、その灰色の視野の奥から虫のように敵兵とか戦車が湧いて出てきて、気持ちわるいったらないの。

最近の戦争映画の、特殊撮影を駆使して戦争の迫真の「リアルさ」を見せる- 四方八方からあらゆるものが飛んできて、当たれば即死で逃げても即死で、こんなに酷いことになっていてどこにも動きようがない状態 - を緻密に360度の視界と圧縮された時間感覚で見せる - のとは全く異なる、実際に穴に埋まって動けなくなってそのまま埋まって死に向かうしかないひとりの人間の視野・感覚野に同期しようとしていて、どちらかというと後者の方が怖い、というより嫌で、最近これとおなじかんじで厭戦観をたっぷり煽ってくれたのが「野火」(2014) だったかも。

でも、それでもナチスは台頭して二次大戦は起こって、その後もずっと戦争だの紛争だのは続いているので、そんなに泥に埋もれて豚みたいに死んじゃうのがいいのか、て改めて思うのだが、戦争をやりたがるひとが見る映画、作りたがる映画は決してこういうのじゃないんだろうな、って。
でも、反対側の、痛みに対する想像力を持てないひとが創作に関わっちゃだめよね。

終わりの字幕は ”END?” って。終わらないものになることはわかっていた、と。

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