9.01.2018

[music] St Vincent

26日、日曜日の晩、Edinburgh Playhouseで見ました。

今回Edinburghに行った理由のひとつが”Rip It Up: The Story of Scottish Pop”の展示で、もうひとつはEdinburgh International Festivalのなんかの演目を見るためだった。 このフェスは演劇とかダンスで結構おもしろいのが出る、という印象が強くて、音楽も過去何度かぐううううってなった(なった割りにはなんだったか思いだせないや)ことがあって、どんなものか生で触れておきたかった。 ただ開催中の真ん中にNYに行ったりしていて、気付いたら終わりかけで、でも最終日の手前でこれがあった、と。

着いてから日暮れまでは美術館とかを回っていて、20時少し前に着いた。ホテルから歩いて20分くらい。

St.Vincentさんについてはいいよね。 

2015年のHollywood BowlでErykah Baduの前座として見たのが最後(たぶん)で、その前はNYのBeacon TheatreでDavid Byrneと一緒のも見たし、渋谷Duoでの初来日公演も見たし、彼女が初監督したホラー短篇映画だって劇場で見ているし、彼女のお姉さんがやっているダラスのタコス屋だって食べに行ったし、彼女が表紙になったBAの機内誌だって持ってるし。(なんかストーカーみたいだ。でもまだ新譜買ってないや)

会場はPlayhouse、というところなので普段は演劇をやるところなのだろう、大きさはBAMの Howard Gilman Opera Houseくらいで、適度に枯れてて、きれいに埋まっていた。音はいかった。

前座はなし。 ライブ自体はライティングやメンバーの装いも含めてだんだんにデジタル化/サイボーグ化が進行している最近の傾向から更に踏みこんだもので、音のエッジと背後の電飾、増殖が止まらない自我が現れては消えていく背後の映像も含めて聖性と俗性の境界をデジタルがどう渡ったり操ったり崩したりしていくのか、そこに彼女のリアルな肉声やエロスはどう関わっていくのかを真摯に探究して展開していく、ようなかんじ。 そこでギターの音、弦は彼女をがちがちに縛るSMの紐であり、同時にそれを切り裂いて解き放つワイヤー鞭でもある、という、その両義性 – 刺し合いのなかで彼女の声と息遣いだけが最後にむき出しで残る。

構成だと中盤の”Cheerleader”以降の展開は問答無用の金縛りで、アンコールはひとりで出てきてアカペラと弾き語りでしっとりと3曲、この押しと引きの駆け引きが絶妙で、でも少しだけ欲をいえば、これが止まらずに一連の流れとしてでっかいドラマを作ってくれたらすごくなるんだけどなー、と勝手なことも思った。

ていうのもあるし、このままDJでも映画監督でもモデルでもギター芸でもなんでもやってDavid Byrne的な大風呂敷渡り大道芸人としてでっかくなっていってほしい、ていうのも思う。
まだ世界制覇の途上なんだろうな、って。


あんま関係ないけど、さっき今シーズンのBBC Prom - 66で、Berliner Philharmoniker聴いてきた。
3演目のうち、真ん中のProkofievのPiano Concerto No.3のピアノは Yuja Wangさんで、久々に鳥肌の立つかっこよさだった。 真ん中なのにアンコール2曲やってくれる。 こういうかっこいい女性がいっぱい増えてくれればなー。 

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