9.15.2018

[film] The Seagull (2018)

8日土曜日の午後、CurzonのBloomsburyで見ました。

邦題はしらないけど、まさかまさか「かもめ」じゃなくなるなんてことないよね?  原作はチェーホフのあれよ。

役者のIrina (Annette Bening)が劇場にいるところに兄のSorin (Brian Dennehy)が危篤だという報を受けて湖畔の家に一族が会して、彼女の息子のKonstantin (Billy Howle)もそこにいて、すると窓の向こうの闇の奥から亡霊のようにNina (Saoirse Ronan)が現れる -  ていうのが導入で、そこから話しは過去に遡る。

KonstantinとNinaは初々しい恋人同士で、湖畔のパーティの席で自分達で作った劇を上演したら失敗して気まずくなって、でもそこにいたIrinaの愛人で人気作家のBoris (Corey Stoll)はNinaに声をかけて、メイドのMashais (Elisabeth Moss)は執拗にKonstantinを追っかけて、いろんな恋のごたごたが勃発して大変で、最後にもういっかい冒頭の場面に戻る。詳細は原作を読んでね。

原作にはあった(気がする、読んだのだいぶ前だけど)芸術(論)とか演劇(論)とか名声とか「かもめ」とか、そういう難しめなところに関する論点とか視点とか問題設定がかなり抜け落ちているので、単なる好きになった- よろこんだ – ふられた – 泣いた - 自殺未遂 – みたいな幅やや広め人数多めの恋愛ドラマとか、お屋敷を舞台にしたサイコホラーみたいの(全体にゴスっぽいキャストからするとこっちに倒した方がよかったかも)にしか見えなくて、だから例えばNinaがKonstantinじゃなくてあんな中年のハゲBorisの方を選んだのかとか、腑に落ちないとこもあったりするのだが、恋とはそういうもの、当事者にしかわかんないんだから、みたいなとこも含めて俳優たちの説得力満載の演技がそこをカバーしてくれる。

特に、“20th Century Women” (2016)で20世紀のアメリカを代表するお母さんを演じてしまったAnnette Beningと“Lady Bird” (2017) – これも鳥だねそういえば - で一世一代の撥ねっかえり娘を演じてしまったSaoirse Ronanの(母娘ではないけど)激突とか、偶然だろうが、ついこないだの“On Chesil Beach” (2017) – ええと『追憶』だっけ? - 文芸ドラマで、破局する – それも自滅っぽいかたちでぶっ潰れるカップルを演じたSaoirse RonanとBilly Howleがまたしても、笑っちゃいけないけど、ぶつかって、今回の勝負もおろおろ錯乱したBilly Howleが勝手に暴走して哀れ.. とか、笑っちゃってほんと申し訳ないけど、それなりに見応えはあるの。

それにしてもまあ、Borisへの恋に目覚めて、自分は女優になるんだと決意するときのSaoirse Ronanの輝きのとんでもなさときたら、どんな少女漫画でも - バカにしてるわけじゃないのよ – あそこまでのものは描けないよね、というくらいすさまじい。 あれがあるのでかもめとか結末の残酷さ – ああなんてかわいそうなKonstantin - が際立ってしょうがないし、あれがあるからこの娘はきっとだいじょうぶよね、とも思うし。

あとは彼女と同様に恋と焦燥に燃えあがるAnnette Beningのすばらしいこと。”Film Stars Don't Die in Liverpool” (2017)(って日本で公開されないの? すごくよいのに)でも女優という役柄を通して(であるが故の?)外面と内面のせめぎ合いを、その堤防が決壊する瞬間のドラマを見せつけてくれてひれ伏すしかなかったのだが、この作品でも顔の向こう側からのエモの放出っぷりがものすごい。

Mashais役のElisabeth Mossもよいし、女性映画として素敵だと思った。

続編のかもめ2は、息子の仇としてNinaを追うIrina(+ 隠密忍者にMashais)がたどり着いた地の果てにはBorisが建立した快楽の館があって、ふたりはそこで奴隷となっているNinaを見つける…
ってかんじのがいいな。

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