9.17.2018

[film] Agnès Varda in Short(s) and in Surprises

この7月くらいから新作 “Visages villages” – 英語題“Faces Places” – 邦題『顔たち、ところどころ』の上映に向けたAgnès Vardaの地味な特集とか”Vagabond” -『冬の旅』(1985) のリバイバルとかがBFIとCurzonで始まっていて、Curzonでは、”Agnès Varda: Gleaning Truths”ていうデジタルリストアされた9本の回顧上映をしていて、ぽつぽつと見ていて、どれもものすごくおもしろいのだがどう書いたらよいのか考えているうちに”Faces Places”の英国公開が来て、プロモーションでやってきたAgnès Varda自身の声を聞いて、途中でもいいからなんか書いてみようか、と。

まずは、11日の晩にアンスティチュのCiné LumièreでAgnès Vardaさんを招いて行われた彼女のアート・インスタレーション(3本)と短編(3本)の上映会から。

上映前にAgnèsが壇上で上映される作品の解説をしてから上映に入るのだが、後半の短編の解説は指摘されるまでずっとフランス語で喋ってしまっていて、戻るの面倒だったのか「まあわかるわよね.. 」って(..わかんないって)流されてしまったので大事なことを聞き逃しているかもしれない。

ただ全体として、これらのインスタレーションや短編 – “Portrait of vision of Life”を撮る、という言い方をしていた - が彼女の創作にとっていかに大切なことかは何度も強調していたし、それは”Faces Places”を見てもわかるし、映像やイメージの「落穂拾い」のような意味を持っていることもわかる。

インスタレーションの3本:

Patatutopia (2003)   4 mins 34 sec

“The Gleaners & I” (2000) - 『落穂拾い』の時の映像を再利用しながら、ハート型のじゃがいも拾いと収集に夢中になってそれに囲まれてご満悦のAgnès。タイトルそのまま。でもそんな好きだと料理できないんじゃないか..

Le Tombeau de Zgougou (2006)  2 mins 18 sec

長年連れ添って亡くなった愛猫Zgougouの映像お墓をつくるお話。 彼女の猫映像ってなんであんなに素敵なの?

Les Veuves de Noirmoutier (2005)  2 mins 33 sec

彼女がよく訪れるNoirmoutierの島には未亡人が多くて、その理由は男たちはみんな海で亡くなってしまうから。真ん中にEric Gautierが35mmで撮影した大きな画面の映像を置いて、その周りを14の小スクリーン(14人の未亡人によって死んでしまったそれぞれの夫の思い出が語られる)が囲んでいて、それを見るひとは各小スクリーンと個別に繋がった椅子にあるイアホンを通じてそれぞれの思い出に耳を傾けて、そうやって海に消えた死者と繋がる。

短編の3本;

7 P., Cuis. S. de b… (à saisir) (1984)   27 mins

売りに出ているバス・キッチン付き7部屋の家族向け物件に纏わるイメージを通して、ある家の記憶って何から、どんなふうに構成されているものか、古い家に宿るものってなんなのか、等をスケッチしたもの。 こういうの、日本の家屋だと暗めのホラーな方に向かいがちだが、ほのぼのとおかしくて、こういうのあるなー、って。 オムレツを作るところとか笑った。(あれ、食べたのかしら?)

Ulysse (1982)    22 mins

“Faces Places”でも取り上げられていた、彼女が54年 - まだ映画作家になる前 - に撮影した1枚の写真 - フランスの浜辺で、手前にヤギが死んでて、それを少し離れて座って見ている裸の少年がいて、その横にやはり裸で突っ立って海を眺めている男がいる。 この写真に映っている男と少年のところに行って話を聞くの。男はElleの編集者になっていて、少年はもう大人だけど写真を撮ったことは憶えていない、でも当時彼が患っていた病のことは憶えている、と。

なぜヤギなのか、どうしてヤギは死んでいるのか、なぜふたりの男は裸で浜辺にいるのか、ふたりの関係は、などなどの問いが簡単に浮かんできて、これらを文脈のなかに置いて物語る手法として彼女の前に映画は現れた、ということと約30年後の再訪を通して、改めて描き直されるものもある、ということ。 そしてさらにこの旅はここから35年を経て再び”Faces Places”で問い直される - なーんでヤギなのか? と。

Uncle Yanco (1967)    22 mins

やんこおじさん。 彼女のギリシャ系移民の親戚で、カリフォルニアのSausalitoのボートハウスで気楽な暮らしをしているおじさんを訪ねたときの記録。 外見だけだとなんか(ギリシャのひとによくある)ホラ吹きぽいかんじの人なのだが、この時代の西海岸、というのがその怪しさを加速させている。彼の家族との出会いを通して自分の血、みたいのを彼女は確認したのかどうか。 血族とかルーツとか、それが国を渡るとかってどういうことなのだろう、と自分に問いかけているように見える。
Sausalitoって、90年代に行ったことがあるけど、その時には既に地元の金持ちのヨットハーバーでぴかぴかで、でも昔はあんなだったんだねえ。

上映後のQ&Aはなかったのだが、アート・インスタレーションと呼ばれるものと短篇との間に作品上の大きな段差みたいのはないように思われて、そこは聞いてみたかったかも。単に上映時間の長い短いとか美術団体に委託されたからとか、その程度ではないかしら。そしてそれは”Faces Places”のような長編作品でもそのまま。 常に人とか場所の出会いの不思議さに魅かれて、どこまでもそれを追いかけていく。その旅が長いか短いかだけのような。

ここで一旦切ります。

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